人気ブログランキング |

大屋地爵士のJAZZYな生活

我が青春のジャズ・グラフィティ(4)  ~ジャズ喫茶の作法~

我が青春のジャズ・グラフィティ(4)  ~ジャズ喫茶の作法~_b0102572_1813016.jpg

学生エレキバンドの活動をつづける傍らで、JAZZへの憧れをつのらせていた私は、自然に「JAZZ喫茶」へ出入りするようになっていった。当時、仙台にはJAZZ喫茶がいくつかあったと思うが、たしか「ad'(アド)」、「ブルー・ノート」などというジャズ喫茶に通っていたように思う。この「JAZZ喫茶」というもの、多分日本独特のものであろうと思われる。コーヒーを飲んで、ただひたすらにJAZZレコードを聴く「JAZZ喫茶」、私はアメリカでもヨーロッパでも、中国ですら見たことがない。ライブ演奏を聴きながら酒を飲むJAZZクラブが普通である。
店内の音楽は、主にオーナーが所蔵するレコードによるジャズであり(ボサノヴァやフュージョンを含む)、客からのリクエストに応じるのが普通であった。基本的にはコーヒーがメイン・メニューだが、軽食や夜間は酒を出す店もあった。そんなジャズ喫茶の経営者、マスターは、大抵変わり者で頑固な名物オヤジと言うのが相場であった。作家「村上春樹」が、かってジャズ喫茶のオヤジであったのは有名な話である。

勿論、当時の日本のあちこちに、そんなJAZZ喫茶が多く出来た理由はいくつかあるのである。
当時、JAZZを演奏するミュージシャンは少なく、まして本場アメリカの人気プレイヤーの生演奏に接する機会など、高チャージのJAZZコンサート以外には殆どなかったからである。だから、レコードではあるが、本場の人気JAZZプレイヤーの音楽が聴けるJAZZ喫茶が流行ったのであろう。今でこそ、JAZZクラブがあちこちにあり、JAZZの生演奏を楽しむ場所も機会も増えたが、日本の場合、NYあたりのJAZZクラブに比べても、その料金はかなり高いと言わざるを得ない。

ザ・サイドワインダー+1

リー・モーガン / EMIミュージック・ジャパン


2番目の理由は、オーディオ装置が、かなり高価であったこと。さらに大音量で聴ける住空間など当時の一般の家では望むべくもなかった。普通の家庭では、なかなか揃えることのできない高価なオーディオシステムを装備しているのが通常であり、音質の良さもジャズ喫茶の売りの一つであった。 

ソング・フォー・マイ・ファーザー+4

ホレス・シルヴァー / EMIミュージック・ジャパン


そして、LPレコードもかなり高価であったのも大きな理由。私の初任給が確か3万円であったころ、LPは1500円位していたであろうか、ましてJAZZの輸入盤ともなれば3000円位したのである。輸入盤のジャズLPはびっくりするくらい高価であったが、コーヒー一杯で本場のジャズのレコードを聴くことができ、リクエストも受け付けてくれるジャズ喫茶はアマチュア・ミュージシャンの溜まり場ともなった。私が、最もよく通っていた時期は、3年生から4年生の前半だったであろうか。
私がよくリクエストしていたのは、、「リー・モーガン/サイド・ワインダー」、「バド・パウエル/クレオパトラの夢」、「ソニー・ロリンズ/アルフィー」、「ホレス・シルバー/ソング・フォー・マイ・ファーザー」、「ブルー・ミッチェル/ダウン・ウィズ・イット」、「マル・ウォルドロン/レフト・アローン」などのファンキー、ハード・バップ系のJAZZであった。

ダウン・ウィズ・イット(紙ジャケット仕様)

ブルー・ミッチェル / EMIミュージック・ジャパン


やがて、地方都市仙台でも70年安保を前に学生運動が次第に盛んとなり、デモなども行なわれるようになっていった。参加していた連中が、運動へのエネルギーの源泉や仲間との連帯を求め、また差別や抑圧への抵抗の歴史から生まれたJAZZへの思い入れからか、ジャズ喫茶に集まってきた。そんな中で、「ジョン・コルトレーン」、「チャーリー・ミンガス」、「アルバート・アイラー」などの反体制的な前衛JAZZやフリージャズが、JAZZ喫茶ではよくリクエストされるようになっていた。ノンポリで、就職も決定し、大学4年を迎えていた私は、連日徹夜の卒業実験・論文、卒業設計を仕上げるための忙しさに加え、「店内での会話の禁止」、「楽しんではいけないかのような禁欲的な鑑賞スタイル」といったジャズ喫茶特有の作法や、どうしてもなじめない「フリージャズ」などが理由で、ジャズ喫茶に次第に窮屈さを感じ、遠ざかっていったと思う。

直立猿人

チャールス・ミンガス / Warner Music Japan =music=



いまは、聴くだけだったら、居酒屋でも、蕎麦屋でも、レストランでもどこでもJAZZが流れている時代である。しかし、あの頃は窮屈さを感じていたが、若者たちの時代のエネルギーを間違いなく内包していた「JAZZ喫茶」が、豊かな日本になっていくに従って、だんだんとマニアのための前世紀の遺物と化していったのと平行して、JAZZを聴きたいという当時の若者達の熱気や、JAZZやロックと結びついていた反体制・反骨精神、時代の矛盾に対する反発心なども今では失われてしまったように思う。

そして、「団塊の世代」を強く性格づけるような出来事、全学共闘会議(全共闘)が占拠していた東京大学本郷キャンパスを警視庁が封鎖解除を行った、いわゆる東大安田講堂事件が起こるのは、卒業を目前にした1969年(昭和44年)1月18日、19日のことであった。

我が青春のジャズ・グラフィティ/ジャズ喫茶編は、沢山ありすぎて困るのだが、

14)リー・モーガン;サイドワインダー
15)バド・パウエル;クレオパトラの夢 (アルバム「ザ・シーン・チェンジズ」)
16)ソニー・ロリンズ;モリタート (アルバム「サキソフォン・コロッサス」)
17)ソニー・ロリンズ;アルフィー
18)ホレス・シルバー;ソング・フォー・マイ・ファーザー
19)トミー・フラナガン;オーバー・シーズ
20)マイルス・デヴィス;ラウンド・ミッドナイト
21)ソニー・クラーク;クール・ストラッティン
22)コールマン・ホーキンス;ジェリコの戦い
23)ジョン・コルトレーン;ブルートレイン
24)ジョン・コルトレーン;バラード
25)ジョン・コルトレーン;至上の愛
26)マイルス・デイヴィス;カインド・オブ・ブルー
27)セロニアス・モンク;ソロ・モンク
28)ブルー・ミッチェル;ダウン・ウィズ・イット
29)マル・ウォルドロン;レフト・アローン

30)チャーリー・ミンガス;直立猿人
31)ジョン・コルトレーン;ライブ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード・アゲイン
32)アルバー・アイラー;グリニッチ・ヴィレッジのアルバート・アイラー


この記事を書くきっかけのひとつでもあった、ハードボイルド作家「原尞(はら りょう)」氏の自伝的エッセイ「ミステリオーソ」は「セロニアス・モンク」のアルバム・タイトルであったことを、不意に思い出した。「ソロ・モンク」と並んで、ジャケットのイラストが好きな一枚でもあった・・・。

ミステリオーソ+2

セロニアス・モンク / ユニバーサル ミュージック クラシック


by knakano0311 | 2009-01-23 10:46 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://oyajijazz.exblog.jp/tb/10177157
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 我が青春のジャズ・グラフィティ... 我が青春のジャズ・グラフィティ... >>