大屋地爵士のJAZZYな生活

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ボサノバはお好き?(2) ~ジャズ・ボッサからスムース・ジャズへ~

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ボサノバ語りを続けましょう。

さて、二つ目の流れは、ブラジルのボサノバ・ミュージシャンやブラジルを訪れたJAZZミュージシャンらとともにアメリカに渡り、JAZZミュージシャン達に大きな影響を与え、さらにもっと洗練され、進化して行ったJAZZボッサの流れである。1961年に訪れたブラジルでボサノバの魅力を体験したJAZZフルートの「ハービー・マン/Herbie Mann」は、彼流にJAZZと融合させて「ジャズ・ボッサ」の源流とも言うべき「カミン・ホーム・ベイビー/Comin' Home Baby」を1962年に大ヒットさせた。

ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン

ハービー・マン / Warner Music Japan =music=


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1962年、「チャーリー・バード(g)/Charlie Bird」もブラジルから持ち帰ったボサノバを、スタン・ゲッツ(ts)に伝え、2人がレコーディングし発表した「デサフィナード」(ジョビン作で「ジャズ・サンバ」に収録)が大ヒットした。こんなこともあって、新しいJAZZのマーケットを探していたレコード会社は、「これは売れる」とふんで、ボサノバに飛びついていった。ポルトガル語ではなく、英語の歌詞をつけ、大物JAZZミュージシャンと組ませたり、JAZZYで洒落たアレンジをつけ、A&M、CTI、ヴァーヴ、ユニバーサルといったレーベルから次々とリリースされたボサノバは、アメリカにおけるブームに火をつけ、 すぐに世界にひろまっていった。あの「フランク・シナトラ」さえも1967年ジョビンとの共演によってシナトラ初のボサノバ・アルバム「シナトラ&ジョビン 」をリリースしているのだ。この動きは、1960年代から70年代にかけてのことであった。

「A.C.ジョビン」がオーケストラをバックにしたアルバム「イパネマの娘」を米国でリリースしたのが1963年。「スタン・ゲッツ/Stan Getz」が「ジョアン・ジルベルト」とコラボし、「ゲッツ/ジルベルト」をリリースしたのも1963年のことである。ジョアンの歌うポルトガル語を英訳するため、アメリカに同行していた妻のアストラッドがひょんなことからこのアルバムで、「イパネマの娘」を歌い、大ヒットさせ、その後のボサノバの行方を変えることにもなるのである。原詞ポルトガル語で歌うのはジョアン、続いて英詞をアストラットが歌っている。

ジャズ・サンバ

スタン・ゲッツ&チャーリー・バード / ユニバーサル ミュージック クラシック



イパネマの娘

アントニオ・カルロス・ジョビン / ユニバーサル ミュージック クラシック



ゲッツ/ジルベルト

スタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルト / ユニバーサル ミュージック クラシック



おいしい水
アストラッド・ジルベルト アントニオ・カルロス・ジョビン ジョアン・ドナート / ユニバーサルクラシック
ISBN : B00008KKT0

私の最初のJazzミューズは、「アストラッド・ジルベルト/Astrud Gilberto」。狭くて汚い学生アパートで安物のプレーヤーで飽きるほどに聴いたのは40年前であった。抑揚のあまりない、淡々としたささやくような歌声は新鮮であり、私の耳をJazz Vocalにむけるのに十分なほど魅力的であった。それから20年ほどたって、たまたまNew Yorkに出張した折、彼女のステージを今はもうないジャズクラブ「Fat Tuesday」で観たことがあります。感激しましたね。

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こうして、「A.C.ジョビン」、「アストラッド・ジルベルト」、「タンバ4」などあまたのブラジリアン・アーティストたちがアメリカ経由で世界的に売り出し、有名になっていった。私たちの世代のJAZZファン、ボサノバ・ファンはこの辺りから、ボサノバに魅せられていったのではないだろうか。そして、その流れは、当時は「イージー・リスニング・ジャズ」と呼ばれた「スムー・スジャズ」という新しいジャンル、潮流をも作り出したのである。JAZZファンからすれば、「軟弱でエッジがない」、ボサノバ・ファンからすれば、「コラソン(魂)がない」といわれるかもしれないが、たしかに心地良いことこの上もないボサノバは、もはや現在「JAZZ」、「スムース・ジャズ」にとって、なくてはならない欠かせない音楽表現のジャンルとなったのである。そんなコンテンポラリーなJAZZボッサから私のお気に入りをいくつかあげておきましょう。


まずサックス&ボサノバといったら、「ハリー・アレン/Harry Allen」を真っ先にあげます。98年の「アイ・ウォーント・ダンス」に始まり、ハリーはいくつかのボサ・ノヴァ・アルバムをリリースしているが、いかにもジャズメンによるボサノヴァ・アルバムといった感が強い。ゲッツを意識したようなジャズ色濃厚なボサ・ノヴァからスムース・ジャズ的なボサ・ノヴァまで千変万化なスタイルを見せるが、けっしてイージーには流れない。

アイ・キャン・シー・フォーエヴァー

ハリー・アレン ギルヘルム・モンテリオ ジェイ・バーリナー ロン・カーター グレディ・テート ジョー・アシオンBMG JAPAN



リカード・ボサノヴァ

ハリー・アレン / カメラータ東京



「イーデン・アトウッド/Eden Atwood」。モデルの仕事もしてたことがあるという、かなりの美貌の持ち主のジャズ・シンガー。「Waves: Bossa Nova Session」。ジョビンの作品を中心としたボサノバのスタンダード集であるが、Smooth Jazzなどのボサノバアルバムとはちょっと一味切れ味が違う。

Waves: Bossa Nova Session

Eden AtwoodGroove Note Records



トロンボーンを吹きながら歌う北欧スエーデンの美人姉妹は「スライディング・ハマーズ/Sliding Hammers」。ボッサ&バラードのベスト盤。

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来日記念盤 プレイズ・ボッサ&バラード

スライディング・ハマーズ / スハ゜イス・オフ゛・ライフ/アミュース゛






それでは、いくつかのボサノバ演奏をYOUTUBEでお楽しみください。

まず、Stan Getz カルテットの演奏する - Desafinado, Girl from Ipanema を。ウエストコーストJAZZの特長「クール」さがよく出た演奏。





