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大屋地爵士のJAZZYな生活

我が家の歳時記  ~ 紅葉の丹波路 ~

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去年の紅葉狩りは「京都高雄・神護寺」であったが、今年はなかなか見ごろの便りが来ない。さればとばかりに、もう少し冷え込みのキツイだろう奥丹波の「もみじ三山」のうち二つの古刹に出かけてみた。

まずは、「丹波もみじ三山」の古刹の「高源寺」へ。「高源寺」は1325年(鎌倉時代)に「遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師」が開いた臨済宗の中峰派の本山である。後醍醐天皇より「高源寺」の寺号を頂き、後の後柏原天皇の代に勅願寺となり、末寺三千寺という栄華を誇った。しかしながら、天正年間に織田信長の丹波攻めで焼き討ちのあい、すべてを焼失したそうである。現在の建物は江戸時代中期、寛政年間に再建建立されたものである。広大な寺域に惣門、山門、仏殿、三重塔が立ち並び、かの水上勉をして、「誰もが訪ねる大徳寺の石畳や、大原三千院の参道など美しいけど、高源寺に比べると、やはり都の寺だ。足元にも及ばぬ。」と言わしめた参道、そうそうたる伽藍。寺域にある2000本もの楓(カエデ)のなかでも、開祖が修行した中国・杭州天目山より持ち帰ったといわれる「天目楓」の見事さは見逃せない。樹齢数百年というものも在るそうだが、その紅色のあざやかさ。ほんとうに伽藍や山の木々とのコントラストに見とれた時を過ごしました。

また、丹波地方は蕎麦の産地。腰のしっかりしたやや太めの「高源寺蕎麦」を昼食に頂き、次なる古刹、「円通寺」へと。

「円通寺」は、後円融天皇の勅命により、南北朝時代永徳二年(1382年)時の将軍「足利義満」が創建した、これも由緒ある禅宗曹洞宗の古刹。この寺も、信長の丹波攻めの際に焼き払われそうになったとき、この地の豪氏荻野喜右衛門が明智光秀の本陣に赴き、必死の説得の結果、兵火を免れたと寺伝は記している。室町から江戸末期まで二百余の末寺と一千石をこえる寺領を有したというから、丹波、播磨、但馬、摂津にかけて大変な権勢を誇った寺である。
その優美な本堂、庫裏、池の水もに映る紅葉の鮮やかさも特筆すべき景色である。

この秋から冬へと向かう気温の差がこの美しい紅葉を創り出すのであるが、世界でも紅葉が可能な木々と、それをもたらす寒暖の差、気象条件をそなえた地域は稀であるという。私の経験でも、北米、北ヨーロッパの一部ぐらいであろうか。四季をもつこの国に生まれた幸せ。

今日のドライブのお供は、この季節感にあわせて「チェット・ベイカー/枯葉」。超有名なスタンダード「枯葉」。特に解説は不要であろう。切々たるチェットのボーカルとトランペットが冴える。


枯葉
/ キング
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「Chet Baker - Autumn Leaves/She was Good to Me」

          
by knakano0311 | 2007-11-15 18:37 | 我が家の歳時記 | Comments(0)
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