大屋地爵士のJAZZYな生活

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ザ・ピーナッツ/伊藤エミさん逝く ~夕闇で聴いた「恋のバカンス」~

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(写真;左が姉・エミさん)

「恋のバカンス」や「恋のフーガ」のヒット曲で知られる双子の歌手「ザ・ピーナッツ」の姉、伊藤エミ(いとう・えみ)さんが15日に亡くなった。71歳だった。

伊藤さんは昭和16年、愛知県生まれ。ジャズクラブで歌っているところをスカウトされ、上京。一卵性双生児の妹のユミさんと「ザ・ピーナッツ」を結成し、昭和34年に「可愛い花」でレコードデビューした。卓越した歌唱力とハーモニーの美しさで注目され、音楽バラエティー番組「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」に出演。「恋のバカンス」や「恋のフーガ」など数々のヒット曲を送り出し、高度成長を背景に、テレビの普及とともにお茶の間の人気者となった。シングル、アルバムと合わせて175万枚を売り上げたという。また、日本国外でも活躍し、「エド・サリヴァン・ショー」や「カテリーナ・バレンテ・ショー」、「ダニー・ケイ・ショー」にも出演したことがある。1975年2月18日に記者会見を開き、現役を引退することを表明した。その後、沢田研二さんと結婚、離婚。(朝日新聞、Wikipedia など参照)

ざっと思い出すだけでも、「可愛い花」、「情熱の花」、「コーヒー・ルンバ」、「ふりむかないで」、「恋のバカンス」、「ウナ・セラ・ディ東京」、「恋のフーガ」などのヒット曲が浮かぶが、とりわけ「恋のバカンス」(1963)は、「岩谷時子」の洋画の一場面のようなロマンティックで、エキゾティックな歌詞、そして、ずば抜けた「宮川泰」のJAZZYな作・編曲とあいまって、世界中で大ヒットした和製POPSの大傑作である。いまでもちゃんとハモれないアイドル・グループが多い中で、「ザ・ピーナッツ」は完璧にハモっていた。

1963年、「恋のバカンス」のリリース当時、私は17歳。高校3年生の私は、もうすぐ迫る大学受験の影を頭から締め出しながら、夏の終わりの文化祭、その夕やみ迫る校庭の野外レコードコンサートでこの曲を聴いていた。もちろん、女友達などいない私が、同じような男友達と群れつつ、「恋」、「バカンス」を空想しながら聴いた高校最後の夏の思い出の曲「恋のバカンス」。もう50年近く昔の話 ・・・。

合掌 ・・・・ 。


伊豆か、湘南海岸あたりでしょうか? 昭和の時代色が色濃く感じられる映像とともに ・・・。

「恋のバカンス / ザ・ピーナッツ」
  
          

この曲がもっともヒットした外国は、ソビエト連邦(現・ロシア)だと聞いたことがある。ロシア語版「恋のバカンス」を日本語の対訳付きで ・・・・。

「Каникулы любви(恋のバカンス/日本語訳付き)」

          
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by knakano0311 | 2012-06-28 13:40 | 訃報を聞いて | Trackback | Comments(0)

沢知恵、「塔和子」を歌う

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『彼女にとって、詩は命だった。生と死に向き合ったおよそ千編の詩は人生そのものだったはずだ。その彼女とは、塔和子さん。現在82歳。ハンセン氏病の療養所に暮らす高見順賞を受けた詩人だ。(沢知恵さんは)6月、塔さんの詩をピアノで弾き語りしたCD「かかわらなければ」を発表した。 ・・・・ いつか塔さんの詩が歌えたら。機が熟したのは2年前。人とのかかわりを問うた代表作「胸の泉に」を口ずさんだ。 ・・・ ブルースがぴたりとはまった。 ・・・・ 』 (6月26日朝日新聞朝刊「ひと」)

こんな記事が目についた。「塔和子」は初めて聞く名前だが、「沢知恵」は、このブログでも何回か取り上げ、「60歳過ぎたら聴きたい歌」シリーズでは、3回も登場している(「60歳過ぎたら聴きたい歌(2)~ 風に立つライオン~」、「60歳過ぎたら聴きたい歌(21)~人生の贈り物~」、「60歳過ぎたら聴きたい歌(39)~わたしが一番きれいだったとき~」)、日本のシンガー・ソングライター系女性シンガーでは、「浜田真理子」とともにもっともご贔屓のうちのひとり。

「塔和子」。1929年に愛媛県で生まれる。1941年ハンセン病を発病。1943年大島青松園に入所。1957年ころから詩作を始め、1961年に初の詩集「はだかの木」を出版。1963年同人誌編集担当となる。1964年キリスト教の洗礼を受ける。1989年ドキュメンタリー作品、「不明の花 塔和子の世界」(毎日放送)公開。1999年、詩集「記憶の川で」で第29回「高見順」賞を受賞。「塔和子全集」を含め2008年までに26の著作がある。(Wikipedia 参照)

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「沢知恵(さわ ともえ)」。1971年、日本人牧師の父と、韓国人牧師の母の間に生まれる。幼い頃より両親の宣教活動のため日本、韓国、アメリカを中心に移り住み、3ヶ国語を身につけ、クラッシック、ゴスペル、ジャズなど様々な音楽と触れる。東京藝術大学音楽学部で音楽を学び、1998年、日本国籍を持つ歌手として戦後初めて韓国政府の許可を得て日本語で歌い、同年第40回「日本レコード大賞アジア音楽賞」受賞。2001年より毎年香川県ハンセン病療養所「大島青松園」で無料コンサートを開いている。2012年現在、23枚のアルバムを発表している。(「沢知恵オフィシャルサイト」より参照)

たしか最初に聴いたのは、Amazonからのオススメでアルバム、「いいうたいろいろ2」であった。「喝采」、「風に立つライオン」、「真っ赤な太陽」など日本の歌謡曲、POPSのカバー集であるが、そのアレンジの巧みさと、単なるピアノ弾き語りとは思えないほどのエモーショナルな表現に驚いて、すっかりファンになってしまったのである。

いいうたいろいろ2

沢知恵 / コスモスレコーズ



そんな「沢知恵」が故「茨木のり子」の代表作「りゅうりぇんれんの物語」に続いて「塔和子」を歌ったというニュースが冒頭の記事。「自らが選んだ詩に曲をつけ、時に優しく、時に激しく語られる言葉が、聴く者を捉えて放さない作品。東日本大震災後、絆を求める全ての人々への感動と癒しのメッセージが詰まった一枚」というキャッチ。さっそく聴いてみなくてはなるまい。

かかわらなければ~塔和子をうたう

沢知恵 / コスモスレコーズ


【 胸の泉に 】  作詞;塔和子  作曲;沢知恵

「♪ かかわらなければ この愛しさを 知るすべはなかった かかわらなければ
   かかわらなければ この親しさは 湧かなかった かかわらなければ
   かかわらなければ この大らかな 依存の安らいは 得られなかった
    かかわらなければ この甘い思いや さびしい思いも 知らなかった

   人はかかわることから さまざまな思いを知る
   子は親とかかわり 親は子とかかわることによって
    恋も友情も かかわることから始まって
   かかわったが故に起こる 幸や不幸を
   積み重ねて大きくなり くり返すことで磨かれ
   そして人は 人の間で思いを削り 思いをふくらませ 生を綴る

