大屋地爵士のJAZZYな生活

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欧州JAZZY紀行(9) ~ バルセロナの風に誘われアート三昧 ~

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上;サグラダ・ファミリア聖堂
下;街角のピカソの壁画



かねてから観たかったDVDを観ていたら、その映画の舞台はスペイン、バルセロナであった。ヒロインが「バルセロナ」を訪れる場面に「サグラダ・ファミリア聖堂」の夜景が登場し、あの明るい陽気な街を思い出しましたので久しぶりの「欧州JAZZY紀行」です。スペインはカタロニア地方の中心都市「バルセロナ」へは仕事で一度、妻との観光で一度と二度ほど訪れていますが、いずれも「アート三昧」を満喫した旅でした。このJAZZY紀行を旅行ガイド風に綴って見ましょう。

まずは「ガウディ」。1882年に着工し、未だに建築が続いている「サグラダ・ファミリア聖堂」を最も有名とする「アントニ・ガウディ」の建築作品が町中にあふれています。「グエル邸」、「サンタ・テレサ学院」、「フィゲーラス邸」、「グエル公園」、「カサ・パトリョ」、「カサ・ミラ」など。 螺旋を多用したフォルム、鮮やかで自由な色彩に満ちたタイル、放物線に基礎をおく建築構造。彼ほどその建築意匠が、独創的かつ秘密に満ちた建築家はいないという。そのため後世、様々な解釈がなされてきたが、自然主義と幾何学主義との調和が原点にあるといわれる。一見奇怪なフォルムを持つその意匠に、私は「宮崎駿」、晩年の「手塚治虫」のアニメ作品に通ずる自然への回帰・共感を感じた。ガウディはこの二人に何らかの影響をおよぼしたのではないだろうか?

そして15世紀の貴族の邸宅を改造した「ピカソ美術館」。油彩、素描、版画、陶器など系統だって展示され、彼の作風の変遷を知ることができる。ピカソ・ファンだったら見逃せない美術館に違いない。19世紀の世紀末のこの時期、ピカソを含め、芸術家の溜まり場だった有名なレストラン「四匹の猫 クアトロ・ガッツ」。この店のために、ピカソは看板、メニューポスターなどのデザインをしたり、店の風景の絵を多く残している。この店は一度閉店したが、再開され、現在も当時の雰囲気の中で食事が出来る。そして1904年、23歳、ピカソは、パリに旅立っていった。冒頭の写真にあるように町並みを彼の壁画が飾っている。

色彩の魔術師「ジョアン・ミロ」。「ミロ美術館」は、バルセロナ市街を一望の下に見下ろすモンジイックの丘の上に建っている。ミロが愛した地中海の海の青と明るい太陽、ユーモアと色彩に満ちた作品1万点を収蔵している。また市内のミロ公園では「鳥と女」という巨大なオブジェを見ることが出来る。バルセロナは「ミロ」の色彩が一番よく似合う街のような気がする。

これらの建物、美術館は、ほかの名所旧跡とあわせ、市内を循環するツーリストバスで巡るのが便利。山側を廻る赤ルート、海側を廻る青ルートがあり、2階建てのオープンバスで風を爽快に受けながら、見晴らしも抜群。好きな停留所で何回も乗り降り可能なのでとても便利。

ちょっと、列車で1時間半ほど東へ足を延ばせば、「フィゲラス」に「ダリ美術館」がある。「サルバドール・ダリ」の生まれ故郷で「ダリ」自身による設計。その作品群の奇抜さもさることながら、真っ赤な外壁と白い卵のオブジェという美術館の概観の奇抜さにも驚かされる。しかしながら、収蔵展示されている数多くの超細密なスケッチ、デッサンを見るとあの「シュールレアリスム」のベースは、その素晴らしいデッサン力に支えられていることがよく分かる。絵だけでなく彫刻、オブジェ、ホログラフィなども展示されており、ダリの仕掛けた罠にはまりながら、不思議の世界に遊ぶ一日も楽しい。

そして、ナイトライフといえば、まず「フラメンコ」。本場はアンダルシア地方であるが、観光客のために質の高い踊りをみせる「タブラオ(フラメンコ専門のレストラン)」がいくつかある。コルドベスが有名であるが、八時過ぎからディナーをして、フラメンコ・ショーをみて店を出れば、11時。ラテンの国のせいか夜の11時、12時からオープンするみせも沢山あるという。食事はこのときばかりはもう、カロリー気にせずにパエリア、リゾット、スパークリング・ワイン「カバ」でしょう。

