大屋地爵士のJAZZYな生活

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我が青春のシネマ・グラフィティ(11) ~ジーン・セバーグ/悲しみよこんにちは~

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たった2作で私に強烈な印象を残した女優。そしてその2作とも、リアルタイムではなく、高校の「名画鑑賞会」でみた女優。それ以降に彼女の出演作は観ることはなかったため、私にとっては幻のような女優。フランス映画への出演が多いという印象と、その風貌がヨーロッパ的だったので、ずっとフランス人と思っていた女優。1979年、謎の死をとげた女優。「ジーン・セバーグ」。2作の映画は、「悲しみよこんにちは」、「勝手にしやがれ」 。

「ジーン・セバーグ(Jean Seberg,1938年11月13日 - 1979年9月8日)」はアメリカ合衆国アイオワ州出身の女優である。映画監督のオットー・プレミンジャーに見出され、17歳のときに「聖女ジャンヌ・ダーク(Saint Joan)」でデビュー。1957年のフランソワーズ・サガン原作の同じく、オットー・プレミンジャー監督の「悲しみよこんにちは」に出演した。彼女の「超」ショート・カットの髪型は映画の主人公にちなんで「セシル・カット」として流行した。1959年には、3本目の主演作ジャン=リュック・ゴダールの初監督作品「勝手にしやがれ」に主演。一躍、ヌーヴェル・ヴァーグの寵児となる。「ジーン・セバーグ」は、この時21歳。しかし彼女のキャリアはこれが頂点だった。その後、アメリカやフランスで30本以上の映画に出演したが、これといった注目の作品はない。

プライベートでは公民権運動や反戦運動に傾倒し、ブラック・パンサーを支持したことからFBIのブラックリストに載った。妊娠に対するマスコミの中傷で精神のバランスを崩し、睡眠薬の常用と幾度かの自殺未遂を経、1979年の8月に失踪し、11日後にパリの路上で車の中の変死体として発見される。死因はアルコールとバルビツールによる自殺と判定された。手にしていた遺書には「許してください。もう私の神経は耐えられません。」と書かれていた。セバーグはパリのモンパルナス墓地に埋葬されている。

そんな経歴などから、彼女のイメージは、初期の2作、「悲しみよこんにちは」(1958年)のセシルと、「勝手にしやがれ(1959年)」のパトリシアとに固定されてしまった。短髪のセシル・カットに、ボーイッシュで無邪気で奔放な性格、それに加えて「勝手にしやがれ」で「ジャン=ポール・ベルモンド」に評されたように「ファニー」というイメージである。高校生だった私は「エキセントリック」というこの新手のキャラをもつ、さほど私と歳の違わないのセバーグ=セシルにすっかり参ってしまったことを覚えている。

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南フランス海岸の別荘で暮らす17歳のセシル(ジーン・セバーグ)の父レイモン(デヴィッド・ニヴン)が、デザイナーのアンヌ(デボラ・カー)と再婚することになった。しかしセシルはアンヌのことが気に入らず、レイモンの愛人エルザ(ミレーヌ・ドモンジョ)と共謀して、彼女を破滅へと追いやっていく……。太陽がきらめく、美しい南仏の海岸を舞台に、青春期特有の残酷さをもつ少女の感傷にみちた好奇心、愛情の独占欲、完璧なものへの反撥などの微妙な心理を描く。『帰らざる河』などの名匠オットー・プレミンジャー監督のメガホン。しかしこの作品の最大の魅力は、初々しくもどこかもろい危なさを秘めた思春期のエキセントリックな少女を演ずる「ジーン・セバーグ」。それは、演技ではなく地ではないかと感じてしまうのだが・・・。

悲しみよこんにちは [DVD]

ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント



「悲しみよこんにちは(原題:Bonjour Tristesse)」は、1954年に発表されたフランスの作家「フランソワーズ・サガン」の小説。サガンが18歳のときに出版され、世界的大ベストセラーとなった処女作である。当時、文学少女と呼ばれる、呼ばれたい、すこし早熟な女の子たちは、「何を読んでいるの?」と聞かれると、「サガンよ。悲しみよこんにちは・・。」と答えたものである。その当時、ファッション化、社会現象化したベストセラーであった。そして今もロングセラーを続けている。
かっては、「サガン」といえば、朝吹登水子氏の訳というのが定番であったが、最近、河野万里子氏の新訳が出たのでこちらが読みやすくおすすめか・・。
わずか18歳で才能も富も名声もすべて手に入れてしまったサガン、その後の人生の物語りは、最近「サガン -悲しみよ こんにちは-」で映画化された。