   ああ 何億の人がいようとも かかわらなければ路傍の人
   私の胸の泉に 枯れ葉いちまいも 落としてはくれない  ♪」

「沢知恵 - 胸の泉に (ラジオママ〜お産いろいろ子育ていろいろ〜より)」 一部ですが聴くことができます。

          

理念なき原発再稼働、一体改革なき消費増税、政党とは何か?という大きな疑問をもった造反劇、国民から選択肢を奪う大連立構想、ただのキャッチ・コピーだったマニフェスト、国民の利益より東電の利益を優先したとしか思えない東電処理、「シナリオ通り」とほくそ笑む顔が目に浮かぶ財務省・経産省 ・・・・。どうもおかしな方向に再び迷走し出した民主党政権。こちらは、「かかわりない」ではすまされない大問題 ・・・・。

現在も「塔和子」さんが暮らし、「沢知恵」が毎年無料コンサートを開く「国立療養所大島青松園」は、年老いたジャズ・マンたちが再びバンドを結成しようと立ち上がる感動の映画「ふたたび Swing Me Again」の主人公、「貴島健三郎(財津一郎)」が入所していた所でもある。

ふたたび SWING ME AGAIN コレクターズ・エディション [DVD]

ポニーキャニオン


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さて、「沢知恵」のおすすめのアルバムは、シンガーおよびソングライターとしての彼女の魅力を満載したベスト・アルバム、「シンガー」と「ソングライター」。いつ聴いても、私に感動を呼び起こす「さだまさし」のカバー、「風に立つライオン」もここに収録されている。牧師だった両親と共に移り住んだアメリカでは、ゴスペルを歌って育ったという「クリスチャン・シンガー」のもつ本物のソウルを彼女の歌、詩、パフォーマンスに感ずる。TVには露出せず、かといってスター歌手でもなく、もちろんアイドルでもない。独自のスタンスと姿勢で、人に「音楽のチカラ」を与えつづけている彼女の音楽活動を、高く評価するとともに今後ますます期待したい。

シンガー

沢知恵 / コスモスレコーズ


ソングライター

沢知恵 / コスモスレコーズ


そして「ソングライター」から多くのアーティストのカバーされている「こころ」。彼女のルーツでもある韓国の詩人、「キム・ドンミョン」の詩に曲をつけたもの。オリジナルのアルバムは、「一期一会」。

【 こころ 】  作詞;キム・ドンミョン 訳詩;キム・ソウン 作曲;沢知恵

「♪ わたしのこころは湖水です どうぞ漕いでお出でなさい
   あなたの白いかげを抱き 玉と砕けて船べりへ散りましょう

   わたしのこころは灯火です あの扉を閉めてください
    あなたの綾衣の裾にふるへて こころ静かに燃えつきてあげましょう

   わたしのこころは旅人です あなたは笛をお吹きなさい
   月の下に耳傾けて こころ愉しく夜を明かしましょう

   わたしのこころは落ち葉です しばしお庭にとどめてください
    やがて風吹けばさすらひ人 またもやあなたを離れましょう  ♪」

「こころ - 沢知恵」

          
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by knakano0311 | 2012-06-28 00:02 | 音楽のチカラ | Trackback | Comments(0)

ロンサム・ジョージの孤独な死

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『南米エクアドルのガラパゴス諸島ピンタ島で発見され、絶滅危惧種の象徴として知られたガラパゴス・ゾウガメの「ロンサム(孤独な)ジョージ」が飼育先で死んでいるのが24日、見つかった。生物学の教科書にも取り上げられ、「世界一有名なゾウガメ」だった。 ガラパゴス諸島ではゾウガメの亜種が島ごとに進化した。ピンタ島系は絶滅したとみられたが、1970年代初めに発見された唯一の生き残りとして「ロンサム」の愛称がつき、同諸島サンタクルス島の研究所で保護されてきた。

ジョージの子孫を残すため、周辺の島にいるゾウガメの遺伝子も解析。父系でつながる親類がいることも判明。交配用につれてこられた雌には見向きもしなかった。このため、遺伝的に近いメスとの人工交配が試みられたが失敗。ジョージの死でピンタ島のガラパゴスゾウガメは絶滅した。 ジョージの推定年齢は100歳以上とみられている。』 (6/25朝日新聞夕刊、写真も)

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この記事を読んで、すぐに頭をよぎったのは、つい最近91歳で亡くなった幻想と叙情の詩人と呼ばれていたアメリカ人作家、「レイ・ブラッドベリ/Ray Bradbury」(参照拙ブログ「グッド・バイ、ブラッドベリ。 グッド・バイ、青春。」)の短編集、「ウは宇宙船のウ/R Is For Rocket」に収められている「霧笛/The Fog Horn」というわずか16ページほどの短編である。多分、ブラッドベリ・ファンなら、誰しもそうであったではないだろうか。数ある短編集のなかで、「ウは宇宙船のウ」は、ブラッドベリ自身が16編を自選した短編集で、その抒情性は群を抜いている。

ウは宇宙船のウ【新版】 (創元SF文庫)

レイ・ブラッドベリ / 東京創元社



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『 …… 「動物が鳴いているみたいだな」とマックダンは自分で自分にうなずいた。「夜泣きをする大きな一匹動物さ。百億年という時間の果てのここに腰をおろし、おれはここにいる、おれはここにいる、と海の奥底に向かって呼びかける。すると海の奥底は返答をする。そうさ、海の奥底が返答をするんだ。…… (中略) ……一年のうちでいまごろなんだが」と彼は、霧に閉ざされた外の暗闇をじっと調べるように見つめながらいった。「この灯台におとずれてくるものがいるのだ」 ・・・ 』    ──── 『霧笛』より(大西尹明 訳)

11月のある夜、百万年もの時の流れを生きながらえ、たった一人だけ取り残された太古の恐竜が灯台の霧笛、泣き叫ぶようなその音を仲間の呼び声と思い、海の底からあがってくるが、仲間ではなく、やはりたった一人だったことに気がつき、傷ついて、再び深い海の底へ去っていくという不思議な静けさと悲しい詩情に満ちた作品である。その恐竜は、怖いけれど、不思議に澄んだ悲しい眼を、きっと持っていたに違いない。「霧笛」は、太古の昔、遠い未来の果て、この世にあらぬものを詩情溢れる筆致で描く珠玉の短編。

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「百年の孤独」なんて焼酎もありましたが、このお話は「百万年の孤独」。「孤独」、「ロンリネス」、「寂しさ」、「仲間」 ・・・・・。それらをテーマとした曲や歌としては数々あるが、このア・カペラを聴いたときも、衝撃的だった。「スザンヌ・ヴェガ/Suzanne Vega」のアルバム、「孤独(ひとり)/Solitude Standing」(1987)の「トムズ・ダイナー/Tom's Diner」。

「スザンヌ・ヴェガ 」は、1959年生まれ、カリフォルニア州サンタモニカ出身の女性シンガーソングライター。生まれてまもなく母に連れられニューヨークへ移り、多くの社会的問題を抱えた地域で子供時代を送ったという。コロンビア大学バーナード・カレッジで英文学を学ぶ傍ら、グリニッチ・ヴィレッジの小さな劇場などに立ち、幼いころの体験した社会問題を批判した曲を歌う。1984年にレコード会社との契約を結び、翌年、「Suzanne Vega(邦題;街角の詩)」でデビューし、その自己内省的社会批判は、アメリカにおいて好意的な反響を得た。1987年には2ndアルバム「Solitude standing」を発表。さりげない日常の中にこそ非日常性が隠されていることを鋭く見破るそのまなざしは、何気ないNYの街角を見つめてつづけている。
 