また、クラシック好きならランブラス通りにある「リセウ劇場」のオペラ。私は勧められて「愛の妙薬」なるオペラを見たが、疲れのためすっかり白河夜船という体たらくであった。
JAZZ好きならカタルーニャ広場すぐ北側の「バルセロナ・ジャズ・クラブ」がオススメ。

情報盛りだくさん、門外漢の私でもアートを楽しめるJAZZY版「バルセロナの歩き方」でした。

「バルセロナ」を思い出させてくれた映画は、スペインの巨匠 ペドロ・アルモドバル監督、「オール・アバウト・マザー」。17歳の息子を交通事故で亡くした、シングルマザーのマヌエラ。彼女は息子の父を探すため、青春時代を過ごしたバルセロナに向かう…。ヒロインを通して女性の母性を描いた、まさに女性賛歌の映画の傑作といえよう。2000年アカデミー外国映画賞受賞作品、1999年カンヌ映画祭最優秀監督賞受賞作品。


オール・アバウト・マイ・マザー
/ アミューズ・ビデオ
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そして、JAZZから2アルバム。ヨーロピアン・ジャズ・トリオの「バルセロナの炎」と気鋭の日本人ギタリスト、増尾好秋「バルセロナの風」。いずれも降り注ぐ太陽の光と地中海からの陽気な風を感じることの出来るオススメのアルバム。

バルセロナの炎

ヨーロピアン・ジャズ・トリオ / ポニーキャニオン



バルセロナの風(紙ジャケット仕様)

増尾好秋 / ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル



「European Jazz Trio - Barcelona's Flame」

         

そして、カタロニアが生んだ、伝説のチェリスト、「パブロ・カザルス/鳥の歌」。国連でのライブも有名であるが、ここではホワイトハウスでのライブ盤をオススメ。カタロニア出身のカザルスは,故国スペインがフランコ独裁政権の支配下に入って以降,二度と故国の土を踏まず,またフランコ政権を承認する国では絶対に演奏会を開かないという信条を曲げなかった。その心情が故、1938年以来アメリカ国内の公開演奏を行なっていなかったカザルス。その彼が、ケネディ大統領の招きでホワイトハウスで演奏した感動の歴史的ライヴである。
冷戦下の緊張が極限まで高まる中、ケネディの招きを受けたカザルスは,世界平和の実現の祈りを込めて,その招きに応じたのである。ここに不滅の名演が生まれた。


鳥の歌~ホワイトハウス・コンサート
カザルス(パブロ) / / ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
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バルセロナを舞台にした小説、カルロス・ルイス サフォン 著「風の影」。世界37カ国で500万部突破のベストセラー。1945年のバルセロナ。霧深い夏の朝、ダニエル少年は父親に連れて行かれた「忘れられた本の墓場」で偶然出遭った『風の影』に深く感動する。謎の作家フリアン・カラックスの隠された過去の探求は、内戦に傷ついた都市の記憶を甦らせるとともに、愛と憎悪に満ちた物語の中で少年の精神を成長させる…。随所にバルセロナの店や地名が出てくるのでいったことのある人ならそのことでも楽しめる。

風の影〈上〉 (集英社文庫)
カルロス・ルイス サフォン / / 集英社
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by knakano0311 | 2007-11-29 23:28 | JAZZY紀行 | Trackback | Comments(0)

我が家の歳時記  ~ 武田尾・廃線の紅葉ハイキング ~

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三連休、といってもあまり関係ないが、家でたまりにたまったCDなどの片付けをしていたので、気分転換に、ことしは遅かったが、今が見ごろの紅葉を見に行ってきました。場所は宝塚から武庫川の渓谷に入った近くにひなびた温泉があることでも知られている「武田尾」。JR福知山線の複線化と電化に伴い、ルートが変わり、新しいトンネルと線路がひかれ、昭和61年(1986)に廃線になった線路が、ハイキングコースとなっている。その武庫川渓谷に沿った旧線路の紅葉が見事である。ハイキングコースの起点は、JR福知山線、武田尾駅か生瀬駅でその区間がコースとなっているが、その一部を紅葉を見ながらの散策。

この旧線路沿いには、水上勉の小説「櫻守」のモデルとなった、桜博士と呼ばれた故笹部新太郎氏の「桜の園」と、山荘「亦楽山荘」があったところである。「桜の園」は、笹部氏が、昭和40年代ごろまで桜の研究に使用した演習林で、面積は約40ヘクタール。全国から集めた桜を接ぎ木するなどして丹念に植栽し、桜の本数は5千本を超えたとも言われている。昭和53年に笹部氏が亡くなったあと、演習林は放置され、ヤブツバキやイロハモミジなどが繁茂する雑木林となっていたが、市や地元の人たちが、桜の園を遺族より買い受け、森林の形態の整備や遊歩道整備などを実施した。 そして廃線後も、地元の「桜守」たちが「桜の園」を守り、廃線沿いに、桜を植え、今も守り、春は桜、秋は紅葉の名所となっている。

