(2011年3月現在のもの、現時点ではすべて止まっている)
「70㎞」。我が家と「大飯原発」との直線距離である。チェルノブイリの時は半径30㎞以内に住む人間は強制避難、移転させられ、100㎞、200㎞と離れた場所でも深刻な放射能汚染に曝された。そして、大飯原発だけではないのである。この周辺には、美浜、高浜、敦賀と大飯も含め、計15基もの原発がひしめくように建設され、稼働していたのである。いずれも、我が家からの距離は大飯とおなじようなものである。以前から指摘されているように、淀川の水源である近畿の水がめ「琵琶湖」は30㎞以内に当然引っかかるのである。去年の3月11以前は気にも留めなかったが、以後はこの「15基」と「70㎞」という数値がいつも頭の片隅にある。
6月8日、野田首相は「大飯再稼働」を表明した。福井県だけが再稼働非難のリスクを背負いたくないという西川福井県知事の「首相が直接国民に表明しろ」という脅しともとれる要請に応えて丸のみした形。
いわく「国民生活を守るため」、いわく「原発は重要な電源」、いわく「安全な対策と態勢は整っている」、いわく「全電源が失われても炉心損傷には至らない ・・・・」。何をかいわんや。福島の原子炉の実態すら、事故の真の原因すら、事故後の対応対策のあり方すら究明中なのである。近畿の首長たちの要望である「夏季限定稼働」も一蹴、これでは、原発の稼働なしにこの夏を乗り切ったという事実を作りたくないのだと思われても仕方がない不可解な性急さである。これでは、「容認」すら出来っこない。
計画停電? やってみればいい。必ず乗り切れるに違いない。関西には、あの阪神淡路大震災を乗り越えてきた経験も力も自信もある。「こんどこそ、うまくやろうな」という「ムラ」の囁きが聴こえるようだ。なにせ、年間2.5兆円(週刊「ダイヤモンド」2011.5.11号による)が動く巨大産業なのだ。
決まった40年廃炉についても「保安院」は更なる20年の稼働延長を認めるという。「国会事故調」は事故時の東電の対応を了とし、「菅前首相に問題あり」と言い出した。これも決まっている「原子力規制庁」はいまだに発足せず、とっくに廃止されているはずの「保安院」、だれも責任をとらずトップはそのままになっている「安全委員会」がまだ安全行政の実権を握っているという不可解さ。そして菅前政権が決めた「脱原発依存」についても、日本のエネルギーの将来像は結論が出ず、先送りされたままだ。これら動きは、「菅おろし」の時から決まっていたシナリオ?、いやそのための、「菅おろし」でさえあったような気がする。そして「消費増税」の上に「原発再稼働」問題を抱えては、選挙は先延ばさざるを得ない政権与党の思惑。いわく「国民を守るための決断」???
このまま、なし崩しで次々と原発が再稼働していくのか?「国民の生活を守るため」という誰にでもわかる論理のすり替え。金縛りにあっている立地自治体にとっても、すべての国民にとっても、「既得権益は絶対崩れない」というこれまでの日本の政治を変える千載一遇の絶好のチャンスであったのに、機会は失われ、いま、「70㎞先の危機」は「日本の危機」にもなった。