大屋地爵士のJAZZYな生活

飛蝗(バッタ)の夫婦は ・・・ ~虫めづる爺いの昆虫記~

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我が玄関先のプランターに現れたのは、「オンブバッタ(負飛蝗)」の番(つがい)である。メスがオスをおんぶしたままじっとしている。このバッタ、東アジアに広く分布し、公園や芝生、河川敷など、日当たりの良い草原ならどこにも生息するという。先日帰省し、実家の草刈をしていた時も、このバッタや「トノサマバッタ(殿様飛蝗)」、「ショウリョウバッタ(精霊飛蝗)」とそれらの米粒より小さな幼虫がワンサカと飛び出してきた。


斜め上に尖った頭部が、「ショウリョウバッタ」によく似ているが、体が小さいこと、由来となった和名の通り、メスの上にオスが乗っていることから、「オンブバッタ」である。メスの方がひと周りほど大きく、体つきもずんぐりしている。「オンブバッタ」は、交尾時以外でもオスがメスの背中に乗り続けるため、この「オンブ」状態がよく観察できる。翅は長いが飛ぶことはなく、番でじっとしていることが多く、後脚での跳躍や歩行によって移動するという。

じっと見ていると、少しユーモラスで、微笑ましい。齢(よわい)を経ても、我が夫婦かくありたしと ・・・。

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さて、今宵は、「トヌー・ナイソー・トリオ/Tonu Naissoo Trio」。旧ソ連、バルト三国の一つであるエストニア出身のピアニストである。エストニア・・・、たしか大関まで昇進したが、引退してしまった、「把瑠都(ばると)」がエストニア出身であったか ・・・。そして、出張先のストックホルムの港で、エストニアの首都で世界遺産の街、「タリン」行の大型客船を見ながら、感慨にふけったことも、あわせて思い出した。

「トヌー・ナイソー」。あまりキャリアはわからないが、1951年、タリンに生まれる。作曲家で音楽教師の父を持つ。6歳よりクラシック・ピアノをはじめ、国内の音楽学校を卒業後、1967年にタリンで開かれた、「タリン国際ジャズ・フェスティバル」でデビューしたという。1989年には、「バークリー音楽院」の奨学生となり、70年代から旧ソ連、東欧を始め、欧米諸国の主要なジャズ・フェスティバルや、国際的なプロジェクトに数多く参加したという。現在は、エストニアの音楽学校でジャズ・ピアノの準教授でもあるという。彼名義で15枚を超えるアルバムを出しているが、近年「澤野工房」が注目し、大半のあるアルバムが、リリースされている。

2012年12月、西宮の「兵庫県立芸術文化センター」で行われた「ひょうご クリスマス・ジャズ・フェスティバル 2012」で、彼の透明感溢れるピアノを聴いたが、フルシチョフによく似た風貌の巨漢の指先から紡ぎ出される音に酔いしれたことがある。参照  「わが心に歌えば  ~トヌー・ナイソー・トリオのライブを聴く~」

2枚組の「大阪市立美術館」でのライブ・アルバムは、「LIVE AT OSAKA CITY MUSEUM OF FINE ARTS」。パーソネルは、「トヌー・ナイソー(piano)」、「ターヴォ・レンメル/Taavo Remmel(bass)」、「アハトゥ・アブネル/Ahto Abner(drums)」。

LIVE AT OSAKA CITY MUSEUM OF FINE ARTS

トヌー・ナイソー・トリオ / 澤野工房



「ボブ・ディラン/Bob Dylan」の曲をアルバム・タイトルにした青春へのオマージュ的アルバム、「MY BACK PAGES」。

MY BACK PAGES

トヌー・ナイソー・トリオ / 澤野工房



残念ながら、いずれもYOUTUBEへのアップがありません。聴きたい方は、澤野工房のHPでさわりを試聴してください。(「LIVE AT OSAKA CITY MUSEUM OF FINE ARTS」「MY BACK PAGES」
 
別のアルバム、「FIRE」からの曲がアップされていましたので、こちらをどうぞ。

「Through the fire - Tõnu Naissoo Trio」

         
 


 
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by knakano0311 | 2014-09-17 22:41 | 音楽的生活 | Trackback | Comments(0)
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