大屋地爵士のJAZZYな生活

タグ:団塊の世代 ( 28 ) タグの人気記事

パイオニア・加藤和彦死す・・・

b0102572_0284914.jpg

加藤和彦氏が軽井沢のホテルで自殺したと報じている。1947年生まれ、62歳、まさに団塊の世代。京都出身、1965年龍谷大学中に北山修氏、橋田宣彦氏らと「ザ・フォーク・クルセダーズ」結成、その後のフォークソング・ブーム、アマチュア・バンドのプロデビューの先駆けとなった。早回しなんて誰も思いつかなかった手法で録音された、奇妙でコミカルな「帰って来たヨッパライ」は280万枚を超える大ヒット。「イムジン河」は政治的思惑で発売中止、かわりに発表された「悲しくてやりきれない」が大ヒット。「サディスティック・ミカ・バンド」による日本バンドの本格的海外コンサート・ツアーで高い評価。作詞家「安井かずみ」さんと結婚、その夫婦の新しいライフ・スタイルは世代を超えて共感を呼んだ。映画音楽、スーパー歌舞伎への新たな取り組み。再結成した「サディスティック・ミカ・バンド」で「木村カエラ」をブレイクさせた。・・・・・・・
彼の軌跡は、まさしく「先駆者、パイオニア」と呼ぶにふさわしい。

加藤氏が北山氏にいった言葉。「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」。

音楽やレコードというものは音楽会社・レコード会社がプロデュースするもの、作詞・作曲はえらい先生が作ったものをありがたく頂くもの、歌手になるためには、有名歌手や作曲家に弟子入りし、下積みから出発するもの、素人(アマチュア)のバンドの自作自演なんてヒットするはずがない ・・・・。そんな既成概念やルールや業界常識をすべて破ってくれたのが「加藤和彦」である。62歳での死はいかにも惜しい。まだまだブレイクすべき活躍の場はあったはず。一体何が彼をそうさせたのだろうか・・・。

「団塊の世代は、後輩世代に何にも残してくれなかった」なんて、「甘ったれ」をいう人がいるが、旧世代支配をなかなか乗越えられない政治や企業の世界ならいざ知らず、音楽の世界では加藤が残してきた軌跡をみれば、一目瞭然である。

合掌 ・・・・・。

澤田研二、谷村新司、小田和正、矢沢永吉、井上陽水、吉田拓郎、北野武、松田優作、つかこうへい、ヒロ・ヤマガタ、村上春樹、そして鳩山由紀夫もみんな彼と同じ「団塊の世代」。

今宵もオリオン座付近に大流星群がみられるという・・・。
[PR]
by knakano0311 | 2009-10-20 09:01 | 訃報を聞いて | Trackback | Comments(0)

徒然なるままのブログにも・・・・・

年々減ってきているとはいえ、今年も沢山の年賀状をもらいました。それを見て気がついたことですが、Eメールのアドレスを書き添えてある同世代の方が増えたように思います。そして中には、HP、ブログのURLを書き添えてある方も・・・・。Eメールで、年賀の電子グリーティング・カードをいただいた方も何人か。定年後しばらくの時をおいて、シニアの皆さんが、いよいよ再始動を開始した感じで心強く思われます。そのいくつかを覗いてみましたが、仕事、趣味、健康、写真など多岐にわたっており、なかなかの熱気と個性に溢れるブログに感心もし、勇気づけられました。つい最近も、永年の友人からも、「ブログ開設」の知らせが届きました。

b0102572_13101794.jpg
「人は何故ブログを書くのか?あるいは書かないのか?」 

日経パソコンオンラインにこんなデーターと記事が載っていました。

・・・・日本人の人口は約1億2700万人(総務省2008年8月調査)、ブログの記事は約13億5000万件(総務省2008年1月調査)。日本人一人当たり10本は書いている計算となる。ところが、月に1回以上更新されるブログは約300万なので、継続して書いているのは、約40人に一人ぐらい。スパムブログ(迷惑ブログ)を考えるともうすこし少ないのかもしれない。
そこで、1000人のネットユーザーに「ブログを書く」ことについて聞いてみた。現在、ブログを書いている人はほぼ3割。書かない人たちの2割は、開設したが1カ月以上書いていないか、やめてしまった人たちだ。
書かない理由はよく分かる。書いている人たちに大変なことを聞くと、やはり「更新」「続けること」という回答が多い。「毎日更新する」と決めている人は 1割にもならない辺りに、継続の秘訣があるのかも。書くとき意識しているのは、「分かりやすい文体」。ブログのルールや信条は「他人への批判や中傷を避ける」「内容や表現が適切になるよう気を付ける」など、読み手や内容への配慮が目立つ。この辺りも書かない人からすれば「面倒」な気持ちにつながるのかもしれない。

ブログを書くときに意識していること、気にしていることは?
b0102572_13111695.jpg











では、書いている人たちのモチベーションはどうやって維持されているのか。書いていて良かったことや楽しいことを聞くと、圧倒的に「コメント」が挙げられる。もちろん「自分の意見や作品を表現できた」「趣味が共通する友人ができた」という喜びもあるが、ほとんどの人は「励まされた」「コメントをもらった」ことを良かったと感じている。
ブログを書かなくてもいい。ただ、読んだら、ちょっとしたコメントを。それが日本のブログを支えていく。 (以上「日経パソコンオンライン」記事からの引用)


しからば、「何故おまえはブログを書くのか?」 惰性?或いは日課? あらためて私が書き続けているわけを考えてみました。
アンケートのように、ひとには色々な理由があるでしょう。私に限って言えば、第一の理由は「自己満足」です。ディスプレイの向こう側にいる第一番の読者は、自分。その読者である自分を意識して書いていることに気がつくことがよくあります。「情報発信」というよりは、むしろ「自己表現」の手段としてブログを観ているのでしょう。とはいえ、読者の皆さんからのコメントは、やはり期待もするし、励みにもなります。よろしくお願いしますね。

そして第二の理由は「遺言書」がわりかな。妻や子供にも、特に意識したわけではないのですが、青春時代や心の内面などいままであまり語ってこなかった部分も当然あります。最近になって感じる思いは「自分とはなんだったのか?」、その問に対し、「解」とまでは行かなくても、遺言代わりに、何を食い、何を観、何を読み、何を聴き、何を良しとしてきたか、自分の足跡の整理ぐらいは出来るのではないかと思って、はじめた部分が多分にあります。

