大屋地爵士のJAZZYな生活

萩の寺、秋櫻の寺、古都の初秋を歩く (1)

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快晴、九月、爽やかな風、季節の花は萩とコスモス。となれば、今日の「おやじの遠足」は即、決まり、古都奈良の花の寺めぐりへ。まずは「萩の寺」として名高い天平の古刹、新薬師寺を訪れようと思い、車を奈良公園において、春日大社の南、春日山の西に位置する高畑(たかばたけ)地区に向けてウォーキング開始。春に生まれた子鹿がもうすっかり大きくなって親子連れで草を食べる姿がそこかしこに。20分ほど歩いて風情のある東屋が浮かぶ鷺池をぬけるともうそこは高畑地区。土塀の続く小路を少し入ったところに今年オープンしたばかりの「志賀直哉旧宅」がある。この家は昭和3年に志賀直哉が自ら設計し、京都の大工に建築させ、ここで彼が小説「暗夜行路」を完結し幾多の作品を書いた。当時この地域には「武者小路実篤」、「中村義夫」ら文人・画家たちが多く住んでいて、志賀邸は彼らが多く集うサロンになっていたという。そのことは、洋風のサンルーム、娯楽室、食堂など当時としては大変モダンであったと思われる部屋に見てとれる。さわやかな風が吹き抜ける二階の書斎、その静寂な空間であの「暗夜行路」が執筆されたのだ。

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(写真左;風が吹き抜ける二階書斎 写真右;大きなサンルーム)


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旧宅を出て、春日山を間近にみながら、緑豊かな小道を歩く。春日大社へと続く森には、南京櫨(なんきんはぜ)がもう大きな実をつけ、葉も少し色づきだしていた。秋がもうすぐそこまで来ているのだ。妻が「こんなところに住んでみたいわね」とつぶやいたが、私が住んでいるところも閑静かと言えば、そうに違いないが、明らかにここは空気や気配が違う。自然の豊かさか、千年を超える歴史の積み重ねか、或いは風水的な地勢がこの地区に醸し出す雰囲気なのかもしれない。そして歩みは自然に新薬師寺へとたどり着く。

新薬師寺。聖武天皇の眼病平癒祈願のため、光明皇后によって天平19年(747年)建立された寺。新薬師寺という名前は「新しい薬師寺」ではなく、「霊験新たかな薬師如来さまを祀ったお寺」という意味で、西ノ京の薬師寺とは全く無関係である。そして天平時代建立の国宝の本堂には、堂々たる体躯と大きく見開いた切れ長の特長的な眼を持つ国宝薬師如来坐像、それを取り囲むように国宝十二神将立像が安置されている。

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(写真;伐折羅(ばさら)大将;奈良・新薬師寺-十二神将、魅惑の仏像9、毎日新聞社発行 著者/撮影:小川光三)

塑像なるがゆえに、その筋肉や表情が見事なまでの迫力で迫ってくる十二神将像は教科書などでおなじみのあの像である。まさに天平仏教彫刻の精髄。本堂の東窓は最近新しい試みとしてステンドグラスをはめ込んであるが、東側からの瑠璃光が淡く十二神将を照らし、華麗にして荘厳な内陣が演出され、この試みは成功しているように思える。初めて知ったのだが、この十二神将は干支の仏でもあり、戌年である私の守り神は「伐折羅(ばさら)大将」、寅年である妻の守り神は「真達羅(しんだら)大将」であった。

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そしてなにより新薬師寺は、「萩の寺」として有名。南門から本堂へ向かう参道脇や本堂周辺一帯に萩の花が咲く。私たちが訪れたときは、まだ3~5分咲き位であったが、初秋の陽を浴び、ゆったりと静寂に包まれた境内を散策する贅沢を味わえた。10月には尺八とJAZZピアノがコラボする観月会も行われるようであるが、最近音楽などのパフォーマンス・ライブをするお寺が大はやりである。お寺も、お寺の新しい形を模索したり、新しい世代を対象とした色々な新企画を打ち出さないと、お客さんを呼べない時代なのかも・・・。

半島からの渡来人の知識や智恵、技術によって作られた天平の都。「ナラ」という言葉は古代朝鮮語で「都」という意味だそうである。来年遷都1300年を迎えるこの古都は、いつ来ても私の心を伸びやかに、そして穏やかにしてくれる。

(続く)
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by knakano0311 | 2009-09-21 13:39 | おやじの遠足・街歩き | Trackback | Comments(0)
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