大屋地爵士のJAZZYな生活

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Feeling Good ・・・

歴史の転換点に立ち会った。国民は「政権交代」を選んだのだ。まるで「オセロ返し」ような民主党の勝利であった。自民党には「不満」が、民主党には「不安」が、と言われてきた今回の選挙。国民は「不安」の民主を選んだというより、自民への「不満」どころか、「怒り」が爆発したのである。「おごり」に自滅したといってもいい。そして、100人を超える民主の新人議員が誕生し、「不安」は依然残ったままであるが、多少の政策の揺れや成果の遅れなどのマイナスがあっても、国民益が優先される「二大政党政治」を早く実現させるほうを国民は選択したといえる。前回の郵政選挙とは真逆にブレた結果に、怖いという田原総一郎氏のような評論家もいたが、私はむしろ、郵政選挙のような劇場型選挙の愚かさに国民のほうがいち早く気付いたと思いたい。

私がかって、職業人だったころ、部長から事業部長、ある事業部門の経営責任者に就任したころの話であるが、私は技術者、しかも研究所出身で、技術、商品以外の経営数字、指標など、部長時代には、その本質的意味がよく分からなかった。が、事業部長に就任したその日に、あっという間に氷解した。生きた数字として、その意味がたちどころに、肌で理解できるようになった、そんな経験がある。
勿論、国政と事業経営とでは、レベルも内容も比べ物にならないが、与えられたポジションが責任力をつけるのである。この日本の現状で、目の前の課題に対し、そんなに多くの選択肢はないはず。硬直した予算配分における省益の枠を超え、マニフェストどおり、予算の組み替え、すなわち優先度をつけられるかということが、最初の新政権の試練となる。

オバマ大統領の就任式の夜のダンス・パーティでは、「ビヨンセ」がJAZZスタンダードから「At Last」を歌った。間違いなく誕生する鳩山新政権に対し、私はお祝いのエールとして、同じくスタンダードから「Feeling Good」を贈っておこう・・・。

堂々たるドラマチックな詠唱をお望みなら「ニーナ・シモン」を、軽やかで心浮き立つ歌唱が好きなら、「ランディ・クロフォード&ジョー・サンプル」を・・・。

「♪       ・・・・・・・・・・・・・・・・
   It's a new dawn,a new day
       A new life for me
              And I'm feeling good
        ・・・・・・・・・・・・・・・・ 
    It's a bold world,It's a new world
        It's an old world for me
                 And I'm feeling good   ♪」


マイ・ベイビー・ジャスト・ケアズ・フォー・ミー

ニーナ・シモン / ユニバーサル ミュージック クラシック



「Nina Simone - Feeling Good」

          

フィーリング・グッド

ジョー・サンプル&ランディ・クロフォード / ビデオアーツ・ミュージック



「Randy Crawford & Joe Sample - Feeling Good」

          
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by knakano0311 | 2009-08-31 10:09 | 想うことなど・・・ | Trackback | Comments(0)

隠れ切支丹の里でお茶を飲む

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(写真;キリシタン遺物史料館)

歴史ブーム、それも戦国武将だそうだ。戦国武将をアイドルのごとく愛する歴史好きの若い女性を称して「レキジョ(歴女)」なんて言葉もできているという。多分、若手のイケメン俳優を多数起用する流れになったNHKの大河ドラマの影響であろう。今、住んでいる所は近畿だけに、戦国武将にまつわる史跡は多く、隣町の伊丹には、摂津国を任されたが、信長の怒りをかい、一族が根絶やしにされた「荒木村重」の居城、有岡城址がある。その村木攻めを担い、後に丹波を任された「明智光秀」の領地、福知山、亀岡も近くである。そんな戦国武将でキリシタン大名「高山右近」の居城は高槻市であり、そこにほどちかい茨木市の山中にある、「隠れ切支丹の里」として有名な千提寺(せんだいじ)に「キリシタン遺物史料館」を秋の気配が少し出てきた里山ドライブを兼ね訪れてみた。

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(写真;キリシタン遺物史料館向かいの住宅から発見された聖フランシスコ・ザビエル像)

この付近はかつてキリシタン大名として有名な高槻城主・高山右近の領地であった影響で、当時キリスト教信者となった領民が多く、秀吉と家康によるキリスト教禁制後も、隠れキリシタンとなり、山奥のこの地で信仰を密かに守りつづけた人々がいた。1919年にキリシタン研究家の藤波大超が、千提寺の通称クルス山からキリシタン墓碑を発見し、この地が隠れキリシタンの里であることを突き止めた。それをきっかけに付近の多くの家から、キリスト磔刑木像など、隠れキリシタン遺物が発見されたという。ある旧家は信仰の品々を入れた「あけずの櫃」を長男にのみ伝承して誰にも見せなかったそうだ。こうした中から、現在、神戸市立博物館蔵の重要文化財で、教科書などで皆さんよくご存知の「聖フランシスコ・ザビエル像」もこの地の旧家で発見されている。「千提寺」という地名も、十字(クルス)をカモフラージュする「(二支十字ともいう)」と「菩を弔う」を組み合わせた様にも思える。

キリシタン遺物史料館は、これら発見された資料を広く公開することを目的に、地元千提寺地区から土地の提供を受け、茨木市によって建設された施設で、1987年9月に開館した。なお、普段の管理は地区の人々のもちまわりによって行われているという。規模や展示品の数は決して大きくはないが、殆ど無宗教の私のようなものにも、「信仰とは何か」を問うてくるような気がする。かくれ里、千提寺地区の周囲には天主堂址、発見のきっかけとなった墓碑などの隠れキリシタン遺跡も点在している。


