特にその歌手が好きだと言うわけでもないのに、突然、その歌手のある歌に釘付けになってしまうことがある。その歌手とは「吉田拓郎」、ある歌とは「永遠の嘘をついてくれ」。
2006年9月23日。かれは、31年ぶりに「つま恋」でかぐや姫とのコンサート「つま恋2006」を開催し、団塊の世代を中心に3万5千人の観客を集めたと話題になった。そのコンサートの模様をNHK-BS2が総集編として放送し、団塊の世代の行動に関心のあった私は、たまたまその放送を見ていたのだ。もちろん、彼のヒット曲「結婚しようよ」、「旅の宿」、「襟裳岬」などは知っていたが、実のところ、吉田拓郎を聴いてみようと思うことは過去に一度もなかった。しかし、TVの中のこの歌にだけは釘付けになってしまったのだ。「中島みゆき」の作詞・作曲により、拓郎に提供された曲だと知った。そして、歌の途中から突然「中島みゆき」が登場し、歌いだすにいたって、この歌が出来た背景、いきさつに強く興味を持ってしまった。
その後NETで調べてみると、真偽のほどは定かでないが、色々なことが分かってきた。かって「吉田拓郎」と高校時代から拓郎の「追っかけ」をしていた「中島みゆき」は恋人関係であったらしい。誇り高き「吉田拓郎」が、あのような歌は自分には作れないと、唯一認めたのが、歌手「中島みゆき」であり、あの歌「ファイト」だったという。その後、自身のソング・ライティングが不調に陥った1995年、自分の遺書になるような曲をつくって欲しいという拓郎の直接の頼みに応じて、みゆきは作曲を約束したと言う。レコーディングのため、バハマに発つ前日に、やっとデモ・テープが拓郎に届けられた。このテープの到着が遅れたために、拓郎は出発前に一睡もできなかったという。そのデモ・テープに入っていた歌は、拓郎とのかっての別れに際しての、みゆきの泣き叫ばんばかりの思いを込めた曲「永遠の嘘をついてくれ」だった・・・。
こんな、この歌が出来たいきさつをある
ブログ で読んだ。
こうして出来た拓郎のアルバムは、「Long time no see(1995年)」。拓郎が詞・曲の両方とも他人に依頼したのは、後にも先にもこの曲のみである。1年後にみゆきもこの歌をセルフ・カバーをしてアルバム「パラダイス・カフェ(1996年)」に収録している。しかし、それぞれの歌をCDで聴いてみても、あのステージで一瞬垣間見えた二人のストーリーは見えない。
観客総立ちの中、この曲だけをデュエットでうたって、にこやかにつま恋のステージから去っていった「中島みゆき」。この歌にまつわるエピソードを知ってからは、何故あのステージにあがったのだろうか? あの笑顔にはどんな情念が隠されていたんだろうかと思い、CDからでは聴くことができない濃密な情感をあのステージに感じてしまうのは穿ちすぎであろうか。
【 永遠の嘘をついてくれ 】 中島みゆき 作詩・作曲
「♪ ニューヨークは粉雪の中らしい
成田からの便は まだまにあうだろうか
片っぱしから友達に借りまくれば
けっして行けない場所でもないだろう ニューヨークぐらい
なのに 永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている
永遠の嘘を聞きたくて 今はまだ二人とも旅の途中だと
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ なにもかも愛ゆえのことだと言ってくれ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ♪」
「吉田拓郎&中島みゆき:永遠の嘘をついてくれ (つま恋2006)」 VIDEO 「吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年4月5日 - )」。日本のシンガー・ソングライターの草分け的存在である。マイナーな存在だったフォークを一気に日本の音楽シーンのメインストリームに引き上げ、また大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立など、さまざまな新しい道を開拓したパイオニアとして日本ポピュラー・ミュージック史における最重要人物の一人であるという。
私の音楽史のページに入ってくることは無かったが、「時代の寵児」というのは、彼のことを言うのだろう。私と同じ年生まれで同じ時代を駆けてきた世代であることは間違いない。日本が勢いを持っていた70年代にはビッグな人間や大組織にタテ突き、“ケンカ野郎”というあだ名とともに当時の若者を熱狂させた。そしてバブルとその後の泥沼も経験し、フォークもすっかり過去の「なつかしの音楽」になり、03年には肺腫瘍の摘出手術をうけ、07年のツアーも途中で倒れ、その後の公演を延期した。60歳を越えた今は「悟り」にも似た境地に達しているのだろうか、彼は今年を最後に「全国ツアー」から撤退することを発表して、最後のツアーに旅立つと新聞は告げている。
病んで老いてゆく男と、いまだ荒ぶる魂を持つ女。それぞれの旅のこれからは・・・。
「永遠の嘘をついてくれ」。この歌ただ一曲だけが、私のページに刻まれた。