さらに付け加えれば、「近況報告」でしょうかね。子供達が巣立って、家族が離れ離れになり、私は定年を迎え、かっての友達・同僚・お世話になった人たち、遠くの親戚などへの我が夫婦の活動報告といったところでしょうか。

JAZZの有名なスタンダードに「What Are You Doing The Rest Of Your Life?」という名曲があります。
What Are You Doing The Rest Of Your Life? この言葉を自分にいつも問いかけてみる。これが先ほどの「何故ブログを?」という質問への答えになりますかね・・・。

この歌は、ミシェル・ルグラン作曲、アランとマリリン・バーグ夫妻が作詞した曲で、1969年の映画「The Happy Ending」(私は見てませんが)に使われた。バーグ夫妻とルグランのコンビによる曲には、「The Windmills Of Your Mind (映画「華麗なる賭け」主題歌)」、「The Summer Knows」などがヒット作として有名である。「60歳過ぎたら・・・・」で最初に取り上げたことがあるが、今回歌うのはルグランとも親交がある、1955年アムステルダム生まれのヴィジュアル・フェロモン系歌手「Laura Fygi(ローラ・フィジイ)/Watch What Happens」。「Laura Fygi Meets Michel Legrand」というサブタイトルがついています。

Watch What Happens

Laura Fygi / Verve Forecast



「Laura Fygi - What Are You Doing The Rest Of Your Life」

          
[PR]
by knakano0311 | 2009-02-06 17:13 | マーケッターとしてのシニアから | Trackback | Comments(0)

プリンシプル ~動乱の時代を駆け抜けた二人~

b0102572_17473989.jpg
写真左;撮影/濱谷 浩  (神戸大丸ミュージアム HPより)

左の写真は白州次郎の有名な写真。戦後まもないあの時代に、これほどTシャツとジーンズが似合う日本人がいたとはと有名になった一枚。


今年初めての「神戸街歩き」。お目当ては「白州次郎と白州正子展 -動乱の時代を美しく生きる-」と、南京町の「春節祭」。

戦後の混乱の中、凛とした姿勢でGHQとの折衝に臨み、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と恐れられ、戦後の日本復興に尽力した白洲次郎(1902-1985)。そして、彼の妻であり、能、骨董、かくれ里をめぐる旅のエッセイと、その抜きん出た美意識で世に知られる随筆家・白洲正子(1910-1998)の生き様や生活観を紹介しています。最近この夫婦への評価や共感がたかく、この展覧会もシニアの夫婦連れや妙齢のご婦人たちが多く訪れていました。

兵庫・三田(さんだ)の名家の出身である次郎は、身長180cmを超す日本人離れした風貌で、ケンブリッジ大学留学を通して、英語力と英国風マナーに精通。毅然とした内面を反映するように、スタイルにもこだわり、日本で初めてジーンズをはいた人物としても知られ、愛用のブランドは、ダンヒル、ロレックス、ヘンリー・プール、ターンブル&アッサー、ルイ・ヴィトン、イッセイ・ミヤケ、エルメスにまで及ぶ。これら 次郎が選び抜いて使った品々や愛用の洋服などが展示され、その生き方とあわせ、彼の「ダンディズム」にすっかり感心させられました。また無類の車好きで、イギリス留学中には、ベントレーやブガッティを乗り回し、「オイリー・ボーイ」(オイルにまみれるほどの車好き)と呼ばれていた。

終戦後は、吉田茂の側近としてGHQとの折衝に奔走。日本国憲法制定の交渉や、サンフランシスコ講和条約の発効まで、敗戦国・日本の冬の時代を、アメリカを相手に毅然とした態度を貫いた。吉田茂の退陣後は実業界に転じ、東北電力会長や、創設間もない日本テレビ等の役員や顧問を務めながら、戦後の日本の奇跡的な経済復興の立役者としても活躍したのである。

同時に、しゃれで「武相荘(ぶあいそう)」と名づけた東京郊外鶴川村に構えた自宅で、自身を「カントリージェントルマン」と称し、農作業や田舎暮らしを楽しむ優雅さも持ち合わせていた。そのふたりが過ごした旧白州邸武相荘の内部も展覧会では一部再現され、2人の強烈な美意識と個性が交差する中で極められた、魅力的な生活スタイルが覗える。

次郎が一貫して持ち続けた価値観は、「プリンシプル」。今の日本人に一番欠けているものかもしれません。人間や社会のすべての行動の原点、土台となる信条、原理原則。日本語に訳せば「筋を通す」というべきものだという。かって私が勤務していた会社に、創業者の制定した「7精神」というものがあり、スコットランド人の友人に「7 Spirits」と訳して説明したら、それは「7principles」というべきだと言われたことがあるのを思いだした。

そんな「プリンシプル」に貫かれた彼の語録から・・・・・・。
「プリンシプルをもって生きていれば、人生に迷うことはない。プリンシプルに沿って突き進んでいけばいいからだ。そこには後悔もないだろう。」
「我々は戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない。」
「政治というのは、ここを右折禁止と決めることで、それを守り守らせるのが行政の仕事なんだ。ちっともわかっとらん。」
「ゴルフの上手なやつにろくな奴はいない。」(軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長時代、会員でないという理由で、時の総理田中角栄のプレイを断ったのは有名な話)

その極みは遺言。遺書には「一つ、葬式無用 一つ、戒名不要」。なんというダンディズム。

随筆家で、優れた審美眼を持つ正子は、明治維新の立役者である樺山伯爵の次女として東京に生まれ、女性で初めて女人禁制の能舞台に立ち、能を舞った人物としても知られている。
14歳でアメリカに留学。帰国後、18歳のときに、次郎(26歳)と出会い、お互いに一目惚れ、翌年結婚した。戦後は河上徹太郎、小林秀雄、青山二郎ら、昭和を代表する文化人との交流を通じて文学、古典、古美術の世界に傾倒し、彼らとの付き合いの中から吸収したものを発表し続けた。 また、稀代の目利きである正子の目は、ジャンルを問わず美しいものに注がれ、染め、織り、陶磁器、木工など様々な分野の職人とその技を愛した。銀座で経営していた染織工芸店「こうげい」では、そこで見いだされ、技を磨き、のちに人間国宝となった職人や、世界の頂点に立つようになるファッションデザイナーなど多くの匠を育て、世に送り出した。