コースに、数箇所のこるトンネルは真っ暗で、懐中電灯を忘れたので、携帯電話のライト機能を頼りに恐る恐る歩きましたが、トンネルを抜けると真っ赤な紅葉。その鮮やかなコントラストの見事さに目を奪われました。

前回に続いて「枯葉」シリーズ。それまでのシャンソンの名曲を「JAZZの名曲」に仕立て上げた屈指の名盤。実質のリーダーであった「マイルス・デイビス」が率いる最高のミュージシャンたちによる名演。特に、マイルスの絶妙なミュート・プレイが冴える「枯葉/Autumn Leaves」。この曲はジャズのベスト3に入る人気曲だが、それもすべて本作におけるマイルスの名演がゆえである。

Somethin' Else
Cannonball Adderley / / Blue Note
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「Cannonball Adderley feat. Miles Davis " Autumn Leaves" (1958)」

          


そして、水上勉の小説「櫻守」。櫻の時期にまた訪れてみようと思う。

櫻守 (新潮文庫 み 7-9)
水上 勉 / / 新潮社
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by knakano0311 | 2007-11-25 16:12 | 我が家の歳時記 | Trackback | Comments(0)

60歳過ぎたら聴きたい歌(8)  ~  ヘッドライト・テールライト ~

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かって、中高年に大変人気のTV番組があった。NHKの「プロジェクトX」である。視聴者は、高度成長時代の自分の会社人生に重ね合わせて、共感を覚えたのであろう、番組が終了しても再放送のリクエストが絶えなかった。彼らが共感を覚えた背景には、多分、この時代を、働き盛りとして駆け抜けてきた企業人なら、誰でも自分にとっての「プロジェクトX」を少なからず心に秘めていたからではないだろうか。その後のバブル崩壊で、厳しい環境も経験してきたこの世代にとっては、仕事はきつかったが、反面、生きがいもやりがいも実感できたこの時代がむしろ懐かしいとさえ思えるかも知れない。

そして私にとっての「プロジェクトX」。それは入社7年後に命ぜられた、ドイツのある会社からの「技術導入」であった。工業規格の違いでいわゆる「デッドコピー」はできず、まったく違う条件、仕様の商品にその技術を導入しなければならないという厳しいものであった。当然のことながら、なかなか期待する性能は達成できず、何回も先輩技術者が出張したが、成果が得られず、導入開始から、もう1年半近くの月日が経っていた。毎日実験に明け暮れていた私は、生意気にもそのときの上司にドイツへの出張を申し出、上司は「成功するまで帰ってくるな」と送り出してくれた。結果的には苦闘の末、何とか成功したのであるが、このときの貴重な経験がその後の技術者人生、或いはなかなか芽の出ない新規事業の経営責任者として歩んだ自分を根っこの部分で支えてくれたような気がする。そして会社への貢献としては、このときに確立した導入技術が、後につづく多くの商品のベース技術になったのである。

聴きたい曲は、現在も、技術の最前線で、世界を相手に最先端の商品開発、技術開発に取り組んでいる、あまたの名もない技術者や開発者たちへのオマージュ。「プロジェクトX」のオープニングテーマ「地上の星」と並ぶ、エンディング・テーマで、同じ中島みゆき作詞作曲の「ヘッドライト・テールライト」である。
地味で、ささやかかもしれないが、「わがプロジェクトX」と呼べるものを心の中に秘め、先駆者としては、ヘッドライトであり、後に続く後輩たちへは、標としてのテールライトとして、時代を生きてきた先輩技術者たちに対しても捧げたい曲でもある。

地上の星/ヘッドライト・テールライト
/ ヤマハミュージックコミュニケーションズ
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男は若さと気負いと不安を抱いて、春の訪れの遅い北ヨーロッパ・ハンブルクの地に降り立ったのは、32歳の1978年5月13日、気温5℃、早朝6時のことであった。これから始まるドイツでの苦闘の一ヶ月を思うと、寒さによるだけではない武者震いが止まらなかった・・・・。


歌詞はこちら。

「中島みゆき - ヘッドライト・テールライト」

          
 
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by knakano0311 | 2007-11-21 20:18 | 60歳過ぎたら聴きたい歌 | Trackback | Comments(0)

