ロイター通信によると、ジャズ・ピアニスト、「ホレス・シルヴァー」氏が18日に死去、85歳だった。
「ホレス・シルヴァー/Horace Silver」。1928年、アメリカ、コネティカット州ノーフォーク生まれ。ファンキー・ジャズの代表的なアーティスト。1950年代から米国の名門レーベル、「ブルーノート/Blue Note」でアルバムを出し続け、ドラム奏者の故「アート・ブレーキー/Art Blakey」氏らとともに、ハード・バップの発展に寄与し、モダン・ジャズの黄金期を支えた。代表曲に「ソング・フォー・マイ・ファーザー/Song For My Father」などがある。
アフリカ系ポルトガル人の血を引くカーボベルデ人の父と、アイルランド人とアフリカの混血の母を持つという出自のため、彼の独特のファンキー・スタイルは、ゴスペル音楽やアフリカ音楽、ラテン音楽等幅広い音楽のスタイルに影響されているという。そのことが、ビ・バップをゴスペル、ブルース、R&Bの要素で和らげ、のちに「ブルーノート・サウンド」と認識されるソウルフルでモダンなジャズを生み出すことになる。
初期はサックス奏者であったが、「バド・パウエル/Bud Powell 」に強く影響を受け、後にピアノに切り替える。ニューヨークに移り、「アート・ブレイキー」と組み、1954年に1年半後には脱退してしまうが、「ジャズ・メッセンジャーズ/The Jazz Messengers」の創始する。その後は、自分の「ハード・バップ・クインテット」を作り、「ブルー・ノート・レコード」に「Song For My Father」等多くのアルバムを残した。
我々世代が若者だったころの性癖の一つがJAZZ好き、私も同じようにJAZZに憧れ、当然のように「JAZZ喫茶」へ出入りしていた。(参照拙ブログ
「我が青春のジャズ・グラフィティ(4) ~ジャズ喫茶の作法~」 など) その頃全盛だった「ホレス・シルヴァー」の代表作といえば、「The Preacher」、「Nica's Dream」、「Opus de Funk」、「Sister Sadie」、「Blowin' the Blues Away」、「Quicksilver」など多数あるが、やはりトドメを刺すのは、アルバム・タイトル曲にもなった「Song for My Father」 (1964)であろう。本当に、この曲はよく聴いた。いまでもメロディはもちろん、アドリブのフレーズまでちゃんと覚えているくらいである。
Song for My Father
Horace Silver / Blue Note Records
「アート・ブレイキー」の「モーニン/Moanin'」や、「カーティス・フラー/Curtis Fuller」の「Five Spot After Dark」(1959)などと並んでJAZZ喫茶の人気曲だった「Song for My Father」を。
そして、合掌 ・・・・。
「Horace Silver - Song for My Father」