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今日は、レキジョならぬレキジイ(歴爺)の半日であったが、「午後のお茶」は資料館近くの、まだま村という奇妙な名前のカフェで。このカフェは、外観もかなり異色で、写真のように円錐形で、縄文式竪穴住居を模したものである。どうも、オーナーのこだわりらしく、200年前の古民家20軒分の柱を使い、屋根は琵琶湖の葦で葺いているとのこと。中に入ってみるとびっくり、直径12m、高さ11mの大空間。地面から1mほど掘り下げた土間には囲炉裏や舞台があり、広々とした、懐かしく、ほの暗くて暖かな空間が拡がっていた。「まだま村」という名前は、「磨魂=魂を磨く」という意味が込められているらしい。大きな昔風のストーブがおいてあり、竪穴式でもあるので、多分冬でも暖かそうな感じ。食材はすべて地元で採れたての野菜を使ったメニュー。また一つお気に入りの場所を見つけた・・・。
  
ドライブのお供は「ソフィー・ミルマン/テイク・ラヴ・イージー」。ダイアナ・クラール、ホリー・コールなど優れた女性ジャズ・ヴォーカルを輩出してきたカナダの出身。デビュー作が、世界中のジャズファンを唸らせた期待の新人の2ndアルバムである。今回は、「デューク・エリントン」、「コール・ポーター」などのジャズ・スタンダードに加え、「ジョニ・ミッチェル/Be Cool’」、「ポール・サイモン/50 Ways To Leave Your Lover」、そして、「ブルース・スプリングスティーン/I’m On Fire」のカバーにも挑戦。 その可憐な美形と、ハスキーな歌声が新鮮で、デビュー作同様、ジャズ・ボーカル・ファンのみならずすべての音楽ファンを虜にする彼女の魅力がたっぷり詰まった極上のアルバムに仕上がっている。

テイク・ラヴ・イージー

ソフィー・ミルマン / ビクターエンタテインメント



「Sophie Milman - Take Love Easy」

          
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by knakano0311 | 2009-08-29 13:10 | おやじの遠足・街歩き | Trackback(1) | Comments(0)

人生の引き出し

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(写真;近くの山間に潜むかくれ里のような集落、どこか懐かしい記憶の底にある風景)

国内のブロガーが今年の1月末で約2700万人にのぼったことが総務省の調べで分かった。ブログの市場規模は2008年度で160億円と推計され、結構、存在感のあるメディアに成長してきたことが窺える。内訳は、ブログ上の広告を見た人がクリックして商品を買うとブロガーに報酬が入る「アフィリエイト広告」などの市場が約69億円。ブログで商品やサービスなどの感想や体験談を掲載すると報酬が入る「口コミ広告」などの市場が約67億円。この二つで市場全体の約85%を占めているそうである。総務省は、企業が新しいメディアとしてブログの活用を始めたことが成長につながっており、2010年度には180億円に達すると見込んでいる。ちなみに私はAmazonと「アフィリエイト広告」契約をしていて、私のブログ上から、CD、DVDなどを購入すると私にポイントが入る仕組みになっているはずであるが、ポイントが貯まったなどという報告はついぞ届いたことがないのだが・・・。

私がブログを書き始めた主な動機は、自分史としてのJAZZの整理、自分が何を良しとしてきたかという遺言めいたものをまとめたいなどであるが、書き始めてから3年余、やっと、いままでのわが「人生の引き出し」の整理のめどがつきそうになった気がする。見方を変えれば、まったくの「ガラクタ箱」かもしれないが、私の「引き出し」の一つ一つがブログのカテゴリーや音楽、映画、本といったジャンルに対応している。その数だけは結構な数の「引き出し」になったものだと自分ながら改めて驚いている。内容のレベルや質はともかく、「継続は力なり」、いやいや「塵もつもれば山となる」といったところか・・・。

記事が497件、その中でライフログへの登録(紹介したCD、DVD、本など)は1151点で、内訳は音楽が圧倒的に多く、CDが923件、DVD・ビデオが124点、書籍が104点となっている。自分の人生の引き出しを整理するために書き綴った500編近いブログは、果たして多いのか、少ないのか・・・。
書き綴っているなかで、記憶の底から思い出した事、しらべてみてより鮮明に分かったこと、新たな発見などが色々あったが、「書くこと」そのこと自体が楽しくなったような気がする。

だんだんと物覚えは難しくなる一方で、物忘れはますます加速していくこれからは、記憶の整理のめどはたったが、たまりにたまった記憶やモノを、残さなくてはならないもの、忘れてはならないものに絞り込んで、その他は減らすか、捨てていくという困難な作業に取りかからなくてはならないのだ。

そして、そんなことを考え、思いながら、「書く」ということについて、「すとん」と私の心に落ちた最近のある言葉を思い出した。経済評論家、勝間和代氏の「人生を変えるコトバ」(朝日新聞連載中)からである。「言葉にすることが、思考である」。すこし引用して見ましょう。

『・・・・ 私たちは考えをなるべく頻繁に言葉に落とす、つまり、みずから書いたり、話したりすることがたいへん大事なのです。 ・・・・ そのときの思考や感情を、ありのまま正確に伝えることは、私の心の中を勝手にのぞいてもらわない限り不可能です。だからこそ、いったん、言葉という媒体を使って文章に落とすとき、それを受け取った相手が、私の思考や感情をできるだけ再現できるように心がけています。自分の経験や感覚を、何らかの言葉に変換していくプロセスそのものが、私にとっての思考なのです。 ・・・・ 言葉が私たちの思考をつかさどっている。だからこそ、言葉は人生を変えるのです。』