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

フランソワーズ サガン / 新潮社



「勝手にしやがれ(原題;À bout de souffle)」は、1959年製作のフランスの映画監督「ジャン=リュック・ゴダール」の長編デビュー作で、ヌーヴェル・ヴァーグの記念碑作品といわれる。「ジャン=ポール・ベルモンド」の出世作ともなった作品。警官殺しの小悪党ミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)が、パリにやってきた米国娘パトリシア(ジーン・セバーグ)に惚れるが裏切られ、路上で警察に射殺される。これだけの話を、撮影所やセットではなく、部屋や街角でドキュメンタリーのごとく、手持ちカメラで2人を撮る。その即興的演出、カットの連続、一見無関係なせりふの連続は映画関係者の高い評価を得たが、フランス暗黒街映画、フィルム・ノワールを期待していた私にとって、正直言って、当時も今も、この映画の良さが分からない。ただ、ラスト・シーンでミシェルが射殺されても、叫ぶわけでもなく、涙一つ流さず平然と見つめるセバーグの無機質な表情と、インパクトのある日本語のタイトルが強く印象に残った作品である。

勝手にしやがれ [DVD]

アミューズ・ビデオ



この映画の影響か、天邪鬼のせいか、私は特にゴダールには強く惹かれることはなかった。しかし私の部屋の隅には、本人はそれとは知らなかったが、次男が残していったゴダールの映画のカットを寄せ集めたポスターが置いてある・・・。

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by knakano0311 | 2009-07-31 09:14 | シネマな生活 | Trackback(1) | Comments(1)

韓の国より吹いてきたJAZZYな風

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久し振りのCDショップのそぞろ歩き。
「クール・ビューティ=ヘウォンの透き通る歌声が、心地よい風を運んでくる・・・。オシャレなジャージー・ポップ・グループ『WINTERPLAY』登場!」。
こんなキャッチに魅かれて試聴してみた。アルバム・タイトルにもなっている冒頭の曲、「Songs Of Colored Love」を聞いた瞬間、ミディアムなテンポのボサノバのリズムにのって流れてくる、その甘く透き通るような声にすっかり魅了されてしまった。そして英語の曲ながら、そのメロディーに聞き覚えが・・・。そうだ、「Ego-Wrappin’(エゴ・ラッピン)」の「色彩のブルース」だ。即、久し振りの衝動買いとなってしまった。

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この「WINTERPLAY/ウインタープレイ」、実は韓国JAZZチャート第一位にランキングされた韓国発の人気ジャージー・ポップ・ユニットで、「ソングス・オブ・カラード・ラヴ」は、日本デビュー・アルバムである。透明感に溢れる美声を持つ歌姫、ヘウォンとプロデュース/ソング・ライティングも手掛けるトランぺッター,ジュハン・リー(「色彩のブルース」の英詩も担当)による韓国人デュオ・グループ。米国西海岸発を思わせるようなクールなサウンドで、SONIAやBELEZAを初めて聴いたときと同じような感覚にとらわれた。
彼らのオリジナルに加え、ラテンのスタンダード、「クァンド、クァンド、クァンド 」、スティングの「バーボン・ストリートの月」、カーペンターズの「青春の輝き」、ロッド・スチュアート「胸につのる想い」などをアコースティックでオーガニックなサウンド、メロディアスなアレンジで聴かせてくれる。

このうっとうしい長雨を吹きとばしてくれる韓国から吹いてきた涼やかな風・・・。今年の夏、清涼系ボーカルの私のイチオシはこれ!

ソングス・オブ・カラード・ラヴ

WINTERPLAY / ユニバーサル ミュージック クラシック



いよいよ韓国までとは・・・。どこまで拡がるJAZZYな生活・・・。

「WINTERPLAY - SONGS OF COLORED LOVE(色彩のブルース)」

          
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by knakano0311 | 2009-07-29 17:19 | ミューズたちの歌声 | Trackback | Comments(0)

JAZZする女性たち・・・

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隣町の山間の地区の古びた公民館でJAZZコンサートがあった。大阪のアマチュアJAZZバンド「サンデービーンズ・ジャズ・オーケストラ」。総勢20人ほどのビッグバンド。メンバーの半分くらいはなんと若い女性であった。神戸あたりのJAZZストリートなどへいっても、理由はよく分からないが、JAZZをする女性がめっきり増えてきたと実感する。昔はJAZZマンといえば、酒、麻薬、女が相場、退廃音楽、反体制音楽、前衛音楽の代表であったのだが・・・。MCの話によると、2005年に経験者半分、初心者半分、年齢も20歳代から50歳後半と幅広い歳のメンバーで結成され、心斎橋あたりを拠点に活動しているらしいが、今回は公民館の隣のユースホステルで合宿練習をし、その成果の披露と地元へのお返しということらしい。

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デューク・エリントン、カウント・ベーシーやグレン・ミラーのスタンダードを中心に10曲ほど、約1時間の演奏であったが、アマチュア・ビッグ・バンドらしく、一所懸命の演奏で好感が持てた。地元へのお返しということで、なんとお茶のボトル付きで無料というのもいい。親子ほど歳の違うメンバーや新婚夫婦のメンバーがいたりして、多分仕事や家庭生活の合間を縫って活動をしているのだろうが、バンマスやマネジャーの苦労が偲ばれますね・・。
会場は、古い公民館とて畳の上に椅子を置いての演奏。バンドの人数と同じ数くらいの聴衆であったが、畳の上で思い思いの格好でリラックスして聴け、最後にはバンドとの一体感もでて、かなり盛り上がった。それにしてもJAZZをする女性はみんな溌剌として素敵ですね。彼女達が、やがてはお母さんになって、その子がまたJAZZを好きになって・・・。JAZZに反体制や前衛のメッセージを感じていたい人たちのためだけでなく、普通の音楽としてJAZZが拡がっていくために、JAZZする女性たちが増えていくことは私は大歓迎である。

