大屋地爵士のJAZZYな生活

我が青春のシネマ・グラフィティ(12) ~ 江波杏子/女賭博師 ~

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まさに青臭い時代に夢中になった銀幕のヒロインを思い出すこのシリーズ、日本人女優はいないのかとのお叱りを受けそうですが、高校へ入学して一気に映画が解禁となり、それからはたちまち異次元、夢の世界ともいえる洋画に夢中になってしまった私は、学生時代は黒澤明、熊井啓、野村芳太郎作品などのほかは、あまり邦画は見なかったように思う。しかしこの時代の日本人女優をグラフィティにあげるとすれば、「江波杏子」をあげるしかないであろう。ヤクザ映画全盛期、女賭博師シリーズ(1966年~1971年、大映)の「大滝銀子」役で、東映の緋牡丹博徒シリーズ、「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子役、藤純子(現在は富司純子)と人気を二分した。何本か観たが、ストーリーなどはまったく覚えていない。映画というより、アンバランスで不思議な顔立ちの美貌と和服に包まれてはいたが、そのグラマラスな肢体を持つ、「江波杏子」その人のファンであったのだ。

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それにしても、若き日の「江波杏子」は美しい。彼女の日本人離れした不思議な顔立ちともいえる美貌は、当時よりも現代の今の方がウケるのではないだろうか。そして私は、その頃人気絶頂の吉永小百合、和泉雅子などの同世代の青春女優、アイドル女優には一切目をくれることは無かったのだから、すこしませたというか、ひねくれた少年だったのかもしれない。

「江波 杏子(えなみ きょうこ)、1942年10月15日 - 」。
中学生の頃から女優を志し、1959年に大映に入社。1960年、『明日から大人だ』でデビュー。デビュー当初から悪女系の女優として密かな人気を集めたが、長く助演が続く。負傷した若尾文子に代わり主演した1966年の『女の賭場』が出演本数58本目にして初の主役となり、この映画での女賭博師ぶりが話題を呼び、以降『女賭博師』シリーズの 「昇り竜のお銀」こと大滝銀子として大ブレイク。後の女性任侠映画にも大きな影響を与えた。同シリーズは『座頭市』シリーズに次ぐ大映の人気シリーズとなり、1971年の『新女賭博師・壺ぐれ肌』まで17本が制作され、お銀の「入ります!」という決めゼリフは流行語にまでなった。残念ながら『女賭博師』シリーズ、わずかな作品がビデオ化されているのみでDVD化はされていないようである。

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シャープで個性的な美貌と、都会的な雰囲気、グラマラスな肢体の持ち主のため、新鋭写真家達の人気の的で1960年代から1970年代にかけてはモデルとして見事なヌードも披露し、グラビアでも活躍した。たしか最初の衝撃的なヌードが掲載されたのは、雑誌「話の特集」ではなかったかと記憶している。
この「話の特集」は日本におけるミニコミ雑誌の草分けで、その斬新で過激な内容に魅せられて、ずいぶんと読んだもんだ。「江波杏子」のほか、「カルメン・マキ」、「池畑慎之介(ピーター)」などの鮮烈なヌード・グラビアをいまだに記憶している。

大映倒産後の1973年、映画「津軽じょんがら節」の主演でキネマ旬報主演女優賞を獲得。任侠映画のヒロインから完全に脱皮を遂げた。私もこの作品が彼女の最高作品と評価している。以降は演技派女優としてテレビドラマや舞台でも活躍、最近は、NHK朝の連続ドラマ「ちりとてちん」で芸者あがりの主人公の祖母を演じて、とてもその歳には見えない色っぽさが健在なことを披露した。

『津軽じょんがら節』。荒々しい冬の日本海を背景に、都会から逃げてきた男女の揺れ動く心を情感豊かに描き出した斎藤耕一監督の代表作。
津軽のさびれた漁村の停留所に降り立つ一組の男女。 東京でバー勤めをしていたイサ子(江波杏子)が、いざこざを起こして追われている徹男(織田あきら)を追って、生まれ故郷のこの村に帰って来たのだ。何もない田舎町で退屈する徹男は、瞽女(ごぜ)になるのだと言う、盲目の少女ユキ(中川三穂子)と知り合う。

全篇に鳴り響く高橋竹山の津軽三味線と荒々しい波の音、時折挿入される斉藤真一の瞽女(ごぜ)の絵などが、津軽の厳しい風土が持つ雰囲気を一層際立たせる。私が、この「高橋竹山」のじょんがら三味線に魅せられ、竹山のコンサートにいったり、「斎藤真一」が描く瞽女たちの絵に強く魅かれていったのも、この映画を観たからであった。

津軽じょんがら節 [DVD]

ジェネオン エンタテインメント



ひょっとしたら一度聴いたら忘れられなくなるかもしれない太棹三味線の響きと力強さ。もう鬼籍に入ってから10年経ってしまった「高橋竹山」、彼の最高の遺産。1910年(明治43年)6月18日生まれ、1998年(平成10年)2月5日死去、彼の人生の証。

津軽三味線 決定版

高橋竹山 / 日本クラウン



「斎藤 真一(さいとう しんいち、1922年(大正11年)7月6日 - 1994年(平成6年)-9月18日)」。生涯、東北で三味線を弾き語る瞽女(ごぜ)たちの表情や生活をテーマに描き続けた画家「斎藤真一」。彼もまたすでに鬼籍に・・・。

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越後瞽女日記 (1972年)

斎藤 真一 / 河出書房新社


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                           画集《斉藤真一・さすらい日記》より
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by knakano0311 | 2009-08-13 09:28 | シネマな生活 | Trackback | Comments(0)
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