大屋地爵士のJAZZYな生活

中国JAZZY紀行(3) ~北京CD爵士倶楽部~

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「断捨離」と唱えながらCDを整理していたら、2003~2007年頃に中国に頻繁に出張していた時期、中国で買い求めたJAZZ-DVD、CD が目に留まった。その多くは、北京のジャズ・クラブの老舗、「北京CD爵士倶楽部」で求めたものである。

出張の夜、会食などがなければ、中国語が殆どできない私はジャズ・クラブあたりで夜を過ごしたものである。当時、すでに上海には、欧米の海外企業が多く進出していたので、ジャズ・クラブも比較的多く、探すのも容易であった。そんななかでも「爺さんジャズ・バンド」で知られた「和平飯店」のバーや、綿花倶楽部(コットン・クラブ)などが思い出に残っている。しかし、北京は上海とはちがって、「政治の街」。かっては米国の退廃音楽?の象徴であるジャズへの目は厳しかったらしく、ジャズ・クラブがあるかどうかも不明で、不確かな情報を頼りに迷いに迷って、やっと探し当てたのが「北京CD爵士倶楽部」であった。私のブログネーム「爵士」は、中国語でJAZZの意味であり、何を隠そう、ここから拝借したのである。

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暗い明かり、煙草の煙で澱んだような空気。かすかに鼻を刺激するすえた臭い。客はまばらで欧米人と中国では異端とも思えるファッションの中国人若者が半々。日本人はいない。若い中国人のバンドが突っ走るような演奏をしている。いい、いい ・・・。まるで60年代の場末のジャズ喫茶のような雰囲気であった。1990年代後半にサックス奏者でもあり、自身もカルテットを率いて、時々ステージに立っていた「劉元/LIU YUAN」氏がオープンしたという。100元(約1500円)もあれば、結構バーボンが飲めたので、すっかり気に入ってしまった私は、機会があるとよくいくようになり、「チェット・ベイカー/Chet Baker」が好きだという暗い顔をしたシャイなマスターとも仲良くなったのである。  
  
正直なところコピーかどうか、いまだに分からないが、店では、JAZZの DVDやCDがおいてあり、当時DVDは10元か15元(約150円か225円)だった。 そのDVDが結構手元に残っている。2007年を最期に中国へは行っていないが、最期に訪れたときは、北京オリンピックのための地下鉄工事のため一時休業の張り紙が出ていた。その後、再開したと聞いているが、北京オリンピック、上海万博と急成長を遂げ、豊かになった中国。まだあのジャズ・クラブは残っているのだろうか? そして、あの懐かしさを覚えた暗さや熱気、そしてマスターも ・・・。もしお洒落なジャズ・カフェなどになっていたら、ちょっと淋しい気がする。

北京市朝陽区東三環路、農業展覧館前の歩道橋の脇、「北京CD爵士倶楽部」は私の思い出に残るジャズ・クラブである。  

中国を歌った歌謡曲も多くあるが、中国の酒席でもよく歌ったのは、「ディック・ミネ/夜霧のブルース」。「♪ ・・・ 夢の四馬路(スマロ)か 虹口(ホンキュ)の街か ・・・♪」。歌詞の中に「四馬路」、「虹口」という上海の地名が出てくるが、「四馬路」と表示された通りを見つけて、びっくりしたこともある。 ここでは、「アン・サリー/Ann Sally」の歌う「蘇州夜曲」を紹介しておきましょう。

「アン・サリー・Ann Sally」。本名(旧姓)が「安 佐里」という、れっきとした日本人、名古屋市出身のシンガー・ソングライターである。現役の心臓内科医であり、2児の母親でもあるが、ルイジアナ州ニューオーリンズに医学留学のかたわら、ジャズの本場で歌唱力を磨いたという。歌う女医、「アン・サリー」のアルバム「ムーン・ダンス」から。しなやかな歌声がジャズから歌謡曲まで、ジャンルの壁を軽く飛び越え、優しく包み込む。「ゴンチチ」の「ゴンザレス鈴木」がプロデュース、「小沼ようすけ」のアコースティック・ギターも秀逸。

ムーン・ダンス

アン・サリー / ビデオアーツミュージック



蘇州夜曲ーアン・サリー/Ann Sally」。

          
 
 
 
 
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by knakano0311 | 2011-06-08 15:46 | JAZZY紀行 | Trackback | Comments(0)
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