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大屋地爵士のJAZZYな生活

ロック魂は消えず・・・ 「忌野清志郎」逝く

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(写真;時事通信より)

忌野清志郎(いまわの・きよしろう)氏が逝った。享年58歳。東京生まれ。68年に中学校の同級生らと結成したRCサクセションの中心メンバーとして活躍した。70年にデビュー、82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」やパンクロック風にアレンジした「君が代」が入ったアルバム「冬の十字架」が一時、発売中止になったり、コンサートで突然「あこがれの北朝鮮」「君が代」を歌って、FM中継が中断したこともあった。
06年7月に喉頭がんと診断され入院。治療を続けた後、08年2月に日本武道館で本格復帰した。しかし、同7月、左腸骨にがんが転移していたことが判明、再び活動を中止し放射線治療などを続けていた。歌手であり続けるために、喉頭がんの摘出を拒否したことが早逝につながったのかも知れない。「本名・栗原清志」。芸名からしてロッカー魂に満ちていた・・・。

音楽評論家、田家秀樹さんは、「日本のロックバンドと日本語のロックの原形をつくった人だった。忌野さんがリーダーだったRCサクセションは、黒人音楽と日本語を初めて結びつけ、またビジュアル系の元祖でもあった。反原発の曲をつくるなど、ロックが反骨であると証明し続けた。妥協もこびることもなく、音楽一筋を貫き通したと言える。死は早すぎた。」と語る。(参照Yahoo! News)

私は、その生き様には共感していたが、彼の音楽にあまり惹かれることはなかった。しかし1枚だけCDを持っている。「明日なき世界」、「風に吹かれて」 、「ラヴ・ミー・テンダー」 、「黒くぬれ!」 「サン・トワ・マ・ミー」 、「イマジン」・・・など、往年の名曲に、忌野が全編あらたな日本語の意訳詩をつけ、反戦・反核のメッセージ・ソングとしたカバーアルバム「COVERS」である。当時「RCサクセッション」が所属していた「東芝EMIレコード」は、原子力発電システムを事業にしている親会社に気兼ねをして、このアルバムを発売停止にしたため、別のレーベルから発売になったという当時話題になったアルバムでもある。オリジナルの発売は1988年8月15日、約20年を経て、デジタル・リマスターとして再発売されたが、「黒くぬれ!」、「マネー」など、今聴いても強い、まったく色褪せないメッセージ力を持つ意訳詩である。最後の「イマジン」は、この歌の本質をついた忌野の訳詩で最高の盛り上がりをみせる。高校の同級生の三浦友和や、ちわきまゆみ、坂本冬美などがバックコーラスとして参加しているのも見逃せない。

これぞロックの本質。世界中で、日本で閉塞感とイライラが増幅しつつある今の時代にこそ聴いてみたくなる1枚。最近、こんな強烈なスパイスと体臭をもつアルバムがなくなった。もっと世に出てきてもいいと思うが・・。このところ「癒しのJAZZ」に偏りがちな私にも「喝!」をいれる必要があるかもしれないなあ~。

カバーズ
RCサクセション / / ユニバーサルJ
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自分の道を貫いた「忌野清志郎」は逝った。数少ない真の日本のロッカーであった。
合掌・・・・。

「ラヴ・ミー・テンダー - 忌野清志郎」

         

買ったまま、本棚に積んである本を連休に読んでみようと思う。中山康樹著「ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか」(幻冬舎新書)。かっての全盛期を決して超えることは出来ないが、それでもなお、現役として新しい曲を書き、前進を続ける、ミック・ジャガー、エリック・バートン、ポール・マッカートニーなど14人の「年老いたロッカー」の生き様は、未来へのある指針を示しているという。

ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか (幻冬舎新書)

中山 康樹 / 幻冬舎


by knakano0311 | 2009-05-03 09:37 | 訃報を聞いて | Comments(0)
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