大屋地爵士のJAZZYな生活

櫻狂い(2) ~一目千本・吉野の櫻~

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(写真;吉水神社より見る上千本)

白州正子がその著書「西行」で、足跡を追って旅した吉野の櫻。「これはこれはとばかり花の吉野山」と安原貞室(1610年-1673年)が詠んだ吉野山の櫻。古来から一目千本と讃えられる吉野山の櫻。数々の歴史絵巻に登場する吉野の櫻。

長らく関西に住んでいるのに、なかなか、かなわなかった吉野の櫻詣でに出かけてきました。半ば予想はしていましたが平日にもかかわらず、車は大渋滞、そして下千本から上千本まで人、人、人・・・。特に世界遺産に登録されてからは、一気に観光客が増えたといいます。下千本から金峯山寺蔵王堂、吉水神社を経て中千本、さらに上千本へと急な坂を歩いて、山と櫻を愛でるのが吉野の流儀とされるが、とにかく満車で駐車場を探すのもままならず、下千本から上千本、奥千本と車で周回し、車窓から楽しむという趣きのない櫻詣となってしまった。
この時期、下千本はもう葉桜、中千本が散り始め、上千本は今が満開、奥千本は咲き始め。目の前に広がった櫻絵巻は、「圧巻!」の一語。まさに「一目千本」、谷を、尾根を一面に覆う夥しい数の櫻。車からという風情のなさを忘れさせるほど見事なものであった。古来から大勢の人が吉野を訪れ、櫻に酔いしれるのも納得が出来る見事さ。

吉野山は、尾根から谷を埋め、爛漫と咲き誇るその櫻の見事さで広く知られていますが、吉野山が桜の名所となったのは、今から1300年前、役行者が金峯山寺を開くとき、感得した蔵王権現を桜の木に刻んだことに始まるといわれている。関西の櫻の名所には修験道や役の行者とかかわる話が多いような気がしますね。現在200種約3万本、多くがシロヤマザクラ。 吉野山の地形が、吉野川畔の六田の渡しに始まって、大峰連峰に達するまで一途に上がって行くため、開花の時期に珍しい特徴があります。下千本の桜は4月の声を聞き始めるころ開花し、それから日を追って中千本・上千本・奥千本へと山脈を一ヶ月を掛けて、櫻が山を駆け昇っていく。4月中旬、中千本から上千本・奥千本の最盛期となり、杉木立の中に豪華な櫻絵巻がくりひろげられる。この景観こそが吉野山の花見の本髄で、櫻一本或いは木々をめでるのではなく、櫻絵巻に覆われた山全体を愛でるということが、他の桜の名所では見られない吉野山の特長であるのだ。

  空にいでて何処(いずく)ともなく尋ぬれば 雲とは花のみゆるなりけり (西行)

この吉野の櫻に魅入られた西行は、毎年のように吉野山を訪れ、六十首ほどの歌を残している。そしてそれは晩年まで続いていたようだ。「きさらぎの望月のころに桜の下で死にたい」と願い、数十年にもわたり、死ぬまで吉野山への「櫻詣」、「櫻狂い」に西行を駆り立てたものは一体何だったのであろうか。

  春ごとの花に心をなぐさめて 六十路(むそじ)あまりの年を経にける (西行)

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(写真;上千本から麓を望む)

3万本ともいわれるシロヤマザクラが豪華絢爛に咲きみだれる吉野山。なぜ吉野山にこれほど多くの桜が植えられのか。 日本全国の多くの桜の名所では、近代になってから桜並木を整備したり、古くからある古木を大切に保護したり、いわゆる「花見」のために桜を植栽・管理している。しかし、吉野の桜はそれらのものとはまったく異なり、「花見」のためではなく、山岳宗教と密接に結びついた「信仰の桜」として現在まで大切に保護されてきたのだ。
その起源は今から約1300年前にさかのぼる。その当時は、山々には神が宿るとされ、吉野は神仙の住む理想郷として認識されていた。のちに修験道の開祖と呼ばれる「役小角(役行者)」は、山上ヶ岳に深く分け入り、一千日の難行苦行の果てに憤怒の形相もおそろしい蔵王権現を感得し、その尊像こそ濁世の民衆を救うものだとして桜の木に刻み、これを山上ヶ岳と吉野山に祀ったとされてる。その後、役行者の神秘的な伝承と修験道が盛行するにつれて、本尊を刻んだ「桜」こそ「御神木」としてふさわしいとされ、またそれと同時に蔵王権現を本尊とする金峯山寺への参詣もさかんになり、御神木である「櫻の献木」という行為によって植え続けられたという。また、吉野にはその桜に惹かれて、多くの文人墨客が訪れている。西行法師が吉野に庵、「西行庵」を結び、多くの歌を残し、その西行法師に憧れ、吉野に2度杖をひいたのが松尾芭蕉。その旅は「野晒紀行」と「笈の小文」にまとめられている。また、国学者本居宣長も。この頃から一般庶民の吉野への旅が盛んになり、春の吉野山は今と変わりない賑わいを呈するようになったという。

また、吉野での花見といえば、太閤秀吉の花見が有名な話。秀吉が、絶頂の勢力を誇った文禄3(1594)年、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れた。しかし、この年の吉野は長雨に祟られ、秀吉が吉野山に入ってから3日間雨が降り続き、苛立った秀吉は、同行していた聖護院の僧道澄に「雨が止まなければ吉野山に火をかけて即刻下山する」と伝えると、道澄はあわてて、吉野全山の僧たちに晴天祈願を命じた。その甲斐あってか、翌日には前日までの雨が嘘のように晴れ上がり、盛大に豪華絢爛な花見が催され、さすがの秀吉も吉野山の神仏の効験に感じ入ったと伝えられている。その他にも、壬申の乱の大海人皇子(後の天武天皇)、南北朝時代の後醍醐天皇、源義経と静御前、幕末の天誅組などが、様々な場面で歴史の舞台に登場し、櫻絵巻とともに歴史絵巻としての吉野も見逃せない。 (吉野町HP参照)

大変な人出と車でありながら、吉野の櫻を見た昂揚感の後で、心に感じたある種の静謐、平穏と安堵感、満足感。これも私が日本人であるDNAの証であろうか・・・。

このブログを書きながら聴いているのはノルウェーの新星、「Tord Gustavsen Trio」の「Chaging Places」。全曲オリジナルの繊細で美しいメロディと歌心がたまらない1枚だ。「冬の夜半に一人で聴いたら枕をぬらすかも知れない」とは友人の評。このCDに集約された、はかなさ、ロマンへの傾倒ぶりは、西行の櫻への耽溺ぶりとも共通するものを感じる。或いは、いまだ春来ぬノルウェーの大地の春への希求の呻きにも・・。

チェンジング・プレイセズ

トルド・グスタフセン・トリオ / ユニバーサル ミュージック クラシック



「Tord Gustavsen Trio - Graceful Touch」

          
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by knakano0311 | 2009-04-14 17:20 | おやじの遠足・街歩き | Trackback | Comments(0)
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