そして、ふたりが過ごした「旧白州邸武相荘」の内部も一部再現し、食事のメニューや日常生活で使われた食器や調度品など、2人の強烈な美意識と個性が交差する中で極められた、魅力的な生活スタイルが展示されている。
確固たる価値観を持ちつづけ、厳しく、そしてしなやかに激動の時代を生きたふたりの生涯が、今でもなお、いや、今でこそ共感を得ているのだろう。(略歴はパンフレット参考)


白洲次郎 占領を背負った男 上 (講談社文庫)

北 康利 / 講談社



高度成長時代の観光ブームに背を向けるように、近江路を歩き回って、忘れ去られていた文化遺産をまとめて、エッセイ「かくれ里」として「芸術新潮」に連載をスタートしたのは1969年であった。
よし、春がきたら、正子の愛した近江のかくれ里へ車を走らせてみよう。

かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

白洲 正子 / 講談社



b0102572_17443799.jpg
旧暦で節句を祝う中国では、旧暦のお正月を「春節」として盛大に祝う。この時期の中国は大量の爆竹が鳴り響き、怪我人が出るほどの大変な騒ぎ。北京では環状5号線の内側で「爆竹禁止」の条例が出るほどです。そして、祝い事には欠かせない龍や獅子が舞い踊り、大いに賑う。

今年の春節は「1月26日」。神戸・南京町でも旧暦の正月に合わせ、1987年(昭和62年)から「春節」を「春節祭」として開催が始ったそうだ。その後、昭和天皇崩御の年と阪神淡路大震災の年の2回は中止となったが、2009年は23年目21回目の開催となります。南京町全体が春節を祝う飾りつけ一色になり、獅子舞、龍踊り、京劇など色々な中国芸能やパレードが繰りひろげられます。写真は中国風獅子舞(南京町HPより)。元来、獅子は想像上の動物であり、一説には神々の宮殿にいる天龍が怒って町や村を破壊しないように宮殿の前で守る役目を持つそうだが、日本の獅子とはまるで違ったカラフルでユーモラスな形をしています。

英国風のダンディズムと侍の気骨を持った日本人の生き様に触れ、中国の祭りを楽しんだ一日。これだから神戸は楽しい。

そして帰宅後、夜観たTVはNHK「美の壺」であった。テーマは「かな文字」。

NHK「美の壺」ブルーノート・コレクション

オムニバス / EMIミュージック・ジャパン



「美の壺」のオープニングは「モーニン/ Moanin' 」。

「Art Blakey & the Jazz Messengers - Moanin' 」

          
[PR]
by knakano0311 | 2009-02-01 17:04 | おやじの遠足・街歩き | Trackback(8) | Comments(0)

ジュリーの窮状、日本の窮状

b0102572_17384489.jpg

「ジュリー」、本名は「沢田研二」。いわずと知れた1960年代後半のGS全盛時代の「ザ・タイガース」のボーカル。その後ソロとしても活躍、1980年代にかけて、ステージセット、衣装、化粧を含むすべてを歌の要素とした、斬新なビジュアルと独特のストーリー性の高い楽曲群で20年間に渡り、第一線で活躍し、日本の音楽界に影響を与えたビジュアル系の元祖。その、沢田研二は1948年生まれ、今年還暦を迎えた団塊世代。歌手としての、彼のステージは見ることはなかったが、役者としての舞台、藤山直美との喜劇仕立ての芝居は何回か観たことがある。

2002年自主レコードレーベルとなる「JULIE LABEL」を設立し、以降毎年ライブツアーを重ね、新作アルバムを出しているという。そんな彼の活動を知ることはなかったが、最近の朝日新聞の記事に目がとまった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが/忌まわしい時代に 遡るのは賢明じゃない/英霊の涙に変えて 授かった宝だ/この窮状 救うために 声なき声よ集え

変わらぬ艶のある声 バラード風の歌は自身の作詞だ。 (中略) 題は「我が窮状」。耳で聞けば、「このキュウジョウ救うために」となる。まぎれもない憲法9条賛歌だ。なぜ今?
「60歳になったら、言いたいことをコソッと言うのもいいかな、と。いま憲法は、改憲の動きの前でまさに『窮状』にあるでしょう。言葉に出さないが9条を守りたいと願っている人たちに、私も同じ願いですよというサインを送りたい」  (後略)     9月13日朝日新聞より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今年リリースしたアルバム、「ROCK’N ROLL MARCH」の9番目の曲がこの「我が窮状」だそうだ。6月に60歳を迎えたまさに団塊の世代の彼が、こんな歌を歌う? 早速聴いてみた。朗々たるバラードである。

GS全盛当時は、吹き荒れる学園闘争とは無縁で「君だけに~」などと歌っていたし、むしろフォークソングやロックが学生運動と強く結びついていった背景があるので、ポリティカルなものとは無縁であろうと思い込んでいたが、そうではなかった。やはり、声高ではないが、年輪を積み重ね、人生を、時代を、愛を、平和を歌い願う、団塊世代の等身大の歌手が、そこに見事に存在していた。「ジュリー」と呼ばれた男の60歳の到達点。


ROCK’N ROLL MARCH
沢田研二 / / インディーズ・メーカー
ISBN : B0017LF7AO
スコア選択:


「沢田研二 - 我が窮状」

         


NYのグランド・ゼロは7周年を迎え、アメリカが始めた戦争は泥沼化、難癖をつけ決して核を手放そうとしない国の独裁者の健康の懸念があるとTVは報じ、わが国は、国のあり様を定めることも出来ずに、2代続けて政権を投げ出した政党の総裁選び、総理大臣選びの祭りをメディアはこぞって報じる。汚染米、年金、医療、老後など国民の命に直結する問題を解決できないまま、官僚も大臣も自分たちには責任はないと嘯く。外国の脅威、安全保障や憲法論議などをする以前に、グローバルエコノミーの変化に立ちすくみ、無策の政治が、金儲けのためなら国民の命も引き換えにする拝金経営者たちが、内側から国を滅ぼしていくかもしれない。我々は自分たちを誰からどう守っていったらいいのだろうか?・・・ まさに、「国民の窮状」。

