


9月11日の「ブラタモリ」は、私の故郷、松本。松本のシンボル「国宝・松本城」がテーマ。お題は、「国宝・松本城」はなぜ愛された?」。戦国時代に築城されたにもかかわらず、なぜ「山城」でなく「平城」であったのか?、どうして「武田信玄」はこの地に目を付けたのか? ・・・などを、例によって、地質学的考察から解き明かしていく。
「女鳥羽(めとば)川、薄(すすき)川の複合扇状地がもたらす豊かな湧水」、「善光寺街道、野麦街道の分岐点であり、中山道につながる交通の要所」、「平城でありながら、糸静断層を巧みに利用した築城」などがその理由であるという。
高校の頃まで、私の実家は「清水」という名前からわかる水の豊かな場所にあり、母親の実家は、「源池」というあちこちに井戸がある場所で豆腐屋を営んでいた。家の中に湧水の井戸があり、それを利用して豆腐作りをしていたのを覚えている。また、真偽のほどはわからないが、父方の本家で、先祖が信玄から頂いたという、土地の安堵状を見せられたことがある。
懐かしい場所や地名が、ふんだんに画面に登場し、タイムスリップすると同時に、地質学的視点から、故郷松本を新たに見るという知見を得ることもできた。
今宵のジャズ・プレイヤーは、「宮沢 昭(1927年12月 - 2000年7月)」。故郷・松本の出身で、かって日本を代表するジャズ・テナー・サックス奏者であった。松本で育ったのち、1944年陸軍戸山学校軍楽隊入隊、戦後米軍クラブなどで活動。その後、「守安祥太郎」、「秋吉敏子」らと共演。1954年の「モカンボ・ジャム・セッション」でも演奏。1962年、日本ジャズ史上の傑作と言われる初リーダー・アルバム、「山女魚」を発表し、日本のモダンジャズに一時代を築いたアーティスト。
釣りが大好きだったらしく、自身が作曲した曲に、山女魚(やまめ)、岩魚(いわな)、鮎(あゆ)、虹鱒(にじます)など、和種の淡水魚の名前や、木曽、浅間、白馬、飛騨など出身地の信州の地名をタイトルをつけた曲をちりばめたアルバムをリリースしている。
そんなアルバム、「木曽」(2006)から、「木曽 KISO」、「浅間 ASAMA」、「白馬 HAKUBA」、「飛騨 HIDA」をフル・アルバムで。オリジナルは1970年にリリースされたが、永年幻のアルバムであった。近年最の和ジャズ・ブームで2006年に復刻された。パーソネルは、「宮沢昭(ts,fl) 」、「佐藤允彦(p) 」、「荒川康男(b)」、「 森山威男(ds)」。
木曽
宮沢昭
ディウレコード 「宮沢昭クインテット – Kiso (木曾) (Full Album)」