続いては、ひょんなことからボサノバの女王になっていった「アストラッド・ジルベルト」が歌う「イパネマの娘」。




ニューオリンズのジャズ・フェスティバル。とあるビストロでの「ハリー・アレン」。演奏するは「How Insensitive」。




  
 
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by knakano0311 | 2010-02-27 00:31 | サウダージ | Trackback | Comments(0)

インビクタス/負けざる者たち ~オリンピックとワールドカップ~

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TVのなかでたくさんの日の丸が揺れている。2月12日(日本時間13日)のバンクーバー・オリンピックの開会式だ。選手も観客の日本人も日の丸を振っている。この開会式直前の2月11日、いつものように団地内をウォーキングしたが、日の丸は皆無であった。この落差は一体何故なんだろうと思ってしまった。子供の頃、国民の祝日は「旗日」といって、各家では日の丸を戸口に掲げたものだが・・・・。「オリンピックの時の旗、日の丸」。この落差には、私を含め、我々シニア、団塊世代に責任の一端があるのは間違いない。

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さて、映画を観ました。「クリント・イーストウッド」監督の最新作「インビクタス/負けざる者たち(原題INVICTUS)」。「硫黄島からの手紙」、「父親たちの星条旗」、「チェンジリング」、「グラン・トリノ」と、ここ数年、国家、権力、人種間の葛藤や対立の中で、「筋を通す」人々を描いてきたイーストウッド監督が今回素材に選んだのは、「ネルソン・マンデラ」である。

「ネルソン・マンデラ/Nelson Rolihlahla Mandela (1918年7月18日- )」。反アパルトヘイト運動により反逆罪として逮捕され、27年間の長きに渡り、刑務所に収容された。釈放後、アパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃する方向へと南アフリカを導き、1994年に大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。

舞台は南アフリカ共和国。「ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)」は27年間の牢獄生活より解放され、1994年、ついに南アフリカ共和国初の黒人大統領となった。政府中枢部で働く白人たちは、マンデラの報復を恐れ荷物を纏めようとしたが、そんな彼らにマンデラは赦しこそがこの国の未来の礎となることを説き、黒人と白人の相互理解を重視する融和路線による人事を行った。これによりマンデラのボディーガード陣は、前大統領の白人警備スタッフも採用され、黒人と白人の共同チームとなった。マンデラは多忙な政務のなかで、アパルトヘイトの象徴的存在であった南アフリカのラグビー代表チーム「スプリングボクス」が黒人の大多数に忌み嫌われていることを知り、ラグビーを利用して自らの政治的理念を示そうと決意する。 1年後の1995年に迫ったラグビー・ワールドカップを通して国民をまとめあげてゆこうとするマンデラは、ボクスの主将「フランソワ・ピナール(マット・デイモン)」を官邸に招き、黒人と白人の架け橋となることを依頼する。ボクスのメンバーも徐々に考えを改め、単なるラグビーチームではなく政治的役割を担っていることを自覚するようになる。
ワールドカップ本番、「スプリングボクス」は下馬評を跳ね返し決勝に進む。強豪のニュージーランド代表オールブラックスが先住民マオリの気合入れハカを披露し、とうとう最後の試合が始まる ・・・・。

ジョン・カーリン原作のノンフィクション小説を、イーストウッド監督が映画化した感動のドラマ。反アパルトヘイト運動に尽力し、南アフリカ共和国大統領となった「ネルソン・マンデラ」と、同国のラグビー代表チームのキャプテンとの人種を越えた友情を描く。ラストの過去の怨念を超え、新しい国旗、国歌の下に国民が一丸となるシーンに胸が震え、目頭が熱くなった。
この映画「インビクタス」は、間違いなくイーストウッド監督のオバマ大統領への応援歌である。

国家に飢餓感、緊張感が満ち、国民の側にマグマにも似たエネルギーが貯まったとき、卓越した国家指導者が現れるという。郵政民営化選挙における小泉フィーバー、昨年の政権交代選挙の民主党といい、あれは一過性のフィーバーだったにすぎないのか。飢餓感、緊張感もエネルギーも日本にはまだ不足だというのか ・・・。

アパルトヘイト撤廃後12年以上が経過したが、未だエイズ、犯罪、経済格差、教育などアパルトヘイトがもたらした傷や人種間格差を解消できてはいない南アフリカ共和国で、サッカーのワールドカップは、今年6月に開催される。そして、「ワールドカップの時の旗、日の丸」がまた打ち振られるのだ。
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by knakano0311 | 2010-02-25 17:59 | シネマな生活 | Trackback | Comments(0)

ボサノバはお好き?(1) ~クラシック・ボッサはサウダージ(郷愁)~

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(散歩道の途中でにあるほころび始めた梅の花)

春は曙、すこし春めいてきましたね。爽やかなボサノバで目覚めを迎えられれば、どんなにか素晴らしい朝でしょうか。ボサノバはどんな季節にも似合いますが、私はとりわけ春が一番似合う季節だと思っています。シニアの皆さんには「ボサノバ好きが多い?」と聞きますが、もちろん私もその一人です。そんな春風に誘われて、リクエストもあった「ボサノバ語り」をはじめましょうか・・・。とはいえ、私はあまりボサノバには詳しくはないので、又聞き、寄せ集めの知識ですが、ご容赦ください。

ボサノバ創立の歴史については、ここではあまり詳しく述べませんが、もう少し詳しく知りたい方はウィキペディア(Wikipedia) http://ja.wikipedia.org/ やGoogleなどで「ボサノバ(ボサノヴァ)」と検索すれば、色々な記事が出てきますので、そちらを参考になさってください。また、「ボサノバ誕生50周年」を記念して製作された映画「ディス・イズ・ボサノヴァ」では、ボサノバが生み出された過程が、創始者の一人でもある「カルロス・リラ」と「ホベルト・メネスカル」によってドキュメンタリー風に語られています。これもファンには必見、お薦めの映画だと思います。(参照ブログ記事音楽の誕生~ボサノバのルーツを知って~」)

ディス・イズ・ボサノヴァ [DVD]

ビクターエンタテインメント



そうそうこんな本もでていますね。「アントニオ・カルロス・ジョビン―ボサノヴァを創った男」。ジョビンの実妹が語るジョビンの繊細かつダイナミックな世界観のすべて。これもファン必読の書・・・。