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「トムズ・ダイナー」。NYの雨の朝。カフェで一人朝食をとる女性の目に映った情景を通じて、大都会に生きる人々の孤独を歌い上げている。ア・カペラという歌唱の持つ肉声と一瞬の「間(ま)」の作り出す効果が、ヴェガの内面からの叫びを際立たせている。そして児童虐待を受ける子供の視点から書かれた「Luka」という曲のように、クールで淡々と歌っているが、そのクールさが、かえってシリアスな詞の内容を浮かび上がらせる。

「スザンヌ・ヴェガ」はやはり詩人。なにげない日常の中から恐怖や畏れ、抒情を紡ぎだすブラッドベリに似ていると思った。

孤独(ひとり)

スザンヌ・ヴェガ / ポリドール



ア・カペラ・バージョンのYOUTUBEは少ないが、日本でのライブから、「トムズ・ダイナー」。

「Suzanne Vega - Tom's Diner」

       
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by knakano0311 | 2012-06-26 10:43 | 音楽的生活 | Trackback | Comments(0)

黄金のまどろみへ ・・・

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『豊臣秀吉埋蔵金伝説が残る多田銀銅山(兵庫県猪名川町)に住み着き、37年間、黄金を探し続けた男性が今年2月、ひっそり世を去った。家庭も定職も持たず、地底でひたすら夢を追う半生だったが、探索はついに実を結ばなかった。』(朝日新聞6月22日夕刊)

夕刊にこんな記事。男性の名前は「鈴木盛司(もりじ)」さん、享年77歳。その名前までは知らなくとも、隣町、すぐご近所の「多田銀銅山」で一人で埋蔵金探しをしている男性がいることは、地元では結構有名な話であった。

「多田銀銅山」は、隣町の猪名川町銀山地区にある。北摂地域には、私の住む町を含め、4市3町にわたる広大な鉱山地帯が形成されており、今でも全部で2800余の坑道跡が残っているそうだ。なかでも品位の高い銀鉱脈が発見されたのが、「多田銀銅山」だといわれている。現在は、町おこしの一環として、銀銅山跡は史跡として整備されている。(参照拙ブログ「ご近所の埋蔵金伝説」)b0102572_10252284.png

「多田銀銅山」の歴史は古く、東大寺の大仏鋳造にここで採掘された銅を使ったという伝承や、多田源氏の祖、「源満仲」に銀を献上したという言い伝えもある。本格的に銀山開発と経営が始まったのは、豊臣秀吉の時代、天正年間(16世紀後半)。豊臣政権時には直轄鉱山として栄えた。そんなところから、群馬県の「徳川埋蔵金」、茨城県の「結城家埋蔵金」とならんで、「豊臣秀吉埋蔵金伝説」が残っている。なんと4億5千万両(現在の約200兆円に相当)を埋蔵したと言われているのである。

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鈴木さん(写真;朝日新聞、2008年撮影)の著作などによると、仲間4人と発掘を始めたのは1975年。山あいの民家を借り、古文書を頼りに坑道に潜っては、土砂やがれきを運び出した。だが黄金は現れず、仲間は去り、数年後にはたった一人に。その後も一人で掘り続けていたが、坑道で転落事故にあってからは体調を崩し、今年の2月、病院で息をひきとったという。町の文化財審議委員務めるほど、彼の情熱と穏やかな人柄は地元でも慕われ、身寄りがなかったが、親交のあった住民ら30人が友人葬で見送ったという。じわっと暖かさが滲んでくるちょっといい話ではないか ・・・。きっと黄金の眠りにつけたのだ。

ご飯と梅干の質素な弁当を手に、毎日毎日掘り続ける理由を尋ねられ、「一攫千金なんかじゃない。本当の歴史はこうなんだ、と証明したいだけだよ。」と答えたという。その孤高の山師人生に、リーマン・ショックに代表されるような蠢くあまたの強欲資本主義者の輩などとは全く違った清々しさを感じるのだ。以って瞑すべし ・・・。

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そして、フロリダ半島・マイアミからキー・ウエストへむかうRoute-1、国道1号線沿いにいくつも点在する、沈船から引き揚げた金貨やお宝を買い取るトレジャー・ハンター目当てのお店。そこで見かけた赤銅色の肌と白髪、白髭の老いにさしかかったトレジャー・ハンターと思しき男の姿が、鈴木さんと重なって目に浮かんだ。

あの大西洋とメキシコ湾に挟まれて延々と300㎞近く続く島嶼群、フロリダ・キーズ。途中のキー・ラーゴ島近くのホテルのバルコニーで取った抜けるような青い空と海、心地よい風に囲まれた午睡。今、梅雨の日本で、あの「黄金の微睡(まどろみ)」に再び浸ってみたいと思った ・・・。

ゴールデン・スランバー(BOM23001)

スティーヴ・ドブロゴス / ボンバ・レコード


「ゴールデン・スランバー/Golden Slumbers (黄金のまどろみ)」は、「スティーブ・ドブロゴス/Steve Dobrogosz」が、ポップ・ミュージックの最高峰だと考えている「ビートルズ/The Beatles」をピアノ・アレンジした作品集。「Goodnight / グッドナイト」に始まり、「I Will / アイ・ウィル」で終わるこのアルバムは、まさにタイトルのように、ドブロゴスの世界にと心地よいまどろみを誘う。このアルバムについてのインタビューに対し、ドブロゴスはこんな風に答えている。

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『JT:ビートルズの音楽のどこに最大の魅力を感じますか。

SD:彼らの最高の出来の録音の場合、そう、67年から69年の間だけど、 単なる音楽ではなく、時代を超越した何かマジックのようなレヴェルに到達していると思うんだ。言葉ではうまく説明できないんだけど、自分で作曲しているといつもそのことを強く感じるんだ。』 (WEBサイト;JAZZ TOKYO より抜粋)

アルバム、「ゴールデン・スランバー」から、「Across the Univers」、「Don't Let Me Down」。誘われて落ちてゆくその「まどろみ」の行きつく先は、あの間歩(まぶ;坑道)の漆黒の闇を抜けて、フロリダ・キーズの海の抜けるような蒼か、北欧のフィヨルドの入り江の深い碧か ・・・。

「Across the Univers - Steve Dobrogos」

          

「Steve Dobrogosz - Don't Let Me Down」

         
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by knakano0311 | 2012-06-23 23:36 | 音楽的生活 | Trackback | Comments(0)

地域の特産は今、満開に

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この地域の特産品の一つは「栗」である。平安時代の初期には、京都の丹波地域で栽培され始めたという「丹波栗」と並ぶブランドの「能勢栗」の栽培の歴史は古く、今から約400年前の「豊臣秀吉」の時代の文禄年間(1592年~1595年)には、米の代わりに、栗が食用に供されたという記録があり、この時代にはこの地域ですでに栽培されていたという。この栗が、古から「銀寄(ぎんよせ)」と呼ばれているのは、天明・寛政(1781年~1800年)の頃、能勢・歌垣村で大干ばつがあり、村人がこの栗を丹波国亀山に出荷したところ、多くの銀札(当時のお金)を得ることができ、以来、「銀を寄せる」という意味で「銀寄」と呼ばれるようになったといわれている。

