
「月刊漫画ガロ」の立ち上げに携わり、長編劇画「カムイ伝」などの作品で知られる漫画家、「白土三平(しらと・さんぺい/本名・岡本登)」さんが、誤嚥性肺炎のため10月8日に亡くなったことが発表された。89歳。また、「カムイ伝 第二部」の作画を手掛けた弟の「岡本鉄二」さんも、4日後の12日、間質性肺炎のため亡くなったことが明かされた。
私にとって、まさに青春の漫画。「カムイ伝」は、1964年12月号から1971年7月号までの全74回、雑誌「月刊漫画ガロ」にて連載された。日本初の青年漫画雑誌「月刊漫画ガロ」は、編集者の「長井勝一」と漫画家の「白土三平」により、1964年7月24日に創刊されたというから、「カムイ伝」を掲載するために、創刊したというべきか。
「カムイ」とは主人公である忍者、およびサブストーリーとして語られる狼の名前である。主に「カムイ(非人)」、「正助(農民)」、「竜之進(武士)」という三者三様の若者を中心に物語は展開されてゆく、江戸時代の階級差別によって苦しむ数多の人々を壮大なスケールで描いた作品。たしか、第一部の最後に、「カムイ伝」は全三部作であると述べられるが、「カムイ伝第一部」、「カムイ外伝」、「カムイ伝第二部」などを経て、50年以上が経過しているが、白土が死去した為、事実上の未完となってしまった。
私はこの「カムイ伝」初回が掲載された、1964年12月号を持っていたんですね。
1965年大学に入学し下宿生活を始めた私は、親に内緒で、毎月なけなしの金、130円を工面して「ガロ」を買っていた。以後、1969年には社会人なっていたが、「カムイ伝第一部」が終わる1971年7月号までの、74冊+α(増刊号などがあったので)、約80冊を揃って持っていたのである。
大学時代も、会社の寮でも、この「カムイ伝」読みたさに、私の部屋に友人が集まってきたものです。残念ながら、もう1冊も残っていませんが ・・・。
この雑誌で、「つげ義春」、「辰巳ヨシヒロ」、「水木しげる」、「滝田ゆう」、「林静一」、「佐々木マキ」・・・などを知ったことも懐かしい。彼らの奇妙で不思議な世界に浸ったことも懐かしく蘇ってくる。
「白土三平」のもう一つの代表作に、「忍者武芸帳 ~影丸伝~」があるが、こちらは、全8巻文庫版で持っていた。そして、映画版「忍者武芸帳」は、1967年に「大島渚」監督が、静止画によるモンタージュという実験的技法で製作され、私はそれを「ATG(日本アート・シアター・ギルド)」系の小さな映画館で観たのを覚えている。このように、「白土三平」は、私の青春そのものであった漫画と言っていい。
遠き遠き青春に合掌 ・・・。
その「忍者武芸帳 Band of Ninja」が全編YOUTUBEにアップされていました。
「忍者武芸帳 Band of Ninja」 さて今宵の曲、我々と同世代の生まれ(1948年)で、後年「ガロ」にエッセイを連載することにもなる「あがた森魚(もりお)」の「赤色エレジー」。「ガロ」に掲載されていた「林静一」の同名漫画をモチーフとしたシングル「赤色エレジー」は、1972年4月にリリースされ、50万枚を売り上げるヒットとなったという。大正、昭和初期を感じさせるエレジー。アルバム、「乙女の儚夢(ロマン)」(1972)から。大正浪漫とフォーク・ロックが交錯するその世界。
「♪ ・・・・・・・・
裸電灯 舞踏会
おどりし日々は 走馬灯
幸子の幸 何処にある
愛は愛いとて 何になる
・・・・・・・・・
お泪頂戴 ありがとう ♪」(作詞;あがた森魚 作曲;八洲秀章)
乙女の儚夢(ロマン)
あがた森魚
キングレコード「あがた森魚 - 赤色エレジー」 出典アルバムはわかりませんが、昭和の時代を滲ませる歌い手は、「浜田真理子」。彼女の歌唱も ・・・。
「赤色エレジー - 浜田真理子」 「赤色エレジ」は収録されていませんが、彼女のスタジオ録音3作目のアルバム「夜も昼も」のジャケットは、なつかしや「林静一」のイラストであった。