3月11日。65歳の誕生日。いよいよ高齢者の仲間入りで、取り立てて、めでたくも祝いたくもない日。単なる通過点としたかったが、そうもいかず、妻の発案で大阪が一望の下に見渡せる箕面のカフェ・レストランへ食事に。とまあ、静かなバースディで、穏やかに一日が終わるはずであった。帰宅したのが午後3時ころ。めずらしく東京に住む長男から留守の間に電話が入っていた。時間を確認したら「着信15:06」、帰宅の直前の電話である。そして、何気なくTVをいれたら、最近観た「クリント・イーストウッド」監督の映画「ヒアアフター」を思い起こさせるような信じられないような光景が映っていた。あの電話は、長男からの安否を知らせる電話であったことに気がついた。
それからは、首都圏、北関東に住む家族、親戚、知人の安否を確かめようとすぐに電話を入れたが、もうすぐにつながるような状態ではなかった。威力を発揮したのはPCによるEメール。全部の安否の確認が終えたのは夜9時過ぎであった。ほっとすると同時に、16年前のあの日を思い出していた。
我が家の被害は軽微であったが、まず停電した。TVを見ることができないので、何が起こっているのか現場ではまったくわからない。周辺には山ほど情報があるのだが、それを一番必要とする肝心の現場では入手できなかったのである。同じようなことが今回も起こっているのであろう。「TVでは繰り返し、すぐに逃げてください、海岸には近づかないでください」といっているが、はたして現場に届いたのであろうか?
学生時代をすごした仙台、東北地方にはいささかの縁もまだ残っている。被害の全容がわからないが、被災された皆さんには、心からお見舞い申し上げます。
まずは命を救うことと、これ以上の被害の拡大を防ぐことが急務であろうが、大変なのはこれからです。16年前、さほど大きな被害を受けなかった私の地域でも、電気が復旧するのに丸1日、ガスにいたっては丸々1ヶ月以上かかったのである。暖房、食事、風呂、通勤通学、食料品・日用品などの確保や日常生活を維持するのに大変であった。会社の同僚や知人には大変な被害にあった方も多く、横から見ていても、その過酷さ、大変さは十分に感じられた。今回は、地震にくわえ、今回は津波という未曾有の被害も加わっている。想像を絶する大変さであろう。
国、地方、与党、野党、公、民間を問わず、「国民の生活と命を守る」という根幹の政治力、統治力、行政力の全てが問われている。まさに日本の国民力が問われているといっていい。この危機を乗越えられるならば、この国の政治危機、経済危機の克服などいかばかりのものであろうか。