アントニオ・カルロス・ジョビン―ボサノヴァを創った男

エレーナ ジョビン / 青土社



1950年代後半、リオ・デ・ジャネイロのコパカバーナやイパネマといった海岸地区に住む中産階級の学生やミュージシャンたちが、従来のブラジル音楽に飽き足らず、JAZZのコードに影響を受け、生み出したのがボサノバである。特に1958年に「アントニオ・カルロス・ジョビン/Antinio Carlos Jobim」と「ヴィニシウス・ジ・モラエス/Vinicius de Moraes」が作曲し、「エリゼッチ・カルドーゾ/Elizete Cardoso」が歌った、「Chega de Saudade(シェガ・ジ・サウダージ、邦題:想いあふれて)」がボサノバ第1号とされ、2008年は「ボサノバ誕生50周年」を記念して、色々なイベントが催され、CDなども多くリリースされた事も記憶に新しいところです。

心地よく洗練されたサウンド、「新しい感覚」のサンバの一種として成立したボサノバは、瞬く間にブラジルの若者の間に拡がった。ボサノバとはポルトガル語で「新しい傾向」というような意味であり、それまでのブラジル音楽の流れを変えたといわれる。そしてまた、このボサノバは、ブラジルだけでなく世界の音楽にも大きな影響を与えたのである。たとえば、ジョビンの「イパネマの娘」はとれほど多くのカバーがなされたのであろうか? 多分「ビートルズ」の楽曲に匹敵するか、いやそれ以上かも知れないのだ。

そして、世界へ踏み出していったその後のボサノバは、大きく分けると四つの流れになるのではないかと、私は勝手に考えているのである。そんな四つの流れについて、私の好きなアーティストやアルバムの紹介をしながら、ゆるりと語っていきたいと思いますが、さて、どうなりますやら・・・。

一つ目の流れは、ジョビンらによって創始された、いわば「クラシック・ボッサ」といってもいいボサノバが、母国ブラジルで発展し、今日まで至っている流れ。そんな「クラシック・ボッサ」を今回はとりあげてみました。囁くような、語るような歌声とギター、そんなボサノバ・スタイルを確立したのが、「ジョアン・ジルベルト/Joao Gilberto」。そんな「クラシック・ボサ」の完成されたスタイルを、アルバム「ジョアン 声とギター」に見ることが出来る。全盛期をすぎ、70歳近い、2000年発表の作品であるが、まさにタイトル通り、ジョアンの声とギターのみで奏でている逸品のアルバム。

JOAO VOZ E VIOLAO
Joao Gilberto / / Universal



共にボサノヴァを生み出した詩人「ヴィニシウス・ヂ・モライス」へのジョビンのトリビュート・アルバムが、「ジョビン、ヴィニシウスを歌う」。「イパネマの娘」などボサノバの名曲の数々。そして、すべてのボサノバ・ファンを心酔させるモライスのメロディの美しさと彼へのジョビンの想い。

ジョビン、ヴィニシウスを歌う

アントニオ・カルロス・ジョビン / スリーディーシステム



没後20年経っても未だ人気の高いブラジルの歌姫「エリス・レジーナ/Elis Regina」の楽曲の魅力28曲がたっぷりと詰まったベスト・アルバム。ボサノバは癒し系音楽というイメージが少し変わるかも・・・。

カフェ・アプレミディ~エリス・レジーナ

エリス・レジーナ / ユニバーサル インターナショナル



そして、ボサノバにおけるギターのスタイルを確立したといってもいいバーデン・パウエルのベスト盤。

黒いオルフェ~ベスト・オブ・ボサノヴァ・ギター

バーデン・パウエル / ユニバーサル インターナショナル



ボサノバ創始者の一人「ホベルト・メネスカル」は、「今はもう、ブラジルではボサノバを聴く人は、めっきり少なくなってしまった」と嘆いていたが、「ボサノバは過去の音楽ではない、進化し続けている」と気を吐くのが、ジョビン亡き後のボサノバ界のトップに立ち、ボサノバをここまで広めてきた巨匠「オスカー・カストロ・ネヴィス/Oscar Castro-Neves」。「アイアート・モレイラ」、「レイラ・ピニェイロ」などの実力派ミュージシャンを「東京ブルーノート」に集め、熱いライブを展開したアルバム「Live At Blue Note Tokyo」。ブラジルの空気や街のにおいが熱気とともに伝わってくるコンテンポラリーなボサノバ。

ボサノヴァ・セレブレーション・オールスターズ ライブ at ブルーノート東京!

オスカー・カストロ・ネヴィス / スリーディーシステム



その後のブラジルのミューズ、歌姫もあげておきましょう。まず「ジョイス/Joyce」。’70年ごろ盛んに活動していたが、結婚後、音楽生活から遠ざかり、復活し、再び「自然派」として脚光を浴びたのは、’80年代である。そのころの名盤2枚、「フェミニーナ」、「水と光」がカップリングされ、再発された。

フェミニーナ、そして水と光

ジョイス / EMIミュージック・ジャパン



「ベベウ・ジルベルト」。「ジョアン・ジルベルト」の娘という毛並みの良さ。アコースティックな音と、多分ミュージック・シーケンサによってプログラムされた電子音が、うまくバランスをとって、違和感をもたらさずに融合されている。今までのボサノバにはない新鮮な感覚があじわえる今世代のボサノバ。

タント・テンポ
ベベウ・ジルベルト / キングレコード
ISBN : B00004U2TA



さて、最後にクラシック・ボッサの名曲を映像でお楽しみいただきましょう。

ボサノバ第一号といわれる、「Chega de Saudade(シェガ・ジ・サウダージ、邦題:想いあふれて)」をジョビンとジョアン・ジルベルトの唄と演奏で。




ジョピンのピアノによる名曲「波(Wave)」。




ジョアン・ジルベルトの声とギターによる「Estate(夏)」。




バーデン・パウエルの超絶ギター「tristeza(悲しみ)」。



このように、初期のボサノバはブラジル色の強いサンバの一種ということがよく分かると思います。
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by knakano0311 | 2010-02-25 09:24 | サウダージ | Trackback | Comments(0)

炭焼き小屋から(3)  ~ 櫻よ育て! ~

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今日の作業の一つ目は、「エドヒガン」の植樹。クラブが活動の拠点としている一庫(ひとくら)ダムの周辺で拾った種子から育てた「エドヒガン」の苗を公園内に植樹をした。