11月のいもたこなんきん  ~小野リサ コンサート~

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11月のいもたこなんきん。今月の「いもたこ」はこれに尽きます。1に「小野リサ」、2に「小野リサ」、3,4がなくて、5に「小野リサ」ということで、妻が、かねてから待望の、「小野リサ」のコンサート「ボッサ・アメリカーナ・ツアー2007/NHK大阪ホール」にいってきました。勿論、チケットは発売後すぐにソールド・アウト。私が発売と同時に買っておいたその席は、前から2列目のかぶりつきで、奥さん大興奮で、うっとりと聴きほれていました。

「小野リサ」。ブラジル・サンパウロ生まれ。幼少時代をブラジルで過ごし、15歳からギターを弾きながら歌い始める。 1989年日本でデビュー。ナチュラルなピュアーな歌声、チャーミングな笑顔で瞬く間にボサノヴァを日本中に広める。ボサノヴァの神様「アントニオ・カルロス・ジョビン」等の著名なアーティストとの共演や、ニューヨークやブラジル、アジアなどで海外公演を行い、成功を収める。1999年アルバム「ドリーム」が20万枚を越えるヒットを記録。 以降、ボサノヴァで日本におけるボサノヴァの第一人者としての地位を不動のものとしている。

何枚もCDを持っているが、CDで聴く彼女の歌声と寸分違わない生のピュアーな歌声をステージで聴くことが出来た。このことで、彼女のCDは、ごまかしのための、電子的なエフェクトやコンピュータ編集などを一切してないことがよくわかる。勿論当たり前の話なんですが。
ステージでは、「ギターを持つ位置がだんだん前にせりだしてきた」などと、新しい命(確か3人目?)を授かっていることなどを告白するなど、終始、微笑みの絶えないハートウォーミングな素敵なステージでした。中国へ出張したときなどCDショップへよると、日本のアーティストの中では、彼女のCDが群を抜いておいてある数が多いと思っていたが、あのハートウォーミングな歌声が、中国でも共感をよんでいるのであろうとあらためて感じる。

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さて、今年は「ボサノバの父、アントニオ・カルロス・ジョビン生誕80周年」である。ボサノバの創始者の一人である「ホベルト・メネスカル」は、「今はもう、ブラジルではボサノバを聴く人は、めっきり少なくなってしまった」と言う。(音楽の誕生 ~ボサノバのルーツを知って~ 参照)
しかし、日本では女性を中心にボサノバが大ブームである。今回のコンサートでも満員のお客さんの中でも女性の多さが目立った。

音楽に限らず、これほど他国にルーツをもつカルチャーや芸術を、上手に取り込んで本家以上のレベルに進化させてしまう「日本人」の特質、国民性に、いまさらながら感心してしまう。
そういえば、大阪に「バグパイプ」の愛好家協会があり、そのことをスコットランド人の友人に話したらびっくり仰天していたことを思い出す。

コンサートは、2部形式で、1部はジョビン生誕80周年を記念して、まもなくリリースされるアルバムから、ジョビンの名曲のオン・パレード。そして第2部は、カントリー&ウェスタンに取り組んで昨年リリースされた「Jambalaya-Bossa Americana」と、今年リリースされた、ソウル・ミュージック、R&B名曲のボサノヴァ・アレンジ・カバー・アルバム「Soul&Bossa」からのナンバーをたっぷりと。そして、締めはやはりジョビンの名曲で最高潮にというステージであった。
どの曲も知っている曲ばかりで、帰りの車の中で「本当にいい一日だったわ」と感想を漏らす、奥さん大満足のコンサートではあった。

明日からしばらくは、多分、「小野リサ漬け」でしょう。

The music of Antonio Carlos Jobim

小野リサ / エイベックスイオ



Soul&Bossa

小野リサ / avex io(ADI)(M)



Jambalaya-Bossa Americana-
/ EMIミュージック・ジャパン
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「Lisa Ono (小野リサ) - Unchain my Heart」

          
 
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by knakano0311 | 2007-11-17 23:32 | いもたこなんきん | Trackback(1) | Comments(0)

我が家の歳時記  ~ 紅葉の丹波路 ~

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去年の紅葉狩りは「京都高雄・神護寺」であったが、今年はなかなか見ごろの便りが来ない。さればとばかりに、もう少し冷え込みのキツイだろう奥丹波の「もみじ三山」のうち二つの古刹に出かけてみた。