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40歳でプロ歌手デビュー、「歌う吉本」として広いファン層からの人気を集め、最近は母親の介護のため1年間の休業宣言をしている「綾戸智恵(絵)」。彼女の持つ「人生の引き出し」に仕舞われている沢山のものを歌にぶつけてうたうような綾戸のスタイル。彼女にもきっと「人生を変えた言葉」があったに違いない。彼女のアルバムから、少しベタではあるが「My Way」を撰んでみた。あれがJAZZかというような辛口の批評が彼女にあるのは知っているが、彼女のコンサートへ行ってみるがいい。あれだけの幅広いファン(多分JAZZファンではない人が多いだろう)が、彼女の歌を支持し、熱狂するのをみれば、彼女の歌がJAZZであろうがなかろうが、そんなことはどうでもいいと思われてくるに違いない。

Ballads

綾戸智絵 / ewe records



「Chie Ayado - My Way」

         
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by knakano0311 | 2009-08-27 13:13 | マーケッターとしてのシニアから | Trackback | Comments(0)

危機と再生

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(写真;吉野の櫻 朝日新聞より)

吉野の櫻の樹勢の衰えが目立つという。西行が詠い、そして、芭蕉が「花盛り 山は日ごろの あさぼらけ」と詠み、世界遺産にも登録されている本邦随一の櫻の名所が「吉野山」である。90年代からナラタケ菌の繁殖や台風被害などで花や樹に昔の勢いがなくなってきているらしい。そこで、「吉野山の櫻を守ろう」と俳人達が、「色紙・短冊展」などの活動を始めた。この売り上げを吉野町の「吉野桜基金」に寄付し、櫻の保護や管理費などに当てるというのだ。櫻に感動し、句に詠んできた俳人達が危機に際して、声高に守ることを主張するのではなく、自分達のできることから保護に直接結びつく活動をはじめたのだ。「ちょっといい話」には違いないだろうが、原因は菌や台風だけなのだろうかということ、この活動がどの程度の効果に結びつくのか若干の疑問も感じる。しかし、手遅れにならなければいい、再生につながって欲しいと願う・・・。

吉野に生まれ、暮らし、そして逝った歌人、自らを「山人」と称した「前 登志夫」のエッセイにも吉野の櫻や、行き過ぎた観光地化への警鐘が時折でてくる。吉野の山住みの暮らしの中から、人間が自然に抱かれて生きる意味や本質を綴った最後の珠玉のエッセイ「羽化堂から」が、心にはすこし痛いが、やがて優しく響いてくる。

羽化堂から

前 登志夫 / 日本放送出版協会



大阪の「サントリー・ミュージアム天保山」が経営の赤字のため閉鎖するという。多分東京を除く日本各地で、このようなことが加速度的に進んでいるような気がする。文化の発信の受け皿となりえない大阪が問題なのか、東京以外の地方をすべて疲弊させてしまった政治・経済が問題なのか、企業が、赤字になれば閉鎖せざるを得ないリスクがつきものの、文化事業をすることが問題なのか・・・。日本の今後の在り様にもつながる課題がまた一つ浮かび上がってきた。多分「発信-受信」の関係のベクトルを文科省に代表されるような、「公⇒国民」だけでなく、まったく逆のベクトル「市民⇒公」を基軸にしていかないと地域に根ざした、地域と融合した文化の継続は、結局途絶えてしまうのでないかと危惧する。

さて話は変わるが、日本ではボサノバがいたるところで耳にする。オシャレなカフェ、居酒屋、ショッピングモール・・・・。ボサノバは、50年ほど前、リオデジャネイロで音楽好きな若者達の間から生まれた音楽である。ところが、本場ブラジルではさっぱり聞こえてこないという特派員レポートが朝日新聞にのっていた。庶民の音楽「サンバ」と違い、ボサノバは、大学出のインテリが作った「気取った音楽」という感じで、人気がないらしい。CDショップにも殆どおいてなく、たまに買うのは外国人や年配客くらい、ラジオなどでも流れることはめったになく、日本における大モテぶりとは大違いで、「誇るべき文化を、当のブラジル人が大事にしていない」とボサノバ関係の専門書を扱う店主の嘆きがのっていた。そんな声に応えてボサノバ誕生50周年を記念の昨年、サンパウロ市は「ボサノバは市の文化財」とする条例を制定したという。
行政がいくら躍起になっても、ボサノバを聴くひとが増え、演奏するアーティストや演奏の場が増えなければやがては消えていくのが音楽の宿命。伝承について何もしなければ、芸術とか音楽はそういうものである。しかし誰かが気付いて、立ち上がって行動を起こせば局面はがらっと変わる。
この特派員レポートでは、『ある日小学生のグループが店の前でボサノバの曲を歌いだした。ボサノバゆかりの地を訪ねるという小学校の課外授業だったのだ。「よかった・・・」と店主は泪を浮かべていた。』と結んでいる。本家では絶えた後、日本などの異国の地で、50年前の「遺産」の曲だけが生きながらえるなどという姿は私もみたくない。新しいボサノバの星達がブラジルからやがて生まれてくることを願うばかり・・・。

ディス・イズ・ボサノヴァ [DVD]

ビクターエンタテインメント



誕生50周年を記念して作られた、ボサノバ誕生の秘話を証言と音楽で綴るこのドキュメンタリー映画「This is Bossa Nova」の原題は「Coisa Mais Linda/最も美しいもの」だとという。
この映画に登場する、ジョビン、モライス、ボスコリ、ナラ、パウエル、エリス・レジーナ、シルヴィア・テリス・・・・など、ボサノバの星たちはみんな鬼籍に入ってしまった。映画の中での証言者、語り部でもあり、映画のPRで来日したボサノバ創始者の一人、ホベルト・メネスカル、「今はもう、ブラジルではボサノバを聴く人は、めっきり少なくなってしまった」とは嘆いていたのが、いまも印象に残っている。

「This is Bossa Nova (Coisa Mais Linda - História e Casos da Bossa Nova)」予告編。

          
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by knakano0311 | 2009-08-26 09:34 | 想うことなど・・・ | Trackback | Comments(0)