「エドヒガン」は、東京に多く植えられ、早いものは、彼岸の頃に咲くのでこの名前があるという。そして、「ヤマザクラ」とともに長寿であり、巨木に成長して天然記念物に指定されたものもある。花は、「ソメイヨシノ」よりやや早く咲く。花柄には毛が多く、顎筒の下部が膨らむのが特徴のひとつである。花弁は長さ10-12mm。花の色は薄い紅色から白色に近いものまで色々ある。現代の観賞用サクラの代表種である「ソメイヨシノ」は、この「エドヒガン」と桜餅の葉として用いられる「オオシマザクラ」が交配したもので、江戸末期から明治初期に、江戸の染井村(現在の東京都豊島区)の造園師や植木職人達によって育成され、売り出していたことにその名の由来がある。

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私が住んでいる地域ではこの「エドヒガン」の自生が多く見られ、この公園内にも、また近隣の里山や住んでいる団地のはずれの渓谷にも、「エドヒガン」の巨木が多く点在して、4月になると我々の眼を和ませてくれる。(参照「ご近所の櫻 (1)~とぼけ桜~」、「ご近所の櫻 (2)~美しき里山のエドヒガン~」)

山の斜面に穴を掘り、この公園の落ち葉で作った腐葉土と、同じくこの公園で採集した椿の実の油の搾り粕を肥料として植樹するのですが、種から育てた苗といい、肥料といい、この活動は自然のサイクルを人の手で少し加速してあげる活動なのである。暖かいお天気に恵まれた日曜日、多くの家族連れが公園を楽しみに来ていた。あと一ヶ月余もすれば桜の季節。今日植えた「エドヒガン」も根付いて、何年後かには美しい花を咲かすことを願いながら水遣りをした。

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もう一つの作業は、昨年の秋、伐採したクヌギの木おろし。山の斜面を利用し、丸太をトラックで運搬可能な小道まで降ろす作業である。我々の場合、この丸太は、運搬後、保管され、次のシーズンの炭焼きの薪などに利用される。クヌギは成長が早く、植林から10年ほどで木材として利用できるようになることから、持続的な利用が可能な里山の樹木のひとつで、昔から農村に住む人々に利用されてきた。材質は硬く、建築材などに使われるほか、薪や椎茸栽培の榾木(ほだぎ)として用いられると共に、落葉は腐葉土として作物の肥料に利用されている。しかし、利用を続けていくためには、下草刈りや枝打ち、定期的な伐採など人の手が入ることが必要で、それによって里山は維持されてきた。自然保護の立場から、人為的撹乱がある里山について、議論があるのは、承知しているが、私のような素人でも、手入れがなされている里山と、そうでない里山とでは表情がまったく違うからすぐ分かる。

少し体験しただけであるが、山の手入れは大変な作業で、かつ人手に頼らなくてはならない。木材需要のニーズ変化や国の林業政策の遅れもあって、山が荒れるにまかせ、林業が危機に瀕しているともいう。治水・保水、木材源、自然環境など、言うまでもなく都会に住む人間にとっても、密接かつ重大な意味をもっている山、森、林、里山。別の新しい視点も取り入れて、何とか日本の、山資源、林業を地域興しの中核的ビジネスとして活性化できないものだろうかと思うのだが・・・。

さて、標準語の普及によって、昔ほどではなくなったが、地域の特長といえば方言。入社当時、関西弁に戸惑った私ももうすっかり馴れてしまった。そんな方言、津軽弁でJAZZを歌う新しい企画のJAZZアルバムがリリースされている。「伊藤君子」。香川県小豆島出身ながら、「伊奈かっぺい」氏との対談の中から生まれたという津軽弁によるJAZZアルバム「ジャズだが?ジャズだじゃ!」である。「My Favorite Things」、「Summertime」、「Fly Me To The Moon」、「Who Can I Turn To ?」など。津軽弁の響きがこれほど美しく、ジャズにマッチすることを認識させられた野心的な試みのアルバム。

「♪ バラに たもずがる 雨コの雫 ちゃぺ(子猫)のひげコど キガキガの星コ ・・・ (My Favorite Things) ♪」
「♪ 連でけって お月様さど 星コの中さ ほかの星コの春ぁ どしたらもだべ ・・・・(Fly Me To The Moon)」。 と、まあこんな具合ぇだがや。

ジャズだが?ジャズだじゃ!~津軽弁ジャズ~

伊藤君子 / ビデオアーツ・ミュージック



「伊藤君子 - My Favorite Things」

          
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by knakano0311 | 2010-02-23 08:34 | 炭焼き小屋から | Trackback | Comments(0)

万華鏡のなかの宇宙 ~星新一ショートショート劇場~

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最近、気がつくと、時々見るTV番組があります。これがめっぽう面白いのですこしはまり気味なのですが・・・。NHK-TVが放送している「星新一ショートショート劇場」。実写、アニメ、CGなど多彩な演出手法を用いて星新一のショートショートの世界を映像化し、近未来の不安や恐怖、さらには、暖かさ、安堵さえ時に感じる、不思議な“大人の童話”となっている。コメディー部門で部門最優秀賞に当たる「国際エミー賞」を受賞をしたというから、そのクオリティも想像できよう。

「ショートショートの神様」として知られる作家・星新一(1926~1997)。生涯に残した作品は1000話を超えるという。奇抜な発想、ウィットとユーモア、そして、少し毒のある作風は、没後10年以上たった今も絶大な人気があるという。時代を超えて、今も新鮮な輝きを放つ膨大な星のショートショートを、NHK-TVが「星新一ショートショート劇場」として2007年11月から放映しているのだ。星新一ショートショート劇場」は、いまはオリンピック番組で不定期のようであるが、土曜日の深夜0:35~0:50 総合テレビで放映している 。

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「星新一」のショートショートに夢中になったのは、中学校3年か高校1年生のころ。友人のお兄さんが「これ面白いから読んでごらん」と貸してくれたのだ。その軽妙というか、奇妙というか、不思議な世界のとりこになってしまったのだ。「ボッコちゃん」、「ようこそ地球さん」、「悪魔のいる天国」、「おせっかいな神々」、「ノックの音が」 ・・・。表紙を飾る真鍋博のイラストもいい。そのころ、ずいぶんと短編集やエッセイを読んだ記憶がある。まるで万華鏡のなかのような宇宙は、いまだに私を惹きつけてやまない。

そして「星新一」に続いて「フレドリック・ブラウン」にも夢中になった。星新一といい、ブラウンといい現代にはちょっとお目にかかれない奇妙な味を持つ作家。いや毒、痺れ薬かもしれませんがね・・・。