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昔から、この地域では、「米・寒天・凍み豆腐」と、「栗・黒牛・炭」を「三白三黒」と呼んで大切に生産が行われて、大分縮小したとはいえ、それらが今の時代にも受け継がれてきたため、この地域の特産品となっている。そのため、この北摂、能勢、丹波の地域では、いたるところに栗の木がある。栽培のための栗畑はもちろんのこと、山に自生している栗の木、かっての里山に放置された栗の木、自家で消費するためjか庭に植えられた栗の木 ・・・ など。私の田舎にもあったが、秋以外はあまり意識してみたことのなかった栗の木。まことに地味な花であるが、クリーム色を帯びた白い穂状の雄花。これだけ大量にあると目立って見事と言わざるを得ない。独特の香りがあたり一面に漂う。今年の豊かな実りの秋を予感させる風景。

そして今日は「父の日」。次男夫婦に食事をご馳走になった。ごくごく平凡であるが、ラブリーな一日が過ぎていく。

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穏やかで、ちょっとうれしい一日を過ごした宵には、こんなピアノを聴いてみましょうか。「スティーブ・ドブロゴス/Steve Dobrogosz」。

北欧美女シンガーシリーズでご存知のように、「シャネット・リンドストレム/Jeanette Lindstrom」、「リヴ・マリア・ローガン/Live Maria Roggen」、「ラドカ・トネフ/Radka Toneff」と辿って行ったら、出会ったピアニスト。

Fairytales

Radka Toneff / Odin



1956年アメリカ・ペンシルヴァニア州に生まれ、6歳からピアノを始めが、22歳の時、スウェーデンに移住。その後はずっとスウェーデンで活動し、前述の北欧の人気女性ボーカルとのデュオ・アルバムをリリースしている。1990年代に入り、クラシック畑にシフト。1992年に発表した「ミサ」(合唱、ピアノ、弦楽のための)が大きな支持を受け、30ヶ国以上で演奏されるという。生涯の作品数はすでに800曲を超えているらしく、日本も含め、世界中の合唱団が、こぞって彼の曲を演奏しているという作曲家。最近、「ポップ・ミュージックの最高峰だ」と彼が考えている「ビートルズ/The Beatles」、「エルトン・ジョン/Elton John」を表現の素材として、アルバム、「Golden Slumbers ~Plays Lennon/Mccartney)」(2009)、「Your Songs~Plays Elton John」(2010)をリリースしている。

ゴールデン・スランバー(BOM23001)

スティーヴ・ドブロゴス / ボンバ・レコード


 
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一方、そのジャズにおける卓越した演奏能力と作曲能力は、世界のジャズ・メディアから高い評価を得ているという。前述の女性JAZZシンガーとの他、私は、YOUTUBEでしか聴いたことがありませんが、「アンナ・クリストファーソン/Anna Christoffersson」、「ベリート・アンダーソン/Berit Andersson」との共演盤も評価が高い。もはや、クラシックとかジャズというカテゴライズは、彼にとっては不要と感じるアーティスト。そしてその音楽は、内なる「彼」に向かって深く沈んでいくような、「浮遊感」とは逆の「沈降感」といった感覚を強く感じる。「キース・ジャレット/Keith Jarrett」の影響を強く受けたとも言われるが、抑制した音の中に、自己への深い内省から生まれる独自の美学を散りばめたその音色は、やはり澄み切った北欧の空気を強く感じさせる。ソロ・バラード集「エボニー・ムーン/Enony Moon」、「漆黒の月」とでも ・・・。1998年、ストックホルムでの録音。

エボニー・ムーン

スティーブ・ドブロゴス / BLUE GLEAM



「Ebony Moon - Steve Dobrogosz」
 
          



 
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by knakano0311 | 2012-06-19 10:05 | 地域の中で・・・ | Trackback | Comments(0)

初夏の公園を歩く

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本格的な梅雨に入る前の晴れ間、いつもとコースを変えて、山遊びの公園をウォーキング。たまには、山に入って山仕事をせず、園内を散策して楽しむこともあるのです。

ビオトープの池には、前回訪れたときは、「シュレーゲル・アオガエル」の卵塊であったが、今回は、ビオトープに覆いかぶさるように立っている「ヤマボウシ」の枝に「モリアオガエル」の大きな卵塊が、まるで何か巨大なフルーツのように垂れ下がっている。半月ほど前に際立った声で鳴いていたが、求愛に成功したのだ。しかも4つもの卵塊である。しばらく経てば、この卵塊から小さな「オタマジャクシ」が、ポトリポトリと池に落ちてゆく。毎年毎年くりかえされるが、不思議で感動的な光景。

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そして、この公園に何本も生えていて、つい最近まで、主役の花の一つだったのは「エゴノキ」。その下向きに咲く花びらがすべて散ったあと、残った「萼片(がくへん)」と「花柄(かへい)」がちょっと面白い光景を作り出していた。ほら、まるで小さなテルテル坊主の集団行進のようでしょう。ちょうど、この梅雨に入る前の晴れ間を願ったような ・・・。また、可憐な花に似合わず、その果皮に魚毒性があるサポニンを多く含んでいるので、昔の悪ガキどもは、木の実をすりつぶして流し、川で魚を獲ったものである。

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「ホウノキ」、「ヒトツバタゴ」、「エゴノキ」、「ヤマボウシ」と白い花がつづく中で、散策路にこの時期一際目立つ鮮やかな黄色の花は、「ビョウヤナギ(未央柳)」。「ビョウヤナギ」は、中国原産の半落葉性の低木。古くから庭園花木として植栽されていたが、鮮やかでよく目立つためか、最近はよく似ている花、「キンシバイ(金糸梅)」とともに近辺の道路の路側帯などに植栽されているのを、よく見かける。「美容柳」などの字を当てることもあるが、語源は不明。花が美しく葉が柳に似るためかなどと資料には書かれている。

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それと、ポプリ、ハーブティー、アロマセラピー、観賞用などによく利用される、おなじみの「ラベンダー/Lavender」が、散策路の際に植えられている。かっては、べつの花を植えていたが、ことごとくシカの食害にあってしまい、やっと「ラベンダー」にたどり着いたと公園の管理者は言っていた。鎮痛や精神安定、防虫、殺菌などに効果があるとされるから、確証はもちろんなく勝手な想像だが、「ラベンダー」は、シカが苦手とする植物なのかもしれない。

 
梅雨を快適に過ごす音楽。それならば、スムース・ジャズ系か、フェイク・ボッサがいいかもしれない。まず、私のオススメは、この時期、車ではずっとかけているのだが、妙な刺激をせずに、肩の凝らないフェイク・ボッサ・ユニット「ソニア/Sonia」。まっ、心地よいだけで、「毒にも薬にもならない」と言われてしまえば「身も蓋もない」のだが ・・・。

2000年代前半に立て続けに6枚ほどのアルバムをリリースしたが、その後、新譜がまったくリリースされなくなった。資料では、オーストラリア出身の女性ポップ・ヴォーカリスト、「ポーラ・テリー/Paula Terry」を迎え、西海岸で結成されたボサノヴァ・ユニットとある。そのくらいの情報しかないのだが、「ポーラ・テリー」が日本人の夫とともにその時期、日本に住んで、東京のホテルなどで活動していたという話を聞くと、多分、当時フェイク・ボッサが大モテだった日本のマーケット向けに、レコード会社が、一時的にというか、テンポラリーに日本で編成したユニットだったのではないのだろうかと考えている。最近ソフトで心地よいボッサ・ブームの再燃、「ソニア」のアルバムが順次再リリースされるという。

6枚ほどのアルバムがあるが、まっ、ベスト盤である「Whispers the Finest Songs on Bossa Nova - The Best of Sonia」 (2004年)があれば、この夏は快適!

