息子夫婦が、「高原の爽やかな風を思い切り吸ってみたい」という。それならばと、実家から車で30分ほどにある標高2000mの火山台地、美ヶ原(うつくしがはら)高原へと向かう。ここは小学校3年生のときに遠足で登って以来、何回となく訪れている高原である。まっ、庭みたいなもの。天気を心配したが、案の定、2000m付近は雲の発生する高さ、あたり一面の霧。晴れていれば、北アルプス、浅間山、八ヶ岳、富士山と360度の雄大なパノラマが見渡せるところであるが、残念ながらこればかりはどうしようもない。霧、風、雨 ・・、しかも気温は16度。熱いコーヒーを飲んで早々に霧ヶ峰へと向かったが、霧ヶ峰もほぼおなじ状態。ヴィーナス・ラインは視界が全く利かず、前後のフォッグランプを点灯して走る始末。この時期、いつもなら広々とした高原に「レンゲツツジ」や「ニッコウキスゲ」などの花が咲き乱れ、ハングライダーやグライダーの飛び交う姿がみられる絶好のハイキング・コースなのに ・・・。楽しみは昼食の「蕎麦」だけとなる。
もうすこし下界に下れば、雲から抜け出せるだろうと思い、白樺湖へと向かう。標高1600m、白樺湖の手前でやっと雲から抜け出すことができた。眼下に広がる美しい景色は、遠目にはまるで日本とは思えないスイスのリゾートのような景色。
湖畔の周りをゆっくりと散歩して、さわやかな空気を胸いっぱい味わう。やっと息子夫婦のリクエストにこたえることができたようだ。孫娘も正直なもので、霧の中では、ぐずっていたらしいが、爽やかな空気に破顔一笑、元気いっぱい。
さあ、ロンドン・オリンピックももう間近。「霧が晴れたら、そこにあなたがいた ・・・♪」。霧のロンドンを織り込んだ恋の歌は、「A Foggy Day (In London Town)/霧深き日」。「ジョージ&アエラ・ガーシュイン/George & Ira Gershwin」コンビのスタンダードである。多くのカバーがある中から選んだのは、「ビヴァリー・ケニー/Beverly Kenney」。
「ビヴァリー・ケニー」は1932年1月にニュージャージー州で生まれた。シンガーを志したのは、1950年頃。「アニタ・オデイ/Anita O'Day」、「クリス・コナー/Chris Connor」や「ジューン・クリスティ/June Christy」、「ジュリー・ロンドン/Julie London」らより少し遅れて登場した歌手と言ったら時代の位置付けがわかっていただけるだろうか。しかし、私が彼女を知ったのは、そのずっと後、今から10年ぐらい前の話で、日本で彼女の復刻盤が出始めたころである。その端正な美貌と、ちょっと舌足らずの甘い声に魅かれてファンとなったのだが、まさか、たった6枚のLPを残して、28歳の若さで自ら命を絶ってしまっていたという悲劇の歌手とは ・・・。死因も死亡年月日も永らく分からなかったらしいが、最近の研究によると、1960年4月13日の夜、離婚した両親それぞれと、彼女のマネージャーに遺書を残し、許容量以上の睡眠薬と酒を服用して死の床についたという。
二人でお茶を +1 (紙ジャケット仕様)
ビヴァリー・ケニー / SSJ
「beverly kenney - a foggy day (in london town)」
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