笛とギター 須磨浦公園からハーバーランドへ

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(写真;須磨浦公園山上展望台よりの神戸の眺望)

人間誰しも暑くなるとすこし標高の高いところへいって、涼風を貪り、絶景を見てスカットしたいもの。ということで、今回の「おやじの遠足」は、神戸・須磨浦公園~山上遊園展望台へと。須磨浦公園・須磨山上遊園は、歴史的には、源平一ノ谷合戦の戦場として知られる須磨一の谷から鉄拐山、鉢伏山周辺を公園として整備した公園である。そして、平清盛が一時都をおいた神戸・福原の地はすぐ近くにある。山上からは、大阪湾から瀬戸内海、明石海峡大橋、淡路島を見渡せ、六甲山と並ぶ神戸有数の景勝地で、万葉の時代から多くの歌人に親しまれ、公園には蕪村、芭蕉、子規、虚子等の句碑が建立されている。そして、一ノ谷合戦で散った平家の若武者「敦盛塚」などの史跡がある。そしてこのあたりには、源氏物語に由来する須磨、明石のほか、摩耶、垂水(たるみ)、塩屋、舞子、朝霧といった美しくて古い地名が点在しているところでもある。

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海際の駅から、ロープウェイで一気に急峻な斜面を駆けあがると、山上からの視界が360度、ぱあ~っと開ける。その見晴らしの、雄大なこと、心地よさといったら、この上ない。どうやら群生地になっているらしく、鷹とおぼしき猛禽類が、「自由とはこのことだ」と言わんばかりに、悠々と、そして文字通り、鷹揚に、海からの上昇気流にのって、飛翔を楽しんでいた。人間にはできっこない、なんと言う贅沢。それにしてもこの心地よさは久し振りの快感だ。

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そして、山を下り、麓の史跡、芭蕉らの句碑や敦盛塚を訪れてみた。蕪村「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」や芭蕉「蝸牛(かたつむり) 角ふりわけよ 須磨明石」の句碑が松林の中にひっそりと建っていた。
そして、17歳で平家一門の武将として一ノ谷の戦いで散り、「平家物語」にその「もののあはれ」を謡われた「平敦盛」。鳥羽院より賜った笛「青葉」の名手として名高い「敦盛」。織田信長の好んだ「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け滅せぬもののあるべきか」は幸若舞「敦盛」の一節である。

源氏側の奇襲を受け、平氏側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷次郎直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。
この「平家物語」の名場面は、のちに能「敦盛」、幸若舞「敦盛」、謡曲「敦盛」、歌舞伎「一谷嫩軍記」などの題材となった。敦盛の首は、須磨寺(首塚)へ、胴はここ須磨浦公園(胴塚)へ丁重に葬られたという。塚の前には直実が供養のため建てたという五輪の塔、そこに花を手向ける人が今も絶えないようだ。そしてそのかたわらには、青葉の笛の歌碑が咲き始めた萩の花に埋もれて建っていた。
  
   「須磨のうら 波の音あはれ ふきたえし 青葉の笛の 昔おもへば」 (藤次)


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さて、須磨を後にして、神戸・ハーバーランドの赤レンガ倉庫跡で遅い昼食をとり、例のごとく栄町、元町、トアロードあたりをぶらついたが、例のインフルエンザ騒ぎもすっかり収まり、元通りの観光客のにぎわいも戻ってきたようである。そして、最近ハーバーランドに東京・渋谷?から移設され、小泉元首相も来て除幕式をした、「エルヴィス・プレスリー」の銅像を訪れた。ビートルズに次ぐ歴代2位のナンバー1ランクのヒット曲18曲をもち、32本の映画出演しているプレスリー。多分、我々の世代では、20世紀のスーパースターといえるのは、「マイケル・ジャクソン」より、彼、プレスリーである。1977年8月16日、テネシー州メンフィスの自宅で、心臓発作により42歳の若さでなくなったが、この銅像は、ついに日本にくることなく逝ってしまったプレスリーを惜しんで、死後10周年に日本のファンたちによって建立されたものである。そして、縁あって命日の8月に神戸に移設された銅像の前には、今でもファンからの献花が沢山おかれていた。

「笛とギター」、その匠(たくみ)だった二人は時空を超えて、今も慕われ、弔われているのだ・・・。

山のようにヒット曲のあるプレスリーだが、私は、「それは今よ、明日になれば二度とチャンスはないわ・・」と歌う、イタリア歌曲「オ・ソレ・ミオ」のカバーのラブ・バラード、「イッツ・ナウ・オア・ネバー(It's Now or Never)」が好きである。この曲は、1960年5週間連続1位を記録した。

ELV1S~30ナンバー・ワン・ヒッツ

エルヴィス・プレスリー / BMG JAPAN



そして、その YOU TUBE映像はこちら。

          
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by knakano0311 | 2009-08-23 17:57 | おやじの遠足・街歩き | Trackback(1) | Comments(0)

驚嘆の映像美 映画「ザ・フォール/落下の王国」

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この夏は、見逃していた映画を観るために、ずいぶんとDVDを借りてきた。その中で、その映像美に目を奪われた作品がある。『ザ・フォール 落下の王国』(原題:The Fall )である。ターセム監督が製作した、美しい美術品のような感動巨編。「落下の王国」とは何か?それは映画の最後に明らかになるが、種を明かしてしまえば、無声映画時代、勿論トリックもCGも無い時代、活劇映画の中では色々なものが落下した。車が河へ、建物から人が、鉄橋から汽車が、馬が谷へ、車や汽車から人が・・・。これらのアクションを生身の人間が体を張って、実写で演じていた映画の世界。その時代の「映画」への讃歌、オマージュである。世界遺産を含む24カ国の色々な実在の場所で撮影されたという映像はモノクロもカラーも見事に美しい。この映像美を見るだけでも十分価値があると思うのだ。

