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大屋地爵士のJAZZYな生活

我が青春のジャズ・グラフィティ(8)  ~33回転の青春~

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(写真;今も懐かしい世界に住んでいる友より)

会社生活になじんでいくにつれ、内外で気の合う友達や知り合いが出来、ライブハウスやJAZZ喫茶などへも行くようになっていった。

キタの旧・関テレ近くにあったJAZZ喫茶「インタープレイ8」(いまも元気で営業しているらしい・・)、当時大流行のゴーゴー・クラブ「アストロ・メカニクール」。ミナミの外人のベーシストがマスターのJazz Bar「ケント・クラブ」、西田佐知子、和田アキ子、沢田研二などを輩出した、かの有名なジャズ喫茶「ナンバ1番」。神戸はトア・ロードのJAZZバー「サント・ノーレ」、大丸裏のC&W喫茶「ロスト・シティ」、今もある、ライブが聴けた中山手のピザ・ハウス「ピノッキオ」。京大、同志社大、立命館大の近くにあったため、当時学生運動の闘士のたまり場で、二十歳で自らの命を絶った高野悦子著『二十歳の原点』でも知られる、京都・荒神口の伝説のJAZZ喫茶「しあんくれーる」。もうそのころは、「JAZZ喫茶の作法」に耐性も免疫もできていた。たしか、仏語「Champ Clair」という名前は、「思案に暮れる」のしゃれだと聞いたが、ひらがな名前が新鮮だった・・。そんな店の多くは、もうなくなってしまっただろう。

現在も、リーガ・ロイヤルホテルの地下にあり、ピアノ・トリオのJAZZを聴かせた「セラー・バー」、今は無き中之島の「プレイボーイ・クラブ」。勿論、こんな場所は、安月給のサラリーマンではとてもいけないので知り合いなどに連れて行ってもらったのだが。濃いブルーのベルベットのステージドレスで歌う、ブレイク前の「阿川泰子」にすっかり虜にもなった。これが、女性JAZZボーカルへの開眼の瞬間だったのだろうか。

「阿川泰子」、JAZZ歌謡とかいろいろの評価はあるけど、美人を売りにして、一気にホワイトカラー族をJAZZファン、女性ボーカルファンに引き込んだその功績は、まさに女性ボーカルの王道でいいじゃないか、JAZZ功労者に値すると思う。1980年発表の「JOURNEY」は、30万枚を発売したと言うからすごい。

JOURNEY
阿川泰子 / ビクターエンタテインメント
ISBN : B0000561AS
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そして、ある日ラジオから流れてきた歌声が、決定的に私を女性JAZZボーカル・ファンにしてしまった。「バン・バン(Bang Bang)」を歌う「アン・バートン」であった。遅咲きのデビューながら、淡々とした歌い方の中に、彼女の人生からにじみ出る、えもいわれぬ情感が漂う。いまでも愛聴盤になっている「バラード&バートン」。

バラード&バートン
アン・バートン ジャック・スコルズ ルイス・ヴァン・ダイク ジョン・エンゲルス ルディ・ブリンク / ソニーミュージックエンタテインメント
ISBN : B00005G4A4
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昨年末、開館50年目をもって建替えのため一時休館となった「大阪フェスティバル・ホール」も思い出の音楽スポット。伝説の「越路吹雪/日生劇場ライブ」のLPに魅かれ、コンサートを聴きに行った。最上階の一番後ろの席だったが、「人生は過ぎ行く」のエンディングで「捨てないで!」と絞るように歌う暗転のシーンは、いまでも鮮やかに目に焼きついている。日生劇場のライブ盤は今は廃盤なので、ベスト盤からしか聴くことが出来ないが、「人生」という「心の旅路」を歌うことが出来る最高の歌唱力を持った歌手であった。

愛の讃歌
越路吹雪 / 東芝EMI
ISBN : B00007GRD2
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「モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)」を聞いたのも、この「フェス」であった。MJQは「ジャンゴ・ラインハルト」から影響を大きく受けたといわれ、その最高傑作といわれるアルバムは、パリのコンコルド広場をテーマにした「Concorde」。1955年の録音というから、第二次世界大戦の10年後のこの時期に、もうMJQはクラシックとJAZZの融合のハシリともいえる、このアルバムをリリースしていたんですね。B軒で聴いていたMJQを聴けるというんで、もう有頂天になっていたと思う。