まずは、「丹波もみじ三山」の古刹の「高源寺」へ。「高源寺」は1325年(鎌倉時代)に「遠谿祖雄(えんけいそゆう)禅師」が開いた臨済宗の中峰派の本山である。後醍醐天皇より「高源寺」の寺号を頂き、後の後柏原天皇の代に勅願寺となり、末寺三千寺という栄華を誇った。しかしながら、天正年間に織田信長の丹波攻めで焼き討ちのあい、すべてを焼失したそうである。現在の建物は江戸時代中期、寛政年間に再建建立されたものである。広大な寺域に惣門、山門、仏殿、三重塔が立ち並び、かの水上勉をして、「誰もが訪ねる大徳寺の石畳や、大原三千院の参道など美しいけど、高源寺に比べると、やはり都の寺だ。足元にも及ばぬ。」と言わしめた参道、そうそうたる伽藍。寺域にある2000本もの楓(カエデ)のなかでも、開祖が修行した中国・杭州天目山より持ち帰ったといわれる「天目楓」の見事さは見逃せない。樹齢数百年というものも在るそうだが、その紅色のあざやかさ。ほんとうに伽藍や山の木々とのコントラストに見とれた時を過ごしました。

また、丹波地方は蕎麦の産地。腰のしっかりしたやや太めの「高源寺蕎麦」を昼食に頂き、次なる古刹、「円通寺」へと。

「円通寺」は、後円融天皇の勅命により、南北朝時代永徳二年(1382年)時の将軍「足利義満」が創建した、これも由緒ある禅宗曹洞宗の古刹。この寺も、信長の丹波攻めの際に焼き払われそうになったとき、この地の豪氏荻野喜右衛門が明智光秀の本陣に赴き、必死の説得の結果、兵火を免れたと寺伝は記している。室町から江戸末期まで二百余の末寺と一千石をこえる寺領を有したというから、丹波、播磨、但馬、摂津にかけて大変な権勢を誇った寺である。
その優美な本堂、庫裏、池の水もに映る紅葉の鮮やかさも特筆すべき景色である。

この秋から冬へと向かう気温の差がこの美しい紅葉を創り出すのであるが、世界でも紅葉が可能な木々と、それをもたらす寒暖の差、気象条件をそなえた地域は稀であるという。私の経験でも、北米、北ヨーロッパの一部ぐらいであろうか。四季をもつこの国に生まれた幸せ。

今日のドライブのお供は、この季節感にあわせて「チェット・ベイカー/枯葉」。超有名なスタンダード「枯葉」。特に解説は不要であろう。切々たるチェットのボーカルとトランペットが冴える。


枯葉
/ キング
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「Chet Baker - Autumn Leaves/She was Good to Me」

          
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by knakano0311 | 2007-11-15 18:37 | 我が家の歳時記 | Trackback | Comments(0)

60歳過ぎたら聴きたい歌(7) ~テネシー・ワルツ The Tennessee Waltz~

「テネシー・ワルツ」。1948年に作られたアメリカンポップスである。1946年、ピー・ウィー・キングが作曲した曲に、レッド・スチュワートが詞をつけ、1948年にはじめてレコーディングされた。1950年に「パティ・ペイジ」がカバーしたものが世界的なミリオンセラーとなった。日本では、1952年、和田壽三が訳詞したものを当時14歳(マセてる!)の「江利チエミ」が唄って大ヒットした。最近では「綾戸智恵(最近智絵から本名の智恵に改名)」のコンサートのアンコール・リクエストNo1.。NHKの番組でカラオケの歌唱指導をしたほどの綾戸の十八番曲。
そして、私にとっても「テネシー・ワルツ」は、高校時代、思春期のほろ苦い想い出の曲である。

私の通った高校は進学校だったので、当時は1クラスに女生徒は数人ほどであった。夏休みが終わり、学園祭が近づくと体育の授業に「フォークダンス」の練習が加わる。高校1年の時、このことを知った私は、大げさかもしれないが大変な衝撃を受けた。なにしろ、ダンスは勿論のこと女の子の手なんて握ったこともなかったからである。しかしながら奇妙な期待感というか、昂揚感みたいなものに包まれた記憶がある。しかし、現実は厳しく、男女のバランスがまったく取れていないから、当然女性側に廻る男子が約半分いるのである。こちらの側になるとその授業時間はずっと男子生徒の相手という悲惨な時間を過ごすことになる。また運良く男子側になったとしても、女生徒の数は圧倒的に少ないのでパートナー・チェンジを繰り返しても、めぐり合う確率は、これまた非常に低いのである。あと1人で女生徒がパートナーに廻ってくると思ったその途端、曲が終わり地団太踏んだことは我々男子は皆、何回も経験していたのである。