SFあり、ブラック・ユーモアあり、予想も出来ないようなオチありと、人を喰ったようなストーリーをテンポ良く読ませてくれる当代随一の短編の名手、ブラウンの短篇集を2冊紹介しましょう。奇抜な着想、読者の予想を裏切るひねりのテクニックと鋭いオチの切れ味。愉快、痛快、奇々怪々の話を収録。そして、訳者は「星新一」とくれば、もう言うことはないのだ。

さあ、気ちがいになりなさい (異色作家短編集)

フレドリック・ブラウン / 早川書房



まっ白な嘘 (創元推理文庫)

フレドリック・ブラウン / 東京創元社



なお、Googleビデオでは「星新一のショートショート劇場」の作品のいくつかを見ることが出来ます。その中の一編、 地球から来た男をYOUTUBEで・・・。さあ、あなたもとりこになってしまうかもしれませんよ。

「星新一」や「フレドリック・ブラウン」のような小粋で軽快なショートショートをピアノ・トリオになぞらえたらどんなアルバムになるのであろうか。これらは軽快にスイングしたり、時には抒情に満ちた表情を見せるピアノ・トリオ小品集。

殆どなじみのない名前であるが、「ロベルト・プレガディオ」は、モリコーネなどと並んで、イタリア映画音楽界ではその名を知られた巨匠らしい。彼が1974年にマイナーな「ライブラリー音源」に残したピアノトリオ作品を苦労して何とか今回CD化したアルバム。いずれの曲も2~3分の小品ながら、 「ライブラリー音源」という言葉で想像されるようなクオリティの演奏でないことは、オープニング曲「Wild Girl」を聴けばすぐ明らかになる。美メロ、泣きメロ満載のヨーロッパ・ピアノ・ジャズファン必聴のアルバム。

アッレ・タスティエレ

ロベルト・プレガディオ / フ゜ロタ゛クション・テ゛シネ



そして「レイ・ケネディ・トリオ」。めずらしいドラムレス・ピアノ・トリオ。「トルコ行進曲」、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」といったモーツァルトの楽曲が見事にスイングしています。

モーツァルト・イン・ジャズ

レイ・ケネディ・トリオ / カメラータ東京



モーツアルトがアップされていないので、ショパンを ・・・。

「Chopin Prelude Op.28 No.4 - Ray Kennedy Trio」

          
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by knakano0311 | 2010-02-20 23:02 | 音楽的生活 | Trackback | Comments(0)

観るJAZZ(5) ~ 五線譜のラブレター ~

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「コール・ポーター/Cole Porter」(1891年6月9日-1964年10月15日)というアメリカの音楽家がいます。多分JAZZの好きな人なら知らない人はいないといえるくらい有名な作詞・作曲家です。ミュージカルや映画音楽の分野で、多くのヒット曲を残し、その多くがスタンダード・ナンバーとして、いまだに多くのミュージシャンに歌い継がれている。ちょっと思い出すだけで、「Anything Goes」、「Love For Sale」、「Night And Day」、 「Begin The Beguine」、「I Love Paris」 、「You'd Be So Nice To Come Home To」、「So In Love」、「It's Alright With Me」・・・・・などがすぐ浮かんできます。

インディアナ州生まれ。6歳でヴァイオリンを、8歳でピアノを習う。イェール大学卒業後、ハーバード大学に入学するが、最終的に音楽家としての道を選ぶ。1915年、ブロードウェイ・ミュージカルに楽曲提供し、本格的に作曲家として活動を開始する。しかし、なかなか成功せず、1930年、ミュージカル「ザ・ニューヨーカーズ」に後年スタンダードとなる「ラヴ・フォー・セール」等の楽曲を提供、やっと成功を収めた。そして、1932年にはミュージカル「陽気な離婚(Gay Devorce)」が大ヒット。ここで「フレッド・アステア」が歌った「ナイト・アンド・デイ」は、コールの代表曲の一つとされる。1936年には映画「踊るアメリカ艦隊」に「イージー・トゥ・ラヴ」等を提供し、映画音楽の分野にも進出。1948年、ミュージカル「キス・ミー・ケイト」が大ヒットし、トニー賞を受賞。1958年には怪我が原因で右足に潰瘍ができ、手術を繰り返した末に切断して義足を付ける。その後も多くの曲を作るが、1964年、腎不全のためカリフォルニア州サンタモニカで亡くなる。(「Wikipedia」参考)

そんな「コール・ポーター」の波乱の半生を描いた映画があります。アーウィン・ウィンクラー監督、ケビン・クライン主演「五線譜のラブレター/DE-LOVELY」(2004年公開)。

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1920年代のパリ。この地で遊学の日々を送っていた「コール・ポーター」は、社交界の集まりで、「パリで最も美しい離婚女性」と讃えられた「リンダ・リー」と運命の出会いを果たす。ここから物語は始まります。デートを重ねるふたり。交際を始めてまもなく、ポーターは、自分のバイセクシュアルをリンダに告白するが、彼の音楽の才能と優しさに惹かれていたリンダは、そのことを少しも気にとめず「独立したカップルとして、ふたりで夢をかなえましょう」と受け入れ、ポーターは、彼女との結婚を決意する。

ホテル・リッツで豪華な結婚式をあげたあと、ポーターとリンダはヴェネチアに移り、新婚生活をスタートさせる。しかし、作曲活動のスランプを、バレエ・ダンサーとの情事で埋め合わせるポーター。そんなとき、リンダは人気作曲家の「アーヴィング・バーリン」をアメリカから招く。ポーターの才能に驚いたバーリンは、早速ブロードウェイ・ミュージカルの仕事をポーターに紹介する。「自信がない」とためらうポーターを、「絶好のチャンスよ。人生が変わるわ」と励ますリンダ。その予言どおり、ミュージカルを大成功させたポーターは、一躍売れっ子音楽家の仲間入りを果たしたのだが。
コール・ポーターの同性愛、大成功に伴う享楽的な生活の連続の中、リンダはいったんはコールと別れ、一人パリへ戻っていった。しかし1937年、コールが思いもかけない落馬事故によって、両足切断か、という大怪我に見舞われたことによって、再びリンダはコールにとってかけがえのない女性となった。そんなリンダは、コールに先立つ1954年、肺気腫によって死亡。