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さて、お話は、映画の創生期、ハリウッドで盛んにサイレント映画が創られていた頃のお話。撮影中の落下事故で脚を骨折し、ベッドで動けないスタントマンの青年ロイ。おまけに彼は女優に失恋したため、失意のどん底、自殺願望にとりつかれてしまう。ロイは、同じく腕を骨折で入院している5歳の少女アレクサンドリアを操って、自殺のための薬を手に入れようと、気を惹くため、少女に波乱万丈の活劇ベッドサイド・ストーリー、総督と6人の男たちが織り成す壮大な叙事詩を語り始める。この虚構の物語が、やがてロイやアレクサンドリアの夢と希望を紡いでいく・・・。物語は現実ではないけれど、ストーリーが展開される場所は、実際に世界中のどこかに存在する数々の場所。CGに頼らず、世界遺産を含む世界24か国以上で撮影された驚きの華麗な映像には息をのみ、一度訪れてみたいと思うほど。
そして、ラストシーンで次から次へと映しだされるスタントシーンをみて、タイトルの意味するところと、この作品が、「映画」による「映画」への愛情に満ちたオマージュであることが観客に分かる様になっているのだ。

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『落下の王国』(原題:The Fall )は、インド、イギリス、アメリカ合作で2006年に製作され、昨年後半に日本で公開された映画。監督はターセム・シン。構想26年、13の世界遺産、24ヶ国以上のロケーションで撮影期間4年を費やして製作されたという。第40回シッチェス・カタロニア国際映画祭でグランプリ(最優秀作品賞)を受賞するなど高い評価を受けた。また、美しい美術品のような衣装は、第65回アカデミー賞で衣装デザイン賞を受賞している「石岡瑛子」が衣裳デザインを担当している。
美しい映像に心を奪われ、この夏の暑さをひと時忘れたい人、或いはかって、冒険と夢とおとぎ話がいっぱい詰まったよき時代の映画をなつかしいと思う映画ファンには、間違いなくお薦めの作品です。 こんな映画を観てしまうと、また私の「海外旅行の虫」がうずきだしてしまうのです。

予告編(Trailer)や美しいスチル写真などが見られる「落下の王国」オフィシャルサイトはこちら。その驚嘆の映像美を垣間見てください。

ザ・フォール/落下の王国 特別版 [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ



それにしても、これだけ長い間、相当数観てもいまだに飽きない映画の魅力。わが家の薄型液晶テレビは多分TV番組を観るよりも、DVDのモニターとして機能している方が多いかもしれない。振り返ってみれば、最初に映画館で見た映画の記憶は、1954年(昭和29年)、8歳のときおやじに連れられてみた「ゴジラ」であった。翌年、1955年にみた鰐淵晴子のデビュー作「ノンちゃん雲に乗る」、森繁久弥「警察日記」、ダービー後破傷風で死んだ名馬トキノミノルを描いた「幻の馬」、1957年「明治天皇と日露戦争」などが、少年時代初めて観た頃の映画として記憶に残っている。DVDでは決して味わえない映画館の独特な臭いと雰囲気、硬い椅子、大きな画面、暗くなる瞬間のあのドキドキ感、映写機の廻り出す音、光のビーム、その中に浮かぶ塵の粒子、ニュースのあの独特の節回しのナレーション ・・・・。いまはすべてが懐かしく、映画は夢のような娯楽だった。

わたしのおすすめの映画へのオマージュの傑作はなんといっても、89年アカデミー外国語映画賞を受賞したジュゼッペ・トルナトーレ監督「ニュー・シネマ・パラダイス」。何度観ても泣ける映画。2時間の劇場公開版と175分の完全オリジナル版がありますが、監督の思いを読もうとすればいささか長いですが、完全オリジナル版が私のおすすめ。

ニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版 スペシャル・エディション [DVD]

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by knakano0311 | 2009-08-22 09:39 | シネマな生活 | Trackback | Comments(0)

海を越えて吹きわたるJAZZYな風

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(写真は毎年見事な花をつけるご近所の蓮)

今週から家の近所では赤とんぼが群れだした。蝉も相変わらず喧しく鳴いている。梅雨が明けたのはつい二週間前のことであったのに・・・。遅れて来た夏といつものように訪れそうな秋の気配とが同居しているのだ。


先だってのブログでは、韓国より吹いてきたJAZZYな風、「Winterplay」を今年の清涼系ボーカルのイチオシと紹介しました。今日は続いてこの夏から秋にかけての「ニオシ」、「サンオシ」のおすすめ、心和む風のような爽やかな女性ボーカルを紹介しましょう。

まず、アルゼンチンの大草原パンパを吹きわたってきた爽やかな風は、「リヒア・ピロ/Ligia Piro」 。1971年生まれで、もうデビュー後10年の中堅といってもいい。一方で、女優としても活躍するブエノス・アイレス出身の美形女性ジャズ/ボサノヴァ・シンガーである。各種ジャズフェスなどで多くのファンを獲得、2005年にはKONEXというアルゼンチンのジャズ最高の賞を受賞したというキャリアの持ち主。アルバムは「ソー・イン・ラブ~ジャズ・アンド・スタンダーズ」。原タイトルは「Trece Canciones De Amor(13曲のラブソング)」。タイトルどおり、コール・ポーター、アーヴィング・バーリン、ビル・エバンスなどのスタンダードから、ビートルズ、レオン・ラッセル、クラプトンのナンバーまで幅広いジャンルのラブソングをシンプルなギターとのデュオによる甘くさわやかな歌声に、郷愁、ノスタルジーを感じる。アルゼンチンから吹いてきた甘く優しい風・・・。1947年生まれのベテラン・ギタリスト「リカルド・レウ」が上手い、渋い。そして、ジャケットもいい。