しかし、面白いもので、坂の上の母校のふもとにある女子高校ではまったく逆の現象が起こっていたのである。そして、学園祭当日のフォークダンスは、今で言えばオープン参加のため、ふもとの女子高校生が大挙して訪れるのである。こうして校庭は、めでたく女子高校生であふれ、そして、いろいろな青春物語がここから始まっていった。私はといえば、ふもとの女子高校に片思いの女生徒がいたが、フォークダンスを踊ることもなく、勿論声もかけることなく、ただただほろ苦さだけが残った学園祭であった。

フォークダンスの伴奏曲のため、歌はなくカントリー調の演奏だけと記憶しているが、そんなパートナー・チェンジがあるフォークダンスの曲として、テネシーワルツは鮮やかな印象を今でも残している。私のとって、間違いなく、思春期の1ページを開いた歌であった。

歌詞は、「恋人とテネシーワルツを踊っていたら、旧友が来たので、彼氏を紹介したら、その友達に恋人を盗まれてしまった」という意味である。やや不道徳な歌にもかかわらず、この歌がテネシー州の州歌になったというから面白い。


さあ、誰の歌を選ぼうか?「名曲に名唱あり」で選ぶのに困ってしまうが、ここは、わがミューズの一人、孤高の歌姫の「カサンドラ・ウィルソン」に登場してもらおうか。(Black Beauties  ~孤高の歌姫たち~ 参照)
若手キーボード奏者「ジャッキー・テラソン」とのコラボで、アルバムの原題は「ランデブー」。分かっていないレコード会社によって「テネシー・ワルツ」というタイトルになっているが、スタンダード集で、「テラソン」と出会いがこのアルバムを生み出した最大のテーマである。だからタイトル原題は「ランデブー」であり、いつものようにカサンドラ仕立ての世界に仕上がっている。抑制されたなかにきらりと感性がひらめく「テラソン」のキーボード。淡々したなかに秘めたる情熱感じさせる「カサンドラ」の歌いぶり。やはり一級品のJAZZボーカルとして、こんなポピュラーな曲を歌っても、ジャンルを超越した彼女の孤高の世界が広がる。

テネシー・ワルツ
カサンドラ・ウィルソン&ジャッキー・テラソン カサンドラ・ウィルソン ジャッキー・テラソン ロニー・プラキシコ ケニー・デイヴィス ミノ・シネル ロニー・ブラキシコ / 東芝EMI
ISBN : B00005GKEC
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「♪ I was dancin' with my darlin'
    To the Tennessee waltz,
     When an old friend I happened to see.
      Introduced her to my loved one,
       And while they were dancin',
         My friend stole my sweetheart from me.

    I remember the night,
     And the Tennessee waltz,
       Now I know just how much I've lost,
        Yes I lost my little darlin',
         The night they were playin',
           To the beautiful Tennessee waltz    ♪」


「Cassandra Wilson - Tennessee Waltz」

          
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by knakano0311 | 2007-11-13 00:10 | 60歳過ぎたら聴きたい歌 | Trackback | Comments(0)

60歳過ぎたら聴きたい歌(6)  ~  Bang Bang ~

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30年ほど前のある日、何気なくFMラジオを聴いていて、流れてきた曲と女性JAZZ歌手に衝撃を受けた。歌手は、「Ann Burton アン・バートン」、そのとき流れていた曲は、1966年に「シェール」のヒットで有名になった「Bang Bang」であった。すぐにレコード屋に走って、LPを買ったことを覚えている。この歌が、当時、コンボ・JAZZ一辺倒であった私を、JAZZボーカル、特に女性JAZZボーカルの世界へ誘ってくれた想い入れ深い曲である。

「アン・バートン」は、1989年に56歳で亡くなったオランダの女性歌手であるが、未だにファンの間に根深い人気がある。俳優の「リチャード・バートン」の大ファンだったので、この芸名を名乗るようになったという。彼女は、アップ・テンポよりもスロー・バラードを好み、低音で、じっくりと語りかけるように、そして小声でささやくように、つぶやくように歌うのがうまい。またそれが、じわっと心の深いところに語りかけてくるのだ。彼女のデビュー作は67年録音の「ブルー・バートン」。今回の聴きたい歌「Bang Bang」が収録されているのは、それに続く69年録音の第2作で、スタンダードやポップ曲をゆったりとしたテンポで歌っているアルバム「バラード&バートン」。バックは「ルイス・ヴァン・ダイク・トリオ」に一部サックスが加わる編成。