映画の中では19曲のポーターの名曲を聞かせるが、アカデミー賞俳優「ケビン・クライン/Kevin Kline」がコール・ポーター役を好演、プロ並みのピアノの腕前と歌を披露する。彼の妻リンダ役に「アシュレイ・ジャド/Ashley Judd」。彼女も自らピアノを弾き、見事な「True Love」を聴かせる。そして、原題は「De-Lovely」。これはポーターの曲「It's De-Lovely」にちなんだもの。そして邦題の「五線譜のラブレター」とは、何とも素敵で魅惑的なネーミングであろうか。

老いた「コール・ポーター」が過去を振り返るところから始まり、劇中劇やミュージカルがあったり、実際の映画の一シーンがでてきたり、このミュージカル風映画にはちょっと戸惑うかもしれないが、ポーターの名曲やそのエピソード満載でJAZZファンにはたまらない映画である。そして、さらに映画に登場して劇中で歌うアーティストたちが豪華で見ものである。「エルビス・コステロ」、「ダイアナ・クラール」、「シェリル・クロウ」、「ララ・フェビアン」、「ナタリー・コール」、「アラニス・モリセット」など・・・。JAZZファンには見逃せない「観るJAZZ」である。

五線譜のラブレター [DVD]

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン



「コール・ポーター」へのトリビュート・アルバムは多くのアーティストによって作られている。たとえば、「エラ・フィッツジェラルド/シングス・ザ・コール・ポーター・ソングブック」(1956年)、「オスカー・ピーターソン/プレイズ・コール・ポーター」(1959年)などがその有名なものであるが、ここではまず、スタンダード・ソングのコンピレーション盤「The Very Best of Cole Porter」をあげておきましょう。
「Ella Fitzgerald」、「Peggy Lee 」、「Tony Bennett」 、「Sarah Vaughan」、「Dean Martin」、「Helen Merrill」、「Eartha Kitt」、「Billie Holiday」、「Mel Torme」、「Anita O'Day」、「Dinah Washington」、「Carmen McRae」、「Fred Astaire 」・・・、これだけの豪華メンバーが集まって「コール・ポーター」を歌うというのも、ちょっとした聴きもの。

The Very Best of Cole Porter

Cole Porter / Hip-O/UTV



そして、若手、今最も旬で私が好きなピアノ・トリオである「ビル・チャーラップ」率いる「ニューヨーク・トリオ」のトリビュート盤は「ビギン・ザ・ビギン~コール・ポーターに捧ぐ」。チャーラップのピアノはスタンダード・ソング、いわゆる「歌」ものの解釈が抜群である。この歌心は当然ながらチャーラップ一人によるものではなく、他の二人、特にベースの「ジェイ・レオンハート」の技によるところが大きい。このアルバムは、NYトリオの極めつけの「歌もの」である。

ビギン・ザ・ビギン~コール・ポーターに捧ぐ

ニューヨーク・トリオ / ヴィーナス・レコード



ジャズ・ボーカリストにとって、スタンダード中のスタンダードである「コール・ポーター」のソング・ブックに挑戦するということは、想像以上に大変なことではないだろうか。女性ボーカルのこれまた旬の「シェリル・ベンティーン」。いわずと知れた「マンハッタン・トランスファー」のソプラノ・ボーカルである彼女は、これまでにもいくつかのソロ・アルバムをリリースしているが、気力・歌唱力ともに最も充実している彼女が「コール・ポーター」に挑んだ・・・。

コール・ポーター ソング・ブック

シェリル・ベンティーン / キングレコード



ポーターの曲の中で、とりわけ甘美なメロディを持つ曲が「So In Love」。テレビ番組「日曜洋画劇場」のエンディング・テーマといえば、ご存知の方も多いのではないだろうか。私が好きなポーター・ベスト3に入る曲でもある。1928年ニューヨーク生まれの白人で、今年で御年82歳になる「ジーン・ディノヴィ」が甘美に華麗に奏でる「So In Love」。枯れるどころか、その甘美な艶と甘さにますます磨きがかかる。華麗にして踊るようなタッチ、流れるような指使いから紡ぎ出される旋律。このピアノタッチの心地よさは何だろうか。まさに「酔いしれる」とはこのこと。

ソー・イン・ラヴ

ジーン・ディノヴィ / エムアンドアイカンパニー



「So In Love」の女性ボーカルを一枚あげておきましょう。フィンランドから白夜の夏を吹き抜けてきた凛とした風。北欧女性ヴォーカル、「ソフィア・フィンニラ/Sofia Finnila」の「EVERYTHING I LOVE」。シベリウス音楽院で声楽を学び、1999年にフィンランドで開催された国際ジャズ・シンガー・コンテストで優勝し、フィンランドで着々と実力を重ねたキャリアの実力派。CDショップで1曲目「Cheek To Cheek」、2曲目「So In Love」を試聴して惹き込まれてしまった。ストリングスのバックでボサノバが甘美に流れる。

EVERYTHING I LOVE

ソフィア・フィンニラ / ZOUNDS



最後に映画のシーンから「ケビン・クライン」と「アシュレイ・ジャド」のうたう「So In Love」をどうぞ。


          
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by knakano0311 | 2010-02-19 10:35 | 観るJAZZ | Trackback | Comments(0)

雨・・・、午後の紅茶は

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朝から冷たい雨が降っている休日の午後。気分転換にと、スパー・マーケットへ買い物に行く前にちょっと寄り道。失礼ながら「えっ、こんなところに・・・」と思うような山間部にある住宅地のなかに建つギャラリーへお茶をしに・・・。

ギャラリー・ジクウ22」。12角形のユニークな外観を持つ建物。1Fは作家ものの食器や絵画が展示されたスペースとカフェ・コーナー。2Fはギャラリー・スペース。12角形の建物なので360度どこからでも光が差し込む。その日も雨でしたが、室内はステンド・グラスを透して差し込む柔らかな光で、とても外は雨とは思われないような明るい空間につつまれていた。白いピアノがおいてあり、時々ライブなどもあるそうで、シャガールやピカソ、藤田 嗣治などの絵がさりげなく飾ってある。雨の日のかすかにJAZZが流れるほっこりとした異空間、妻は紅茶、私はコーヒーを飲みながら、ゆったりとした気分で雨の日の午後を過ごしました。

