人気ブログランキング | 話題のタグを見る

大屋地爵士のJAZZYな生活

秋を呼ぶ祭り ~もうひとつの大文字火~

秋を呼ぶ祭り ~もうひとつの大文字火~_b0102572_9224552.jpg

京都の「大文字送り火」が終わると、残暑はまだ厳しいものの関西人は、秋の気配を敏感に感じるようだ。ご近所の多田神社で行われる「萬燈会」もそうであるが、そんな秋を前にした供養の祭りが近畿地方のあちこちで行われるのである。そんな祭りのひとつが、あちこちの辻や路地で行われる「地蔵盆」である。

地蔵盆(じぞうぼん)は、地蔵菩薩の縁日(毎月24日)であり、特にお盆の期間中でもある旧暦の7月24日を中心とした3日間の期間に行われる地蔵菩薩の祭のことをいう。地蔵盆は寺院に祀られている地蔵菩薩を対象とした祭りではなく、道祖神信仰と結びついた路傍あるいは街角、辻の地蔵が対象となっている。近畿地方では特に盛んであり、この時期、古い町並みのある町では、あちこちの路傍にあるお地蔵さんを祀っているのをよく見かける。今日では地蔵盆は子供のための祭となり、地蔵の前に集まった子供達に供養の菓子や手料理などを振るまわれる場合が多い。地域興しのため、いろいろな土地の祭りが、ショー化、パレード化、カーニバル化していくのはやむをえないとしても、一方で地蔵盆のような地味であるが、地域の濃密な縁(えにし)と歴史を感じさせる祭りを見かけると、どこかで「ほっ」としたような気持ちになる。

秋を呼ぶ祭り ~もうひとつの大文字火~_b0102572_9235393.jpg

同じ時期、毎年8月23日・24日に行われるのが、「千灯供養」。特に有名なのが、京都・化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)の「千灯供養」。化野の地は、かって東山の「鳥辺野(とりべの)」、洛北の「蓮台野(れんだいの)」と並ぶ平安時代以来の墓地であり、風葬の地として知られている。そんなことから、念仏寺境内の西院(さい)河原にまつられている約8000体の無縁仏の石塔、石仏ひとつひとつに蝋燭(ろうそく)を灯し、供養する宗教行事である。同じ「路傍の仏の供養」ということで「地蔵盆」とも何らかの関係があるであろうか。関西に来たころ、「化野・念仏寺の千灯供養」へ2度ほど行ったことがあるが、山之辺の静かなお寺に広がる幻想的な世界を目の当たりにして、その美しさに絶句したことがある。

秋を呼ぶ祭り ~もうひとつの大文字火~_b0102572_9245945.jpg

そして、隣町で行われるのが、大阪府無形民俗文化財に指定されている「池田五月山のがんがら火祭り」。五月山中腹にある愛宕神社の夏祭りである。かねてから見たいと思っていたが、なかなか機会を得ず、今回初めて間近で見ることができた。

毎年8月24日、大阪府池田市で行われる「愛宕火(がんがら火)」は、1644年(正保元年)にその起源を持つ、北摂を代表する勇壮な伝統的火祭りである。重さ100キログラム、長さ4メートル、3基の大松明を担いで、全行程3キロメートルの道のりを火の粉を散らしながら練り歩くのである。「がんがら火祭り」と呼ばれる由縁は、大松明に随行して打ち鳴らす、八丁鐘や半鐘を音に由来があるとのことだ。がんがら火は、五月山山上にある愛宕神社の火伏せ信仰と結びついている。愛宕神社の大元は「火伏に霊験あり」と信じられている京都の愛宕神社。ここのお札をもらって炊事場などに貼ってあるのを関西ではよく見かける。正保元年(1644)に、地元の多田屋・板屋・中村屋・丸屋の四人の旦那衆が、五月山山上で百味の箱を竹に立て火をともしたところ、人々がその火を見て、池田に愛宕が飛来したといいながら、競って参集したのというのが「池田の愛宕神社」のはじまりとされている。

秋を呼ぶ祭り ~もうひとつの大文字火~_b0102572_9315276.jpg

京都まで行かずに、手軽にお参りできるのが有り難いと、この五月山の新愛宕は忽ち大繁盛したという。その評判があまりに高いために、京都の御本家の愛宕神社から抗議があったというから面白い。今で言えば、商標権か著作権侵害であろうか ・・・。

昭和初期頃からは、大松明が登場し、がんがら火は華やいだ行事となった。今のがんがら火は、この大正から昭和の初めに完成されたスタイルを受け継いでいるという。「火伏せ信仰」から、その火を御燈明に灯すと火除けになると信じられ、この日も大松明のこぼれ火を拾い、持ち帰る人を多くみかけた。そして、市のシンボルである五月山には、京都の送り火の如く、西は「大一」、東は「大」の文字に御神火が点され、池田の夜空に浮かび上がる。五月山と猪名川の間の斜面に開けた町で、狭い路地や階段の多い町。地蔵盆の灯りの浮かび上がる、その路地の闇の奥からコンチキチンの鐘の音とともに火の粉を撒き散らして大松明が近づいてくる。地蔵盆の堤燈の「静」と松明の「動」。

がんがら火は、その起源から350年以上経った現在も大事に受け継がれ、池田に隣接する近在近郷の者にとって秋を迎える季節の風物詩となっている。どこの祭りでもそうであろうが、少子高齢化、引継ぎ手がなかなか確保できないという。この祭りも相当な人手を必要とすると思われるが、なんとか続けていってほしいと思う。


秋を呼ぶ祭り ~もうひとつの大文字火~_b0102572_1637673.jpg



              「愛宕火や 池田伊丹の 秋ひとつ」 休計



40年ほど前に富山・八尾の出身者を夫人にもつ友人から誘われてから、長い間焦がれているが、いまだに行きえていない秋を呼ぶ祭りがある。「二百十日」によせて、9月1日から3日まで行われる、富山は八尾の「風の盆」。今年も近づいてきたが、またいけそうにない ・・・。

ぼんぼりに灯がともり、胡弓の音が流れるとき、風の盆の夜がふける。越中おわらの祭の夜に、死の予感にふるえつつ忍び逢う一組の男女。高橋 治「風の盆恋歌」は、私にとっての永遠の恋愛小説。

風の盆恋歌

高橋 治新潮社



「風の盆」当日は、普段は2万人ほどのひっそりとした小さな町に数十万という大変な数の観光客が押し寄せるため、とても情緒を味わうどころではないという。焦がれて純化された「風の盆」への私のイメージは膨れ上がり、訪れたとしても、きっと裏切られるに違いない。ならば小説や映像でその雰囲気を味わうだけにして、焦がれる思いは永遠に心の中に留めておいたほうがよさそうである。

観てみます? 越中・八尾の「おわら 風の盆」

          

そして、これまた長い間焦がれて、たぶん一生無理であろうが、いまだに行きえていないカルナバルは「リオのカーニバル」。南半球のブラジルでは夏の終わりの2月に行われる。映画 「黒いオルフェ」で観て以来、ずっと恋焦がれている祭り。

聴いてみます?映画の一場面とともに。 「カーニバルの朝(黒いオルフェ)」。1959年フランス・ブラジル合作映画 「黒いオルフェ」の主題歌で、ルイス・ボンファ作曲である。

          

 
 
by knakano0311 | 2010-08-25 09:50 | 我が家の歳時記 | Comments(0)
<< 晴れ、突然、鉄男 遠い花火 >>