夥しい数の材料と道具が実家に残されている。5年前に亡くなった父親の晩年の趣味の表装・表具の材料と道具である。どこから手をつけていいかわからないほどで、仕方がないから、そのままになっている。そのほかにも父親には色々な趣味があったが、今考えてみると、いずれの趣味も道具や材料に凝っていて、その道具がこれまた納屋にいっぱい残っているのである。電気技術者ということもあって、私の子供の頃は、ラジオやアンプ作りを副業をかねてしていた。土曜日の夜行列車で秋葉原へいって、部品を仕入れてきては、近所の注文でラジオやオーディオ・アンプなどを作っていた。結構音が良かったらしく、注文もそこそこあったように記憶している。そして、その副業ための道具、オッシロ・スコープや周波数発信機、短波受信機、モールス発信機など、父親手作りの道具や機器が屋根裏の仕事部屋に揃っていたので、よくそれらでSF映画よろしく遊んでいた。
現在の実家のある地に家を建ててからは、生涯の趣味は、盆栽と庭づくりであった。タイム・スイッチと電磁弁とを組み合わせ、留守の為の「自動散水システム」を自作するほど、丹精を込めた盆栽は200鉢を優に超えていたが、私にその趣味がないなどの理由で、枯らしたり近所の人にあげてしまって、もう一鉢も残っていない。そして枯山水風の庭。巨石を据え、築山を築き、少しずつお気に入りの樹木や花などを植え、自分で剪定や雪囲いをするほど丹精を込めていた。先日帰省した折、芝の刈り込みや枝落しを私がやったみたが、亡くなってからは、樹木の剪定をするだけでも大変な作業であり、これは年一回程度プロの植木職人に頼んでいる。少し荒れてきたが、おやじの愛でた庭に、ことしも「あやめ」が見事に咲いていた。
農家出身のおやじは、一時期、家庭菜園にも凝って、耕運機を使ったり、ビニール・ハウスを作るほどの入れ込みようであった。帰省のたびに孫達が野菜を嬉々として収穫するのを目を細めて見ていたことが思い出される。しかし、残されたこの耕運機やハウスの骨組みなどは、今では始末に終えない代物となって私の頭を痛めているのだ。
そして書道。これも晩年60才を過ぎてから、本格的に勉強を始め、号と師範の免許をもらうほどの達筆に腕を上げていた。やはり、ここでも多分高価な筆の数々、そのうち何本かは棺に納めたが、かって墨をたっぶり含んだ愛用の筆が、本物かどうか分からないが「端州の硯」と墨、漢字の字体の辞典などとともに、いつも座って書を書いていた、古びた机の上に今もおかれている。
このシリーズを書き始めたとき、わたしの「モノ」へのこだわりや執着は、伊丹十三著「ヨーロッパ退屈日記」による影響だろうと書いたが、ひょっとすると、いやいや間違いなく「おやじの血」を受け継いでいるからに違いない。私の亡き後、おやじ同様、残された道具や夥しいCD、本をみて、息子達はどう感ずるのであろうか?
これが不思議なのだが、いい音のアンプを作るのに、音楽だけは音痴で、軍歌ぐらいしか知らなかった。そんな「おやじ」の思い出に捧げる曲として、「ビル・チャーラップ」率いる「New York Trio」の「My Heart Belongs To Daddy」をあげておきたい。この曲が収録されているアルバム「ビギン・ザ・ビギン」は、都会的リリシズムや哀愁を感じさせる現代屈指のピアノ・トリオ、「New York Trio」がその歌心を100%発揮した「コール・ポーター」特集である。いつもの力強さより、曲の歌心を大切にして、スタンダードの数々を、やさしく情感に満ちて歌い上げている。
ビギン・ザ・ビギン~コール・ポーターに捧ぐ
ニューヨーク・トリオ / ヴィーナス・レコード