「春は名のみの
風の寒さや
谷のうぐいす
歌は思えど
時にあらずと
声もたてず
時にあらずと
声もたてず」
(早春賦/吉丸一昌作詞、中田章作曲)
母親のケアのため帰省で訪れた故郷、松本。作詞者、吉丸は、大正の初期に長野県安曇野を訪れ、穂高町(現、安曇野市)あたりの雪解け風景に感銘を受けて「早春賦」の詩を書き上げたとされているが、まるで、この歌のようであった。東山は、朝方の氷点下の冷え込みと前日の小雪などで、幹や枝に付着した水分が凍って樹氷のような状態になり、その山林一面に広がる氷の枝が、日の光に照らされキラキラと白く輝いている。その様は、まるで吉野の山一面を覆う桜のような美しい光景であった。
そして、西方に眼を転ずれば、土手の上に咲く、梅の古木の先には、まだ一面雪に覆われた西山、凛とした北アルプスの峰々が拡がっていた。こんな光景をかっての子供時代には毎日のように見ていたのである。遠くに離れてから、いまさらのように気付く「故郷の美しさ」なのである。こんな風景を望んで、私が立っているところは、飛鳥時代には「霧原の牧」と呼ばれた御料牧場だったところ。そのいわれで、かっては「駒形大明神」と呼ばれた「柴宮社」が現在も氏神様として祀られている。そして、川を挟んだ指呼の対岸には、その昔、この近辺を治めていた小笠原氏の山城、「林城址」が間近に望める。天文19年(1550)、諏訪を落した「武田信玄」勢は塩尻峠を越え、この地に攻め入り、ここに200年の栄華を誇った小笠原氏は壊滅し、松本平、安曇野は武田の勢力範囲となり、やがて「上杉謙信」と対峙していくことになる。
この地域の戦国時代を背景にした極上エンターテイメント小説がある。北沢秋著「哄(わら)う合戦屋」。武田と上杉に挟まれ、土豪が割拠する中信濃に不幸なまでの才を持つ合戦屋がいた ・・・・。
哄う合戦屋
北沢 秋 / 双葉社
そんな、時代に思いも馳せながらウォーキングを続けたが、いつもの道筋の道祖神の傍らには、水仙の花が咲き、やはり春は確実に訪れているのである。