そして、仙台で定禅寺ストリートジャズフェスティバルが始まったとTVは伝え、泉州岸和田でだんじり祭りが始まったと新聞は報じる。平和な平和な日本で祭りの秋が、フェスティバルの季節が始まった・・・・・。
[PR]
by knakano0311 | 2008-09-16 22:55 | おやじのジャズ | Trackback | Comments(0)

映画の想像力  ~最近のジジイ映画から~


b0102572_22541141.jpg

最近観た映画の感想として、「現実の事象は、映画の想像力をはるかに超えているのではないか」あるいは「これだけCGが発達して、何でも可能になったかのように見える映画の方が、実は現実に追いついていっていないのではないか」と感じたという話。

ロブ・ライナー監督「最高の人生の見つけ方」。 原題は、「THE BUCKET LIST/棺桶リスト」。 ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンという2大名優演ずる、死を意識した初老男性2人の希望に満ちた余生を描く人間讃歌。病室で知り合った2人が意気投合し、“やりたいことリスト”に基づき、残りの人生を生き生きと駆け抜ける、感動ストーリー。こんなコピーに惹かれてかなり期待してみた「ジジイ映画」であった。ストーリーは、 仕事に人生をささげた大富豪エドワード(ジャック・ニコルソン)と、家族のために自動車整備士として地道に働いてきたカーター(モーガン・フリーマン)は、入院先の病室で知りあった。共に余命は6か月。やりたいことをすべてやり尽くそうと決意し、「死ぬまでにやりたいことリスト(棺桶リスト)」を書き出して、病院を抜け出し、さまざまなことに挑戦する。まさに感動のジジイ映画になるはずであった。
が、結論からいうと脚本がまったく凡庸。リストの中身からして、スカイ・ダイビング、サファリ・ハンティング、カーレース、ヒマラヤ登山・・・・・。いずれも金さえあれば普通の人でも実現可能なものばかり。「世界最高の美女とキスをする」にいたっては、映画の序盤の段階でネタばれして容易に想像がつく。とはいえ、2人の名優のみせるいぶし銀の演技がこの凡庸なる脚本をどうにか救ってくれている。ジャック・ニコルソンは、天邪鬼で、助平で、わがまま一杯の、素直でない、しかしどこか憎めない初老の男を演じたら相変わらずの最高のはまり役、自動車整備工カーターの誠実さはフリーマンの「地」ではないかと思える自然な演技。

しかし、「死ぬまでにしたいこと」の殆どが、現実に金で片がつくのでは、なんという想像力の貧困さ。波の力で進む世界初の波浪推進船「SUNTORYマーメイド2号」でハワイ-日本間約7000キロの単独航海に挑んで、110日目に見事ゴールした、堀江謙一さんは69歳。堀江さんの単独での長距離航海成功は、1962年の小型ヨットによる太平洋横断以来、11回目になるという。70歳、75歳と2度のエベレスト登頂に挑んで成功した三浦雄一郎氏。この堀江氏、三浦氏二人の冒険のほうが「棺桶リスト」などより、よっぽど夢があるし、我々を勇気付けてくれる。現実のほうが間違いなく映画を超えているのだ。


b0102572_22544628.jpg
次は、アカデミー賞受賞作、コーエン兄弟監督「ノーカントリー」。原題は、「NO COUNTRY FOR OLD MEN/年寄りの居場所はない」。 1980年代のテキサスを舞台に、麻薬密売に絡んだ大金を偶然手にした男が非情な殺し屋に追われるサスペンス。大金を手にした男を映画『アメリカン・ギャングスター』の「ジョシュ・ブローリン」が、彼を追う殺し屋を映画『海を飛ぶ夢』の「ハビエル・バルデム」が、殺し屋を捕らえようとするリタイアを目前にした初老の保安官を「トミー・リー・ジョーンズ」が演じる。独特の緊迫感と恐怖を演出し、金と欲のからむ人間と社会の本質と、それによって引き起こされる不条理な、理不尽な殺人には立ちすくむしかないのかという二つのテーマをあぶり出す。

オカッパ頭という髪型をしたこの殺し屋は、高圧ボンベ付きの家畜用スタンガンで、鍵穴も人間の額も家畜と同じように無機的に撃ち抜く。感情や苦悩はまったく介在しない、まるでビジネスであるかように・・・。この異様で、異形の圧倒的な存在感を持つ殺し屋に観客は画面に釘付けになってしまう。次に何が起こるのか、何をするのかということに全神経が集中する。
この映画は、バイオレンス映画としては異論を挟む余地はないほどの「傑作」であるが、原題に込められたもう一つのテーマ、「すさまじい不条理が支配するこの現代に、老人は、なす術もなく立ちすくむしかないのか」は、この異形のキャラクターと圧倒的な迫力で迫るヴァイオレンスのまえに、すっかりかすんでしまったように思える。

無策に立ちすくむ年金医療制度危機や、非正規雇用が主となった若者の不安定な生活環境を遠因とするあいつぐ無差別殺人などに象徴されるわが国の現実を見るとき、静かなる、それでいてすさまじいばかりの社会の破壊を進行させている、オカッパ頭の異形の殺し屋は一体誰なのか、と問いたくなる。映画の想像力は現実に追いついていっていないのか・・・。

そして、この国も「NO COUNTRY FOR OLD MEN」なっていくのか・・・・・・。
[PR]
by knakano0311 | 2008-07-18 18:24 | シネマな生活 | Trackback | Comments(0)

観るJAZZ(4)   ~ 森田一義助教授の幻の講義 ~

b0102572_1895757.jpg

「題名のない音楽会」という大変な長寿TV番組がある。調べたら昭和39年(1964)放送開始というから、もう40数年続いている。司会者も、黛敏郎、永六輔、武田鉄也、羽田健太郎、現在の佐渡裕と歴代5代を数えるが、故・黛敏郎氏が司会をしていた頃、クラシック主体の番組であるが、私も時々見ていた番組でもある。というのも、黛氏は当時クラシック界の大御所であったが、若い頃アルバイトでJAZZバンドのピアノを担当し、よく米軍キャンプを廻っていたらしい。そんなわけか、よく番組でJAZZをテーマに取り上げていたからである。そんな「題名のない音楽会」で、30年くらい前のある日、何気なく見ていたら、今まで見たこともないようなの驚愕のパフォーマンスがブラウン管で展開された。

