大屋地爵士のJAZZYな生活

いかなごは高級魚?

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今日は「ひな祭り」、「桃の節句」である。我が家は女の子がいなかったので、「ひな祭り」をすることはなかったが、子供たちの手が離れてからは、妻が趣味の手作りの雛人形を飾っていた。今年もちょこっと飾ってみた。やはり、優しい春の雰囲気が漂う。そして、ウォーキングの道筋には、「桃」ならぬ、「ボケ(木瓜)」の花が咲き始めた。周りにも少しづつ目に見えて春の兆しが増えてきている。

ところで、先日のブログで、関西地方で「春告げ魚」とよばれる「いかなご」の漁が解禁になったことを書いた。その「いかなご」が今年は最悪の不漁と予測されているという。原因は餌となるプランクトンの減少、冷たい水を好む「いかなご」にとっての水温の上昇、産卵に必要な砂地の減少などが原因とされている。そのため価格が上昇、このままではいずれ庶民の手が届かなくなってしまうのではとも心配されているとか ・・・。

安くて豊富にあったが手に入りにくくなり、価格が高騰して庶民が手が届かなくなった食材はいままでもいくつもあった。数の子、松茸、鯨、松葉蟹、最近では、黒マグロ、鰻、一時的かもしれないが、サンマ、ホッケの不漁による価格高騰も、高級に見せようとした食材偽装も記憶に新しい。別に右往左往するほどのことはない。多少は寂しいかもしれないが、手に入りにくくなれば食べなければいいだけの話である。

私の子供の頃は海のない信州では、普通の家庭には冷蔵庫などなかったため、海の魚といえば、塩漬け、味噌漬け、酢漬け、干物が当たり前だった。大学時代は仙台であったが金がなく、刺身を食したのは、就職してからであったと思う。肉でも同じことで、すき焼きといえば、「桜肉(馬肉)」、「カツ」といえば「トンカツ」か「鯨カツ」、焼肉は「ジンギスカン」が普通であった。思い出してみれば、我々の年代、食べられればそれでいいという時代を過ごし、バブル時代に広まったグルメや美食とは無縁の世代だったはず。高級食材など必要も関心もないが、むしろ関心を払わなければならないのは、「食の安心安全」であろう。もうバブリーな飽食はどこかの国に任せて卒業してもいい時期だろう。

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さて、冬の寒さに逆戻りした春の宵、CDを整理していて、引っ張り出してきた、少し懐かしくて暖かいアルバムを聴いてみます。「ポール・デスモンド/Paul Desmond」と「ジム・ホール/Jim Hall」のコラボしたアルバム二枚、「テイク・テン/Take Ten」、「ボッサ・アンティグア/Bossa Antigua」。

「ポール・デスモンド」は、1924年サンフランシスコ出身のジャズ・サックス奏者、作曲家。ウエストコースト・ジャズを代表するミュージシャンの一人で、「デイヴ・ブルーベック・カルテット/The Dave Brubeck Quartet」に在籍時に作曲した「テイク・ファイヴ/Take Five」等で、日本でもジャズ・ファンにもよく知られている。

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12歳でクラリネットを始め、後にサックスに転向。1946年、ジャズ・ピアニストの「デイヴ・ブルーベック」のバンドでデビュー。「Time Out」(1959年)に収録された、ポールが作曲した5拍子の「テイク・ファイヴ」が大ヒットとなった。1950年代中期からは、バンド・リーダーとしての活動も多くなり、デイヴとの活動以外では、1963年から1965年にかけて、RCAビクターと契約していた頃は、「モダン・ジャズ・カルテット/MJQ」のドラマー、「コニー・ケイ/Connie Kay」や「ジム・ホール」とのコラボが話題となった。1963年に作曲・録音した「テイク・テン」は、「テイク・ファイヴ」の続編として作られたもの。「デイヴ・ブルーベック・カルテット」を脱退後、A&Mレコード内のサブ・レーベルCTIに移籍。イージー・リスニング的なアルバムを多くリリースした。1977年5月30日、肺癌で他界。

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「ジム・ホール/Jim Hall」。1930年、ニューヨーク州バッファロー生まれのジャズ・ギタリスト。ジャズ・ギター界の巨匠で、「パット・メセニー/Pat Metheny」など多くのギタリストが、ジムからの影響を公言している。1955年より、「チコ・ハミルトン/Chico Hamilton」楽団で活動。1957年、初のリーダー・アルバム、「ジャズ・ギター」発表。1960年代は、サイドマンとしての活動が中心となる。1960年から1961年にかけて、「エラ・フィッツジェラルド/Ella Fitzgerald」のバックを務め、傑作ライブ・アルバムとして名高い「マック・ザ・ナイフ-エラ・イン・ベルリン/Mack The Knife - Ella In Berlin」にも参加。また、エラのツアーに帯同して南米を訪れた際、ボサノヴァを知り、自分の演奏スタイルに取り入れたという。1962年には「ビル・エヴァンス/Bill Evans」とのコラボ・アルバム、「アンダーカレント/Undercurrent」を録音した。

1972年、「ロン・カーター/Ron Carter」とのデュオ・アルバム、「アローン・トゥゲザー/Alone Together」が話題となる。1975年には、「チェット・ベイカー/Chet Baker」などを迎えて録音したリーダー・アルバム、「アランフェス協奏曲/Concierto」が大ヒット、初の日本公演を行う。1999年には「パット・メセニー」とのコラボ・アルバム、「ジム・ホール&パット・メセニー」発表。2013年12月10日、マンハッタンの自宅アパートメントで死去。83歳。私の大好きなギタリストであった。(Wikipedia参照)

軽く吹いているように聞こえるが、切れ目のない音で吹き続けることは大変難しいというデスモンドの美しく柔らかいアルトと滑らかな「ジム・ホール」のギター。洗練されたボッサ・テイストの極上イージー・リスニング・ジャズ。学生時代に知って以来40数年、未だに飽きない私のエバーグリーン・アルバム。

Take Ten

Paul Desmond / RCA



「Paul Desmond - Take Ten」

          

「Paul Desmond-El Prince」

          


「テイク・テン」の翌年録音されたのが「ボッサ・アンティグア」。これも全編ボッサ・テイストに満ちたジャズ・ボッサ・アルバムの名盤。「ジム・ホール」とのコンビネーションには更に磨きがかかり、「夜は千の目を持つ」、あの「イパネマの娘」へのトリビュート・ソングと思しき「東9丁目の女」等を快演。

ボッサ・アンティグア

ポール・デスモンド / SMJ



「Paul Desmond / Bossa Antigua」

          

「Paul Desmond ft. Jim Hall - The Girl From East 9th Street」

          
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by knakano0311 | 2015-03-03 22:57 | 音楽的生活 | Trackback | Comments(0)
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