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大屋地爵士のJAZZYな生活

科学者?芸術家?音楽家?スパイ?天才? テルミンの数奇な人生

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「テルミン/Theremin」という楽器があるのをご存知だろうか? 今はやりの「ゆるキャラ」みたいで、楽器の名前としてはやや違和感があるのだが、テルミン(テルミンヴォックス)は、1920年にロシアの発明家「レフ・テルミン」が発明した世界初の電子楽器である。私はずっと昔にTV番組か何かで見て興味をそそられたが、その詳しい原理や演奏法、発明者などについては、そのときは分からずじまいだった。手をかざして音を出す奇妙な「謎」の電子楽器を、その後実際に見たり、演奏に触れる機会もなく、楽器として普及しなかったため、テルミンのことはずっと忘れていた。最近、図書館で偶然に「テルミン」についての本を見つけ、忘れていた興味が頭をもたげてきたのだ。その本は、自身もテルミンの演奏家でもある「竹内 正実」著、「テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男」。本には「レフ・テルミン」の以下の数奇な運命が書かれていた。かって抱いた疑問や謎が一挙に氷解したのだ。少し長くなるが抜粋、引用しよう。きっとその数奇な人生に驚かれるはずだ。

「レフ・セルゲーエヴィチ・テルミン/Lev Sergeyevich Termen」(1896年-1993年) サンクトペテルブルクで生まれる。母の影響で音楽に親しみ、高校在学中はチェロを学ぶ。1914年にペトログラード大学に入学、物理学と天文学を専攻、1917年のロシア革命では赤軍に参加する。ロシア内戦の収束後、ペトログラード物理工科大学で主任研究者として働き、そこでテルミンはテルミン・ヴォックスの元となる現象を発見、1920年にテルミンを発明した。1922年にはレーニンに招かれ、その前でテルミンを演奏したという。この時期、テルミン・ヴォックス以外にも、1926年に当時最高水準の機械・光学式テレビジョンの開発に成功し、科学技術史に重要な功績を残した。走査線は64本、1.5×1.5mのスクリーンに鮮明な画像を映し出したというが、TV技術史にその名は記されていないという。私生活では1921年にエカテリーナと結婚した。 ヨーロッパでテルミン・ヴォックスのデモンストレーションのための演奏旅行を行なった後に渡米し、1928年にニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団と共演。1929年に米国でテルミンの特許を取得した後、製造・販売権をRCAに譲渡する。

1930年代にニューヨークに研究所を設立し、テルミンの更なる発展と、その他の電子楽器などの発明に乗り出し、中でも「ヘンリー・カウエル」のためにリズミコン(Rhythmicon)を発明。1930年に10人のテルミン奏者がカーネギー・ホールに集って演奏会を行なった。それから2年後にはテルミン自身が、テルミンや、チェロに用法の似たフィンガー・ボード・テルミンなどの電子楽器からなる、世界初の電子楽器オーケストラを指揮した。

テルミンは、「ジョセフ・シリンガー(Joseph Schillinger)」や「アルバート・アインシュタイン」など、当時の進歩的な知識人や作曲家・音楽理論家から助言を受けると共に、ロシアからの移民仲間で、テルミン演奏家の「クララ・ロックモア」とも一緒に活動を行なった。さらに舞踊音楽におけるテルミンの利用にも興味を寄せ、アメリカ・ネグロ・バレエ団のプリマである「ラヴィニア・ウィリアムズ」と恋仲になり、最初の妻とは離婚、反対を押し切って結婚する。

1938年に妻ラヴィニアを置いて一人でソ連に戻るが、当時はどのような状況で帰国したかが謎であったが、後年になってテルミンがKGBのスパイによって拉致され、祖国に送還されていたとの事実が明るみに出た。ソ連に着いてしばらくはレニングラード内では自由に行動できたが、1938年3月、滞在中のホテルで「反革命組織への参加」の罪で逮捕された。ブトイルカの収容所に投獄され、その後シベリアで強制労働に就いていた。西側ではテルミン処刑のうわさが広く出回ったにもかかわらず、実は数ヶ月で強制労働の免除の後、科学者や技術者が研究開発に使役される特殊収容所内で、科学者や技師とともに数々の研究開発(爆撃機や盗聴装置の開発)を命ぜられていたのである。1947年にテルミンの刑期は終了したが、引き続きKGB管轄の秘密研究所での仕事を強いられた。この年にテルミンは当時26歳のマリアと結婚し、双子の娘をもうけた。

科学者?芸術家?音楽家?スパイ?天才? テルミンの数奇な人生_b0102572_101412.jpg(最晩年、亡くなる20日前に撮影された写真)

スターリン死後の1956年までテルミンの名誉回復はなされなかった。晩年は自動ドアの最初の自動検知器を発明し、初期の盗難警報機の開発に取り組んだ一方で、「レーニン蘇生計画」を作成して理解者だったレーニンを蘇生しようと考えていた。1964年に秘密研究所を去り、モスクワ音楽院の音楽音響研究所で研究員として働く。1967年にアメリカのジャーナリストに見つかり、ニューヨーク・タイムズにより西側にテルミンの生存をスクープされると、モスクワ音楽院はテルミンを解雇するが、教え子の援助によりモスクワ大学物理学部の音響学研究室で実験機器の製作をする仕事に就いた。1970年代の半ばに、親戚の9歳の娘「リディア・カヴィーナ」にテルミンの奏法を仕込み、彼女は現在、世界で最高のテルミン奏者の一人と認められている。