「中洲産業大学・森田一義助教授」という髪の毛ボサボサ、ヨレヨレの燕尾服を着た風采の上がらない男が、グランド・ピアノを前に、アフリカ民俗音楽のルーツから、ニューオリンズJAZZ、デキシーランド・ジャズ、スイング、ビ・バップ、フリー・ジャズにいたるJAZZの歴史講義をしだしたのである。さらに、4カ国の人が卓を囲むマージャン、各国の言葉でやる抱腹絶倒のパフォーマンスを披露した。それが、デビューしたての「タモリ」であり、これも調べたら1977年のことであった。

福岡の酒場で密室芸をやっていたタモリを、確か山下洋輔、赤塚不二夫あたりが見出して、東京へ連れ出したと記憶している。
当時、学園紛争、全共闘時代が挫折した形で終焉を迎え、JAZZ喫茶あたりで鬱屈していた若者たちは、従来の「お笑い」とは違う、知的でシニカルなタモリの「笑い」に圧倒的な支持を贈ったのである。

「中洲産業大学 芸術学部・西洋音楽理論  森田一義助教授」という触れ込みで 、密室芸を披露した「題名のない音楽会」でのワンマンショー。その抱腹絶倒の面白さは今でも脳裏にのこっている。しかし、彼のパフォーマンスの一部はCDでリリースされているが、残念ながら、DVDなどでそのパフォーマンスを見ることは出来ない。今一度彼の「幻の講義」を観てみたいものである。
ちなみに、タモリ氏自身もJAZZレコードの大変なコレクターだそうで、かの植草甚一氏の死後、膨大な氏のレコード・コレクションの散逸を防ぐために、その全てを一括して引き取ったという。また早稲田大学在学時にはJAZZ研でトランペットを吹いていたという。


本来は観るべきパフォーマンス、あるいは観るJAZZ芸、森田一義助教授による「教養講座“日本ジャズ界の変遷” (Lecture on Culuture:History of Jazz in Japan)」 は下記のCDに収録されている。ハナモゲラ語での演歌熱唱など一聴の価値あり。

タモリ

タモリ / Sony Music Direct



「タモリの4ヶ国語マージャン」

         

「教養講座“音楽の変遷その1”  旋律の源とその世界的波及について」。 この講義で使用される抱腹絶倒の楽曲は、
・シャンソン「パリの屋根の下にテームズ河は流れていない」(ボリス・シュバリエ)
・童謡「あぶらむし」(六十嵐澄芳)
・ 韓国民謡「ワラジ」(歌唱者不明)
・ 中国民謡「熊猫深山」(歌唱者不明)
・ムード歌謡「富士見荘ブルース」(富士山田弘とプール・サイド)
・ スイング・ジャズ「ええ列車で行こう」(ペリー・オコモとデューク・エリート楽団) 
・ ニュー・ミュージック「鰯雲」(さるまたし)
・ボサノバ「アカイベベ」(セルジオ・メンデル&ブラジル69)   などなど。

このリストを見ただけでも、団塊の世代が好きな「オヤジギャグ」満載のパフォーマンスが想像できる。

タモリ2

タモリ / Sony Music Direct




幻の講義! 今となっては「もう一度観たいJAZZ」。
[PR]
by knakano0311 | 2008-05-19 20:34 | 観るJAZZ | Trackback | Comments(0)

昭和へのオマージュ ~続・シネマへの郷愁~

b0102572_2058668.jpg
(よく行くミニシアターがある大阪梅田スカイビル地下の昭和レトロスポット;滝見小路)



前回「シネマへの郷愁」で、シネマ・コンプレックス(複数のスクリーンを持つ映画館)によるシネマの復権は喜ばしいと書いたが、必ずしも手放しでは喜べない情況のようである。統計によるとシネコンの誕生以来、映画館は増え続けており、2007年での全国のスクリーン数は、前年より159スクリーン増え、過去最多の3,221スクリーンになったそうだ。ここまではいいのだが、気がかりな点もいくつかある。一方入場者数は減少傾向で、前年比約139万人減の約1億6319人に留まっているという。また、シネコン建設によって、スクリーンは増えるが、それによって多様な映画が観られるとは限らない。シネコンで上映される映画は採算性が最も重視されるため、宣伝に金をかけた話題作やハリウッド大作などに偏りがちで、しかも客の入りが悪ければ、短期間で上映が打ち切られる。国際文化交流推進協議会(東京都)の調べによると、ある県で公開された映画作品数はその年に公開された映画数の3割にも満たなかったという。つまり、7割は見たくても見られないのだ。その傾向は大都市以外では特に顕著であろう。昨年の我がベスト10(「我がシネマな一年 ~今年私が観てよかったと思う映画~」参照)でも、半分はシネコン以外の単館系ミニシアターで観た映画であった。シネコンで上映される映画が名画とは限らないのである。邦画、ハリウッド映画にかぎらず、多様、多彩な映画が観られる環境が整って欲しいが、採算を考えると都会以外の映画館では難しく、音楽と同様、「DVD」や「映画配信」などによってしか達成されないのではないかと思う。そうなると、映画館での、あのドキドキ感は間違いなく犠牲になってしまうが・・・・。

さて、私のふるさと「松本」はかって「映画の街」と呼ばれたらしい。高校時代人口は10万そこそこの街であったが、映画館は6館あり、その中の1館は当時の地方都市では珍しい洋画専門館であった。この洋画館が私の映画熱に火をつけた。また、当時人気絶頂の吉永小百合主演の「青い山脈」のロケーションが我が母校周辺であり、見に行ったことも懐かしい思い出。母校の卒業生に映画監督も多く、旧制中学卒業では「小林悟」、「熊井啓」、新制高校になってからは、「小沢茂弘」、「三村晴彦」、「降旗康男」などが名を連ねる。また、「山崎貴」も実家付近松本出身の気鋭の若手監督である。