開演時には、バケツの底が抜けたような土砂降りの雨であったが、終わる頃にはすっかり上がって、涼やかな風が吹き渡ってきた・・・。

日本のビッグバンドの東西の老舗、「原信夫とシャープス&フラッツ」、「北野タダオとアロー・ジャズ・オーケストラ」のリーダーが今年相次いで引退、解散ということらしいが、ビッグバンドのマーケットがシュリンクしていく中で、頑張ってきたこの二つの雄がなくなるのは、いかにも寂しい。
暑気払いに、カルロス菅野率いるラテンJAZZ・バンド、「熱帯JAZZ楽団」の新作を聴こうか!13作目のアルバム、相変わらずのアレンジの冴え、ホーン・セクションの咆哮が心地よく響き渡る。

熱帯JAZZ楽団XIII~Fantasy~

熱帯JAZZ楽団 / ビクターエンタテインメント



熱帯JAZZ楽団の「クインシー・ジョーンズ・メドレー」を ・・・
「熱帯JAZZ楽団 ‐ アイアンサイド/ソウル・ボサノヴァ/愛のコリーダ」

          
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by knakano0311 | 2009-07-28 09:40 | 音楽的生活 | Trackback | Comments(0)

60歳過ぎたら聴きたい歌(37)  ~ふしあわせという名の猫~

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(写真;浅川マキ 公式HPより)

立ち寄った本屋で眼にとまった一冊の文庫本。寺山修司著「書を捨てよ、町へ出よう」。初版は1967年、私が大学3年生のときであった。60年安保闘争が終わって7年経ち、再び近づいてくる70年安保闘争、先鋭化する兆しの大学紛争、ベトナム戦争の泥沼化・・・。不安の増幅の兆し。こんな時代を背景に、何かを変えたい、変わりたいという焦燥感、挫折感や孤独感を抱く若者達に連帯にもにた感覚でアピールして、若者のカリスマとなったのが「寺山修司」であった。当時もリアルタイムで読んだが、今出版されている文庫本は、初版が昭和50年(1975年)で単行本のそれとは大幅に改訂されているような気がする。しかし、「きみもヤクザになれる」、「裏町紳士録」、「不良少年入門」、「歌謡曲人間入門」などという章を読むと、あの時代の空気や皮膚感覚が、もう感傷になってしまったかすかな傷みや記憶とともに甦ってきた。

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

寺山 修司 / 角川書店



寺山修司の本やエッセイは、当時ずいぶんと読んだ記憶がある。ノンポリであった私は、とくに新書館から発刊されていた、センチメンタルで可憐な物語やエッセイ、詩を収録した「フォア・レディース・シリーズ」、「宇野亜喜良」のイラストにも夢中になった。

そんな「寺山修司」が見出し、プロデュースし、ほぼ同時期に歌手として世に送り出した「二人のマキ」がいる。一人は「浅川マキ」、もう一人は「カルメン・マキ」である。

「浅川マキ(1942年1月27日 - )」は、石川県石川郡美川町(現:白山市)出身。町役場で国民年金窓口係の職を得たが、程なくして上京する。 マヘリア・ジャクソンやビリー・ホリデイのようなスタイルを指向し、米軍キャンプやキャバレーなどで歌手として活動を始める。1968年、寺山修司に見出され、新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で初のワンマン公演を三日間に渡り実施、口コミで徐々にその知名度が上がり、1969年7月、EXPRESS-レーベルより「夜が明けたら / かもめ」でレコード・デビューした。そして、翌1970年には、「ふしあわせという名の猫」(作詞;寺山修司)で一躍注目される。「浅川マキ」は音楽そのものに限らず音質、ジャケットデザイン、ライナーノート、ポスターにも一貫した独自の美意識を持ち、今日もその姿勢は崩していない。

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(写真;カルメン・マキ 公式HPより)

もう一人の「マキ」、「カルメン・マキ(1951年5月18日 - )」は、神奈川県鎌倉市出身。アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。1968年、高校を2年で中退し、イラストレーターか役者になろうかと考えていた時期に、「寺山修司」が主宰していた劇団「天井桟敷」の舞台「青ひげ」にたまたま友人に連れられていった。その舞台に感銘を受けた彼女は即入団を決意。同じ年の8月に新宿厚生年金会館での「書を捨てよ、町へ出よう」が初舞台。この時、CBSソニーの関係者の目に止まり、歌手として契約し、翌1969年に「時には母のない子のように」(作詞;寺山修司)でデビュー。十七歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力、そして投げやりな歌いっぷりが話題を呼び大ヒット、レコード大賞を受賞した。このころ、たしか、雑誌「話の特集」で彼女の鮮烈なヌードが掲載され、私も衝撃を受けた記憶がある。