「Bang Bang」という歌のタイトルは、子供が、「鉄砲遊び」をするときに発する「バン、バン」という声。母親がチェローキー・インディアンの血をひくという美形のシェールの66年のヒット曲。歌詞の内容は、幼馴染が恋に発展し、やがて大人になって突然の別れがきたが、幼い時代からの恋心を思いだして切なくなるといった内容。そんな「Bang Bang」も、アン・バートンが歌うと、がらっと変わって、このうえもないジャジーな仕上がりのなかに、せつない恋の傷みと思い出を淡々と歌い上げる大人の歌として、ものすごく味わい深くせまってくる。もともと「シェール」は、「ソニー&シェール」としてデビューしたが、実生活でもその時期、夫であった「ソニー・ボノ」の作詞・作曲である。


バラード&バートン
アン・バートン ジャック・スコルズ ルイス・ヴァン・ダイク ジョン・エンゲルス ルディ・ブリンク / ソニーミュージックエンタテインメント
ISBN : B00005G4A4
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男はずっと気になっていた。何十年ぶりかで開催された小学校の同窓会のことである。確かに見覚えがあるのだが、まったく思い出せない女性がいて、ずっと気になっていたのである。勿論、他の出席者についても、歳月が容貌と記憶をすっかり変えてしまっていて、すぐには分からなかったが、思い出話をしたり、名前を聞いているうちに少しずつ子供時代の記憶がもどってきていた。しかし、彼女についてはまったく思い出せないままに時間が過ぎていった。やがて、会もお開きの時間となり、なんとなくすわりの悪い思いを抱きながら、彼女のあとに続いて店をでた。そのとき、くるりと振り返った彼女は指で鉄砲の形を作って彼に向けると、「バン」と言って、撃つ真似をした。その瞬間すべての記憶が甦った。・・・・



「♪ 私が5歳で彼が6歳だった頃  二人でよく木馬に乗ったわ  彼は黒い服、私は白い服で
     よく西部劇のまねをして遊んだものね  いつもあなたの勝ちだったわ
       バンバンといって私を撃ち  私は地面に倒れ  バンバンとすごい声をだして
         彼は私を撃った

   季節が過ぎ去り  時が変わり  大きくなった私は彼を恋人呼び   彼は微笑みながら       昔二人でよくした遊びを覚えているかい?といつも言っていた 
      バンバンといって僕が君をを撃ち  君は地面に倒れ  バンバンとすごい声をだして
         僕は君を撃ったものさ

   どうしてか理由は分からないけど彼はもういない   今でも時々涙が出るの  
     彼はさよならも言わなかったし   嘘を言う間もなく去っていった
       バンバンといって私を撃ち  私は地面に倒れ  バンバンという恐ろしい音ともに
          彼は私の心をも撃ってしまった          ♪ 」


「Ann Burton - Bang Bang」

          
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by knakano0311 | 2007-11-10 00:34 | 60歳過ぎたら聴きたい歌 | Trackback(9) | Comments(0)

「いのち」のアルバム   ~ 「石野見幸」の訃報をきいて ~

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先ほど夜9時のNHK総合TVのニュースで、女性JAZZシンガー「石野見幸」の訃報が報じられた。

「石野見幸」。二度ほどこのブログでもとりあげた癌と戦いながらJAZZを歌い続ける姫路在住の女性JAZZシンガー。(「続々々・音楽の「チカラ」 ~ 「いのち」を歌うJAZZシンガー ~」、「その後の音楽のチカラ」 参照)

ついに力尽きて病に倒れた。頑張って、闘って、歌って、そして、周りの人に生きる勇気を与えた。決して、音楽に「チカラ」がなかったわけでなく、むしろその「チカラ」があったからこそ、周囲の多くの人に勇気を与え、NHKが特集までもした。これからも、音楽の「チカラ」を信じられる。

石野見幸、享年35歳。デビュー作で遺作ともなった「カレント」。「今」を生き抜いた女性の「いのち」のアルバム。

カレント

石野見幸 / インディペンデントレーベル





合掌 ・・・・・・・・・。
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by knakano0311 | 2007-11-09 22:57 | 訃報を聞いて | Trackback | Comments(0)

我が家の歳時記・番外編  ~ 紅葉の信濃路 ~

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「マリー・ローランサン美術館」HPより
《接吻》1927年頃、油彩
(c)ADAGP,Paris & SPDA,Tokyo,2007






夏が猛暑だったせいか、なかなか紅葉が見ごろになりません。去年訪れた京都・高雄も新聞の紅葉便りでも、「色づき始め」で一向にすすむ気配がありません。それならばと、田舎の母親のケアの帰り道に、美ヶ原~霧が峰~白樺湖~蓼科高原とドライブをしてきました。さすがに2000mの高原と樹林、かなり紅葉がすすんでいて、白樺、高原の緑の大地、唐松、空の蒼さ、木立から立ち上がる靄(もや)との鮮やかな対比が見事でした。まさしく自然の織りなすキャンバス。天気快晴、秋晴れの空気も澄みあがり、浅間山、八ヶ岳、富士山、南アルプス、北アルプスの360度の絶景パノラマに息を呑む一時を味わうことが出来ました。この秋の時期にビーナスラインをドライブしたことはなかったのですが、空気が清冽な秋の高原ドライブ、これはオススメです。