その山崎貴監督の「ALWAYS 三丁目の夕日」以降、「バブルへGO! タイムマシンはドラム式!」、「フラガール」、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」、「地下鉄(メトロ)に乗って」など、昭和への回帰あるいはオマージュがテーマの作品がつづいている。明日への希望がまったく持てない今の日本の現実にあって、「明日はもっとよくなる」と希望を持ちえたあの昭和の時代への郷愁がこれらの映画への共感を呼ぶのであろうか。

ALWAYS 三丁目の夕日 通常版
吉岡秀隆 / / バップ
ISBN : B000EPE77S
スコア選択:



音楽でも昭和への郷愁、回帰が話題となっている。「深夜放送」。これは我々団塊世代には受験勉強と表裏一体となった「昭和の思い出・体験」のひとつである。受験勉強の傍らラジオから流れてくる音楽にどれほど心を奪われたことだろうか。最近、大人気の五木寛之氏のNHKラジオ番組「ラジオ深夜便」で語られた五木氏の人生と昭和歌謡曲史をめぐるトークと歌に加筆した初めての自伝本とCDが最近相次いで発刊された。

敗戦下の昭和20年。母を失い、弟妹を背負い、着の身着のまま朝鮮から日本に引き揚げてきた14才の五木少年。希望のない少年の日々。軍用毛布一枚で上京し、早稲田大学に合格するも、授業料を滞納し、売血で食いつなぐ赤貧の日々。石原慎太郎・裕次郎兄弟を豊かさの象徴として割り切れない思いで見ながらも、五木はストリップ評論や、業界紙などマスコミ底辺の仕事を得てゆくようになり、やがてレコード会社専属の作詞家へとのしあがっていく。「さらばモスクワ愚連隊」、「艶歌」、「海峡物語」、「狼たちの伝説」など歌や音楽を物語の背景にもつ小説も多い五木寛之氏が、懐かしい流行歌を語り尽くした完全版自分史である。 

わが人生の歌がたり―昭和の哀歓
五木 寛之 / / 角川書店
スコア選択:




わが人生の歌がたり昭和の青春
五木 寛之 / / 角川書店
ISBN : 4048839942
スコア選択:




このCDはその単行本で紹介されている五木氏の思い出に強く残っている昭和の歌を集めたものです。あまり懐古趣味に浸るのは好きではないがこのCDに収められた曲たちは、昭和の歌謡曲スタンダードと呼んでいいように思う。

別れのブルース / 青江三奈、からたちの花 / 倍賞千恵子、小雨の丘/ 高峰三枝子、影を慕いて/五木ひろし、蘇州夜曲/ 山口淑子(李香蘭) 、誰か故郷を想わざる/ 冠二郎、サーカスの歌/舟木一夫 など19曲を収録した第一巻。

五木寛之・監修・選曲・ナレーション わが人生の歌がたり 第1巻
オムニバス / / Columbia Music Entertainment,inc.( C)(M)
ISBN : B0013E13DK
スコア選択:


哀愁列車/ 三橋美智也、喜びも悲しみも幾年月/ 若山彰 、西銀座駅前/ フランク永井、南国土佐を後にして/ ペギー葉山、東京ナイトクラブ / フランク永井と松尾和子、黒い花びら / 水原弘、誰よりも君を愛す/ 松尾和子、和田弘とマヒナ・スターズ、アカシアの雨がやむとき / 西田佐知子、硝子のジョニー / アイ・ジョージ など18曲を収録した第二巻。

五木寛之・監修・選曲・ナレーション わが人生の歌がたり 第2巻
オムニバス / / Columbia Music Entertainment,inc.( C)(M)
ISBN : B0013E13DU
スコア選択:


「歌は世につれ、世は歌につれ・・・」
[PR]
by knakano0311 | 2008-05-17 18:49 | シネマな生活 | Trackback(1) | Comments(0)

マーケッターとしてのシニア考(10)    ~続・ヒット曲の定義 ~ 

前回「ヒット曲の定義」で、技術の進歩、それによる音楽メディア、音楽流通の多様化により「ヒット曲」の定義が変わりつつあるのではないかという話題を取り上げた。その記事でも取り上げたシングルCD年間売り上げ第2位の「宇多田ヒカル」の「Flavor Of Life」に対し、日本音楽著作権協会(JASRAC)は、CDやネット配信、カラオケ、有線放送など音楽著作権使用料の2007年度分配金額第1位に贈るJASRAC金賞を同曲に決定した。上位10曲のうち4曲がアニメ作品の音楽で、TV放送やDVDのほか、パチンコやゲームソフトでの利用が多かったという。このことは、やはり、ヒット曲というのは「音楽著作権使用料」の額で決めるのではなく、CDの売り上げ、せいぜい配信は含めていいが、音楽メディアそのもののに対して、消費者が直接対価を支払った場合に限っていいように思う。

さて、話は変わるが、「週刊文春」に近田春夫氏による「考えるヒット」というコラムが連載されているのをご存知でしょうか?1997年1月から連載が開始され、すでに、単行本で6冊、文庫本でもシリーズ4冊目が発刊されている人気コラムです。
かの小林秀雄の「考えるヒント」をもじったタイトルで、最近のJポップスを次々と批評しているが、その歯切れの良さはすこぶる小気味いい。近田氏は、1951年生まれ、75年から音楽活動を続ける傍ら、作詞作曲、プロデュース、DJそして歌謡曲評論家をこなす。ジャンルは違うが、彼の評論は、曲の本質を瞬時に鋭く捉え、少ない言葉で的確に評論するという特長を持っている。私も、音楽を聴いたとき、自分なりの感想を頭に描くのだが、それをブログで表現するとなると、的確な言葉が見つからず、いつももどかしさを感じているのだが、近田氏の音楽センスとボキャブラリイは抜群で、私のブログなどはとても足元にも及ばず、あんな表現が出来たらなあと思ったことは何度もある。

紹介する本は、1997年に雑誌に掲載したコラムをまとめた文庫本なので、取り上げている歌手や歌はもう相当古くなっているが、ヒット曲なるがゆえに、その古さが生まれるだろう事も、技術が進んで音楽が大量消費財化する時代についても近田氏は予測しているから恐れ入る。
コラムのタイトルのつけ方は「うまい!」というほかはない。例えば「今井美樹と布袋寅泰の歌を介したSM的関係」、「国体の消臭につとめるユーミンに紫綬褒章を」とか「ユ-ミンは低カロリーへ みゆきは激辛へと進む」など、読まずにはいられない気にさせるタイトル。