ソー・イン・ラブ~ジャズ・アンド・スタンダーズ

リヒア・ピロ / インディーズ・メーカー



「Ligia Piro - So in love / Mais que nada」

          

つぎは、アルゼンチンとは地球のまったく反対側のフィンランドから白夜の夏を吹き抜けてきた凛とした風。須永辰緒が推薦する北欧女性ヴォーカル、「ソフィア・フィンニラ/Sofia Finnila 」。1970年生まれ。1994年に北欧の名だたる音楽家を輩出している「シベリウス音楽院」で声楽を学び、1999年にフィンランドで開催された国際ジャズ・シンガー・コンテストで優勝し、フィンランドで着々と実力を重ねたキャリアの持ち主。現在はフィンランドの声楽校の教授として教壇に立つという。2008年に自主制作したアルバム「Everything I Love」を世界に先駆けて須永辰緒主宰レーベル"ZOUNDS"からリリースとなった。

CDショップで1曲目「Cheek To Cheek」、2曲目「So In Love」を試聴して惹き込まれてしまった。収録曲はいずれもスタンダード、それもどちらかというと古い時代のスタンダード。それらに新しい感覚を与えようという意気込みを感じる。すべての曲が成功している訳ではないが、ソフィアの柔らかでムードのあるヴォーカルがだけでなく、ご機嫌にスウィングしているサポートのザ・ファイヴ・コーナーズ・クインテットの力によって、大方の曲に新鮮さを感じる。だから、心地いいだけでなく、コンテンポラリーなジャズ・ボーカルの一つの形、方向が提示され、それが読み取れるような気がする。そして、これもまたジャケットが秀逸。

EVERYTHING I LOVE

ソフィア・フィンニラ / ZOUNDS



「Cheek to Cheek - Sofia Finnila」

          

どちらのアルバム・タイトルにも「Love(Amor)」という言葉が入り、収録曲に私の好きな「So In Love」が奇しくも共通して含まれていた。
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by knakano0311 | 2009-08-20 09:05 | ミューズたちの歌声 | Trackback | Comments(0)

おやじのエレジー(哀歌) ~歌謡曲としてのブルース・考~

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8月12日は「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子(1907 - 1999年)が生まれた日だそうだ。「別れのブルース」が大ヒットしたのは日中戦争が勃発した1937年。その後、戦中・戦後を通じて、日本人を癒してきた「ブルース」。日本人は「ブルース」が好きである。何にでもブルースをくっつけて歌にしてしまう。人から自然現象からご当地名まで手当たり次第である。「男のブルース」、「女の・・」、「あなたの・・」、「雨の・・」、「別れの・・」、「夜霧の・・」、「大阪・・」、「中之島・・」、「港町・・」、「赤と黒の・・」、「一番星・・」、「黒い傷痕の・・」、「昭和・・」、「しのび泣きの・・」、「恍惚の・・」、「一人ぼっちの・・」・・、ああ、きりがない。さてそれでは、何をもって「ブルース」というのかというと、歌謡曲の世界では、その定義を聞いたことが無いので、これがさっぱり分からないのである。

洋楽における「ブルース」の定義というのは、はっきりしている。ブルース(Blues)は、米国深南部でアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽のひとつ、またはその楽式のことである。その特徴は、A・A・Bの形式をとるワンコーラス12小節形式 (ブルース形式)で綴られる詩が多いということ。そして、二つ目は循環コードの一種である定型のコード進行(ブルース・コード)をとることが多いということ。三つ目には、旋律に独特の節回しがあり、一般にブルー・ノートと呼ばれる独特の音階が使われる。つまり、日本の歌謡曲のスタイルとして「ブルース」と、ここで言う洋楽の「ブルース」とはまったく関係がないのである。

しからば、どうして歌謡曲に「ブルース」と呼ばれるスタイル?ジャンル?ができたのであろうか。まったくの私見で根拠は無いのであるが、私はこんな風に考えている。正式な名称かどうか分からないが、社交ダンスのステップに4/4拍子の「ブルース」というのがある。娯楽の乏しかった日本で社交ダンスの普及とともに、その踊りの雰囲気を最大限盛り上げるための曲として、スロー・テンポで、チークダンスや感情移入がしやすい短調(マイナー)の曲、歌謡曲が好まれていった。これが日本の歌謡曲の「ブルース」の発祥となって、その「ブルース」という言葉が持つモダンで哀調の語感が歌謡曲のウェットな世界にぴったりなため、強く結びついていったのではないかという勝手な持論を持っている。強いて定義してみれば、短調(マイナー)のスロー目の曲で、これが一番重要であるが、「・・・のブルース」というタイトルがついていることという極めて大雑把なところであろうか。まあ~、目くじらを立てて議論するほどのことはないのであるが・・・。 

先ほどあげた日本の「・・・ブルース」がついた歌をみると、「ブルース」というよりは、「エレジー(哀歌)」といったほうがいいのではないかと思う。私は、歌うほうはJAZZと違って、日本のエレジーいえる曲が好きで、「この歌は私のエレジー」と勝手に定義してカラオケなどで歌っていた。その条件は、「マイナー(短調)」、「ドロドロ、ベタベタな歌詞」、「抑えた感情、やがて迎える山場、絶唱」、「私がカラオケでうたえること」であった。これが「私の哀歌、おやじのエレジー」の条件で、それに当てはまる次のような歌をあげれば、なんとなく気分が伝わるでしょうか・・・。
「あんたのバラード、悲しい色やね、月のあかり、酒と泪と男と女、あなたのブルース、粋な別れ、大阪で生まれた女、石狩挽歌、想い出ぼろぼろ、ルビーの指輪、別れのサンバ ・・・・」。これもきりがないのですが・・・。
これを見ると、私はまさに、どんぴしゃ正統派の「オヤジ」ですね。

