私が彼のを好きなのは、常に時代を先取りしたその先進性である。1959年には、政府支援のアフリカ旅行に同行して、アフロ・キューバン・ジャズのアルバム「フルーティスタ/Flutista」を録音、そして1961年には、ブラジルに旅して、「アントニオ・カルロス・ジョビン/」や、ギタリストの「バーデン・パウエル/」ら現地ミュージシャンを引き連れて、レコーディングをするため帰国した。そして1962年の「カミン・ホーム・ベイビー/ Comin’ Home Baby」が大ブレーク。これがボサノバが大流行するきっかけとなった。さらに1969年のフュージョン或いはジャズ・ロック・スタイルのヒット・アルバム「メンフィス・アンダーグラウンド/Memphis Underground」。ジャズ至上主義者からの批判は浴びたにせよ、新しいジャンルを開拓したことは間違いない。そんな意味ではジャズ界における優れたマーケッターだったと言えるかもしれない。
惜しくも2003年7月1日この世を去ってしまった。
お得意のブラジルをテーマに吹き込んだラテン・ジャズの快作は、「ブラジル、ボサノバ&ブルース/Brazil,Bosa Nova & Blues」。
こちらはボッサではありませんが、オーケストラをバックにスタンダードを詩情豊かに演奏する「ハービー・マン」。「ラヴ・アンド・ザ・ウェザー/Love and The Weather」。1957年盤の再リリース。とてもあのバップ・フルートやフュージョン・フルートの「ハービー・マン」と同一とは思えません。穏やかで、優しく ・・・。残念ながらYOUTUBEでは見つけられませんでした。ジャケットには、黒縁眼鏡をかけ。色白で細面のまるで銀行員よような彼の写真が載っている。