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夫婦でJAZZるご夫婦アーティスト、「マリエル・コーマン&ヨス・ヴァン・ビースト・トリオ」。彼らが5年ぶりに新作「SPEAKING OF LOVE」から、スタンダードの「Tea For Two」を。たしか夫婦でのアルバムは3枚目である。サッチモの名曲「What a wonderful world」、マリエルお得意のジョビンのボサノバ「Dindi」。このアルバムも二人の温かい人柄がにじみ出る佳作である。ジャケットも可愛い。

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SPEAKING OF LOVE
マリエル・コーマン&ヨス・ヴァン・ビースト・トリオ
澤野工房



ご存知「ペギー・リー/Peggy Lee」の極め付きといえば、「Black Coffee」。’50年代中期の録音で、波乱万丈の人生を送った、ジャズ歌手としての彼女の魅力がつめこまれた作品で、ペギーの最高傑作にあげられている。

ブラック・コーヒー

ペギー・リー / ユニバーサル ミュージック クラシック



わがミューズの一人「ジャネット・サイデル/Janet Seidel」が、「ペギー・リー」をトリビュートしたアルバム「ベッドで煙草はよくないわ」に収録されている「ブラック・コーヒー」もなかなかいい雰囲気。たしか日本デビュー・アルバム。「ジャニー・ギター」、「ゴールデン・イアリングス」もシニアの私たちを泣かせる。

ベッドで煙草はよくないわ~ペギー・リー・トリビュート
ジャネット・サイデル / 徳間ジャパンコミュニケーションズ



「Janet Seidel - Don't Smoke In Bed」

          
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by knakano0311 | 2010-02-17 09:56 | 地域の中で・・・ | Trackback | Comments(0)

We Are The World 25 For Haiti

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あの「We Are The World」がリメイクされた。

チャリティー・ソング「We Are the World」は、25年前、アフリカ難民のために、ライオネル・リッチーやマイケル・ジャクソンが企画制作したものであるが、その25周年を記念して、イベントを行おうと企画していたところ「ハイチ大地震」が起こり、急遽企画を変更したという。

今回、ライオネル・リッチー、クイシー・ジョーンズの呼びかけに応えて集まったアーティストは、ジェニファー・ハドソン、ジェイミー・フォックス、アース・ウインド&ファイアー、リル・ウェイン、カニエ・ウェスト、ブラック・アイド・ピーズ、セリーヌ・ディオン、バーバラ・ストレイサンド、トニー・ベネット、サンタナ、ジャネット・ジャクソンなど、多くの著名アーティストたち総勢75名以上・・・。


 

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by knakano0311 | 2010-02-15 10:54 | 音楽のチカラ | Trackback | Comments(0)

60歳過ぎたら聴きたい歌(56) ~青春の光と影/Both Sides Now ~

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バンクーバー・オリンピックの開会式をTVで見ていたら、懐かしい曲が流れてきた。少年が空中を飛ぶパフォーマンスのシーンに流れていた曲である。それは、カナダ出身の女性シンガー・ソングライター、「ジョニ・ミッチェル/Joni Mitchell」の「青春の光と影/Both Sides Now」であった。この歌は、「ジョニ・ ミッチェル」の作品ですが、同名の映画 の主題歌で「ジュディ・コリンズ/Judy Collins」が歌い、一躍大ヒットした歌である。私は、この映画は見ていませんが、この歌が収録されているジョニのアルバム「青春の光と影/Clouds」(1969年)は、当時「トム・ウェイツ」など並んで本当によく聴いたものです。恋への憧れや社会で自立して生きていくことへの期待と恐れを抱き社会人への一歩を歩みだした当時の私。そんな私を惹きつけたこの歌の歌詞は、まさに「わが青春の光と影」を歌った歌といえるかもしれない。

青春の光と影

ジョニ・ミッチェル / ワーナーミュージック・ジャパン



ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell、1943年11月7日 - )は、画家など多彩な顔も持っているカナダのシンガー・ソングライター。そして1997年にはロックの殿堂入りを果たしている。しかも1969年から2007年にかけてグラミー賞を9回も受賞しているほどのシンガー。1969年リリースのセカンド・アルバム「青春の光と影/Clouds」のヒットにより、一躍その名が広く知られるようになった。そして、1970年のアルバム「レディズ・オブ・ザ・キャニオン/Ladies of the Canyon」に収録されている「サークル・ゲーム/The Circle Game」は、映画「いちご白書/The Strawberry Statement」の主題歌として、アメリカ原住民の血を引くカナダ人「バフィ・セント=マリー/Buffy Sainte-marie」が歌い、これも1970年に大ヒットした。

大ヒットしたジョニのオリジナルのアルバムは「邦題;青春の光と影/原題;Clouds」である。しかし彼女には、「At Last」、「Comes Love」などJAZZのスタンダードを歌ったもう一枚の「Both Sides Now」というアルバムがあるのをご存知であろうか。邦題「ある愛の考察~青春の光と影」がついたこのアルバムは、2000年にリリースされた。この「Both Sides」が、元来彼女が身を置くロックの世界とJAZZの世界を指していることは明らかである。かって、ジョニには実験的な「ミンガス/Mingus」(1979年)や「夏草の誘い/The Hissing of Summer Lawns」(1975年)などのJAZZを志向した作品があるが、このアルバムはまた違った角度からジャズに向かっているといえる作品である。ウエイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ピーター・アースキンらが、脇役に徹しながらも、さりげなく、さすがのサポート。

Both Sides Now

Joni Mitchell / WEA



そして、7年後の2007年、「ハービー・ハンコック/Herbie Hancock」は、JAZZ界からのアンサー・アルバムとして、ジョニに捧げたアルバム「リヴァー〜ジョニ・ミッチェルへのオマージュ」をリリースした。ジョニ本人もゲスト・ボーカリストとして参加している、このアルバムはこの年のグラミー賞最優秀アルバム賞を獲得した。

リヴァー~ジョニ・ミッチェルへのオマージュ

ハービー・ハンコック / UNIVERSAL CLASSICS(P)(M)



勿論、両方のアルバムに「Both Sides Now」が収録されているのは言うまでもない。少し長いけど全歌詞をのせておきましょうか。

【 Both Sides Now 】  作詞作曲;Joni Mitchell

Bows and flows of angel hair         幾重にも列をなして流れる天使の髪
And ice cream castles in the air       アイスクリームのお城が空に浮かんでる
And feather canyons everywhere      羽の峡谷があそこにもここにもある
I've looked at clouds that way        私はずっと雲をそんな風に見ていました