「月のあかり - 桑名正博」

          

「エレジー(哀歌)」、私が大のファンでもあるイチオシの女優「ペネロペ・クルス」が出演していた映画「エレジー」(原題: ELEGY)。「ペネロペ・クルス」扮する女子学生が、30歳も歳の離れている、雑誌「LEON」から抜け出してきたような大学教授の「ちょいワルじじい」に惚れてしまうが、女が真剣になるにつれ、老いた男が引いてしまうというよくある話がテーマの映画。パーティで教え子を口説く場面のBGMに流れていたのは、ストーリーを予感させるような「マデリン・ペルー」が歌う「レナード・コーエン」の「Dance Me To The End Of Love (哀しみのダンス)」(ブログ参照だった。 

エレジー デラックス版 [DVD]

ジェネオン・ユニバーサル



「哀しみのダンス」を始め、なつかしくレトロな薫りのするエレジーが一杯つまったアルバムは「マデリン・ペルー/ケアレス・ラヴ」。

ケアレス・ラヴ
マデリン・ペルー / / ユニバーサル ミュージック クラシック
ISBN : B000STC6NW
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本家のブルースをご存知でない方には、お分かりいただくために、ブルースが自らの音楽のルーツであるという、「エリック・クラプトン」のブルース・アルバムを参考までにあげておきましょう。あの「Tears in Heaven」が収録された大ヒットアルバム「アンプラグド/Unplugged」の2年後にリリースされた、全曲ブルースのカバーで占められたルーツ回帰アルバムが「From The Cradle (ゆりかごから)」である。渋い円熟の演奏が光るブルージーなサウンド。「ミスター・スローハンド」とよばれ、全世界のロック・ギタリストが憧れるクラプトンのギター芸、技の本領発揮のアルバムである。

フロム・ザ・クレイドル

エリック・クラプトン / ダブリューイーエー・ジャパン



そして、クラプトンが敬愛するブルースの巨人、ブルースのレジェンド(伝説)、「B.B.King」とコラボした「Riding With The King」。シンプルな録音で、向かって右にKing、左にClapton。リラックスした雰囲気の中で、温かい親密感が生まれ、2人が小部屋で向かい合いながら、楽しんで演奏しているように聴こえる。まるでシカゴのブルース・ハウスにでもいるようなノリに包まれる。

ライディン・ウィズ・ザ・キング

B.B.キング&エリック・クラプトン / ワーナーミュージック・ジャパン



「Eric Clapton & B.B. King- Three O'Clock Blues」

          
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by knakano0311 | 2009-08-18 09:23 | おやじのジャズ | Trackback | Comments(0)

エレキ・ギターの父 レス・ポール逝く・・

フェンダー社の「ストラトキャスター」と並び世界中のプロやアマチュアのギタリストが愛用しているギブソン社のエレキ・ギター「レスポール・モデル」の米国人開発者、「レス・ポール/Les Paul 」氏が13日、ニューヨーク州の病院で肺炎のため死去した。

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「レス・ポール」氏は13歳で演奏を始め、ギタリストとして活躍する一方、1930年代後半から独自のギター作りに取り組んだ。従来のアーコースティック・タイプの木製ボディーを通した音の響きに納得せず、弦の振動がそのまま増幅される構造にこだわって新しいソリッドタイプのエレキギターを開発した。ギブソン社が1952年から販売している「レスポール・モデル」は、世界中の有名ギタリストに多数愛用され、世界の音楽界に大きな影響を与えた。ローリング・ストーンズのキース・リチャーズ氏は「彼の仕事と才能には、想像できないほどの恩恵を受けている」との哀悼の言葉を寄せたという。

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一方ギタリスト、歌手としても有名で、録音技術がまだ進歩していなかった1948年、世界初のオーバーダビング・レコーディング技術で作られた「Lover/Brazil」をリリースして、あっといわせた。1949年、メリー・フォードと3度目の結婚をし、「Les Paul & Mary Ford At Home」というTVショーは7年も続くほど好評を得、彼女とのデュオ「How High the Moon」、「ヴァイヤ・コン・ディオス/Vaya Con Dios」は世界的にヒットした。しかし50年代半ばからロックン・ロールが爆発的に普及し、彼は徐々に人気を失っていった。しかし世界のロック・ギタリストは彼のことを忘れてはいなかった。2005年、6月9日に90歳を迎えたレスを祝し、オムニバス・アルバム「レスポール・アンド・フレンズ/AMERICA MADE WORLD PLAYED」が作られた。参加メンバーは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、キース・リチャーズ、スティング、等々のビッグネームである。
そんな再評価のなか、2007年、レスポールの経歴を描くドキュメンタリー映画「レス・ポールの伝説」も公開され、話題をよんだが、惜しくも2009年8月13日、肺炎によりニューヨークの病院にて94歳で死去。

「Les Paul & Mary Ford Show」でメリー・フォードとデュエットで歌う「World Is Waiting For The Sunrise /世界は日の出を待っている」のYOUTUBEはここ
そのギターテクニックの見事さ、あの弾ける音の懐かしさが甦る。

          


「ベンチャーズ」も「ビートルズ」も「ローリング・ストーンズ」も「クラプトン」も、「ウェス・モンゴメリー」も「パット・メセニー」も、「レス・ポール」が、もしもソリッドタイプのエレキギターを開発していなければ、存在していなかったかもしれない。そして私も学生バンドを組んだりしなかったかもしれない。間接的に私の人生に大きな影響を与えた人物が逝った。

