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大屋地爵士のJAZZYな生活

俄か愛国主義者の夜は更ける(後半)

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私には、意味も発音も全く分からないポーランド語でしか歌わないジャズ歌手、私が知っている限り、いわゆるジャズ・スタンダードを一曲も歌わないジャズ歌手、「アナ・マリア・ヨペック/Anna Maria Jopek」が、なぜ私の心をこれほどまでにとらえてしまったのだろうか? 世界中のアスリート達によって展開されるオリンピックの戦いを観ながら、ポーランドとヨペックの音楽的背景について少し考えてみたその続きの話です。

歴史的や言語的背景については、前回にすこし触れてみた。宗教についてはどうだろう?ある調査によると、国民の約95%がカトリック教徒であり、そのうち75%が敬虔な信者であるという。従がって、ポーランド人の普遍的な価値観や日常生活の中にカトリックの信仰が深く根付ているのである。ヨペックのアルバムを聴いていると、たしかに「アリア」ともいえるような宗教的雰囲気に彩られた曲がいくつもあることに気が付く。そうそう、前ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世もポーランド出身でした。

そして、クラシック音楽では、マズルカやポロネーズなどといったポーランドの伝統的なダンス音楽を、外国に広く紹介する役割を果たした功績はなんといっても「フレデリック・ショパン」に与えられるという。「ショパン」の音楽活動によって、ポーランド音楽はヨーロッパで大人気となったという。ポロネーズは、ポーランド音楽を最初に知ったフランス人たちが、フランス語で「ポーランド風(のダンス音楽)」と名づけたものだという。(Wikipedia参照)

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一方、東欧、ポーランドにおけるジャズの先駆者的存在は、ポーランドのジャズ・ピアニスト、「クシシュトフ・コメダ/Krzysztof Komeda(1931年 - 1969年)」であると、「星野秋男」氏は彼の偉業ともいえるその著書「ヨーロッパ・ジャズ黄金時代」で、以下のように紹介している。

「東欧ジャズの革新に最大の貢献をしたイノベーターであり、リーダーであり、斬新なセンスに満ちたピアニスト。 ・・・ モードやフリーの手法をいち早く取り入れ、自己スタイルの革新を図るとともに、新しいジャズ・ムーヴメントを強く先導していった。 ・・・ ヨーロッパ・ジャズ黄金時代を代表する金字塔 ・・・」。

ヨーロッパ・ジャズ黄金時代

星野秋男 / 青土社


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「クシシュトフ・コメダ」。本名は「クシシュトフ・トルチンスキ/Krzysztof Trzcinski」だが、ジャズを嫌う共産党に目を付けられることを恐れ、ステージ・ネームとして「コメダ」の名前を使用したという。ヨペックのアルバム「HAIKU」に収録されている曲、「O Mój Rozmarynie」は、トラディショナルであるが、コメダが音楽担当した映画「ローズマリーの赤ちゃん」の主題曲として用いられた。(後述のアルバムには、同映画で使われたコメダ作曲の「Kołysanka rosemary(Rosemary’s Lullaby?)」という曲が収録されている) そんなことから、ヨペクもコメダをリスペクトしているであろうことは想像に難くない。その他にも、彼は「ロマン・ポランスキー/Roman Polanski」監督の「水の中のナイフ」や「アンジェイ・ワイダ/Andrzej Wajda」監督の「夜の終わりに」などの映画音楽を手掛けている。しかし1969年、不慮の事故によりわずか37歳の若さで死亡した。

「Krzysztof Komeda - Rosemary's Lullaby」 コメダのピアノ・ソロ、映画では「ミア・ファロー/Mia Farrow」がハミングしていましたね。

         

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コメダが亡くなった翌年、反ロシア(ソ連)的、反体制的、反共産党的な勢力が、国内の改革と民主化を求めて暴動を繰り返していた真っ只中の1970年、「アナ・マリア・ヨペック」は生まれた。

幼少の頃より、ショパン、ラヴェル、バッハ、モーツァルトをこよなく愛した彼女は、伝統ある「ショパン音楽アカデミー」で、クラシック・ピアノを学び、卒業後に渡米、ニューヨークで音楽を学ぶ。そこでジャズに魅せられる。帰国後、1997年、アルバム「Ale jestem(But I am)」でデビュー。このアルバムが瞬く間にゴールド・アルバムに。その後発売された10枚のアルバムは、全てポーランドのプラチナとゴールド・ディスクを獲得。中でも2002年にリリースされた「パット・メセニー」との共演アルバム「Upojenie」は発売後僅か1ヶ月で8万枚を売り上げたという。(公式HPより)

そんな「アナ・マリア・ヨペック/Anna Maria Jopek」のジャズ的出自が知りたくなって、初期のアルバム、彼女の2作目となる「SZEPTEM」 (Mercury/PolyGram 1998) を聴いてみた。公式HPの解説には、「このアルバムは、ポーランドで作曲された代表的な美しいバラードのいくつかをトリビュートし、ヨペックの持つピュアさ、優しさ、クラシックな面を追究するために作られた。そして、Disc-2には、ワルシャワ交響楽団との歴史的な競演のジャズ・ライブが収録されている」とある。

もちろんいつものポーランド語のジャズ・アルバムである。しかし、よく聴いてみると、音楽的フレーズやアドリブの随所に、アメリカ的ジャズの印象が残る。そのなかにも、現在のヨペックを彷彿とさせるような曲もあり、彼女が自己の音楽を確立していこうとチャレンジしていく姿勢が垣間見られる。現在のヨペックの音楽観、音楽への姿勢が確立するまでの過渡的なアルバムと位置づけられるように思う。

Szeptem

Anna Maria Jopek / Universal Poland



フレーズやアドリブにアメリカン・ジャズの影響がみてとれるアルバム・タイトルのバラード、「Szeptem」。

「Anna Maria Jopek - Szeptem」

          

絶品の哀愁ボッサを2曲ほど ・・・。まず、Disc1のスタジオ録音盤でも、Disc2のコンサート盤でも歌っている「Czas rozpalić piec」。「意味は?」って、そんなのわかりません。  

「Anna Maria Jopek - Czas rozpalić piec」

          

さあ、極め付けのスロー・ボッサは、「ヴィニシウス・デ・モラエス/Vinicius de Moraes」作詞、「バーデン・パウエル/Baden Powell」作曲のあの美しい曲、「アペロ/Apelo」にポーランド語の詩をつけた「Samba Przed Rozstaniem」。これも両Discに収録されている。

「Anna Maria Jopek - Samba Przed Rozstaniem」

          
by knakano0311 | 2012-08-11 23:31 | 音楽的生活 | Comments(0)
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