一回りほど歳が離れている二人の「マキ」。その後、浅川はルーツであるJAZZ色を一層強めた独自の世界へ、カルメンは「ジャニス・ジョプリン」に強い影響を受け、ロックの世界へと踏み出していくのであった。

昭和45年(1970年)2月、安田講堂落城の翌年、大阪万博開幕の直前、高度成長に酔いしれてはいるが、心の奥深いどこかで醒めている若者達の気分にフィットした歌がリリースされた。浅川マキが唄う「ふしあわせという名の猫」である。タイトルの絶妙な語感、歌詞に溢れるダークな気分、グルーミーなメロディ、今のこの時代でも少しも色あせず、むしろ、今の時代感覚や空気をより反映している様に聴こえるのだ。

【 ふしあわせという名の猫 】    作詞;寺山修司 作曲;山木幸三郎

歌詞はこちら。

この歌は、EP盤シングル、LPアルバム「浅川マキの世界」に収められたが、おすすめは彼女の活動記録を凝縮したアルバム・シリーズ「DARKNESS Ⅰ」。これによって、初期の彼女の活動を俯瞰できる。Disc1収録の「セント・ジェームズ病院」では、神田共立講堂における鬼気迫る彼女のライブ歌唱が、トランペッター南里文雄の最後の演奏とともに聴くことが出来る。Disc2では、山下洋輔、本田俊之、近藤等則などの日本を代表するJAZZメンとのセッションのアルバム、「ONE」、「マイ・マン」などからのピック・アップが収録されている。情念の闇、日本のブルース、「浅川マキ・ワールド」。

DARKNESS I

浅川マキ / EMIミュージック・ジャパン



「浅川マキ Maki Asakawa - ふしあわせという名の猫」

          
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by knakano0311 | 2009-07-26 00:13 | 60歳過ぎたら聴きたい歌 | Trackback(2) | Comments(0)

おやじのカラオケ

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私が定年後に止めたものの「TOP3」といえば、ゴルフ、酒席、カラオケである。ゴルフは元来、さほど好きでなかったせいもあって、一向に上達せず、時間とお金の無駄と考え、キッパリとやめた。またサラリーマンに付いて廻る酒席とカラオケも定年とともに、だんだん自然消滅となり、いまでは年数回程度旧友などと酌み交わすくらいである。

カラオケ。大変な発明である。日本人のエンターテイメントのあり様を変えたといってもいいくらいの発明である。私は、中国、台湾、韓国ぐらいしか知らないが、アジアのどこへ行ってもあり、あっという間に日本をふくめ、東南アジアを席巻したといえる。私見であるが、特に中国人は極めて歌が上手いが欧米人は下手。欧米では、あまりこのカラオケを見かけないのは、コンサートやライブが生活の中に定着しているという理由のほかに、欧米人は歌が下手という隠れた理由があるからではないかと私は観ている。

カラオケは、1971年に井上大佑(いのうえ だいすけ)氏という一人のバンドマンによって発明されたが、彼は1999年、米国タイム誌の「今世紀、アジアにもっとも影響のあった人物20人」という特集の中で「毛沢東やガンジーがアジアの昼を変えたならば、井上はアジアの夜を変えた男だ」と紹介された。カラオケ市場は、誕生後わずか30年余で8千億円を超える産業にまで発展したという。
当初、8トラックのカセットに始まり、レーザーディスク、デジタル化、映像ディスプレイ、通信NETによる楽曲配信・・・、IT技術の進歩発展とともにカラオケも進化してきた。

業態としても、1980年代半ば、カラオケを専門的に提供する、カラオケ・ボックスというビジネスが誕生。酒のついでにカラオケを楽しむのではなく、純粋にカラオケを歌うための場所であり、それ以前の概念を根底から覆す画期的な業態だった。カラオケ・ボックスがビジネスとして成功した一要因として、ある年代以上、(私もここに間違いなくここに入るのだが)の日本人には、「酒も入らない状態で人前で歌うこと」に対する拒絶反応が存在したが、それ以降の世代は、気心の知れた仲間同士の前では、気楽に歌って楽しむという我々世代には考えられない意識の変化が存在していたためである。
やがて、「カラオケで歌う歌を覚えるためにCDを買う」層が増え、1990年代の日本でシングルCDのミリオンセラーが多発し、いまでは、歌謡曲、演歌、J-POPを問わず、カラオケで歌われることを念頭に置いたヒット曲づくりがレコード業界の基本であるという。