ウィスパーズ・ザ・ファイネスト・ソングス・オン・ボサノヴァ(ザ・ベスト・オブ・ソニア)

ソニア/コロムビアミュージックエンタテインメント


 
もすこし、JAZZYに・・・と思う方には「ソニア・シングス・スタンダーズ」か「ア・テイスト・オブ・ボサノヴァ」あたりを ・・・。結構、人気ユニットだったと思うのだが、不思議なことにYOUTUBEにはまったくアップされていませんでした。

ソニア・シングス・スタンダーズ

ソニア / コロムビアミュージックエンタテインメント


 
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ア・テイスト・オブ・ボサノヴァ
ソニア/cocoronetworks





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もうひとつのオススメのユニットは、「ケルカン/Quelqu'un」。それぞれに実績のある活動をしていたボーカルの「木村恵子」、ギターの「窪田晴男」が結成したユニット。このユニットも1990年代の初めにたった3枚のアルバムを残したまま、いつの間にか姿を消してしまったようだ。私が初めて聴いたのは、TV旅番組「世界の車窓から」のバックに流れていた「ひまわり」。そのときはもう解散?してだいぶ経っていたので、CDを入手するのに苦労したことを覚えています。フェイク・ボッサ・ユニットの日本代表といってもいいくらいのボッサ・テイスト。どうしてもっとメジャーなユニットにならなかったのか不思議である。しかし、再評価されたのか、こちらのユニットも、「チ・ケーロ!チ・ケーロ!」あたりから再リリースされたようである。

フランス語はまったく分からないが、「Quelqu'un」とは、「誰か」、「someone」というような意味のようである。粋なユニット名をつけたもんだ ・・・。

チ・ケーロ!チ・ケーロ!

ケルカン / コロムビアミュージックエンタテインメント



密月世界旅行

ケルカン / コロムビアミュージックエンタテインメント



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毎日が恋愛映画

ケルカン / 日本コロムビア



「ケルカン」の歌うせつないボッサは、映画音楽「ひまわり」と「夕なぎ」 ・・・。

「Quelqu'un - ひまわり(Sunflower)」
 
          

「QUELQU'UN ― 夕なぎ(Happiness Is Blue)」 あっ、「ロミー・シュナイダー」ですね ・・・。
 
          

「♪ サーチライトが夜を/そっと切り裂くみたい ・・・/最後だっていいのよ/もう一度KISSをして ・・・/・・・/どんな幸せも/あなたほどの永遠じゃない ♪」。

「ケルカン」のオリジナルは「After Glow」。どうしようもないほど歌謡曲で、ベタでやるせなく、そして切なく甘い。しかし、いい。いや、これぞ「ボッサ・ジャポニカ」、フェイク・ボッサの真骨頂 ・・・。

「QUELQU' UN - After Glow」
 
          

       
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by knakano0311 | 2012-06-18 15:40 | 炭焼き小屋から | Trackback | Comments(0)

追補版;北欧美女シンガー図鑑(その8) ~ノルウェイ、悲劇の癒し姫とは~

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週刊誌風、ワイドショー風のタイトルですが、そもそもの始まりは、拙ブログ「60歳過ぎたら聴きたい歌(72)~Antonio's Song~」で「マイケル・フランクス/Michael Franks」をカバーするこの歌の歌い手、ノルウェイのシンガーを見つけた時からだった。過度にねちっこくなりがちなこの歌を、抑制気味にさらっと歌う姿に乾いた北欧の空気を感じ、好ましく思ったのが、「リヴ・マリア・ローガン/Live Maria Roggen」。そのことを思い出して記事を読み返してみたところから始まった。

その時まではまったく知らなかった歌手なのだが、調べてみると、今、ノルウェーでは最もリスペクトされているジャズ・ヴォーカリストの一人で詩人、ソングライターでもあるという。作曲活動に重きを置いたり、ユニットを組んで少し前衛的なJAZZ活動もし、アルバムも出しているようだ。相当長いキャリアがありながら、彼女の最初の ソロ・アルバムは、2007年の「Curcuit Songs」という。現在は、オスロの「Norwegian Academy Of Music」、トロンハイムの「Jazz Conservatory」などで音楽を教えながら、男の子の育児もこなしているという今年42歳の熟女。

Curcuit Songs

Roggen Live Maria / Universal Import



さて、「アントニオの唄/Antonio's Song」と「リヴ・マリア・ローガン」とのつながりだが、2003年に彼女は、「the Radka Toneff Memorial Prize」を受賞している。この「ラドカ・トネフ/Radka Toneff」とは、若くして亡くなったノルウェイの伝説的歌姫で、そのレパートリーだったのが、「アントニオの唄」であった。前述のブログに掲載したYOUTUBE画像の説明には、『From the concert "Til Radka" (tribute concert to Radka Toneff), August 10, 2009, at the Opera House during Oslo Jazz Festival, Norway.』とあるので、この歌を歌うことで、トネフをトリビュートしたのであった。さて、「Live Marie Roggen」の歌う「Antonio's Song」を再掲しておきましょう。

「Live Marie Roggen - Antonio's Song」

       

このYOUTUBEから、俄然、興味を持ったのが、「ラドカ・トネフ/Radka Toneff」。調べてみると、そこには、「エヴァ・キャシディ/Eva Cassidy」や「ベヴァリー・ケニー/Beverly Kenney」を思い起こさせるような悲劇の持ち主だったことが分かったのである。

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資料によれば、悲劇のジャズ・シンガー、「ラドカ・トネフ」は1952年オスロに生まれた。父はブルガリア人の民俗音楽歌手「トニ・トネフ」、母はノルウェイ人。そのためか、彼女の音楽にはPOPSやブルガリア民族音楽の影響が少なからずあるという。1971年から75年までオスロ音楽院で学び、1975年には「ヨン・バルケ/Jon Balke(p)」、夫となる「アリルド・アンデルセン/Arild Andersen(b)」らと「ラドカ・トネフ・クインテット/The Radka Toneff Quintet」を結成。1977年にはこのクインテットでデビュー・アルバム、「Winter Poem」をリリースし、「Spellemann賞(ベスト・ヴォーカル・アルバム部門)」を受賞しているという。そして続くアルバムが、「It Don't Come Easy」(1979)。やがて、美メロ・ピアニスト兼作曲家、「スティーヴ・ドブロゴス/Steve Dobrogosz」を得て、新カルテットを結成し、更なる音楽活動が始める。(注;この「スティーヴ・ドブロゴス」とは拙ブログ「閑話休題;遊びの山は初夏モードに」で取り上げた、「シャネット・リンドストレム/Jeanette Lindstrom」とデュオ・アルバム「Feathers」をリリースしているピアニストである。)

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そして、ドブロゴスとのデュオで、彼女の遺作ともなる「フェアリー・テイルズ/Fairytales」が1982年リリースされた。このアルバムは、ノルウェイで5万枚のセールスを記録し、この年の「Norway's best selling jazz record」に選ばれたという。しかし、同じ年の10月、将来の大きな成長を期待された矢先、30歳の若さで自らの命を断ってしまった。理由はよくわかっていない。このため、遺された録音は決して多くなく、存命中のリリースは、前述のたった3枚で、「フェアリー・テイルズ」が遺作になってしまった。