考えるヒット (文春文庫)
近田 春夫 / / 文藝春秋
スコア選択:





またまた話は変わるが、例えば「森山良子」、「加藤登紀子」などベテラン歌手、熟年歌手のヒット曲カバーアルバム化が盛んである。過去にも、高橋真梨子の「紗Ⅰ、Ⅱ」、中森明菜の「歌姫シリーズ」などあったが、コンテンポラリーに歌える歌がないといわれる熟年あるいはシニア世代を明確なターゲットとした企画が盛んなのも、徳永英明の「Vocalistシリーズ」、「R35 Sweet J-Ballads 」の大ヒットが影響しているのだろう。そのようなレコード会社の思惑はあるにせよ、人生の年輪を重ねた熟年歌手が、自分の歌ではない時代のヒット曲を、その人生経験というフィルターを通してろ過し、オリジナルとは一味違った自分の表現に結実させていくという、歌い手の思いは共感できる。数あるヒット曲、時代とともに忘れ去られていくヒット曲を、熟年歌手の年輪というフィルターを通して、日本のスタンダード曲化をしていく意義ある作業とも思えるのだ。   

加藤登紀子によるカヴァー・アルバム「SONGS うたが街に流れていた」。
見知らぬ者どうしがすれ違う街角、そこにどこかから聞こえる歌があった・・・・・。昭和の歌謡名曲から「夜空ノムコウ」まで、人々の暮らしの営みの中で街の中に溶け合い人の記憶や心に残る名曲を選曲したアルバム。


SONGS うたが街に流れていた
加藤登紀子 / / UNIVERSAL INTERNATIONAL(P)(M)
ISBN : B00164POO6
スコア選択:
[PR]
by knakano0311 | 2008-05-15 17:07 | マーケッターとしてのシニアから | Trackback(1) | Comments(0)

マーケッターとしてのシニア考(9)    ~ ヒット曲の定義 ~ 

少し古くて恐縮だが、朝日新聞の記事によると、音楽産業界で最も重要な指標である、「ベストセラー」、「ヒット曲」という定義がどうも揺らいできているらしい。昨年のヒット曲といえば「千の風になって」を思い浮かべる人が多いはず。事実シングルCDでは唯一のミリオンセラー。でも、もう一つのミリオンシングルがあったのをご存じですか。携帯電話向けに音楽配信された新人バンドGReeeeNの「愛唄(あいうた)」だそうだ。この歌を知っている団塊の世代、中高年層はほとんどいないといっていいだろう。事実、私もグループ名も曲名も今もってまったく知りません。

さらに、記事を引用すれば、この「愛唄」は04年に始まった音楽配信サービス「着うたフル」で初めて100万回のダウンロードを記録したそうだ。「着うたフル」というのは、曲の一部である「着うた」に対し、「フル」は一曲丸ごとの完全版である。「千の風」はオリコンのシングルCDチャートこそ年間1位だが、「着うたフル」では配信されていない。一方、「愛唄」はCDチャートでは、24位である。さらに、宇多田ヒカルの「Flavor Of Life」という曲は、CD2位、フル3位である。しかも、このCDは、昨年のゴールドディスク大賞で年間1位シングルに選ばれた。
こうなってくると大きな疑問が湧いてくる。「千の風になって」、「愛唄」、「Flavor Of Life」のうちで、どれが昨年最大のヒット曲なのか?

オリコンの社長小池氏は「もちろん千の風です」と答えは明快だ。「何故千の風か?」、小池氏の見解はこうである。「本当に好きなアーティストの音は手元に形として持っておきたいもの。シングルヒットはアルバム購入の道筋をつけ、ひいてはアーティストへの忠誠度を高める役目を果たしてきた。配信はまだ宣伝道具の域を出ていないのではないか・・・。」

だが、一方でこんなデータもある。日本レコード協会によると、昨年のCDシングル生産金額は前年比92%の469億円、一方で配信シングル(パソコン含む)は右肩上がりの383億円。1000円を超えるCDに対し、フルは1曲300~400円ほど。枚数にあたるダウンロード数ではすでに勝っており、金額も08年に逆転するかもしれない。シングル曲の流通手段として、配信がCDに肩を並べる存在になったといえる。

さらにこんな例はどう考えたらいいのだろうか? 昨年、洋楽で人気曲となったR&B歌手「ニーヨ」の「ビコーズ・オブ・ユー」は「着うたフル」で約20万ダウンロードされたにもかかわらず、シングルチャートに名前が出てこない。理由は、CDを出していないからだ。CDを出していない、配信だけの歌手が現実に存在するのだ。

携帯電話の技術革新により、音楽配信は急成長した。電車の中でも、i-Podのような音楽端末でなく携帯電話でダウンロードした配信音楽を聞いている若者が急速に増えたような気がする。洋楽のCD一枚2500~3000円であることを考えると、年金生活者である私自身も、そう頻繁に買う訳にも行かなくなってきたことも事実で、音楽サイトで試聴した上で、気に入った曲のみを買うというPCでの音楽購入(配信)も最近多くなってきている。この場合150~200円/曲なので、CD購入に比べ、かなり安上がりである。勿論、愛用のi-podにダウンロードも出来、CDへバックアップすることも出来ます。

このようにCD、配信など流通の多様化、多極化がさらに進めば、ヒット曲、ベストセラーの定義は曖昧となり、ぼやけてくるであろう。今後の配信とヒット曲の行方について、音楽ジャーナリストの津田大介氏は「“携帯で音楽を聴く”という行為がはやっているだけで、音楽文化を豊かにはしていない。 80年代まで所有するものだった音楽は、90年代以降、消費財の一面を強めていった。配信でそんな音楽の“聴き捨て文化”が加速している気がする。時代のヒットとはランキングといったデータではなく、むしろ音楽体験の記憶から語り継がれていくものではないか」 と危惧している。

さすれば、数百枚のCDを抱え、収納場所の問題から「i-pod」をメインのハードとして選択し、「所有する音楽」から離れられずにウロウロし、JAZZをBGMとしながら、自分の生活や過去の人生と照らし合わせている、この私のブログの存在意義も多少あるのかなあと意を強くする。