そんな、我らが世代「酒&カラオケおやじ」のレパートリーといえば、「ムード歌謡」が好き、「デュエット」が好き、そして「口説き歌」、「バラード」が好きというのが相場であった。わたしもかって、カラオケにはお世話になった口であるが、ご多分に漏れずそんな類のバラード好きであった。  
「夢の途中」、「グッバイ・デイ」、「そっとおやすみ」、「爪」、「あいつ」、「ワインレッドの心」、「粋な別れ」、「群青」、「マイ・ウェイ」、「想い出のサンフランシスコ」・・・・・。あげだせばきりがないが、今思い返せば、まさに赤面ものである。幸いなことに、妻を始め、家族は誰一人、私が歌っている姿を観たことがないのが、せめてものなぐさめである。定年後、カラオケが趣味となり、本格的なシステムを購入したご同輩もいるが、わたしは、こんなブログを書きながら、今はただ聴いて懐かしむだけである。大阪、天神祭りで、「北新地」を40年ぶりに復活した神輿が練り歩く「陸渡御(りくとぎょ)」をTVのニュースで見て、少し心がうずいたことを素直に告白しておこう。

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「カラオケ的おやじバラード」でなく、本格的な歌手によるバラードの熱唱をじっくりと聞いてみたくなった。あのカンツオーネの女王「ミルバ」が「谷村新司」をカバーしているアルバムがある。「谷村新司」が描く音楽世界は、極めてドラマ性が強く、映画的、絵画的といってもいい。そのため、シャンソン、カンツオーネなどに通ずるものがあり、「ミルバ」が彼の曲を好んで取り上げたのもうなづけるのだ。
「ミルバ、谷村新司を歌う〜めぐり会い、そして明日へ」。イタリア語の独自の詞ということもあるにせよ、オリジナルとはかなり違っているが、ミルバが描くもう一つの「谷村新司の世界」は、彼女の圧倒的な歌唱力によってゾクゾクするような世界が拡がる。谷村新司とデュエット、2曲も収録。

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ミルバ、谷村新司を歌う〜めぐり会い、そして明日へ〜
ミルバ 谷村新司 / キングレコード
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「ミルバ - 昴(No, uomini,no)」

          
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by knakano0311 | 2009-07-24 09:36 | マーケッターとしてのシニアから | Trackback | Comments(0)

ファイナル・アンサーは?

「2つめの約束は安心社会の実現です。私たちの生活には雇用や子育ての不安、年金や医療の不安、格差の拡大など多くの不安がつきまとっています。私が目指す安心社会とは、子供たちに夢を、若者に希望を、そして高齢者には安心を、であります。雇用に不安のない社会、老後に不安のない社会、子育てに不安のない社会、それを実現する政策を加速します。行き過ぎた市場原理主義からは決別します。・・・・・重ねて申し上げます。子供たちに夢を、若者に希望を、そして高齢者に安心を。・・・・」

麻生総理の解散記者会見の弁である。これを聞いてわたしは、「何をいまさら・・・」としらじらしい気持ちになった。不用意な発言への反省はあったものの、国民に付託に対する4年間の政治への総括や反省はなかった。先ほどの弁を全く裏返しにしたような不安と不信と不満がいっぱいの、そういう日本にしてしまったのが、ここ20年間の自民党政治だったのではないだろうか。

1989年冷戦終結、イデオロギーの大義や旗色が失われた後も日本の大きな針路やビジョンを議論することなしに、バブル、バブル崩壊、失われた十年、小泉構造改革、そしてアメリカ発の金融危機と流されてきた。 
この間、アメリカが突きつけてくる「年次改革要求」に従って、アメリカと基準や価値観が同質のマーケットづくりにまい進してきたように思えるのだ。会社は株主のもの、短期利益の最大化を優先する会計基準、景気を即反映できる雇用調整のための派遣緩和、金融市場実は投資市場の自由化、そして最終的には郵貯の金をアメリカン・ルールの投資市場に引き出すことを目的とした郵政民営化。結果、こつこつとものづくりを通じて蓄えてきた戦後日本の富を、バブルと今回の金融危機で一挙にアメリカに吸い上げられたといっても過言ではない。
省益優先、縦割り行政、変化を嫌い既得権益を決して手放さない官僚体質、強力な中央集権行政の矛盾、弊害が、社会の変化やニーズに柔軟に対応できず、年金、医療、介護、教育、農業など国の礎をなす様々な分野で噴出した20年でもあった。

そもそも「政権」の目的は「国民を豊かにすること」である。郵政改革、小泉構造改革によって国、国民が豊かになったかどうか、その検証も是非必要なところであろう。資本主義がベストとは思わないが、現時点ではベターな選択であることは間違いないと思う。しかしながら、働くことよりも資産運用で大金持ちになることがアメリカン・ドリームであるというアメリカが考えるマネーゲーム資本主義ではないことも明らかになった。資本主義が競争、弱肉強食という牙や毒を基本的に持っている以上、それをどう押さえ込んでいくかが「政治」であり「政策」である。政権の準備が出来ている野党などないといわれるが、これからの望ましい資本主義と日本の国のあり方へのリーダーシップや準備が出来ている党なども自民党も含めてないのだ。

