朝起きて外へ出たら、水鉢にうっすらと氷が張っていた。初氷である。しかし、雲一つない青空。上天気に誘われて、雪が降る前にと、京都の北部、丹南市美山町の「かやぶきの里」まで足を伸ばす。我が家から、京都縦貫道路を経て、1時間半くらいの距離。春に、秋にと、もう二、三回か訪れてはいるが、故郷の信州と冷たいが、乾いた空気の感じが同じでまた足を運んでしまう。「多分 ・・・」と、覚悟はしていたものの、残念ながら、もう紅葉は終り、ほとんどの広葉樹は葉を落としてしまっている。
まずは、腹ごしらえである。駐車場にある蕎麦屋「きたむら」で「鯖蕎麦」を食べる。美山町は、京都と日本海の若狭・小浜との中間に位置し、古来から京都へと日本海側の産物を運んだ「鯖街道」と呼ばれた「周山街道」が町を貫いている。そんな、歴史的背景が盛られた「蕎麦」なのである。細めで喉越しの良い蕎麦に山菜とおろし、そして甘しょっぱく炊かれた鯖がのっている。そこに冷たいつゆをぶっかけて食べるのであるが、これが美味い。わたしは、蕎麦はざる、盛り、せいろなどオーソドックスな食べ方を常としているが、ここの鯖蕎麦だけは別格である。
さて、「かやぶきの里」。この里、北村地区は、冬は豪雪地帯で、谷間のゆるい傾斜地に寄り合うように住居が密集した、かっての日本のどこにでもあったような山村である。現在50戸ほどある集落のうち、38戸がかやぶき屋根の住宅で、岐阜県白川郷や福島県大内宿に次ぐという。最古のものは、寛政8年(1796年)建築、多くが19世紀中ごろまでの江戸時代に建てられている。明治村のような建築パークではなく、菩提寺、先祖代々の墓、鎮守の森、八幡様、かやの茂る茅場 ・・・などが生活の中で今も機能し、50戸全部に人が住み、現実の生活が営まれているのである。散策していても、電話の音、洗濯物、置かれた農機具、季節の花が咲く庭、熟れた柿 ・・・、生活の息遣いが感じられる。静かな集落の佇まい。村おこしのためといえども、それを我々観光客が、乱しているのをすまなく思いながら、日本の原風景ともいえるこの里を後にする。
帰る途中、「手作りハム工房」に立ち寄り、コーヒーで一服、看板のハムを仕入れる。たしかにここのハムは美味い。
そして、いままで来たときには気が付かなかった「蓮如の滝」と立札があるので、車を止めてみる。車道からでも遠目に見えるが、駐車場に車を止め、あぜ道をあるいて滝近くまで寄ってみる。落差70mほどの曲がりくねった滑り台状の滝で、由良川に流れ込んでいる。これが「蓮如の滝」である。浄土真宗の中興の祖、「蓮如上人」が、1475年(文明7年)61歳のとき、北陸・吉崎から若狭・小浜を経て丹波にでた、世に言う「蓮如上人の丹波越え」の途中に立ち寄った所で、しばしの休憩の時、この滝を絶賛したことが、その由縁となっている。今は水量はあまり多くなく、瀑布とは程遠かったが、急斜面を曲がりくねって飛沫をあげて流れ落ちる様はまことに優美、紅葉真っ盛りならばさぞかし映えるであろうと思われる光景であった。「かやぶきの里」のような原風景を見た後はいつも、心の中にサウダージが沸き起こる。
故郷・松本の出身で、自身が作曲した曲に、山女魚(やまめ)、岩魚(いわな)、鮎(あゆ)、虹鱒(にじます)などの釣りが大好きだったらしく和種の淡水魚の名前や、木曽、浅間、白馬、飛騨など出身地の信州の地名をタイトルをつけた曲を演奏したジャズマンがいる。かって日本を代表するジャズ・テナー・サックス奏者であった、「宮沢 昭(みやざわ あきら、1927年12月 - 2000年7月)」である。
松本で育ったのち、1944年陸軍戸山学校軍楽隊入隊、戦後米軍クラブなどで活動。その後、「守安祥太郎」、「秋吉敏子」らと共演。1954年の「モカンボ・ジャム・セッション」でも演奏。1962年、日本ジャズ史上の傑作と言われる初リーダー・アルバム、「山女魚」を発表し、日本のモダンジャズに一時代を築いたアーティスト。2000年死去。(Wikipedia参照)
日本色の濃いタイトルでうめられたアルバムは、永年幻のアルバムであったが、最近の和ジャズ・ブームでいくつかが復刻され、ようやく入手できた。硬派のジャズであるが、わが故郷出身の偉大なジャズ先駆者、「宮沢昭」に敬意を表して ・・・。
BULL TROUT(いわな)
宮沢昭 / インディーズ・メーカー
木曽
宮沢昭 / ディウレコード
いまでもなかなか入手しがたいのが、今は亡き「浅川マキ」がプロデュースしたアルバム、「野百合」(1991年)。ピアノの「渋谷毅」 とのデュオ・アルバムである。YOUTUBEで見つけた、その中のバラード、「Beyond The Flames」が美しい。
野百合
宮沢昭 / EMIミュージック・ジャパン
「Beyond The Flames - Akira Miyazawa」