いわゆる時代を映す「ヒット曲集」から「R35」。「SAY YES」、「TRUE LOVE」など、90年代前半のトレンディ・ドラマを飾った美しいラヴ・バラード集。私より大分若い世代層を対象にしています。「バブル期の思い出のヒットアルバム」といってしまえば、みもふたもありませんが・・・・。最近、新聞の広告なんかに「もう一度妻を口説こうか」とかいうこのCDのコピーがでていますが、そういわれても私は戸惑うばかりですが・・・。

R35 Sweet J-Ballads

オムニバス / ワーナーミュージック・ジャパン



--------------------------------------------------------------------------------------

【追記】

本5月21日(水)「Prisoner Of Love」をDVD付CDシングルとしてリリースした宇多田ヒカル。すでにドラマ『ラスト・フレンズ』主題歌としてアルバム収録曲ながらデジタル配信でも爆発的にヒットを続けてきたこの曲が早くも累計150万ダウンロードを突破したことが明らかになった
[PR]
by knakano0311 | 2008-04-29 23:44 | マーケッターとしてのシニアから | Trackback | Comments(0)

観るJAZZ?(3)  ~健在なり!山下洋輔~

b0102572_18314222.jpg
(写真は朝日新聞より;防火服に身を包み燃えさかるピアノを演奏する山下洋輔さん=8日夕、石川県志賀町で )


3月9日の朝日新聞朝刊に以下のような記事が載っていたので、全文を引用してみよう。
-----------------------------------------------------------
能登半島の西側、石川県志賀町の海岸で8日夕、ジャズピアニストの山下洋輔さん(66)が、燃えるグランドピアノを演奏する「ピアノ炎上2008」を開いた。
日本海をバックに砂浜に置かれたピアノは数十年たった廃棄寸前の古いもの。午後5時すぎに共鳴板に点火され、集まった450人の観衆は、夕景の中で燃えさかるピアノとその調べに魅入られた。 山下さんが燃えるピアノを弾くのは、グラフィックデザイナー粟津潔さん(79)の映像作品の中で演奏して以来35年ぶり。今回は山下さんの希望で再現した。
消防団の防火服姿で即興演奏した山下さんは、炎が身に迫るまで、6分間にわたって鍵盤をたたき、演奏後も山に日が落ちるまで、ピアノが燃えるのを見つめていた。
--------------------------------------------------------------------------------------------

          



山下 洋輔(やました ようすけ、1942年2月26日 - )は日本のジャズピアニスト、作曲家、作家、大学教員。東京都生まれ。麻布高校卒、国立音楽大学作曲科卒。「佐藤允彦」とならんで日本におけるフリージャズの草分けであり、旗手である。ひじで鍵盤を鳴らす独自の奏法を交えながらピアノを弾くことが有名。また、『ジャズ大名』『ファザーファッカー』『カンゾー先生』などの映画音楽を手がけていて、『ジャズ大名』では自ら出演している。( フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』一部参照)
彼のエッセイには、名エッセイの定評があり、ユーモア一杯のJAZZエッセイは特にJAZZフリークならずとも読んで面白いと思う。このブログでも度々登場してていただいている我がブログにとっても貴重な存在である。(「読むJAZZ(3)~筒井康隆の世界~、読むJAZZ(4)~鳥類学者のファンタジア~、観るJAZZ(2)~我が愛しのJAZZシネマ~」 参照)

前述の記事は、観るJAZZピアニスト、「山下洋輔」の真骨頂。健在なり!!山下洋輔。

JAZZを自己表現の最高の極みまで高めた男・山下洋輔と、歌う吉本といわれJAZZファン層を世のおばちゃんたちにまで拡げた浪花女・綾戸智絵(智恵)とが驚くべきというか、信じがたいというか、二人の組み合わせによるコラボが2001年に行なわれた。
私は、NHKのBS放送でそのコンサート録画放送を見ていたのだが、浪花の「おばはんパワー」全開の綾戸と、それを正面から、がっちり受け止めた山下洋輔(多分そんなことは山下しか出来ないだろうが)、前代未聞の魅力あふれるライブに仰天した。

彼の数あるエッセイでも分かるように、人を楽しませる語り口・文章の才のある山下、いわずと知れたしゃべりの綾戸。とことん人を楽しませるというふたりの共通点。そして、元来、ライブコンサートのステージのほうが、CDなどよりはるかに面白く、魅力があるという二人ならではのそのコンサートがDVDでリリースされている。「綾戸智絵 meets 山下洋輔」。2001年3月2日、すみだトリフォニーで行われた夢の共演である。

b0102572_11224267.jpg
LIVE!*III~DVD Video Edition
/ ewe records
ISBN : B00015UBLW
スコア選択:



山下洋輔の音楽に取り組む姿勢とそのコンセプトがよく分かる2枚のCDがある。ピアノソロで、バッハ、ショパン、ガーシュウインなどクラシックの名曲に取り組んだ「ラプソディ・イン・ブルー」。さあ山下がこれらクラシック有名曲をどう料理するか、興味津々・・・。

ラプソディ・イン・ブルー
山下洋輔 / / ユニバーサル ミュージック クラシック
スコア選択:



そしてもう一枚は、トリオでスタンダードに取り組んだ「プレイズ・ガーシュウィン」。1989年、録音はNYで行なわれた。4ビートからフリージャズまで山下洋輔のエッセンスが味わえるアルバム。

プレイズ・ガーシュウィン
山下洋輔 / / ユニバーサル ミュージック クラシック
スコア選択:


【追記 2009.9.25.】
本日のNHKスタジオパークに山下洋輔氏が出演。「ピアノ炎上」という芸術パフォーマンスのいきさつを話してくれた。今回が2回目で最初は、グラフィック・デザイナーの粟津潔氏の依頼で行ったが、今回は自ら企画したとのこと。消防団やピアノを供養する坊さんまで来たとのこと。弦が焼き切れ、音がならなくなった時点でピアノから離れたという。その作品としての映像が一部放映されていた。(金澤21世紀美術館提供) 鍵盤に間からも煙が噴出し、煙くて仕方なかったという。
[PR]
by knakano0311 | 2008-03-15 18:28 | 観るJAZZ | Trackback | Comments(0)