さすれば、当面の課題とその政策と結果の予測をまず具体的に数字で示してほしい。そして、「国民益」、「世界への貢献」の観点から、この国の目指すべきあり様という大きなビジョン、その国民的合意形成のための政策論争に結び付けて言って欲しい。その政策提示のもとで選んだ政府・政治にたいし、我々も責任を負おうではないか。
50%にも及ぶ税負担ながら、「負担は国民に100%返ってくる。そしてその政策を実現する政府を我々は選んだのだ」と語ったスエーデンの友人の言葉を思い出す。
もう今回は、「劇場型選挙」とは決別し、各政党や候補者のマニフェストや人物をじっくりと見極める40日間の長丁場でありたいと思う・・・。

こんなことを書きながら、無学の主人公がスラムの過酷な辛い人生の中で得られた智恵や教訓でTVのクイズ番組を勝ち抜いていくという映画「スラムドッグ$ミリオネア」を思い出していた。

果たしてこの夏の国民のファイナル・アンサーは?・・・・
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by knakano0311 | 2009-07-22 13:02 | 想うことなど・・・ | Trackback(3) | Comments(0)

60歳過ぎたら聴きたい歌(36) ~ 帰らざる日々/ 陽はまた昇る/冬の嵐 ~

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団塊の世代がかって若者だった頃の人気バンドの再結成が盛んである。その中で「アリス」も去年、何回目かの再結成をし、今、全国コンサート・ツアーを行っている。私も「アリス」が好きであったが、リアルタイムの「アリス」ではなく、解散後独立してからの「谷村新司」を好きになり、そこから遡って好きになったというのが正しかろう。もっと端的にいえば、彼の詩の世界が好きなのだ。しかも若者の世界ではなく、中年或いは初老といった世代の世界。「泣ける歌」というような薄っぺらい「歌」でなく、ドラマに酔いしれるような「唄」、もちろん男の自己満足でしかないのは承知だが、あの男のロマンというかファンタジーというか、谷村新司の描き出す「虚構の人間模様」がたまらなく好きである。

例えば、「昴」、例えば「群青」、「チャンピオン」、「それぞれの秋」・・・・。そして「帰らざる日々」、「陽はまた昇る」。
「帰らざる日々」が発表されたのは、1976年。当時、谷村は28歳である。そして翌年は「昴」、さらにその翌年は「群青」とヒットを飛ばし、ソロ活動としても一定の完成をみる。人生経験も乏しい28歳の若僧によくこんな詩が書けたものだと驚嘆せざるを得ない。それが才能というものだろう。いま谷村が歌い、私が聴く。60歳過ぎてからだからこそ、心からその世界に酔いしれるこいとができるのだ。これが、ただいたずらに歳を重ねてきただけの結果の「年寄りの感傷」にしかすぎないということでなければいいのだが・・・。アリスの3人もことし還暦を迎える。

この恋はもう終わってしまったということは、頭の中では分かっている。でも一縷の望みをつないで最後のダイヤルを廻す・・・。

「帰らざる日々」 作詞・作曲;谷村新司

「♪ 最後の電話を握りしめて
   何も話せずただじっと
   貴方の声を聞けば何もいらない
   いのちを飲みほして目を閉じる

   Bye Bye Bye 私の貴方
   Bye Bye Bye 私の心
   Bye Bye Bye 私の命
   Bye Bye Bye my Love

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   貴方の声が遠ざかる
   こんなに安らかに
   夕暮れが近づいてくる
   私の人生の

   Bye Bye Bye 私の貴方
   Bye Bye Bye 私の心
   Bye Bye Bye 私の命
   Bye Bye Bye my Love  ♪」


すべてを失くした初老の男。過去の輝いていた日々を振り返るのはやめて、もう一度地に付いた生き方をしてみようと決意する・・・。

「陽はまた昇る/ LEFT ALONE」 作詞・作曲;谷村新司

「♪ 夢を削りながら 年老いてゆくことに
   気が付いた時 初めて気付く空の青さに
  
   あの人に教えられた 無言のやさしさに
   いまさらながら涙こぼれて 酔いつぶれたそんな夜

   陽はまた昇る どんな人の心にも
   ああ 生きているとは 燃えながら暮らすこと

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     ♪」
  


「谷村新司」が、「アリス」時代も含め、自身の作詞によるヒット曲を新たなアレンジで吹き込み、シャンソン仕立てにした「素描~デッサン」(1986年6月)。このアルバムが他のベストアルバムに比べても、群を抜いてドラマ仕立ての冴えが際立っている。古いラジオから歌が流れるという、凝ったイントロの「帰らざる日々」、ミュゼット仕立ての「冬の嵐」、ドラマチックな熱唱「陽はまた昇る」を聴くと、まさに一編のフランス映画を観ているような気さえするのだ。

素描-Dessin-
谷村新司 美野春樹 佐々木周 青木望 / ポリスター
ISBN : B0006GAWRO
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「帰らざる日々 - 谷村新司」(旧バージョン)  画に相当な違和感がありますが ・・・。

          

「冬の嵐 - 谷村新司」(旧バージョン)