ガラス細工のように、触れれば壊れそうな「スティーヴ・ドブロゴス/Steve Dobrogosz」の耽美的なピアノと、儚げで頼りなさそうに、ゆっくりと囁くように歌う「ラドカ・トネフ」の透明感ある歌声。思わず聴き入ってしまう。儚さ、凛々しさ、ひんやりとそして乾いた空気、ちょっぴり漂うアンニュイ ・・・。そんな北欧ジャズ・ボーカルにイメージされるものをすべて持っている「ラドカ・トネフ」。30年も前にこんなアルバムがリリースされていたとは全く知らなかった。恐るべし、北欧美女シンガーの奥の深さ ・・・。

Fairytales

Radka Toneff / Odin



アルバム「フェアリー・テイルズ」の中から、2曲。その透明感のある声が冴えわたる「ジミー・ウェブ/Jimmy Webb」のカバー、「The Moon’s a Harsh Mistress」を。

「Radka Toneff - Moon's a Harsh Mistress」

          

おなじみスタンダードの名曲、「My Funny Valentine」。ゆっくりと、そして囁くような歌唱が極めて印象的。そして、ドブロゴスのピアノの美しさも特筆もの。

「radka toneff - my funny valentine」

          

そして、悲劇的な死を遂げたほかのアーティストと同じように、死後相当経ったにもかかわらず、未発表の音源などによるアルバムが何枚かリリースされている。まずは、死後10年、1992年にリリースされた「ライヴ・イン・ハンブルク/Live in Hamburg」。1981年3月、ドイツ・ハンブルクのジャズ・クラブ、「オンケル・ポーズ・カーネギーホール/Onkel Pö's Carnegie Hall」で行われたライヴの模様を収録したもの。カルテットのメンバーは、トネフの他は、「スティーヴ・ドブロゴス/Steve Dobrogosz (piano)」、「アリルド・アンデルセン/Arild Andersen (bass)」、「アレックス・リル/Alex Riel (drums)」。

Live in Hamburg

Radka Toneff / Odin



そして、2003年にベスト・アルバムとして、数枚のアルバムから選曲されてリリースされたのが、「ラドカ・コレクション/Some Time Ago」。彼女の持つアンニュイな空気感、その命を断つまでに真摯に思いつめた生き方の全てが、音楽の中で醗酵してここに結実しているという。

Some Time Ago

Radka Toneff / Universal I.S.



さらに、没後26年となる2008年12月には、未発表音源集、「バタフライ/Butterfly」がリリース。バンド・メンバーで、かつ良きパートナーでもあった「アリルド・アンデルセン」の選曲だという。放送局の音源やジャズ・フェスティバルでの録音などを集めたもので、「Black Coffee」、「My One And Only Love」などスタンダード、カバー曲「Antonio's Song」、「It's Been A Long Long Day」など全12曲に加え、ラドカ24歳時のTV出演時の瑞々しい映像2曲を収録。ラドカの特徴である透き通った声で、熱唱するでもなく、まるで語りかけるように、そして囁くように歌う特長がよく出ている。現在、「Jazzy,Not Jazz」路線の最右翼として、北欧の女性ヴォーカルが注目を集めているが、それよりはるか以前に活躍した悲劇の女性ヴォーカリストの魅力が、今、再び甦る。

Butterfly

Radka Toneff / Curling Legs



冒頭、「リヴ・マリア・ローガン」がトリビュート曲として捧げた「アントニオの唄」を歌う「ラドカ・トネフ」。いくつかのバージョンがあるようですが、この「ヨン・バルケ/John Balke」のピアノもラテン・タッチでドブロゴスとはまた別の味。

「Antonio's Song - Radka Toneff & John Balke」

          

「カーリン・クローグ/Karin Krog」といい、「インガー・マリエ/Inger Marie Gundersenといい、「セリア(シリエ・ネルゴール)/Silje Nergaard」といい、そして、「ラドカ・トネフ/Radka Toneff」。ノルウェイは「癒し姫」の花園かも ・・・。
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by knakano0311 | 2012-06-17 22:17 | おやじのジャズ | Trackback | Comments(0)

爺さんたちは「トライやる・エブリディ」

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この時期、地域や近くの商店やらスーパーなどへ行くと、少し甲高い声で、「いらっしゃいませ~!ありがとうございました~!」とお客さんに元気な声であいさつするジャージー姿の中学生を見かける。兵庫県が実施している「トライやる・ウィーク」が始まっているのである。

「トライやる・ウィーク」とは、兵庫県が、県下の公立中学校の2年生を対象に、仕事体験などを通して地域について学び、「生きる力」を育むことを目的としている教育活動で、1995年(平成7年)の「阪神・淡路大震災」、1997年(平成9年)の「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)」を機に、中学生に大人の働く場を見せて学習させようとする趣旨から、1998年度(平成10年度)から実施されている。期間は1週間、仕事の体験場所は、民間の企業、商店だけでなく、幼稚園、保育所、図書館、公民館などの公共施設、役所、消防署、警察署など官公庁、福祉施設、医療機関やガソリンスタンド、郵便局などサービス業、神社、仏閣などの宗教施設など多岐にわたっている。
 
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公共施設はもちろん、地元の商店や企業が結構、好意的に協力しているようである。実は、私がボランティアで、山の手入れをしている公園にも、何年か前からやってくるようになり、今年も4名がやってきた。我々は車であるが、彼らは、朝早く起き、電車と1時間に1本あるかないかのバスを乗り継ぎ、さらに30分ほど歩いて公園までやってくる。今日の半日は我々が担当で、山の手入れの体験実習である。「なぜ山の手入れが必要か」から始まって、準備体操、鋸や剪定鋏の使い方を教え、ヘルメットを着用して、山に入る。何本かを実際に伐り、枝の始末をし、斜面に積み上げるところまでやってもらう。約2時間、鮮やかな緑の中で汗を流してもらった。もちろん、伐った木の名前も、満開の花、「ヤマボウシ」の名も覚えてもらいましたとも ・・・。「トライやる・ウィーク」、たった1週間の体験、どのくらい効果が出ているかは知らないが、14年も続いていること、また生徒たちにも評判がいいということを聴くと、教室にいるだけでは学べない何かを得ているのかな ・・・。

そして、我々じいさんにとっては、「毎日がトライやる」みたいなもの。山仕事仲間は、私も含めてみんな「現役時代にはなかなかできなかったこともしたい」と思って、山仕事のほか、思い思いに色々な趣味やボランティア活動を楽しんでいる。そのバイタリティーにも感心する。今日は櫻のほかに、尾根道に「花木」を増やそうと、先達の指導を受けながら、「ウリハダカエデ(瓜膚楓)」、「コバノミツバツツジ(小葉の三葉躑躅)」、「モチツツジ(黐躑躅)」の挿し木をし、来年は、山に返すべく鉢を持ち帰った。
 
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「Try ・・・・」と語りかける歌といえば、「オーティス・レディング/Otis Redding」の熱唱で知られる「Try A Little Tenderness」、スタンダード、「Try To Remember」、「Why Try To Change Me Now」あたりでしょうか。

「♪ あいつが落ち込んでいたなら 、ちょっぴり優しくしてやりなよ ♪」なんて粋な歌詞を持つこの歌「Try A Little Tenderness」で、一番お気に入りは、アルバム、「Ballads & Burton」における「アン・バートン/Ann Burton」の歌唱、そして、「美人薄命」という言葉が当てはまる典型的な美女歌手だった「ビヴァリー・ケニー/Beverly Kenney」の「Sings For Playboys」における歌唱でしょうか。いずれも、YOUTUBEにありませんので紹介できませんが ・・・。

