かって、私の故郷の信州では寒暖の差が大きい気候の特徴を生かして「寒天(かんてん)づくり」が盛んであった。子供の頃、冬の厳寒期、秋の刈り取りを終えた田んぼで寒天を干す光景が見られたものだ。寒天は、テングサ(天草)、オゴノリなどの紅藻類の粘液質を凍結・乾燥したものである。今は多分工場生産になっているのであろうが、かって一般に売られている寒天は、冬の寒冷地で自然凍結と天日乾燥を繰り返して作られていたので、寒暖の差の激しい信州は、生産に適していたのだ。
江戸時代、1685年に現在の京都府伏見において、旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門が戸外に捨てたトコロテンが凍結し、日中は融け、日を経た乾物を発見した。これでトコロテンをつくったところ、前よりも美しく海藻臭さが無いものができた。黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励された。同時に名前を尋ねられたが、まだ決めていなかったためその旨伝えると、隠元は「寒天」と命名したという。その後、大阪の宮田半兵衛が製法を改良し寒天を広げる。さらに、天保年間に信州の行商人・小林粂左衛門が諏訪地方の農家の副業として寒天作りを広め、角寒天として定着したという。少し調べてみると、こんな由来がわかった。(Wikipedia参照)
ご承知のとおり、羊羹(ようかん)は、餡(あん)を寒天で固めた和菓子であり、寒天の産地、信州生まれが 、私が和菓子好きになった原因かもしれない。現在では諏訪地域が、国内唯一の角寒天生産地とされている。
長い間そう思っていました。しかし、春も間近なある日近隣の里山、阿古谷をドライブしていると、田んぼの棚いっぱいに何か白いものが干してあるではありませんか。なんだろうと車を止めてみると、なんと「糸寒天」の天日干しだったのです。私の住んでいる所は兵庫県なんですが、「北摂」とよばれる大阪平野の北に位置し、隣町はかっては大阪で唯一根雪が残るので「大阪のチベット」と揶揄されていたところ。したがってこの地域の気候は寒暖の差が激しいので、寒天作りが行われていても不思議はなかったのです。寒天の製造法を改良した「宮田半兵衛」と何かゆかりがあると想像できますね。
そして、いつもは帰省の折に買っていた糸寒天を切らしたので、思い出して買いに行ってみました。この時期もまだ、糸寒天の天日干しを行っていましたね。子供の頃にタイムスリップしたような本当に懐かしい光景でした。かってはこの地区で何軒もが寒天作りをしていたそうですが、今は一軒だけが昔ながらの天日干しによる製造法を守り伝え、全国に高級糸寒天として出荷しているそうです。
手作りの無骨でちょっと太目の糸寒天を求めた後は、この地区のいくつかの寺に多くの仏像を残している遊行僧(ゆぎょうそう)、木喰(もくじき)明満上人の刻んだ仏像を観て帰路に。かって江戸時代1807年に90歳という高齢でこの地を訪れ、彫った仏像14体が東光寺に残されている。そのなかで有名なのが、生木に彫った観音像、立木子安観音。その自然木は彫られた後も70年近く成長し続けたが、明治10年代に落雷で枯死した。しかし、その木に刻まれた観音像は今でも慈愛をたたえ、近隣の人々の信仰を集めている。東光寺のほかこの地の毘沙門堂、天乳寺にこのとき刻んだ木喰仏が残されている。とても90歳で彫ったとは思えないほど、ノミの痕は荒々しいが、90歳でたどり着いた境地が、その微笑を浮かべた温和なお顔に感じとることが出来る。
きょうの「かんてんパパ」のドライブのお供はオランダのピアノ・トリオ「Trio Pim Jacobs」が、1982年にリリースした大名盤「Come Fly With Me」。「飛行機ジャケにハズレなし」といわれるようになった原点のアルバム。昨今のヨーロッパピアノJAZZに共通した一種耽美的要素はまったくなく、むしろ「NewYorkトリオ」や「ジーン・ディノヴィ」などと同じアメリカンJAZZの都会的リリシズムを感じる。しかも、歌伴の名手らしく歌心溢れるメロディーラインと明るくリラックスした雰囲気に溢れ、聴くほどに元気が出るアルバムと言っていい。これほどの名手でありながら、「リタ・ライス」の歌伴として以外の消息やアルバムをあまり残すことなく、1996年62歳で他界したため、あまり知られていないが、アルバム・タイトルのごとく時空の彼方へ連れて行ってくれる心地よさ・・。
さあ、元気を出そう。
カム・フライ・ウィズ・ミー
ピム・ヤコブス・トリオ / ユニバーサル ミュージック クラシック
「Trio Pim Jacobs - Who Can I Turn To」