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大屋地爵士のJAZZYな生活

60歳過ぎたら聴きたい歌(34) ~ 手紙 親愛なる子供たちへ ~

前回の「聴きたい歌」で、「泣ける歌」ブームについて触れた。そして、「泣ける歌」とやらをいくつか聴いてみた。いい曲もつまらない曲もあるが、どちらかというと愛、家族などがテーマであり、我々より下の世代か、若い人達が対象になっている歌のように感じた。ここでもまた、シニア世代のための歌の欠落を感じてしまった。確かにいくつかの歌はいい歌にはちがいないのだが、泣けるほどかといわれると、「う~~ん」と首をひねってしまうのだ。そして、CDショップの「泣ける歌」コーナーに、ある曲を見つけて試聴してみた。パンフレットがそばにおいてあり、キャッチ・コピーと歌詞全文がのっていた。「こころのポストに届く手紙(うた) 樋口了一/手紙 ~親愛なる子供たちへ~」。心に沁みた。

昨年の10月上旬、早朝のラジオ番組で「聞きたくない人はボリュームを下げて」と呼びかけ流された樋口了一氏(44)の「手紙~親愛なる子供たちへ~」が「泣ける歌」と話題を集めている。年老いていく親から子へ「死は悲しいことじゃない。年老いた自分を見て、自分が無力と思わないで欲しい」と歌うこの曲は、親を介護中のリスナー、親の死をみとった人など色々な人から、共感、拒否を含め大きな反響があったという。

2年ほど前、一通のメールが、「樋口了一」の友人である「角智織(すみ ともお)」の元に届いた。それは、ポルトガル語で書かれた散文のような詩であった。角はその詠み人知らずの詩に感銘を受け、訳し、樋口に見せた。樋口は故郷に両親を、そして子を持つ父親として、その詩に圧倒的なリアリティを感じた。数日後、樋口は「あの詩を歌にしたい」という思いを角に伝え、言葉に導かれるままに曲をつけ歌にした。「この歌は、この言葉を必要としている人に、自ら歩いていくような曲」と樋口は言う。一昨年、こころのポストに届く手紙(うた)と信じて、ライブで歌い始めたという。
「手紙 ~親愛なる子供たちへ~」のメッセージは、樋口同様、故郷に親を残している私の心にも届き、そして響き、沁みた。CDショップの試聴機の前でヘッドホンから流れるこの歌にたちすくむ私がいた。

「手紙 ~親愛なる子供たちへ~」
           原作詞:不詳 訳詞:角 智織 補足詞:樋口了一 作曲:樋口了一

「♪ 年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
   どうかそのままの私を理解して欲しい
   私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
   あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
   あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
   その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
   あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
   いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
   あなたを抱きしめる力がないのを知ることはつらい事だけど
   私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい
   きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
   あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
   私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
   あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
   あなたに対する変わらぬ愛をもって笑顔で答えたい
   私の子供達へ
   愛する子供達へ                     ♪」   

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手紙~親愛なる子供たちへ~

樋口了一 / タクミノート



         



最近、「誰も知らない泣ける歌」でもこの歌を取り上げたらしい。
by knakano0311 | 2009-03-27 09:20 | 60歳過ぎたら聴きたい歌 | Comments(0)
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