バラード&バートン

アン・バートン ジャック・スコルズ ルイス・ヴァン・ダイク ジョン・エンゲルス ルディ・ブリンクソニーミュージックエンタテインメント


シングス・フォー・プレイボーイズ

ベヴァリー・ケニー / ユニバーサル ミュージック クラシック



ここずっと女性ボーカルばかりで来ましたので少し食傷気味でしょう。 しかし、オーティスはこの時期にはちょっと暑苦しいので、爽やか系の男性二人、フュージョン・サックスの雄、「デヴィッド・サンボーン/David Sanborn」の演奏と、希少種、男性ジャズ・ボーカルの「マイケル・ブーブレ/Michael Buble」はどうでしょうか。   

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Pearls
デヴィッド・サンボーン





「David Sanborn - Try A Little Tenderness」

          
 
イケメン、爽やか、歌のうまさ ・・・、これで女性に人気が出ない訳がない。 

It's Time

Michael Buble / Reprise / Wea


「Michael Buble - Try a Little Tenderness (Live 2005)」

     

最後はどうしても美女シンガーとなってしまいますが、私が日本の若手イチオシの一人と思っている「マヤ/MAYA」の初期のインディ・レーベルのタイトルにもなっているシナトラの持ち歌、「Why Try To Change Me Now」、ちょっと渋めですが、なかなかいいスタンダードだ。

Why try to change me now?(紙ジャケット仕様)

MAYA / バウンディ



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しかし今日は、「フィオナ・アップル/Fiona Apple」の「Why Try To Change Me Now」をオススメしておきましょう。1977年ニューヨーク生まれのシンガー・ソングライター&ピアニスト。1996年に全編オリジナルのデビュー・アルバム、「Tidal」がリリースされたときは、なんとまだ18歳だったが、少し低めのかすれ声と可愛らしい容姿であるが、18歳の女の子の荒削りで生々しい苦悩やその表現が人気を集め、その年のグラミー賞を受賞した。

Tidal

Fiona Apple / Sony



アルバムは確認できていませんが、2009年に、この歌の作曲者である「サイ・コールマン/Cy Coleman」をトリビュートしてリリースされたコンピ・アルバムからのようです。デビュー以来、極めてメッセージ性の強いアルバムをリリースしつづけているが、その声はといえば、大人の女性の雰囲気と少女の無邪気さとが同居している彼女の特徴がよく出ています。

「Fiona Apple - Why Try To Change Me Now」

       
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by knakano0311 | 2012-06-16 10:52 | 地域の中で・・・ | Trackback | Comments(0)

櫻の育苗報告とまたまた補足をしなければならない「スエーデン美女シンガー図鑑(13 )」

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「ソメイヨシノ(染井吉野)」の片親といわれる「エドヒガンザクラ(江戸彼岸櫻)」を、成長したらやがては遊びの山に返すため、採集した実から育てていることや、その経過については、何回かこのブログで紹介している。(参照拙ブログ;「実生苗を育ててみる」「芽生え」「お彼岸を過ぎてやっと櫻を植替える」など) 

育苗をはじめてから、ちょうど1年が経ちました。発芽には50本ほどが成功したものの、植え替え時に繊細な根を傷めて20本ほどに減り、さらに水分管理に失敗して、結局生き残った苗はたった2本だけ。しかし、この2本、サバイバルしてきただけあって、だいぶ芯がしっかりしているように見える。もやしのようだった芽も、ここ1週間で将来の幹と思わせるほど太くなり、風にもめげず、健気に立っている。人に限らず、育てるということは難しいものだ ・・・。しかし、山の管理事務所では山の土を入れた鉢に適当に種を蒔いて、腐葉土をかけておいたら、発芽し、すくすくと成長しているというからわかないものである。エドヒガンの寿命は千年というが、ひょっとしたら千年後まで育ったとして、この苗のDNAは、何を「遠い昔の記憶」として覚えているのでしょうか。まさか私を ・・・。


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さて、前回の「閑話休題;遊びの山は初夏モードに」は、実質的には、「スエーデン美女シンガー図鑑(12)」だったので、今回、ブログ・タイトルに「・・・・・ 美女シンガー図鑑(13)」を入れておきました。

さあ、大きく育って欲しいと願う、新人美女シンガーは、「リーサ・ヴェリンデル/Lisa Werlinder」。なにか「Lisa」という名前が多いような気がしますが、まったくの偶然で、私の方に特別な理由があって選択している訳ではないので誤解なきよう ・・・。
 
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「ストックホルムの妖精」と、もてはやされた「リサ・エクダール/Lisa Ekdahl」(参照拙ブログ「スエーデン美女シンガー図鑑(その5)~リサ・エクダール~」)も、もう御年41歳のはず。マーケットや業界が、「ポスト・リサ・エクダール」、その次に続く新しいスター、新しい妖精を欲している時期でもあろう。そこに登場したのが「リーサ・ヴェリンデル」である。妖精ともいっていい愛くるしい笑顔のジャケット ・・・。

・・・と思い込んで調べたら、えっ、1972年生まれ。40歳ってこと? うーーーん、どう見てもそうは見えないが、どうも早合点したようである。それでは、「リサ・エクダール」と変わりないではないか ・・・。(気を取り直して) ストックホルムの北に位置する学園都市ウプサラ出身。ストックホルムの「王立音楽院」で声楽とアルト・サックスを学び、卒業後は、「スウェーデン・シアター・アカデミー」で演劇を学び、卒業するや否や、アカデミー賞受賞歴もあり、「第七の封印」、「野いちご」、「沈黙」といった代表作を持つスウェーデンを代表する映画監督「イングマール・ベルイマン/Ingmar Bergman」に見出され、有名な「ストックホルム王立演劇場」で彼のもとで働くことになったという。「リア王」では「コーデリア」の役を、「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」では「ハニー」、「ハムレット」では「オフェリア」を演じたというから、実力も相当なものであったに違いない。
 
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映画では巨匠「スティーブン・スピルバーグ/Steven Spielberg」監督の「ミュンヘン」、「コリン・ナトリー/Colin Nutley」監督の「ゴシップ」など、これまでに11本以上出演、テレビドラマは7作、演劇は8作と大活躍してきたスウェーデンを代表する女優に成長している。そして、今回ジャズ歌手としてのデビューCDが、「ユー・アー・ザ・ワン/UR THE 1」。全13曲中10曲が自作曲など、その多才ぶりが発揮されている。爽やかでチャーミング、「リサ・エクダール」とは全く違った魅力を発揮している。しかし、前述のように、「ポスト・リサ・エクダール」としては、お歳的にちょっと無理がある。しばらくは、新人登場を待つしかなさそうである。しかし、これからの汗ばむ季節を快適にしてくれる女性ヴォーカルであることは間違いなさそうだ。

ユー・アー・ザ・ワン

リーサ・ヴェリンデル / スパイス・オブ・ライフ


 
日本デビュー・アルバムのアルバム・タイトル曲「ユー・アー・ザ・ワン/UR THE 1」、「SEPTEMBER FACES」などが私の好みに合う曲。うまく埋め込みが出来ませんでしたので、下記をクリックしてください。スロー・バラード「UR THE 1」を歌うチャーミングなリーサを堪能できます。とても40歳とは思えませんね。

「Lisa Werlinder - UR The 1」← クリック

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そして、スウェーデンから届いた最新アルバム、「Ett minne blåt」のPV。タイトルは、「遠い昔の記憶」という意味らしいが、リーサのキャラクターを知るには、十分なプロモーション・ビデオ・クリップでしょう。

