(承前)
さて、新薬師寺を後に、小道の静かなカフェで昼食をとり、再び奈良公園を起点に国道369号を北へ30分ほど歩く。この国道は、京と奈良、柳生とをむすぶ古くからの街道で、いまだに歴史を感じさせる古い町並みが所々に残っている。「うだつ」があがり、どっしりとした格子構えの家屋、店舗、どこか懐かしい風景。帰り道には、そんな町並みにある伝統の和菓子屋に立ち寄り、奈良の名物、吉野葛を使った絶品のわらび餅と栗菓子をみやげに求めた。試食にと出されたわらび餅のぷりぷりとした舌触りとほのかな梅味のお茶が、すこし疲れた体には心地よかった。
堂々たる東大寺の国宝転害門(てがいもん)を右に見て、しばらくするとゆるやかな上り坂、奈良坂(ならさか)に差し掛かる。振り返ると、東大寺大仏殿の大屋根の鴟尾(しび)が、金色に輝いている。京からこの奈良坂を超えてきた旅人は、輝く大屋根を見てさぞかし感激したろうと思われる。坂の途中、誰が名づけたのか、どういういわれがあるのかも分からないが、室町時代後期、永正六年(1509年)建立の銘がある「夕日地蔵」と名づけられたお地蔵さんがぽつんと立っていた。傍らに建てられた「会津八一」の歌碑が印象的。
「奈良坂の 石の仏の おとがひに
小雨ながるる 春は来にけり」 (会津八一)
そのほか、この街道筋には、赤レンガ造りで、美しいロマネスク調の門を持つ奈良少年刑務所や水道設備の跡などレトロな建物がある。この刑務所は、いまでも現役であるが、1908年(明治41年)に建設された建物で、ジャズピアニストの山下洋輔氏の祖父「山下啓次郎」という方が設計を担当したという。一瞬、ここが刑務所であることを忘れてしまいそうになるほど、煉瓦の模様が美しく、明治時代の建物の魅力が存分に感じられる。こんな発見もあるからウォーキングは楽しい。
ここまでくると、「コスモス(秋櫻)の寺」と呼ばれる般若寺はもうすぐ其処。鎌倉時代に建立されたといわれる国宝の楼門が見えてくる。般若寺は、古代朝鮮から仏教を伝えた慧潅(えかん)が、飛鳥時代(7世紀)に開いた寺。この寺が平城京の鬼門に位置するため、聖武天皇が「大般若経」というお経を納めたことがその名の由来という。吉川英治の小説「宮本武蔵」のなかで、武蔵が槍の宝蔵院と闘った「般若坂の決闘」というのは、このあたりに題材をとったのかもしれない。
境内は、本堂や重要文化財の十三重石宝塔を取り囲むようにコスモスが咲き乱れ、涼やかな風の中に身をおいて眺めていると、まるで別世界のような時間と空間。歩きにやや足が疲れていた妻が「きてよかった・・・」とつぶやいた。
さて、再び国道369号を奈良公園へと歩いて引き返し、興福寺の五重塔、猿沢の池の脇を過ぎ、これもまた「萩の寺」と呼ばれ、奈良町のど真ん中にある「元興寺」へと向かった。「元興寺」は、「行基葺きの屋根」とよばれる奈良時代以前の丸瓦が、国宝の極楽堂や禅室に残っている世界遺産の寺。欽明十三年(552年)或いは宣化三年(538年)にわが国に仏教が伝えられて、正式にわが国最初の寺の建設が飛鳥の地に起工されたのが祟峻元年(588年)のこと。法興寺(=飛鳥寺)である。その後和銅三年(710年)奈良に都が移されると、この寺も新京に移されて、寺名も法興寺から元興寺に改められた。当時は、東大寺に次ぐ位置づけの広大な敷地と伽藍を持つ大寺院であったが、いまは極楽堂、禅室などわずかな伽藍しか残っていない。
元興寺は、江戸・明治・昭和前期の町屋が立ち並ぶ伝統建築群地域である奈良町のど真ん中にある。しかし、中へ入るとここも時間が静止したような別世界。「萩の寺」の名に違わず、国宝の極楽堂の周り一面にそよぐ萩の花。2500余基にもおよぶ浮図(ふと)と呼ばれる付近に点在していた野仏、石塔・石仏を供養のために集めた浮図田(ふとでん)。時はお彼岸、萩のほか、色鮮やかに咲き乱れる桔梗、彼岸花の中で、石の仏達は、静かで安らかな時を迎えているようにも思えた。
この元興寺で、この日、休みも含めて、ゆっくりと5時間くらいかけた古都ウォーキングは終了。例によってドライブのお供は、今回は若手JAZZシンガーでラテンを歌わせたら右に出るものがいない「MAYA」の新作。本人も「ラテンアルバムを出さなければ死ねないな、みたいな。正直思っていましたから。」と語るほどの力の入れよう。期待を裏切らないできばえで、そのラテン・テイストに鷲掴みされてしまう。
マルチニークの女
MAYA / ディウレコード
「MAYA - ベサメ ムーチョ ( 『マルチニークの女』より)」
【追記 2009.9.25.】
本日のNHKスタジオパークに山下洋輔氏が出演。祖父である山下啓次郎のことについて語っていた。2008年9月13日に奈良少年刑務所内の講堂において、建築100周年を記念して、「山下洋輔ソロ・コンサート」を行ったと語り、その模様の映像が流れていた。偶然とはいえ、なんと言うタイミングのよさか・・・。