男性向け週刊誌「平凡パンチ」が創刊されたのは、46年も前の話、1964年4月28日(昭和39年)発売、「5月11日創刊号」であった。私が大学浪人生活を始めたのと同じ時期である。「平凡パンチ」は若い男性向けのファッション・情報・風俗・グラビアなどを取り扱う週刊誌だったが、団塊世代とそれ以後の世代に大きな影響を与えたといわれる。とりわけ「大橋歩」氏の描く表紙絵の若者、スポーツカーなどが人気を呼んだ。このような表紙絵や挿絵を「イラストレーション」、書き手を「イラストレイター」とよぶのが定着したのもここからだったような気がする。みゆき族、アイビー・ルック、ブルージーンズ、VAN、JUNなどというファッションや風俗が話題になったのもこの頃と前後した時期であったとおもう。
しかし、当時私は田舎の大学浪人、このような雑誌が創刊されたことは知っていたが、興味もなく、まして定価50円というのも、とても気軽に買える額ではなかったように思う。大学生になって窮屈な詰襟の学生服から解放され、ファッションへの興味も少しは出てきたが、IVYルックとかは貧乏学生にとっては、ただあこがれるだけ。もちろん太目の私に合うサイズなどあろうはずもなかったが ・・・・。やがて、学生バンドを結成したが、当時人気のGSはミリタリールック全盛、我がバンドのユニフォームといえば、さえないベストであった。
そして就職。メーカ-の研究所へ勤務する私にとっては、作業着が、企画職に転ずるまでその後のながい間の仕事着、ユニフォームとなったのである。会社のヨット部に入って、練習に明け暮れる週末は、Tシャツと短パン。マリン・ルックのファッションなどはなんにも考える必要はなかった。それでも、Tシャツ、セイル・バッグ、デッキ・シューズ、マリンブーツなどに個性を意識することも覚え、なかでも「HH」などは憧れのブランドであった。キングセイル製のセイルバッグは30年以上経った今でもアウト・ドアの使用に耐えている。そして定年後の今、山遊びには、ヘルメット、長靴、長袖のシャツ、ベスト、軍手、タオルというのが定番の山の遊び着。それにナップ・ザック、剪定はさみ、枝きり用の折りたたみのこぎり、鉈(なた)などの装備や道具をもって、いそいそと出かけるのである。
ファッションというような大げさなものではなく、自分が何を着てきたかを語ることが、そのまま自分史を語ることでもある。
IVYルック、ボタン・ダウンのチェックかストライプのシャツ、コットン・パンツ、スリッポンのローファー ・・・・。そんな憧れのIVYルックに身をつつんだバンドがカレッジ・フォークのブームに乗ってアメリカからやってきた。「ザ・ブラザーズ・フォー/The Brothers Four」。カレッジ・フォークの代表的バンド。ベトナム戦争の不条理や残酷さ、悲惨に反発を感ずる一方で、ブラフォーの音楽性、IVYルックの爽やかさ、そしてJAZZ、車、映画、TV、アメリカの豊かさに憧れる矛盾した自分がいた。
ブラザーズ・フォア ベスト・オブ・ベスト
ブラザーズ・フォア / プルーク
聴いてみますか?
あの懐かしい「Green Slieves」。 ブラフォーも外見はすっかり我々と同世代になってしまったが、あの美しいハーモニーは変わらない。