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大屋地爵士のJAZZYな生活

続・生々流転の流れのなかで

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私の音楽好きの遺伝子。それは、間違いなく母親の血筋である。父親も器用で多趣味であったが、音楽だけは、はっきり言って音痴であった。小学生に頃だったと思うが、家に電気蓄音機、「電蓄」があって、時々母親が聴いていたのを覚えている。先回書いたたように、「藤浦洸」作詞、「高木東六」作曲、「二葉あき子」歌唱の「水色のワルツ」を聴いていたことは、今でもはっきりと覚えている。踊りが好きだったので、家で宴会があると、頬に真っ赤な紅を塗って、「おてもやん」をかけて踊っていたことも ・・・。(写真は家にあった電蓄に近いイメージのものをNETより拝借)

母の遺品を整理していたら、多くのカセット・テープとCDが出てきた。そのいくつかは、カラオケ好きの母のために買ってあげたものである。おやじの死後、頼まれて買ってあげた「秋川雅史/千の風になって」。息子の私とカラオケでデュエットがしたいと言っていたが、ついに果たせなかった「銀座の恋の物語」。大ファンだった火曜日のNHKの歌謡番組の常連、「水森かおり」、「石川さゆり」 ・・・など。「研ナオコ/かもめはかもめ」、「五輪真弓/合鍵、恋人よ」などのカセット・テープがあったのには、「えっ、こんな歌歌っていたの!」とちょっとびっくりした。

「電蓄」で聴いていた唯一の洋楽は、たしか「アルフレッド・ハウゼ/Alfred Hause」楽団のコンチネンタル・タンゴの名曲、「碧空(あおぞら)」であったように記憶している。従って、わたし音楽好きのルーツがタンゴやラテンにもあるのは言うまでもない。

「アルフレッド・ハウゼ - 碧空」

          
by knakano0311 | 2015-02-19 23:38 | 想うことなど・・・ | Comments(0)
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