「Lisa Werlinder - Ett minne blåt」

     

 
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by knakano0311 | 2012-06-14 14:11 | おやじのジャズ | Trackback | Comments(0)

60歳過ぎたら聴きたい歌(81) ~橋/Bridges~

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関西も数日前から梅雨入り。庭に一足早く咲きだしたのが、かって「幻のアジサイ(紫陽花)」、「シーボルトの紫陽花」と呼ばれた「シチダンカ(七段花)」である。(参照拙ブログ「路傍の花、樹々の鳥(5)~シーボルトのあじさい咲く~」) シーボルト以来発見の報告がなかったが、昭和34年(1959年)、130年あまりの時を超えて、偶然に発見された。それを、時をかけて増株したという。何年か前に六甲山森林植物園で求めたものであるが、すっかり根付いたようで、西洋紫陽花とは違った可憐な趣の花をここ数年、毎年咲かせてくれる。

さて、6月10日は「時の記念日」であった。天智天皇(中大兄皇子)の天智10年(671年)4月25日(四月辛卯)に、即位後に新たな「漏刻(ろうこく)」を台に設置して、鐘鼓を鳴らして時を告げたとの日本書紀の記述が、日本における最古の時報の記録だそうだ。この日が今の暦で6月10日にあたるので、この日が「時の記念日」となったという。 

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「漏刻」とは、水時計のことで、水が一定の速度で水海とよばれる壷に貯まり、水海の水位から時刻を測る時計のことである。「日本書紀」によれば、中大兄皇子が前述の年より遡ること11年前の斉明天皇6年(660)5月に、「石上池辺に須彌山を作り、粛慎47人を饗す」と書かれ、今の明日香村、飛鳥寺の西にある水落遺跡に日本で最初の水時計を作ったと言われている。私も見たことがあるが、その漏刻の遺構と言われるものが残っている。(Wikipediaによる) そういえば、私の故郷、松本に全国でも有数の古時計コレクションを有する「松本市時計博物館」があったことも思い出した。

「時間がない」といいつつ、時の流れに逆行するような野田首相の決断も大いに気になるところであるが、私も最近、残り時間を気にする歳になったのでしょうか、「時の歩み」ということを強く意識していると感ずる。残り時間を有効にというか、有意義に使いたいという思いが強くなったということであろう。そもそも、このブログを始めた動機が、「2006年に、定年を迎えたオヤジが、40年間にわたって聞いてきたJAZZを中心に、「人生のBGM」という視点から、自分史として見つめなおすと共に、日々の音楽的生活を語る」という時間軸を意識したものでもあった。

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そんななかで、久しぶりに聴いた曲に「ああ、本当にそうだなあ ・・」と深い感慨を覚えたので、「60歳過ぎたら聴きたい歌」としてとりあげたい。「橋/Bridges」。大分前のブログ記事( 「おやじのハコものがたり(4) ~橋の歌~」 )で取り上げた時は、「ちょっとまだ早いかな」と思ったが、ちょうど今、こんな歌が心に沁みるお年頃になったのだ。歌うのは、「ブラジルの声」の異名を持ち、ブラジルを代表するシンガー・ソングライター、「ミルトン・ナシメント/Milton Nascimento」。「僕より遥かに偉大なミュージシャンだ」と「カエターノ・ヴェローゾ/Caetano Veloso」をして言わしめた男。、デビュー・アルバム、「トラヴェシア/Travessia(Bridges)」(1967年)に収められている。

トラヴェシア

ミルトン・ナシメント / オーマガトキ


しかし、世界的に有名になったのは、「クリード・テイラー/Creed Taylor」のプロデュース、「エウミール・デオダート/Eumir Deodato」編曲による1969年リリースの米国デビュー盤で、別の曲をアルバム・タイトルにした「コーリッジ/Courage」である。「トラヴェシア」とほぼ同じ曲編成であるが、このときは英語詩によって「Bridges」が歌われた。去っていった恋人を想う原曲の歌詞とは大きく違うが、この英語詩の「Bridges」が、私は好きである。

橋を自分の人生になぞらえた傑作。今、私も自分の渡ってきた橋を振り返って見、そして、これからわたっていく橋を思い描く。

コーリッジ

ミルトン・ナシメント / ユニバーサル ミュージック クラシック



「♪ I have crossed a thousands bridges  私はいくつもの橋を渡ってきた 
   in my search for something real    真実を求めて 
   There are great suspension bridges  くもの巣のような
   made like spider webs of steel      大きな鋼の吊り橋も 
   There are tiny wooden trestles      小さな丸太の橋も
   and there are bridges made of stone  そして石造りの橋も 
   I have always been a stranger       旅する私はいつも異邦人で
   and I’ve always been alone          いつも孤独だった 

   There’s a bridge to tomorrow        明日に繋がる橋がある 
   There’s a bridge from the past       過去から繋がっている橋がある 
   There’s a bridge made of sorrow     終わってほしいと祈りながら渡る
   that I pray will not last             悲しみの橋もある

   There’s a bridge made of colors      いくつもの色を重ねた虹の橋が
   in the sky high above              高い空に架かる 
   And I think that there must be       そして、私は想う きっと
   bridges made out of love           愛で繋がれた橋もどこかにあるはずと

    I can see him(her) in the distance     遥か遠く、川の向こう岸に佇む
    on the river’s other shore           あの人が見える
    And his(her) hands reach out longing  そして両手を差し伸べている
    as my owns have done before        かって私がそうしたように
    And I call across to tell him(her)       私は向こう岸の彼に呼びかけてみる 
    where I believe that bridge must lie    信じれば、きっとそこに橋はあると
               
    And I’ll find it Yes, I’ll find it      いつかきっと見つけられる そう、いつかきっと
    If I search until I die            生きている限り探しつづけるのなら
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   ♪」

「Milton Nascimento - Bridges (Travessia) 1969 」

          

さすがに名曲。この歌は何人ものアーティストにカバーされているが、「ダイアン・リーヴス/Dianne Reeves」、「伊藤君子」、「サラ・ボーン/Sarah Vaughan」の3人のアルバムを紹介しておきましょう。   

「ダイアン・リーヴス」。ずばり、この歌をアルバム・タイトルとした「Bridges」というアルバムもあるが、ここではライブ盤でギターの「Romero Lubambo」と絶妙のデュオで歌う「Bridges」はアルバム、「イン・ザ・モーメント~ライヴ・イン・コンサート」に。

イン・ザ・モーメント~ライヴ・イン・コンサート

ダイアン・リーヴス / EMIミュージック・ジャパン



「伊藤君子」。大好きな歌の一つと語り、観客と一緒にハミングをしたコンサート。アルバム「Once You've been in Love/一度恋をしたら」は、「小曽根真」プロデュースにより、ビッグバンドをバックに歌う。スイングジャーナル誌ゴールドディスクに輝く傑作である。

Once You've been in Love

伊藤君子 / ビデオアーツ・ミュージック



大御所「サラ・ボーン」。あの声でボサノバを歌うのですね。

I Love Brazil

Sarah Vaughan / Pablo

 

一緒に歌う「ミルトン・ナシメント」よりダイナミックで太い声が印象的で感動的なデュエット。

「Sarah Vaughan & Milton Nascimento - Bridges (Travessia) 」

          
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by knakano0311 | 2012-06-12 09:57 | 60歳過ぎたら聴きたい歌 | Trackback | Comments(0)