19歳で作曲した「悲しみのサンバ(Samba Triste サンバ・トリスチ)」がヒットし、一躍有名となり、「アントニオ・カルロス・ジョビン/Antonio Carlos Jobim」など多くのボサノヴァ・アーティストたちとクラブでの共演を行っていたが、24歳の頃、「ヴィニシウス・ヂ・モライス/Vinícius De Moraes」と出会い、その後アルバム、「アフロ・サンバ/Os Afro-Sambas (Afro-Samba) 」(1966)や、映画「男と女/原題:Un homme et une femme」(1966年公開)のサウンド・トラックの製作などで共作を持った。70年代にはヨーロッパに活動の拠点を移し、楽曲に対するその独特のアプローチと奏法で、その名がヨーロッパ中に知れ渡ることとなる。ブラジル民謡、バッハなどクラシックを取り入れた作曲をさらに追求し、ボサノヴァの範疇に納まらないギター奏者として活躍したが、2000年9月、肺炎の為にリオデジャネイロで死去。