ペレストロイカにより再び国外にでることが可能になり、1989年6月にフランスで開催されたコンサートに参加。1991年にアメリカ合衆国を再訪し、「クララ・ロックモア」との再会を果たして数々の演奏会を行うも、かつての妻「ラヴィーナ・ウィリアムズ」は、1989年にすでにこの世の人でなくなっていた。その後ロシアに帰り、ソ連崩壊から約1年後の1993年にモスクワにて他界、その数奇な人生を閉じた。97歳であった
(竹内正実著『テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男』、Wikiediaなどより抜粋、引用)

テルミン―エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男

竹内 正実 / 岳陽舎



「レフ・テルミン」は、ドキュメンタリー映画となり、2001年に公開され話題となった。この映画で「スティーヴン・マーティン」監督は1994年のサンダンス映画祭の覇者となった。映画の登場人物は、「クララ・ロックモア」や「リディア・カヴィーナ」のほか、電子楽器の発明家「ロバート・モーグ」や、音楽理論家「ニコラス・スロニムスキー」などに加えて、ほかならぬ「テルミン」その人であった。

テルミン ディレクターズ・エディション [DVD]

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このDVDには、世界的に有名な女性テルミン演奏家の「クララ・ロックモア/Clara Rockmore 」やテルミンの一族である「リディア・カヴィーナ」の演奏DVDがセットされているので、世界最高峰のテルミン演奏が聴ける。(別に単独リリースもされている)

テルミン演奏のすべて ~クララ・ロックモア&リディア・カヴィナ~ [DVD]

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とにかく、テルミンの音を聴いていただこうか。なんとYOUTUBEに「クララ・ロックモア」の動画があったのだ。その「クララ・ロックモア」が演奏する"Song of Grusia" (ラフマニノフ作曲)。 演奏終了後画面下部のメニューにより他の曲も聴けます。



テルミンという楽器の最大の特徴は、テルミン本体に手を接触させることなく、空間中の手の位置によって音程と音量を調節することである。テルミンの本体からは、通常2本のアンテナがのびており、それぞれのアンテナに近付けた一方の手が音程を、もう一方の手が音量を決める。わずかな静電容量の違いを演奏に利用するため、演奏者自身の体格・装身具などによる静電容量の違いをはじめ、演奏環境に依存する部分が大きく、演奏前に綿密なチューニングを必要とするなど、安定した狙った音階を出すには奏者の高い技量が要求され、演奏には熟練を要するという。一般的なテルミンの音色は純粋な正弦波に近いため、ミュージック・ソーに似ている。「暖かく、優しい」、「癒しになる」という人もいる一方で、そのゆらめく音色から不安や恐怖感が生まれ、恐怖映画やSF映画の効果音としても使われてきた。(たとえば、ヒッチコック監督「白い恐怖」など)

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シンセサイザーで有名なモーグ社製テルミンのキットのテルミンの音程を生成する部分にはコルピッツ発振回路のようなコンデンサをもつ高周波の発振回路が2つ組み込まれ、これらはわずかに違う周波数を持つよう調整される。これらの発振回路の出力を組み合わせ、それが発生する低周波の可聴域のうなりを音に変換するのがテルミンの原理である。一方の発振回路のコンデンサ部分はアンテナの1本に接続されており、このピッチ・アンテナに手をかざして手とアンテナとの間の距離を変えると、静電容量が変化して発振周波数が変わる。これにより、うなりの周波数も変化して音程も変わることになる。もう一方のヴォリューム・アンテナによる音量の変化も、同様に2つの発振器と静電容量変化により発振周波数が変わることを利用している。それをスピーカーにつないで音を出させるのである。原理が簡単なため、電子楽器初期のころは雑誌に自作の記事がよく発表されたという。(竹内正実著『テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男』、Wikiediaなどより抜粋、引用)

こんな話を知ると、どうしても、もう一人の伝説的科学者を思い出してしまう。人類の技術の発展に多大な貢献をしながら、歴史の歯車の中で、キワモノ或いは山師的な扱いを受け、評価されないまま消えていった科学者「ニコラ・テスラ」であるが、彼についての話はまたそのうちに ・・・。

先にあげたテルミンの伝記の著者でもあり、「リディア・カヴィナ」から演奏の指導を受けた日本でも数少ないプロのテルミン演奏家でもある「竹内 正実」氏のアルバムがある。

VOCALISE

竹内正実 / bootrecord



そして、「竹内正実」がテルミンで奏でるサン・サーンスの「白鳥」。 テルミン本体のボックスから垂直と水平に突き出したアンテナなどその外観と演奏方法ががよく分かる。



実際に自分で作って演奏したい人は、「大人の科学マガジン Vol.17」にテルミンMiniのキットがついているし、本格的なテルミンもNETで購入できるようです。

大人の科学マガジン Vol.17 ( テルミン ) (Gakken Mook)

大人の科学マガジン編集部 / 学習研究社


by knakano0311 | 2010-03-17 10:18 | 音楽的生活 | Comments(0)
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