But now they only block the sun       でも今 雲は太陽をさえぎって
They rain and they snow on everyone   みんなの上に雨や雪を降らせる
So many things I would have done     私は一杯いろんなことをしたかったけど
But clouds got in my way             雲が私の行く手の邪魔をした

I've looked at clouds from both sides now 私が雲を見たのは二つの面からだけ
From up and down, and still somehow    上と下から、今でもそれが精一杯
It's cloud illusions I recall              でも、それは私の雲のイメージであって
I really don't know clouds at all         本当は何もわかっていません、雲のことは
   
Moons and Junes and Ferris wheels     何度も巡ってくるお月様、六月、観覧車
The dizzy dancing way that you feel     めまいがする踊りのようね
As every fairy tale comes real          一つ一つのおとぎ話が現実になるたびに
I've looked at love that way           私はずっと愛をそんな風に見ていました

But now it's just another show         でも今は別のショーの始まりです
And you leave 'em laughing when you go 笑いたい人は 笑わせておきなさい
And if you care, don't let them know     もし気になっても放っておきなさい 
Don't give yourself away              自分らしさを失ってはダメ

I've looked at love from both sides now  私が愛を見たのは二つの面からだけ
From give and take, and still somehow   ギブとテイク、今でもそれが精一杯
It's love's illusions I recall             でも、それは私の愛のイメージであって
I really don't know love               本当は何もわかっていません
Really don't know love at all            愛のことなどまったく

Tears and fears and feeling proud       涙と不安、そして誇りを感じながら
To say "I love you" right out loud        「愛してる」と大声で言う
Dreams and schemes and circus crowds   夢と計画、サーカスの群集
I've looked at life that way             私はずっと人生をそんな風に見ていました

Oh but now old friends they're acting strange でも昔からの友達はおかしな振舞いばかり
And they shake their heads               頭を振って
And they tell me(said) that I've changed     私が変わってしまったと言う
Well something's lost but something's gained  そう、失ったものもあるし得たものもある
In living every day                      毎日暮らしていればね

I've looked at life from both sides now    私が人生を見たのは二つの面からだけ
From win and lose and still somehow     勝ちと負け、今でもそれが精一杯
It's life's illusions I recall               でも、それは私の人生のイメージであって
I really don't know life at all            本当は何もわかっていません、人生のことは

It's life's illusions I recall               人生のイメージが浮かんだだけ
I really don't know life                 何もわかっていません、人生のことは 
I really don't know life at all      本当に何一つわかっていません、人生のことは何一つ 



多元的な価値観を肯定し、カナダ人「ジョニ・ミッチェル」が歌ったこの歌、「民族の融和」をテーマにしたバンクーバー・オリンピックにこそふさわしい歌であると思う。

「Joni Mitchell」がうたう「青春の光と影」のYOUTUBE


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by knakano0311 | 2010-02-14 10:03 | 60歳過ぎたら聴きたい歌 | Trackback | Comments(0)

我が青春のシネマ・グラフィティ(17) ~ イベット・ミメオ ~

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出演した映画の記憶は定かではないが、その名前は鮮明に覚えている女優たち。その「肉体派」代表が前回の「エルケ・ソマー」なら、「清純派」代表は、「イベット・ミメオ(ミミュー)/Yvette Mimieux」であろう。そのフランス人らしき名前から、最近まですっかりフランス映画女優とばかり思い込んでいた。

1942年にロス・アンジェルスのハリウッド生まれで、フランス人の父とメキシコ人の母を持つ「イベット・ミメオ(ミミュー)」はMGM映画から1959年にデビューした。全盛期の60年代は、MGM日本が「イベット・ミメオ」として売り出していたのに、ある映画雑誌社が、読み方が「イベット・ミミュー」であると難癖つけたのをきっかけに、色んな発音が出てきたという。その読み方のゴタゴタのおかげで、日本ではその人気が長続きしなかったといういきさつがあるそうだ。私はフランス語が分からないので、「ミメオ」でも「ミミュー」でもどっちでもいいのだが、可憐な印象を受ける名前である。ルックスもか弱そうで、可愛いく、日本人男性好みのその容姿は人気があった。そして、映画雑誌のスターの似顔絵というかデフォルメされたイラストによく登場していた記憶がある。

しかしながら、出演作はというと、これがまったく覚えていないのである。戦争の悲劇を描いたメロドラマで、「ヴィンセント・ミネリ」監督、「グレン・フォード」、「イングリッド・チューリン」主演の「黙示録の四騎士/FOUR HORSEMAN OF THE APOCALYPSE (1961)」に出ていたというが覚えていません。

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スタイル抜群で金髪、ヨーロッパ風の顔立ち。これで人気が出ないほうがおかしい。賢い女性だったらしく、自分の出演する作品の脚本を手掛けただけでなく、人類学の分野やビジネスでも成功したという。そして、「雨に唄えば/Singin' in the Rain(1952年)」などたくさんの映画を監督した「スタンリー・ドーネン/Stanley Donen」と、1972年に結婚して4人目の妻となり、13年間生活を共にし、献身的に尽くしたという。

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妖精のように可憐で、ファンタジックな容姿、当然、アイドル路線で行くと思ったのですが、どういうわけかお色気路線に行ってしまったそうである。この辺りは、前回の「エルケ・ソマー」とはまったく逆であるのが面白い。フィルモグラフィの出演作品リストには、「熱い肌 (1968)」、出演だけでなく脚本まで担当したというTV映画「悪党列伝!ヒット・レディ/白い肌の殺人マシン/Hit Lady(1974)、「犯されて… (1978)」、「地獄の犬(さけび) (1978)」など、ちょっとおどろおどろしいタイトルが並んでいます。あえて自分を清純女優という型にはめていくことを拒否したのでしょうか? だとすれば、私としては、自分を分析して客観視できた女優として、彼女に共感が持て、これからも記憶の中に、存在し続けるに違いないですが ・・・。

残念ながら、彼女の作品も日本では「タイムマシン」だけしかDVD化されていないので、彼女の覚悟や心意気も確かめようもないのですが ・・・・。

この記事「Audio-Visual Trivia イヴェット・ミミュー Yvette Mimieux」を参考にさせていただきました。
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by knakano0311 | 2010-02-13 00:22 | シネマな生活 | Trackback | Comments(0)