Concorde
The Modern Jazz Quartet / Prestige/OJC
ISBN : B000000XZU
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そんな気ままで気楽な生活を楽しんでいた私に転機が訪れたのである。友人の結婚式の受付で、たまたま知り合った女性がいまの妻。そこから横浜-大阪間の遠距離交際が始まるのである。入社間もない新人の身では、東京出張などなく、自前で東京へ行っていたため、いつも素寒貧。映画もコンサートも二人で行ったことは無かった。そんな彼女の最初のプレゼントが、「セルジオ・メンデス」らのカヴァーで世界的に大ヒットした「マシュ・ケ・ナーダ」の作者「ジョルジ・ベン」の1963年のデビュー・アルバム「サンバ・エスケーマ・ノーヴォ」だった。「マシュ・ケ・ナーダ」、「シャヴィ・シューヴァ(コンスタントレイン)」などが収録されたカセット・テープである。すぐお気に入りのアルバムになったが、ブラジル帰りの知り合いに貰ったとかいうブラジル製のカセット・テープ。所詮、品質が悪く、ほどなく破損してしまった。

サンバ・エスケーマ・ノーヴォ

ジョルジ・ベン / ユニバーサル インターナショナル



さらに二枚のJAZZのLPレコードをもらった。バリバリのハード・バップ「レッドガーランド/グルーヴィー」、ビリー・ホリディの死を悼んだ悲痛な叫びの「マルウォルドロン/レフト・アローン」。当時JAZZなどにまったく興味も知識もなかった彼女が、何故それらを選んだのかを、後になって聞いてみたが、本人もそれを贈った記憶すらなく、今もってわからない謎である。

グルーヴィー

レッド・ガーランド / ユニバーサル ミュージック クラシック



女性ボーカルへの傾斜がきっかけとなったのか、はたまた、妻との交際がきっかけとなったのか、トランペッターにして恋歌唄い「チェット・ベイカー」も聴くようになった。ジャンキーで、生涯ドラッグのスキャンダルから抜け出すことは出来ず、最後は1988年5月、滞在中のアムステルダムのホテルの窓から謎の転落死をした。享年59歳。毒を放つ典型的な破滅型のイケメンJAZZプレイヤー。甘くハスキーな高音でささやくように口説くように歌うその魅力と魔力にあやかろうとしたのかも知れない・・・。
   
Chet Baker Sings
Chet Baker / Pacific Jazz
ISBN : B000005GW2
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やがて、結婚をし、子供が出来、裕福ではないが、平凡な生活をおくっていた。ところがある日事件が起こった。かねてから、音が出る動くおもちゃとして、いたくレコード・プレイヤーに興味を持っていた長男(当時2、3歳だったか?)にピック・アップ・アームを折られてしまったのである。そうして、私の「33回転の青春」は突然のように終わった・・・。

ソニーから最初のCD(コンパクト・ディスク)プレーヤーとCDソフトが発売されたのは1982年10月。そして販売枚数でCDがLPを追い抜くのは1986年。当時、次期音楽メディアの主流はCDだ、いやDATだと論議が起こっていて、迷っている私は仕方が無いので、バックアップとして録音してあったカセットで聴いていた。勝負があって、CDが普及し始めたのを機会にCDに切り替え、LPはもう聴かなくなっていった。我が青春のBGMであった150枚ほどのLPもやがて人に譲ってしまい、気がつくと、そのころは身も心も、もうすっかり「オジサン」になっていた・・・。

いまはもう手元に無い33回転の青春。アナログで、非効率ではあるが、どこかのどかで暖かい音のするあのLPレコードと青春を懐かしがっている私がいる・・・。

我が青春のジャズ・グラフィティ/33回転の青春編は、

76)阿川泰子;JOURNEY
77)アンバートン;バラード&バートン
78)アンバートン;ブルー・バートン
79)越路吹雪;愛の讃歌   「日生劇場リサイタル」(廃盤)のため  
80)モダン・ジャズ・カルテット;Concorde
81)モダン・ジャズ・カルテット;Django
82)ジョルジ・ベン;サンバ・エスケーマ・ノーヴォ
83)レッド・ガーランド;グルーヴィー
84)チェットベイカー;Chet Baker Sings
29)マル・ウォルドロン;レフト・アローン   (再掲)
by knakano0311 | 2009-02-18 23:01 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Comments(0)
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