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大屋地爵士のJAZZYな生活

2016年 11月 07日 ( 1 )

夢はかえるよ ・・・

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ウォーキングの道筋で見つけた「アケビ(木通、通草)」。中の果肉はすっかり落ちていた。子供の頃、この「アケビ」を探しては食べたものである。スイーツやお菓子、そんな気の効いたものなど全くなかった時代、おやつは自分で探して食べるということになんの疑いも持っていなかった。自然と悪童仲間で山やご近所の庭、果樹園(もう時効でしょう)から調達することも覚えていった。その中でも「アケビ」は大のご馳走であった。そんな懐かしい記憶も蘇る。

懐かしいといえば、先日のウォーキングで見かけたのが、ひときわ鮮やかな「プラタナス」の紅葉。そういえば「プラタナス」って、和名は「スズカケノキ(鈴懸の木)」といったことを思い出した。そして、さらに思い出したのが、学生時代、ダンス・パーティでの人気曲の一つが、「鈴懸の径(みち)」。我がバンドでは演奏したことがないが、ハワイアン・バンドがよく演奏していた。

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「佐伯孝夫」の作詞、「灰田有紀彦(灰田晴彦)」が作曲して、有紀彦の弟である「灰田勝彦」が歌唱して、1942年(昭和17年)にビクターレコードから発売された。戦時中にも関わらず、戦時色が感じられない数少ない曲である。元々はワルツの曲であったが、その後、「鈴木章治」が4拍子としジャズ・アレンジを加え、1954年頃に彼が率いるジャズバンド「リズムエース」の演奏でヒットした。1957年1月、スウィングの王様といわれる「ベニー・グッドマン楽団/Benny Goodman And His Orchestra」が来日し、そのときに、その楽団でリード・アルト・サックスを担当していた「ピーナッツ・ハッコー/Peanuts Hucko」が、銀座のクラブで「鈴木章治とリズム・エース」が演奏していた「鈴懸の径」を非常に気に入って、その後の米欧巡演でも「プラタナス・ロード/Platanus Road」として演奏、吹き込みを行い、日本にも逆輸入されて、さらに有名になった。

「灰田勝彦」の母校でもある立教大学のキャンパス内にはモデルになった鈴懸の径が存在し、記念の歌碑があるというが、我が母校の高校にも、たしか「プラタナス/鈴懸の木」があったように思う。

【 鈴懸の径 】 作詞:佐伯孝夫、作曲:灰田有紀彦

「♪ 友と語らん 鈴懸の径(みち)
   通いなれたる 学校(まなびや)の街
   やさしの小鈴 葉かげに鳴れば
   夢はかえるよ 鈴懸の径
           ・・・・・・・・・・・    ♪」

「鈴懸の径 / 鈴木章治とリズム・エース&ピーナッツ・ハッコー」

          




   
by knakano0311 | 2016-11-07 13:56 | サウダージ | Trackback | Comments(0)