          
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by knakano0311 | 2009-07-21 09:18 | 60歳過ぎたら聴きたい歌 | Trackback | Comments(0)

風に吹かれて・・・

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暑い・・・。今朝、ウォーキングをしていたら近くの公園では蝉が鳴きだしていた。もう梅雨明けということか。それにしてもこの湿気はたまらない。すこし標高の高いところへいって風に吹かれて、お茶をしよう・・・。

車で20分。やってきたのは、国道173号線、丹波篠山との境の峠近くにあるログハウスのカフェ「氣遊」。谷から吹き上げてくる風がログハウス内まで吹き渡り、この上なく心地よい。目には一面の緑。レトロなスピーカーから流れてくる耳に優しい音楽。現在の地に引越してきた15年前のころから思い出したように時々和みにくるカフェ。夜はときどきライブもやっている。

マテ茶をゆっくりと飲んで、帰りは、茅葺の古民家がまだ残る、里山に囲まれたかくれ里のような集落をゆっくりと抜けて家に・・。

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おすすめの清涼系和みBGMは、シルキー・タッチの歌声、その可憐な容姿の「ガブリエラ・アンダース/Gabriela Anders」がボーカルのユニット「ベレーザ/Beleza」の「ジョビンに捧ぐ」。ボサノヴァ、ジャズ、ポップス、サルサ、レゲエなど多くのジャンルをミックス・ブレンドし、独自のボサノヴァ・カラーに染め上げてしまうのが特長で、「SONIA」などに代表されるいわゆる「フェイク・ボサノヴァ」の元祖として、根強い人気をもっている。「ジョビン・トリビュート・アルバム」は、オリジナルは1995年のリリースだが、ジョビン誕生80周年の去年、待望の再リリースがされた。

ジョビンに捧ぐ

ベレーザ / アルファレコード



「Tribute To Antonio Carlos Jobim (Doralice / Meditation / A Garota De Ipanema)― Beleza」  3曲続けてどうぞ。

          
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by knakano0311 | 2009-07-18 16:50 | 音楽的生活 | Trackback | Comments(0)

もしもピアノが弾けたなら(21) ~ ピアノ・フォルテの音を聴く ~

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(写真;大阪音楽大学・音楽博物館HPより)

かってこのブログで、「2008年はイタリアでピアノが発明されて300周年、鍵盤と連動したハンマーで弦を叩くという画期的なメカニズムにより、タッチによる音の強弱、指の動きの速さへの追従性が驚異的に改善され、この楽器は「ピアノ・フォルテ」などと呼ばれ、それ以降の音楽に革命的とも言える変化をもたらした・・」と紹介したことがある。(もしもピアノが弾けたなら(17)~偉大なるアナログ楽器、ピアノ~

そんな「ピアノ・フォルテ」以前の鍵盤楽器「クラヴィコード」、「チェンバロ(ハープシコード)」、初期の「ピアノ・フォルテ」、古典ピアノの実物を見たり、その音色を聴いてみたくて、ご近所、豊中市にある「大阪音楽大学・音楽博物館」を訪れてみた。
「大阪音楽大学」は、創立者永井幸次により、1915年(大正4年)に創立された関西唯一の音楽単科大学であり、「音楽博物館」は、付属の「楽器博物館」と「音楽研究所」を2002年(平成14年)に改組して発足、無料一般公開されている。楽器約2,300点、書籍約10,000点など多くの資料を収蔵しており、中でもインドネシア・バリ島のガムラン音楽に使用される楽器群のコレクションは演奏会が開かれるほど。そのほか18~19世紀の古典ピアノのコレクションは、メンテナンスされ現在でも演奏可能であり、同様に世界に3丁しかないといわれる「ストラディヴァーリ」のピッコロ・ヴァイオリン、発明者サックス氏の製作になるサキソホンも収蔵されている。

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いや壮観ですねえ~!クラヴィコードから現代ピアノに至るまでニ十数台のピアノがずらりと並んでいました。「クリストフォリ」によってイタリアでピアノ・フォルテが発明されたのが1708年、ピアノが本格的に製作され始めたのが1770年頃といわれている。楽聖バッハが没したのが1750年であるからバッハは多分ピアノを知らず、モーツアルトが生まれたのが1756年、ベートーベンは1770年であるから、彼ら二人あたりからピアノのための作曲がなされ始めたのであろう。ショパン、シューマンが1810年に生まれ、その翌年1811年にはリストが、1813年にはヴェルディ、ヴァーグナーが生まれ、1820年ごろ、それまでの木製から鉄製のフレームに変わり、さらにピアノは7オクターブを超え大型化し、鍵盤数も音色も現代のピアノに近づいていく。まさにピアノの発展期とショパン、シューマンの時代は同期していたのだ。ちなみに、博物館が所蔵するストラード社のピアノは1784年製であり、ブロードウッド社の1816年製作のピアノはベートーベンに誕生日のプレゼントとして寄贈された1817年製ピアノと同じ型のものだそうだ。
そしてあの有名なピアノ・ブランド「スタンウェイ&サンズ」の創始者「シュタインヴェーグ」がドイツからアメリカに移住し、ニューヨークに店を設立したのは1853年のことであった。

