(承前)
この少し前に、元祖「ボサノバ歌謡曲」といえるほど、決定的に「和製ボッサ」に影響を与えたと思う曲が登場するのである。
7)どうぞこのまま/丸山圭子/1976年
それまでは、まだ「ボサノバ風」というか、、どこか洋楽の影響を強く感じていたが、この曲はまったくの「歌謡曲」。「ボサノバ」が歌謡曲に違和感なく溶け込み、「ボサノバ歌謡曲」に生まれ変わった瞬間だった。ボサノバの音楽的制約や枷(かせ)が一気に外れたのである。「和製ボッサ」にはどことなくとりすました上品さが付きまとっていたが、難しいボサノバのコード進行なども必要なく、歌謡曲にボサノバのリズムと、コードですこしボッサなコード・アレンジを施せば、たちまちお洒落なムードの曲になり、しかもヒットしたのである。この後、正確には、ボッサのリズムではないものも含め、ジャジーでボッサテイストな歌謡曲、「ボサノバ歌謡曲」が続々と登場してくることになる。シンガー・ソングライター「丸山圭子」作詞作曲の「どうぞこのまま」は、その魁(さきがけ)でもあったのだ。そして、世の中はまっしぐらにバブル期へ ・・・。
8)Goodbye Day/来生たかお/1981年
「来生たかお」の曲の多くには、ボッサ・テイストで、何とも言えない不思議なけだるさが感じられるから、魅かれる人が多い。私もその一人。音楽的にはボサノバとは言えないかもしれないが、そんな曲の一つとして是非あげておきたい。
「研ナオコ」もそんなけだるい絶妙な雰囲気を持つ私ご贔屓の歌手。タイトルもズバリ、
「ボサノバ」(1981年)。名盤「恋愛論」よりシングル・カット。
9)ロングバージョン/稲垣潤一/1983年
「♪ 似た者同士のボサ・ノヴァ ちょっとヘヴィーめのラヴ・ソング ・・・♪」。オリジナルの日本語歌詞も、カバーの英語歌詞も、「湯川れい子」作詞。「五十嵐はるみ」が英語詩で歌うカバー、
「ロングバージョン」。
10)After Glow/QUELQU' UN(ケルカン)/1993年
1991年には、ボーカル「木村恵子」とギターの「窪田晴男」によって、ボサノバ・ユニット、「ケルカン」が結成される。3枚ほどのアルバムを残し、わずか3年ほどの短期間の活動で、バブルの終焉とともに消えていった。「Quelqu’un」とは、「誰か」、「someone」というような意味のようであるが、粋なユニット名で粋なフェイク・ボッサを聴かせてくれた。
「After Glow」は、アルバム「チ・ケーロ!チ・ケーロ!」に収録。
11)〜Midnight Dejavu〜 色彩のブルース/エゴ・ラッピン(EGO-WRAPPIN')/2001年
こちらも、「中納良恵」(ボーカル)、「森雅樹」(ギター)の二人によるユニット。しかし実際は、活動を共にするバックバンドが存在し、ビッグバンドの様な形態で活動している。2002年のTVドラマ「私立探偵濱マイク」の主題歌になった「くちばしにチェリー」が有名であるが、ジャズと昭和歌謡をミックスしたような音楽性が特徴。特にこの「色彩のブルース」、4ビートですがボッサ歌謡のけだるいムードがムンムンしている。
「中森明菜」の歌唱も一聴の価値がある。そして、トランペットとボーカルの韓国の男女二人のジャズユニット、「WINTERPLAY」の英語詩によるボッサ・カバー、
「SONGS OF COLORED LOVE~色彩のブルース~」もまた一聴の価値あり。
12)cream/paris match(パリスマッチ)/2002年
「paris match(パリスマッチ)」は、ボーカルの「ミズノマリ」、作曲、編曲の「杉山洋介」に「古澤大」を加えた3人組バンドである。2007年に古澤が抜け2人となってしまったが、「ミズノマリ」のボーカルは、醸し出すそのアンニュイな雰囲気が、まさに「ボサノバ歌謡」向き。アルバム「QUATTRO」に収録された
「潮騒」も秀逸であるが、3枚目のアルバム、「Type Ⅲ」に収録されている、シュールな歌詞で物憂げに歌う「cream(クリーム)」が、「ボサノバ歌謡」の最高傑作と思う。
「♪ 今宵も 私孤独りで ハイウェイを 湖のほとり向かう
群がる鳥 振払いたくて あなたは ピアノを弾いてる
・・・・・・・・・・・・
離れていくなら そのピアノだけは
このがらんどうの部屋で 今、壊して ・・・ ♪」
女性ボーカル、シュールで外国語混じりの歌詞、ややハスキーで、儚げで、物憂い歌唱、アンニュイなムード、短調をキーとしたJAZZYなメロディとアレンジ、スローなテンポ、濃厚に漂う孤独や夜の雰囲気 :::。「ボサノバ歌謡」に求められるすべての要素を持っている「cream」。この曲で締めくくろうと思う。
この2002、03年の「パリスマッチ/cream、潮騒」を最後に、「ボサノバ歌謡」の名曲は現れていない気がする。とすれば、「和製ボッサ」、「ボサノバ歌謡曲」の支持層は、戦後の昭和世代すなわち団塊の世代であったとも言えよう。ブログ・タイトルの問い、「和製ボッサはもう懐メロか?」に答えるとすれば、残念ながら、「YES」と ・・・。
サンバの一カテゴリーとして誕生したボサノバは世界中に広がり、世界の音楽に影響を与えながら、自らもその地で進化していった。しかし、「ボサノバ誕生50周年」、「ジョビン生誕80周年」などの一時的盛り上がりはあったにせよ、本国ブラジルではすでに「懐メロ化」し、逆輸入のような形で真っ先にとりこんだアメリカでも、多くの名曲・名演奏を生んだジャズ・ボッサは、一部、女性ボーカルに例外はあるものの、ほとんどBGM化しているという。軍事政権に反対する多くのブラジル・ミュージシャンが亡命し、フレンチ・ボッサとして花開いたフランスでは、わずかに「クレモンティーヌ/Clémentine」が、
「♪ ボンボンバカボン ・・・・ これでいいのだ ♪」などと気を吐いている。そして、日本でも「ボサノバ歌謡曲」は、もう死に瀕しているようだ。ボサノバはもうこのまま新しく生まれ変わることなく、懐メロ化し、やがて消滅していくのであろうか ・・・。冒頭のジョビンの言葉が思い出される。
「Bossa Nova」とは「新しい感覚」という意味であった。 (完)