「セルジュ・ゲンスブール/Serge Gainsbourg」(1928年4月2日 - 1991年3月2日)は、フランスの作曲家、作詞家、歌手、映画監督、俳優である。パリ生まれ。1958年にLe Poinçonneur des Lilas(『リラの門の切符切り』)でデビューして以来、反体制的な作風で人気を博し1960年代の特に後半から1970年代にかけてフランスのポピュラー音楽において中心的な役割を果たしたという。残念ながら、当時JAZZやアメリカ音楽に目が向いていた私は、ゲンスブールの名は近年までまったく知らなかった。作詞に特徴が強く、ダブル・ミーニングなどの言葉遊びを多用し、また、ときには露骨に性的な内容を語った歌詞が多い。俳優・歌手の「ジェーン・バーキン」は3人目の妻であり、俳優の「シャルロット・ゲンスブール」はバーキンとの間にもうけた娘である。死後はその栄光をたたえて、「ジャン=ポール・サルトル」、「シャルル・ボードレール」などの著名人が数多く眠るモンパルナス墓地に葬られた。
そしてその生涯は反体制的な行動や、インモラルな女性関係に満ちたものであったという。中でも1967年、「ブリジット・バルドー」と不倫の関係は有名で、バルドーに「Harley Davidson」など多数の提供曲を作っている。1968年にはセルジュとバルドーのデュエットなどによるアルバム「ボニーとクライド/Bonnie and Clyde」がリリースされている。そして同年、1968年、映画Slogan(『スローガン』)で、離婚直後、パリへ渡ってきたジェーン・バーキンと共演する。当時20歳のバーキンはセルジュに一目惚れし、同年、ジェーンの官能的な吐息が非難と絶賛の注目を集めた「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ/Je t'aime moi non plus」をセルジュとデュエットするなど親密な関係を経て結婚する。以後、「ジェーン・バーキン」へは数多くの曲を提供し、また多くのアルバムをプロデュースしている。1977年バーキンと離婚するが、その後のセルジュはその傷みに耐えかね廃人同然だったが、「カトリーヌ・ドヌーヴ」があれこれ相談にのっていたという。
そして、多分男性諸氏はどこかで一度くらいは聴いたことがあると思いますが、いまやお色気BGMの定番になってしまった感がある、セルジュとのデュエットで歌った官能的な「Je t'aime moi non plus」やバーキンの女優としてのイメージとは大変な落差のある、あのロリータ・ボイスでヒットした「バビロンの妖精」、往年のロックやR&Bスターへのオマージュ「想い出のロックン・ローラー」などが収録されているベスト・アルバムによって、ゲンスブールとの軌跡はたどることが出来る。
ジェーンとセルジュの娘、「シャルロット・ゲンスブール(Charlotte Gainsbourg、1971年7月21日 - )」は、フランスの女優、歌手。もう37歳になる脂の乗り切った女優。彼女は、1984年の『残火』で「カトリーヌ・ドヌーヴ」の娘役に抜擢され、映画デビューした。
この「シャルロット・ゲンスブール」こそが今年の5月24日閉幕したカンヌ映画祭で、会場のブーイングを招いたデンマークの鬼才監督、「ダンサー・イン・ザ・ダーク Dancer In The Dark (2000年)」でよく知られたラース・フォン・トリアー監督の心理ホラー作品「反(アンチ)キリスト(原題Anticrist)」に主演し、第62回カンヌ国際映画祭女優賞を獲得した「シャルロット・ゲンスブール」であるのだ。この作品かなり観客の神経を逆なでするような映像とストーリーらしいが、あえて果敢に出演した女優シャルロットに両親の反骨の血脈が受け継がれているのを感ずる。