その日はちょうど視覚障害者のための館内ツアーがあり、古典ピアノや「ストラディヴァーリ」のピッコロ・ヴァイオリンを使用したミニ・コンサートをやっていたため、期せずして、クラヴィコードやモーツアルト、ベートーベンが生きていた時代の古典ピアノの音色を聞くことが出来た。18世紀~19世紀、音楽の都ウィーンに花開いたピアノ工房「シュバイクホーファー社」、「ベーゼンドルファー社」のピアノは、音量、透明度、切れは、現代のピアノには及ばないものの、決して色褪せてはいない、暖かい、そしてどこか懐かしい感じがする音色であった。

「プレイ・バッハ」で1960年代のJAZZ界に一躍躍り出て、現代ピアノでバロック・ジャズ、クラシック・ジャズというジャンルを切り拓いた「ジャック・ルーシェ」。ピアノ・フォルテが開花した時代のピアノの詩人「ショパン」のノクターン(夜想曲)21曲すべてをソロ演奏したアルバムから。

インプレッションズ・オン・ショパンズ・ノクターンズ
ジャック・ルーシェ / / ユニバーサルクラシック
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ショパン亡き後10年ほどして生まれたドビュッシー。音楽の分野における「印象派」の代表的作曲家。その代表曲を「ジャック・ルーシェ」がトリオで美しくしなやかに演奏する。

月の光
ジャック・ルーシェ / / ユニバーサルクラシック
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「Chopin/Nocturnes op.9 など- Jacques Loussier」

          
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by knakano0311 | 2009-07-17 09:15 | もしもピアノが弾けたなら | Trackback | Comments(0)

ご近所の「西行」

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私の住んでいるすぐ近所に「鼓ケ滝(つづみがたき)」という場所がある。猪名川が、能勢の山あいを抜け、大阪平野にでる直前、隘路によって急に狭められた場所で、その巨岩の瀬を走る川の様子から、古い昔に「鼓ケ滝」と名づけられたようである。その川のほとりに立つ、私もよく訪れるスーパー・マーケットの向かいに「西行」の歌碑が忘れられたように建っている。たまたまデジカメを持っていたので、買い物ついでによってみた。


 「音に聞く つづみが滝を うちみれば 川辺に咲くや 白百合の花」 西行

こんな歌碑が草むらの中にひっそりと建っていました。その昔、「川辺郡」と呼ばれたこの地を訪れた西行が、鼓ケ滝の風景を詠んだ歌。ちょっと関心や興味を持って自分の住んでいる地域を見渡せば、こんな発見にも出会えることがたまらなく楽しい。そういえば、今年の4月は「西行」を追っての櫻狂いの旅をつづけた春だった。

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この古き地名「鼓ケ滝」ある「九頭竜神社」の夏の大祭の幟が、あちらこちらに立っていたので、そちらも廻ってみることに・・・。この神社の縁起はこの地では有名で小学校でも教えているという。清和源氏の祖である源満仲が、天禄元年(970年)摂津の国守に任ぜられたとき、住吉大神のお告げによって矢を放ったところ、矢は五月山(池田市)の西北にある満面の水を湛えた湖に光を放って落ち、湖の主として住む雌雄二頭の龍の一頭に当たった。一頭はこの地で死に、残りの一頭は山を突き破って逃げ、湖水は鼓を打つような音を立てて、滝となって流れ出た。これが「鼓ケ滝」の名の由来であるが、水が引いたあとは多くの田畑が出来、住民は九頭竜に感謝して社に祀ったという伝説がある。見落としてしまいそうな小さな社が閑静な住宅街の一角に埋もれるように佇んでいた。こんな小さな社でも、毎年祭礼をしてちゃんと祀るという。自分達が住んでいる土地の歴史や言い伝え、社、祠や地蔵などを大事にするという宗教心の篤い近畿地方特有の土地柄が垣間見られる。

漂泊の歌聖「西行」への思いに倣って、南アメリカの音楽、フォルクローレを代表する最高の巨匠と讃えられ、「漂泊の吟遊詩人」、「歩く大地」と呼ばれた「アタウアルパ・ユパンキ」にも思いを馳せてみよう。 
牛車、月、こうろぎ、雨、種蒔き、子守唄、風、祈り、夜、光、雪、太陽・・・・・、大地に暮す人々の生活、祈り、自然。このアルバムの中で歌い演奏される音楽世界。この一枚でアルゼンチンの草原に吹きわたる風や、牛を追うインディオの姿が脳裏に鮮やかに浮かぶ、インディオの魂が聴こえる。

アタウアルパ・ユパンキ
アタワルパ・ユパンキ / 東芝EMI
ISBN : B000064TVX
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「Atahualpa Yupanqui - Los ejes de mi carreta (牛車に揺られて)」

          

 
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by knakano0311 | 2009-07-15 17:06 | 地域の中で・・・ | Trackback | Comments(0)