暖かい春の陽が注ぐ我が家の四角い画面の中で大惨事の光景が展開している。TVは、まるで映画のCGのように、はじめて見る大津波の実景を、どこか現実感を喪失したような感じで映し出している。現実は、我々の想像力を遥かに超えてしまっているのだ。16年前、大きな被害を受けた近隣の町やわが町を歩いたが、何もできなかった。今回も同じ無力感を痛烈に感じる。松島、塩釜、気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石、遠野 ・・・。学生時代、その豊かな自然と人情に触れた思い出の地でもある。やがて、復興に向けていろいろな支援や活動が本格化するだろう。何かできることをすこしでも協力しようと思う。
今年も櫻の若木を植えた。この山の櫻の種から育てた5年ほどの「エドヒガンザクラ」の若木を25本ほど。「ソメイヨシノ」の祖であるといわれている、「エドヒガンザクラ」の寿命は千年という。被害にあった方の鎮魂と、一刻も早い被災地の復興を願って櫻を植えた。
新潟・中越地震のときは「平原綾香」のうたう「ジュピター」にラジオのリクエストが殺到したという。阪神・淡路大震災のときも、いくつもの歌が現地に流れた。そして、震災から2ヵ月半たったころ、瓦礫の中に咲いた何本もの櫻の花が、被災者の心を癒したと聞く。
今年も後1ヶ月したら櫻が咲く。瓦礫の中でもきっと櫻は咲く。そして、きっと癒してくれる。そして、この歌も ・・・ 。
櫻守のまねごとをして、今年も櫻を植えた。
「ふくい舞 / いくたびの櫻」。