第2回目の炭焼きの炭は、あまりよい出来ではない結果だったが、続いて、第3回目の炭焼きが始まった。その二日目のイベントは、「椿油絞り」。今年もまた、この山から秋に採集した椿の実から油を絞る。十分に乾燥させた実を割って果肉を取り出し、粉砕した後、袋につめ、蒸してから圧搾機にかけて採油するのである。そして、ろ過すると、黄色がかった透明な美しい油が得られるのである。その「椿油」に芯を浸し、灯を燈してみた。「燈明(とうみょう)」である。いつ燈しても、この「燈明」、心癒される灯りである。
古人の知恵である。椿の実には多くの油分が、胡麻や菜種などと同じように含まれていることを古人は知っていたのである。日本での椿油の記録は、光仁天皇の宝亀八年(777年)まで遡るという。そして、果肉はこのように油として使うが、実を取った後の殻も紫色を染める染料の媒染剤として貴重な材料であったという。絞った後の油粕は、土壌改良剤に使うと、まさに余すところ無く使うという「エコ」の思想ではないだろうか ・・・ 。
炭焼きの炎、椿油の燈明の灯りをみながら、日本各地には火の伝承行事や祭りが多いことが頭に浮かんだ。関西でもちょっとあげると、鞍馬の火祭り、五山火送り(大文字焼き)、地蔵盆、千灯供養、がんがら火祭り、八坂のおけら火、左義長(どんと焼き)、五條の鬼走り、若草山の山焼き、二月堂・お水取り(修二会)の大松明 ・・・などが、すぐ思い浮かぶ。
世界でも類まれな木の国、日本。その木を原料にした炭。その木や炭から出る炎は、砂鉄を鉄器や鋼に、銅鉱を銅に、そして仏像に、土塊(つちくれ)を土器や陶磁器に変えてしまう。そして灯り、暖房、調理、お湯も ・・・ 。暗闇の中に燈る燈明の灯りにほっと癒される。古代人にとっては、なおさらであったろうし、火や炎は、不思議な力を持った魔法と目に映ったであったであろう。したがって、暗闇と同じ様に、火への畏敬、畏れは当然のように人々の心に生まれ、火を扱うことができる人間は、スーパー・ナチュラルな力を持つ、神に近い存在であったかもしれないのだ。
火と結びつく信仰は、「木の国」日本において、「木の再生」や「火の誕生」、「鉄へのメタモルフォーゼ」などの力と結びついて、自然発生的に生まれたのではないかと私は思うのだが、酒船石などを例に挙げ、飛鳥時代の日本にペルシャを起源とするゾロアスター教(拝火教)が伝わっていたのではと示唆したのは、「松本清張」であった。
日本へのゾロアスター教伝来は未確証であり、その信仰・教団・寺院が存在したという事実を示すものも発見されていないが、ゾロアスター教は唐時代に中国へ来ており、また古代日本にはペルシア人が来朝している記録もあることから、なんらかの形での伝来が考えられているという。真言宗の作法やお水取りの時に行われる達陀の行法は、ゾロアスター教の影響を受けているのではないかとする説を提出している学者もいる。(参照Wikipedia)
飛鳥路に古代人の残した謎の石をたずね、イランの砂漠に立つ「沈黙の塔」に日本の古代を思い、古代史と歴史家の謎の死とを結び、壮大なスケールで展開するロマン長篇は「松本清張」著「火の路」(原題:火の回路)。
火の路-上 (文春文庫 ま 1-29)
松本 清張 / 文藝春秋
そして、日本へのゾロアスター教伝来説をNHKが特別番組で放映し、私はそれを夢中になってみていたこともあった。そのNHKドキュメンタリー番組を出版した本が「ペルセポリスから飛鳥へ―清張古代史をゆく 」。
ペルセポリスから飛鳥へ―清張古代史をゆく (1979年)
松本 清張 / 日本放送出版協会
火を燃やしていて思ったのであるが、伐ってからすでに2ヶ月は経っているのに、燃える雑木の切り口から大量の水が出てくる。去年の記録的な猛暑、木はわかっていたのである。だから、猛暑で枯れないように、大量に内部に水分を貯えたのである。すべてがDNAのなせる業、その業に自然の不思議や神秘を感じる。
話は変わるが、燃料や建築材などをすべて木材に頼っていた昔、江戸時代、明治時代までは日本でも禿山が多かったという。確かに六甲山などの昔の写真を見るとそのようである。それらが、電気、石油、鉄、コンクリートなどに代わり、海外からの安い木材が使われるようになり、林業の経営が難しくなり、森林が放棄され、禿山がなくなり、その結果、手入れをされない鬱蒼した森がどんどん増えているというのも皮肉な話である。
癒しの灯りが「燈明」ならば、癒しの声は「声明」であろう。「声明(しょうみょう;旧字体は聲明)」とは日本の伝統音楽の一つである。仏典に節をつけたもので、儀礼に用いられる宗教音楽である。平安時代初期に最澄・空海がそれぞれ声明を伝えて、天台・真言声明の基となったという。 天台宗・真言宗以外の仏教宗派にも、各宗独自の聲明があり、現在も継承されている。その声明のCDもいくつか出ているが、火に関連した「東大寺お水取りの声明」をあげておきましょうか。修二会をみて、そこで唱えられていた声明の美しさに感動したことがある。声明を聴いてみたい方、YOUTUBEは
こちら 。
東大寺お水取りの声明
東大寺-山僧侶 / キングレコード
「声明」が日本の仏教の祈りの美しさならば、キリスト教のそれは「グレゴリオ聖歌」であろうか。本来は「祈りの言葉」であるが、西洋音楽のベーシックとされ、現在残されているヨーロッパ音楽の中で、再現することが可能な最古の音楽だといわれている。グレゴリオ聖歌を聴いてみたい方、YOUTUBEは
こちら 。
グレゴリオ聖歌
サン・ピエール・ド・ソレーム修道院聖歌隊 / キングレコード
「セルジオ・メンデスとブラジル’66/Sergio Mendes & Brasil '66」のアルバム第4集「フール・オン・ザ・ヒル/Fool On The Hill」から「祈り/Laia Ladaia (Reza)」。確か「エドゥ・ロボ/Edu Lobo」のカバーであったが、呪文のようなフレーズが印象的な曲であった。このアルバム、カバー曲がほとんどであるが、原曲とはまた違ったラテン・フィーリングが心地よく響くのは、このころはまだ駆け出しであったアレンジャー、「デイブ・グルーシン/Dave Grusin」の実力。
フール・オン・ザ・ヒル
セルジオ・メンデス&ブラジル’66 / ユニバーサル ミュージック クラシック
Sergio Mendes - Laia Ladaia (Reza)
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