人気ブログランキング | 話題のタグを見る

大屋地爵士のJAZZYな生活

故郷・松本を別の視点で見る

故郷・松本を別の視点で見る_b0102572_09503827.jpg

故郷・松本を別の視点で見る_b0102572_09504644.jpg

故郷・松本を別の視点で見る_b0102572_09505498.jpg


 9月11日の「ブラタモリ」は、私の故郷、松本。松本のシンボル「国宝・松本城」がテーマ。お題は、「国宝・松本城」はなぜ愛された?」。戦国時代に築城されたにもかかわらず、なぜ「山城」でなく「平城」であったのか?、どうして「武田信玄」はこの地に目を付けたのか? ・・・などを、例によって、地質学的考察から解き明かしていく。
   
 「女鳥羽(めとば)川、薄(すすき)川の複合扇状地がもたらす豊かな湧水」、「善光寺街道、野麦街道の分岐点であり、中山道につながる交通の要所」、「平城でありながら、糸静断層を巧みに利用した築城」などがその理由であるという。

 高校の頃まで、私の実家は「清水」という名前からわかる水の豊かな場所にあり、母親の実家は、「源池」というあちこちに井戸がある場所で豆腐屋を営んでいた。家の中に湧水の井戸があり、それを利用して豆腐作りをしていたのを覚えている。また、真偽のほどはわからないが、父方の本家で、先祖が信玄から頂いたという、土地の安堵状を見せられたことがある。

 懐かしい場所や地名が、ふんだんに画面に登場し、タイムスリップすると同時に、地質学的視点から、故郷松本を新たに見るという知見を得ることもできた。
   
故郷・松本を別の視点で見る_b0102572_10203565.jpg
   
 今宵のジャズ・プレイヤーは、「宮沢 昭(1927年12月 - 2000年7月)」。故郷・松本の出身で、かって日本を代表するジャズ・テナー・サックス奏者であった。松本で育ったのち、1944年陸軍戸山学校軍楽隊入隊、戦後米軍クラブなどで活動。その後、「守安祥太郎」、「秋吉敏子」らと共演。1954年の「モカンボ・ジャム・セッション」でも演奏。1962年、日本ジャズ史上の傑作と言われる初リーダー・アルバム、「山女魚」を発表し、日本のモダンジャズに一時代を築いたアーティスト。

 釣りが大好きだったらしく、自身が作曲した曲に、山女魚(やまめ)、岩魚(いわな)、鮎(あゆ)、虹鱒(にじます)など、和種の淡水魚の名前や、木曽、浅間、白馬、飛騨など出身地の信州の地名をタイトルをつけた曲をちりばめたアルバムをリリースしている。
    
 そんなアルバム、「木曽」(2006)から、「木曽 KISO」、「浅間 ASAMA」、「白馬 HAKUBA」、「飛騨 HIDA」をフル・アルバムで。オリジナルは1970年にリリースされたが、永年幻のアルバムであった。近年最の和ジャズ・ブームで2006年に復刻された。パーソネルは、「宮沢昭(ts,fl) 」、「佐藤允彦(p) 」、「荒川康男(b)」、「 森山威男(ds)」。


故郷・松本を別の視点で見る_b0102572_10360166.jpg

   
 木曽
 宮沢昭
 ディウレコード






「宮沢昭クインテット – Kiso (木曾) (Full Album)」

     

  


  


by knakano0311 | 2021-09-13 00:00 | ふるさとは遠くにありて・・・ | Comments(2)
Commented by reikogogogo at 2021-09-14 00:11
父親が転勤族、女鳥羽中学にも転校しました。
松本城、浅間温泉、美鈴湖、鉢伏山が校歌の歌詞にありました、懐かしいです。
Commented by knakano0311 at 2021-09-14 09:56
> reikogogogoさん
  私は父親が豊科(現 安曇市)、母親は市内源池の出身で、松本生まれ。清水小学校~清水中学校~松本深志高校と松本で過ごし、そのあと仙台の大学を卒業、関西の企業に就職し、定年を迎え、現在に至っています。両親とも他界したあと、コロナでここ2年ほど墓参りにも行っていませんが、松本城、北アルプスは私にとっての原風景です。
<< 路傍の花、樹々の鳥(422)... 「9.11」の真実とは ・・・ >>