大屋地爵士のJAZZYな生活

二人の媛へ ・・・

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真冬のような二日間から一転、今日は風は冷たいものの、やっと待ち望んでいた4月の日差し。隣町池田市のディーラーへ車をメンテに出した後、時間待ちのため、付近をウォーキングしてみることにした。この付近には、綾羽(あやは)、呉服(くれは)、絹延(きぬのべ)、織殿(おりどの)など布や織物に関した地名が多いことには前から気付いていたが、それは「日本書紀」に記された二人の媛(ひめ)の伝承が、いまもこの地に色濃く反映しているからであると知った。そんな2人の媛の伝承を追いかけるウォーキング。

応神天皇の時代、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された阿知使主(あちのおみ)、その子、都加使主(つかのおみ)が呉王に乞い、連れ帰った呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の4姉妹のうち、池田の地には呉服・穴織姉妹が迎えられたという。

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その船が着いたのが、「猪名の港」、現在の猪名川に架かる呉服橋と絹延橋の中間地点で、いまでも「唐船ケ渕(とうせんがふち)」と呼ばれ、記念の碑が残っている。その唐船ケ渕近辺に機殿(はたどの)を建て、呉服媛・穴織媛を迎えたという。そして二人の媛の教えにより、裁縫、機織、色染めの技術がわが国に伝えられ、呉織、蜀錦、綾錦の衣服ができるようになったとともに、呉服尺などの技術も伝わったといわれている。二媛は一室にこもりひたすら機織と裁縫にいそしみ百余歳の高齢までわが国の機織・縫製技術に大きな貢献をした。そのことは、姫室、絹掛、染殿井などの地名や、猪名川の清流で織布を洗い、河原で干したことから絹延の河原と呼ばれ、そのまま地名となっていることからも偲ばれる。二人の死後、仁徳天皇は、宮を建てて二人の媛を祀ったのである。池田駅近くにある「呉服(くれは)神社」には、姉の「呉服媛」が祀られ、五月山山麓にある「伊居太(いけだ)神社には妹の「穴織媛」が祀られている。

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今回のウォーキングは「唐船ケ渕」~「伊居太神社」~「呉服神社」と二人の媛ゆかりの神社を辿ってみた。現在は高速道路にかかる吊り橋を臨む付近が「唐船ケ渕」。堤防には碑が建っていた。そして、櫻の名所でもあり、市民の憩いの場ともなっている五月山中腹にある「伊居太神社」へ。伊居太(いけだ)神社は、池田市綾羽にある市内最古の神社である。正式名称は「穴織宮伊居太神社」(あやはみやいけだじんじゃ)。呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる二人の織姫の一人、穴織媛(あやはとりのひめ)と、応神天皇、仁徳天皇を祀っている。仁徳天皇76年に穴織媛が死去し、その翌年に仁徳天皇がこの地に建てたとされ、 延暦4年、桓武天皇の勅命により社殿を新たに建設、応神天皇、仁徳天皇を祀るようになったという。 現在の社殿は、織田信長の摂津国への入国により焼失後、慶長9年(1604年)に豊臣秀頼によって再建された物である。行ってみてその壮麗な社殿、凛とした神社のたたずまい、空間に驚いた。写真の一番奥が伊居太神社の本殿で、五間社流造というらしく、正面には軒唐破風がつき、三つの千鳥破風が立ち上がる壮麗な建築である。近所にありながら、今回私も初めて訪れたというくらいあまり知られていないが、猪名川を望む高台にあり、春は櫻、初夏は若葉、秋は紅葉につつまれる自然に中にひっそりと穴織媛は祀られていた。境内には彼女ら姉妹をこの地に連れてきた阿知使主も分骨して祀られている。


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この「上の宮」とよばれている「伊居太神社」を下り、堤防沿いを姉媛・呉織媛(くれはとりひめ)が祀られている「下の宮」とよばれる「呉服(くれは)神社」へとむかう。傍らには近畿地方ではあまり見かけない「トキワマンサク(常盤萬咲)」の花が満開。萬の花に先駆けて真っ先に咲く花という意味で名付けられたらしい。猪名川を跨いで鯉のぼりが風に泳いでおり、気候は不順であるが、季節は確実に進んでいることを感じさせる。

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阪急宝塚線池田駅のすぐ脇にある「呉服神社」。前述の織姫伝承にあるように、日本に呉から裁縫・機織の技術を持って渡来した姉妹の姉の呉織(くれはとり)を祀っている。正式名称は、「呉服大明神」、後醍醐天皇から賜ったものという。伊居太神社とは違って、狭い境内には豊臣秀吉の命を受けて片桐旦元が修復したという本殿を除けば、すべて近代以降のもの、境内には二人が一心不乱に機を織ったという「姫室」址の碑やこの伝承を題材とした謡曲「呉服」の史跡などが残っている。媛の死後、後醍醐天皇は「これ以後わが国にて絹布の類をすべて『呉服(ごふく)』と称せよ」との命令を出し、そのようになったため、呉服の語源の地とされている。猪名川に架かる呉服橋、池田市の呉服町、芝居小屋の呉服座(愛知県の明治村に移築)、地元の銘酒・呉春等、様々な名称の由来にもなっているのだ。

はるかなる記紀神話の時代、実在性が濃厚な最古の大王(天皇)とも言われる応神天皇の頃の4世紀、二人の織姫が遥かなる中国、呉の国から誘われてわが国に裁縫、機織の技術を伝えたという。史実かどうかは分からないが、二人の媛の数奇な運命に思いを馳せれば、一編の物語が頭に浮かぶ。そして、1600年を経たいまでも媛たちを慕い、顕彰している地元の信仰心、伝承にも歴史のもつ活きている息遣いを感じるのだ。

「スティーブ・キューン・トリオ/ Steve Kuhn Trio」の「亡き王女のためのパバーヌ」。スティーブ・キューンのリリカルな持ち味を生かしたクラシック曲集。ジャケットは衣服ならぬ裸体の媛であるのだが ・・・・。

亡き王女のためのパバーヌ

スティーブ・キューン・トリオ / ヴィーナス・レコード



「Pavane for a Dead Princess-Steve Kuhn Trio」

          
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by knakano0311 | 2010-04-19 10:41 | おやじの遠足・街歩き | Trackback | Comments(0)
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