(写真; ぼんぼん 松本市教育委員会編 「松本のたから」より)
盆休みの混雑・渋滞を避けて、帰省。久し振りに、八月上旬、七夕(旧)近くの季節を松本で迎えたので、子供の頃の行事を思い出した。それは、子供の伝統行事の「ぼんぼん」と「青山様」で、江戸時代末期頃に始まったといわれ、私が子供の頃は、松本市内の各地で町内会ごとに行われていたのである。「ぼんぼん」は女の子の行事、「青山様」は男の子の行事、両方とも今は市の重要無形文化財に指定されている。「ぼんぼん」は、女の子が紙で作った花を髪に挿し、ぽっくり下駄を履き、浴衣を着て、手にほおずき提灯を提げ、「ぼんぼん」の歌を歌いながら町内を練り歩くのである。浴衣を着た同級生が大人っぽく、妙に艶めいて見え、またその歌が、えもいわれぬ哀調をおびて、物悲しく響くので、子供心にも妖しく胸騒ぎを覚えたような気がします。その歌は、7番ぐらいまで歌詞があった長い歌のように記憶している。よく意味は分からないが、それは、たしかこんな歌詞でした。
「♪ ぼんぼんとても 今日明日ばかり あさってはお嫁(お山?)のしおれ草
しおれた草をやぐらにのせて 下からお見れば ぼたんの花
ぼたんの花は咲いても散るが なさけのお花は 今ばかり
なさけのお花 ホイホイ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ♪」
夕暮れて宵闇が迫るころ、遠くから提灯のほのかな明かりが見え、この歌がきこえて、だんだん近づいてくる。子供ではあったが、胸が「きゅん」としたものである。後年、「ガロ」で「林静一」描く少女のイラストを見たとき、ぱっと頭に浮かんだのは、この子供のときの「ぼんぼん」の光景であった。
そこへいくと、「青山さま」は、男の子の行事で味気なかった。法被(はっぴ)を来た小学生の男の子たちが、「青山神社」ののぼりを立て、杉の葉を盛った小さな御輿(みこし)を担ぎ、「青山さまだい、わっしょい、こらしょい」と掛け声をかけながら町内を練り歩くだけ。もちろん私はこちらのほうに参加したものです。町内によっては、各家からお賽銭を集めるところもあり、また他の町内の神輿とぶつけ合って喧嘩をするところも多く、男の子にとって夜遅くまで遊ぶことが許された数少ない行事であり、夏休みの楽しい思い出として記憶の片隅に残っている。たしか、「ぼんぼん」と「青山様」を一日交代で交互にやったような記憶があります。
夕暮れになったが、その気配がないので、「ぼんぼんの歌や青山様の掛け声がさっぱり聞こえないね」と聞いてみたところ、最近はやはり「少子化」の影響で、町内ごとでは子供が集まらないので開催できず、この伝統行事が絶えないようにと、市がまとめて一部の地域で続けているようである。近年は、「松本市民の夏祭り」といえば、「松本ぼんぼん」のほうがすっかり有名らしいが、「ぼんぼん」から名がとられただけで、伝統行事の「ぼんぼん」とは全く関係がないし、私が故郷を離れてから始まった祭りで、まだ40年足らずの歴史しかないため、私の記憶や子供時代の思い出にはなりえていないのである。
「ガロ」に連載されていた林静一の漫画「赤色エレジー」を歌にして、ヒットさせたのが「あがた森魚(もりお)」。「林静一」画く美しいジャケットのLPアルバムがデビューアルバムだった「乙女の儚夢(ロマン)」は1972年リリース。大正ロマンといった感じの日本の情緒や懐古的な風情を感じさせるアルバム。もちろん、あの懐かしいジンタの調べの「赤色エレジー」も収録されている。
「♪・・・・ 裸電灯 舞踏会 踊りし日々は 走馬灯 ・・・・ ♪」
(赤色エレジー/作詞;あがた森魚/作曲;八洲秀章)
乙女の儚夢
あがた森魚 / キングレコード
聴いてみます?
「赤色エレジー」。
「週刊新潮」の表紙絵で知られた故・「谷内六郎」氏の絵をモチーフに「あがた森魚」の歌で綴ったのはアルバム「少年歳時記」。「お目出當う」、「伯父さんは魚屋さん」、「夏の翼」、「マッチ工場とあじさい」、「石炭焚いて走ります」 ・・・・。あの頃の少年の夢や憧れが一杯詰まっている。
少年歳時記
あがた森魚 / マスクラット・レコード