合掌・・・・・・。


ベスト・オブ・レス・ポール&メリー・フォード 90歳バースディ 記念エディション

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by knakano0311 | 2009-08-16 15:35 | 訃報を聞いて | Trackback(2) | Comments(0)

我が青春のシネマ・グラフィティ(12) ~ 江波杏子/女賭博師 ~

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まさに青臭い時代に夢中になった銀幕のヒロインを思い出すこのシリーズ、日本人女優はいないのかとのお叱りを受けそうですが、高校へ入学して一気に映画が解禁となり、それからはたちまち異次元、夢の世界ともいえる洋画に夢中になってしまった私は、学生時代は黒澤明、熊井啓、野村芳太郎作品などのほかは、あまり邦画は見なかったように思う。しかしこの時代の日本人女優をグラフィティにあげるとすれば、「江波杏子」をあげるしかないであろう。ヤクザ映画全盛期、女賭博師シリーズ(1966年~1971年、大映)の「大滝銀子」役で、東映の緋牡丹博徒シリーズ、「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子役、藤純子(現在は富司純子)と人気を二分した。何本か観たが、ストーリーなどはまったく覚えていない。映画というより、アンバランスで不思議な顔立ちの美貌と和服に包まれてはいたが、そのグラマラスな肢体を持つ、「江波杏子」その人のファンであったのだ。

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それにしても、若き日の「江波杏子」は美しい。彼女の日本人離れした不思議な顔立ちともいえる美貌は、当時よりも現代の今の方がウケるのではないだろうか。そして私は、その頃人気絶頂の吉永小百合、和泉雅子などの同世代の青春女優、アイドル女優には一切目をくれることは無かったのだから、すこしませたというか、ひねくれた少年だったのかもしれない。

「江波 杏子(えなみ きょうこ)、1942年10月15日 - 」。
中学生の頃から女優を志し、1959年に大映に入社。1960年、『明日から大人だ』でデビュー。デビュー当初から悪女系の女優として密かな人気を集めたが、長く助演が続く。負傷した若尾文子に代わり主演した1966年の『女の賭場』が出演本数58本目にして初の主役となり、この映画での女賭博師ぶりが話題を呼び、以降『女賭博師』シリーズの 「昇り竜のお銀」こと大滝銀子として大ブレイク。後の女性任侠映画にも大きな影響を与えた。同シリーズは『座頭市』シリーズに次ぐ大映の人気シリーズとなり、1971年の『新女賭博師・壺ぐれ肌』まで17本が制作され、お銀の「入ります!」という決めゼリフは流行語にまでなった。残念ながら『女賭博師』シリーズ、わずかな作品がビデオ化されているのみでDVD化はされていないようである。

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シャープで個性的な美貌と、都会的な雰囲気、グラマラスな肢体の持ち主のため、新鋭写真家達の人気の的で1960年代から1970年代にかけてはモデルとして見事なヌードも披露し、グラビアでも活躍した。たしか最初の衝撃的なヌードが掲載されたのは、雑誌「話の特集」ではなかったかと記憶している。
この「話の特集」は日本におけるミニコミ雑誌の草分けで、その斬新で過激な内容に魅せられて、ずいぶんと読んだもんだ。「江波杏子」のほか、「カルメン・マキ」、「池畑慎之介(ピーター)」などの鮮烈なヌード・グラビアをいまだに記憶している。

大映倒産後の1973年、映画「津軽じょんがら節」の主演でキネマ旬報主演女優賞を獲得。任侠映画のヒロインから完全に脱皮を遂げた。私もこの作品が彼女の最高作品と評価している。以降は演技派女優としてテレビドラマや舞台でも活躍、最近は、NHK朝の連続ドラマ「ちりとてちん」で芸者あがりの主人公の祖母を演じて、とてもその歳には見えない色っぽさが健在なことを披露した。

『津軽じょんがら節』。荒々しい冬の日本海を背景に、都会から逃げてきた男女の揺れ動く心を情感豊かに描き出した斎藤耕一監督の代表作。
津軽のさびれた漁村の停留所に降り立つ一組の男女。 東京でバー勤めをしていたイサ子(江波杏子)が、いざこざを起こして追われている徹男(織田あきら)を追って、生まれ故郷のこの村に帰って来たのだ。何もない田舎町で退屈する徹男は、瞽女(ごぜ)になるのだと言う、盲目の少女ユキ(中川三穂子)と知り合う。

全篇に鳴り響く高橋竹山の津軽三味線と荒々しい波の音、時折挿入される斉藤真一の瞽女(ごぜ)の絵などが、津軽の厳しい風土が持つ雰囲気を一層際立たせる。私が、この「高橋竹山」のじょんがら三味線に魅せられ、竹山のコンサートにいったり、「斎藤真一」が描く瞽女たちの絵に強く魅かれていったのも、この映画を観たからであった。

津軽じょんがら節 [DVD]

ジェネオン エンタテインメント



ひょっとしたら一度聴いたら忘れられなくなるかもしれない太棹三味線の響きと力強さ。もう鬼籍に入ってから10年経ってしまった「高橋竹山」、彼の最高の遺産。1910年(明治43年)6月18日生まれ、1998年(平成10年)2月5日死去、彼の人生の証。

津軽三味線 決定版

高橋竹山 / 日本クラウン



「斎藤 真一(さいとう しんいち、1922年(大正11年)7月6日 - 1994年(平成6年)-9月18日)」。生涯、東北で三味線を弾き語る瞽女(ごぜ)たちの表情や生活をテーマに描き続けた画家「斎藤真一」。彼もまたすでに鬼籍に・・・。

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越後瞽女日記 (1972年)

斎藤 真一 / 河出書房新社


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                           画集《斉藤真一・さすらい日記》より
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by knakano0311 | 2009-08-13 09:28 | シネマな生活 | Trackback | Comments(0)