母を看取った。その1週間前に会った時は、私の言葉や顔に反応していたのに、昏睡状態になったという急な知らせを入居していた施設から受けたのは、それから5日後であった。大雪の予報がでている中、車を飛ばして駆けつけると、穏やかで安らかな顔して眠っている母が待っていた。そして、日付けが変わってすぐ、それまでは、ほぼ10秒間隔で繰り返していた浅い呼吸がすっと止まり、そのまま眠るように、10年前に送った父と去年逝った妹のもとへと旅立った。満93歳であった。入院もすることなく、点滴などの延命処置もなく、目を見開くことも、痛がることも、なにか声を発することも一切なく、静かに、それは本当に静かに私たち夫婦の前で逝った。確認のために来た医者が「自分もかく逝きたい」といったほどの、そしてお世話をしていた担当のヘルパーさんが「こんなやすらかで美しい死顔は見たことがない」と言ってくれたほどの大往生、旅立ちであった。
次の日の朝、雲一つない空に、北アルプスがその凛とした山容をみせ、普段はなかなか見えない乗鞍岳や御嶽山から立ち上る噴煙までもがくっきりと見えた。短歌、和紙人形、日舞、ヨガ、音楽、カラオケ ・・・と多趣味であった母に、自費出版の短歌集とお気に入りの和紙人形の作品を添えて送った。喪主として、以前母の葬儀について、妹と話し合っていたイメージにほぼ沿った家族葬を終え、とりあえず1週間ぶり帰宅したが、手続きや四十九日とまだまだ弾丸帰省の日が続く。
もうずっと前のことであるが、我が家に「電蓄」と呼ばれる電気蓄音機があったころ、78回転、いわゆるSP盤で母親が時々聴いていたのは、「藤浦洸」作詞、「高木東六」作曲の「水色のワルツ」であった。1950年(昭和25年)、「二葉あき子」が歌って大ヒットした曲。後年、「鮫島有美子」のアルバムを贈ったことがある。亡き母を偲んで ・・・。
おぼろ月夜
ドイチュ(ヘルムート) 鮫島有美子 / 日本コロムビア
「水色のワルツ - 鮫島有美子/ヘルムート・ドイチュ」