続く訃報。
ジャズ・プロデューサーの「伊藤八十八(いとう・やそはち)」氏が、19日死去した。享年68歳。
あまり馴染みがないかもしれないが、ジャズ・プロデューサーとしては伝説的な人物であった。
「伊藤八十八」氏は、1946年岐阜県生まれ。早稲田大学在学中、ニューオリンズ・ジャズ・クラブに在籍、その頃からJAZZに傾倒する。大学卒業後、入社した「日本フォノグラム(現 ユニバーサル ミュージック)」で、「ポール・モーリア/Paul Mauriat」などを担当。また、「イースト・ウィンド・レーベル」を設立し、「ザ・グレート・ジャズ・トリオ/The Great Jazz Trio」、「渡辺貞夫」、「日野晧正」らのプロデュースを手掛ける他、「ジョー・サンプル/Joe Sample」などのアルバム「ザ・スリー」では、ダイレクト・カッティングを行うなど、オーディオ・ファイルな作品を多数世に送り出す。
1978年に「CBS/SONY」へ入社後は、「マイルス・デイビス/Miles Davis」、「ハービー・ハンコック/Herbie Hancock」、「ウェザー・リポート/Weather Report」といったJAZZ系のアーティスト、一方では、「ザ・スクエア」、「マリーン」、「笠井紀美子」等、国内のJAZZ/FUSION系アーティストのプロデュースを担当する。
その後、邦楽制作部門へ移り、「久保田利伸」、「大滝詠一」、「松田聖子」を始め数多くのJ-POPアーティスト達の制作部門を担当する。 95年に洋楽部門に復帰し、「ケイコ・リー」、「TOKU」等を育成。また、「Puffy」や「ラルク・アンシエル」といった国内アーティストのアジア戦略を計画推進する。なお、次世代のSACD(スーパー・オーディオCD)の開発にも携わる。現在に至るまでのアルバム・プロデュース作品は、国内外を合わせ約350点。洋楽編成時代に担当した作品は約3,000点を超えるという。(Wikipedia などより)
私と同じ歳。早すぎる死と言わざるを得ない。音楽プロデュース一筋の生涯。その一徹さには清々しさを感じる。
合掌 ・・・。
彼より先立って鬼籍に入ってしまったが、彼がプロデュースしたレジェンド、「ハンク・ジョーンズ/Hank Jones」の率いる「ザ・グレート・ジャズ・トリオ/The Great Jazz Trio」で偲んでみようか。私にとっても「ハンク・ジョーンズ」には忘れられない想い出がある。(参照
「ハンク・ジョーンズの思い出~初めてのニューヨーク~」)
2008年に90歳を迎えた、「ハンク・ジョーンズ」のアメリカ国民芸術勲章・グラミー賞功労賞のW受賞を記念した初のベスト・アルバム、「ザ・グレイト・ジャズ・トリオ/The Great Jazz Trio」。まさに「レジェンド・オブ・ジャズ」、まさに「ミスター・スタンダード」。
ザ・レジェンド・オブ・ジャズ
ザ・グレイト・ジャズ・トリオ
ヴィレッジ・レコード「Someday My Prince Will Come - Great Jazz Trio」 「グレイト・ジャズ・トリオ」の最新で、最後のアルバム。亡くなる直前に録音されたというハンク最後のアルバム、「ラスト・レコーディング」。
ラスト・レコーディング
ハンク・ジョーンズ
ヴィレッジレコーズそして同じく彼がプロデュースした「ケイコ・リー」との共演。伊藤氏の盟友「菅原正二」氏が店主である一関のジャズ喫茶「ベイシー」でのライブである。「ライヴ・アット・ベイシー~ウィズ・ハンク・ジョーンズ~」。
ライヴ・アット・ベイシー~ウィズ・ハンク・ジョーンズ~
ケイコ・リー
ソニーミュージックエンタテインメント「But Beautiful - Keiko Lee Live at "Basie" with Hank Jones」