(写真;左が姉・エミさん)
「恋のバカンス」や「恋のフーガ」のヒット曲で知られる双子の歌手「ザ・ピーナッツ」の姉、伊藤エミ(いとう・えみ)さんが15日に亡くなった。71歳だった。
伊藤さんは昭和16年、愛知県生まれ。ジャズクラブで歌っているところをスカウトされ、上京。一卵性双生児の妹のユミさんと「ザ・ピーナッツ」を結成し、昭和34年に「可愛い花」でレコードデビューした。卓越した歌唱力とハーモニーの美しさで注目され、音楽バラエティー番組「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」に出演。「恋のバカンス」や「恋のフーガ」など数々のヒット曲を送り出し、高度成長を背景に、テレビの普及とともにお茶の間の人気者となった。シングル、アルバムと合わせて175万枚を売り上げたという。また、日本国外でも活躍し、「エド・サリヴァン・ショー」や「カテリーナ・バレンテ・ショー」、「ダニー・ケイ・ショー」にも出演したことがある。1975年2月18日に記者会見を開き、現役を引退することを表明した。その後、沢田研二さんと結婚、離婚。(朝日新聞、Wikipedia など参照)
ざっと思い出すだけでも、「可愛い花」、「情熱の花」、「コーヒー・ルンバ」、「ふりむかないで」、「恋のバカンス」、「ウナ・セラ・ディ東京」、「恋のフーガ」などのヒット曲が浮かぶが、とりわけ「恋のバカンス」(1963)は、「岩谷時子」の洋画の一場面のようなロマンティックで、エキゾティックな歌詞、そして、ずば抜けた「宮川泰」のJAZZYな作・編曲とあいまって、世界中で大ヒットした和製POPSの大傑作である。いまでもちゃんとハモれないアイドル・グループが多い中で、「ザ・ピーナッツ」は完璧にハモっていた。
1963年、「恋のバカンス」のリリース当時、私は17歳。高校3年生の私は、もうすぐ迫る大学受験の影を頭から締め出しながら、夏の終わりの文化祭、その夕やみ迫る校庭の野外レコードコンサートでこの曲を聴いていた。もちろん、女友達などいない私が、同じような男友達と群れつつ、「恋」、「バカンス」を空想しながら聴いた高校最後の夏の思い出の曲「恋のバカンス」。もう50年近く昔の話 ・・・。
合掌 ・・・・ 。
伊豆か、湘南海岸あたりでしょうか? 昭和の時代色が色濃く感じられる映像とともに ・・・。
「恋のバカンス / ザ・ピーナッツ」
この曲がもっともヒットした外国は、ソビエト連邦(現・ロシア)だと聞いたことがある。ロシア語版「恋のバカンス」を日本語の対訳付きで ・・・・。
「Каникулы любви(恋のバカンス/日本語訳付き)」