蓼科湖のほとり、「マリー・ローランサン美術館」でしばしの休息。この美術館は、ローランサンの初期から晩年にいたる油彩、水彩、デッサン、版画など500点余を収蔵する世界で唯一のローランサン専門美術館である。淡く繊細でけぶるような色彩で、憂いを含んだ瞳の少女を描き、20世紀初頭、エコール・ド・パリとよばれるあまたの才能の中で、花開いた最初の女性画家の一人である。訪れたその日は、ほかのお客さんもおらず、ゆっくりと鑑賞できました。夢、憧れ、憂い、不安、優美、強さといった女性の内面が、あの繊細な色彩で見事に描かれており、いまでもなお見る人の心を動かすのであろう。エコール・ド・パリの時代から1世紀ちかく経っているが、いまなおその絵から受ける感性はモダンの薫りそのまま。

充実した秋の一日ではあった。

マリー・ローランサンの絵をあしらったジャケットのCDからのおすすめ。
ルーマニア出身のJAZZピアニスト、「オイゲン・キケロ/春の歌」。その華麗なタッチにすっかり魅せられてしまう。デビュー・アルバム「ロココ・ジャズ」が有名であるが、メンデルスゾーン、パガニーニ、スメタナ、ショパンなどを取り上げた「春の歌」もいい。宮廷のラウンジでBGMを聴きながらゆったりと過ごす気分。

春の歌 (紙ジャケット仕様)
オイゲン・キケロ / / BMG JAPAN
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「Spring Song In A, Op. 62, No. 6 - Eugen Cicero」

          
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by knakano0311 | 2007-11-05 18:29 | 我が家の歳時記 | Trackback | Comments(0)

文化の日   ~ なつかしのBig Band ~

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11月3日は文化の日。なにかとってつけたような感じはするが、この日にちなんで各地でいろいろな催しが行われることは悪くはない、大変いいことである。わが街も、「グリーンフェスタ2007」と銘うって、いわゆる「文化祭」が3つの自治会館と1つの公民館を使って催されていたので、
日課となっているウォーキングの途中に、しばし寄り道をしてみた。

昭和40年ごろから、大都市郊外の大規模住宅団地として開発されたわが街は、同時期開発された他の団地と同様、高齢化がすすんでいる典型的な街。しかしながら、シニアのグループ活動が大変盛んで、今回のフェスタにも沢山出品や発表がなされていた。絵画、書、写真、手芸、生花、和歌、俳句、菊作りなど、発表では詩吟、コーラス、フラメンコ、ギター、日舞など。中には趣味の領域を超えてると思われるほどのレベルに達しているものもあり、いまさらながら、シニアの皆さんの活力やパワーに感心した。

午後からは、今回が2回目のわが隠れ家的JAZZクラブのメンバーのコンサート。今年は客席の規模も大きくし、プログラムも「大石トリオ+ゲスト」とビッグバンドの2部構成。特にビッグバンド、「足立衛(まもる)とアゼリア・ジャズ・オーケストラ」は初めて聴くバンドであったが、そのレベル、音楽性、迫力ともに素晴らしいバンドであった。リーダーの足立衛(as)氏は日本でビッグバンドがだんだん衰退していくのを憂い、自らバンドを創設し、隣町の池田市の市民ホール「アゼリアホール」を拠点に、4年前から精力的に活動している。ローカルな市民ホールがJAZZバンドの支援をしているという例は日本広しと言えども、極めて珍しいのではないかと思う。こんな自治体の町おこしの試みも評価したい。


かってのキラ星のごとく存在したビッグバンドに敬意を表して、結成15年、デヴィッド・マシューズ率いる「マンハッタン・ジャズ・オーケストラ/Manhattan Jazz Orchestra」のアルバムから。JAZZ界の巨星、「デューク・エリントン」は2005年に生誕100周年になり、マシューズは敬愛するデュークのためにこのCDを捧げた。

ヘイ・デューク!
/ ビデオアーツ・ミュージック
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「Manhattan Jazz Orchestra - TAKE THE A TRAIN」

         
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by knakano0311 | 2007-11-03 18:45 | 地域の中で・・・ | Trackback | Comments(0)