大屋地爵士のJAZZYな生活

カテゴリ:我が青春のジャズ・グラフィティ( 22 )

夏の思い出は、ほろ苦い哀愁のトランペット

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 夏、特に暑さでけだるい夏の夕暮れになると聴きたくなる曲がある。「スティング/Sting」の、「La belle dame sans regret」。たしか「美女は後悔などしない」という邦題がつけられていた。「スティング」が、アルゼンチン出身のギタリスト、「ドミニク・ミラー/Dominic Miller」とともに作った曲。オリジナルはそうだが、私が聴きたくなるのは、スムース・ジャズ系、イケメン・トランペッター、「クリス・ボッティ/Chris Botti」の演奏。

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 随分昔の話であるが、高校時代の話である。私が通っていた高校は、進学校であったが、当時は、夏休みが終わるとすぐ9月には、校章が「とんぼ(蜻蛉)」であったため「とんぼ祭」と名付けられた、いわゆる文化祭で、学校中が沸き立った。思い出すのは、今も行われているかどうかは知らないが、木立に囲まれた学校の庭で行われた、黄昏の「とんぼ祭/野外コンサート」である。いまならライブでしょうが、洋楽系のヒット曲のレコードを主として流していたと思う。そんなことも私が洋楽好きになった一員である。夕闇の中、これを機会にカップルも生まれたが、度胸のない私は片思い。ただ、ほろ苦い哀愁のトランペットを聴いているだけであった。
  
 当時は、まだステレオの普及期、モノラールのSPからステレオのLPレコードへの移行期であった。しかしながら、高価な再生装置やLPレコードなど買えるはずもなく、ラジオ少年だった私は、自作のアンプ、スピーカーBOXと安いプレーヤーを組み合わせて、当時の小遣いで、やっと買えたソノシートや45回転EPレコードを、それこそ擦り切れるまで聴いていた。そんなわけで、大出力のステレオ再生装置による野外コンサートは、高校生にとっては、最も楽しみなイベントでもあったのだ。

 黄昏から宵闇が迫る頃、木立を透して朗々と流れてくる「ニニ・ロッソ」のトランペットの哀愁の音色。聞きほれたものである。今と違って、歌手だけでなく、楽器のソリストや楽団にも絶大な人気があって、「ニニ・ロッソ」のほかに、SAXの「サム・テイラー」、「シル・オースティン」、ピアノの「カーメン・キャバレロ」、ギターの「クロード・チアリ」。バンドでも「マントヴァーニ・オーケストラ」、「パーシー・フェイス・オーケストラ」、「ベルト・ケンプフェルト楽団」、「ペレス・プラド楽団」、「アルフレッド・ハウゼ楽団」、「リカルド・サントス楽団」、「ビリー・ボーン楽団」、「ヘンリー・マンシーニ・オーケストラ」、「ザビア・クガート楽団」、「ベンチャーズ」を始めとするエレキバンド・・・・・、そして、映画音楽のサウンド・トラック。そんなイージー・リスニング系アーティストたちの曲が流れていた。今考えれば、先生か、だれかにオーディオ・マニアがいたんでしょうね。

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 そんなことから、「La belle dame sans regret」、「クリス・ボッティ」の演奏に傾いてしまう。ソロ楽器としてのトランペットが心に沁みるのは、その音色が官能的なためもあるが、イメージとして、トランペッターの孤高感、リリシズムにあるのではないかと思う。あの破滅型のJAZZトランペッターの「チェット・ベイカー/Chet Baker」ですらも孤高感、ある種のリリシズムを感じてしまう。

 「クリス・ボッティ」は、1962年、アメリカオレゴン州ポートランド生まれ。童顔なので若手とばかり思っていましたが、56歳、円熟の歳ですね。幼少の頃より、クラシック・ピアノの講師であった母親の影響で、ピアノを弾き、10歳でトランペットを始めたという。「マイルス・デイヴィス/Miles Davis」に影響され、トランペッターとしての道を進む決意をし、高校時代よりプロとして活動するようになる。大学に卒業後は、ニューヨークに拠点を置き、ポップス/ロック系からジャズに至るまで多くのミュージシャンと共演している。

 「La belle dame sans regret」が収録されている、2004年発表の「ホェン・アイ・フォール・イン・ラヴ/When I Fall In Love」では、「スティング/Sting」と「ポーラ・コール/Paula Cole」等多くのゲストを迎えている。

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 When I Fall in Love Import
 クリス・ボッティ
 Sony
 

 
「Chris Botti (featuring Dominic Miller and Sting) ー La belle Dame Sans Regrets」

          

 「クリス・ボッティ」のアルバムでも歌っていますが、「スティング」のオリジナルも聴いておきましょうか。1996年のアルバム、「マーキュリー・フォーリング/Mercury Falling」(1996)に収録されています。歌詞がフランス語で、私はさっぱりですが、英訳があったので、そちらでなんとか訳を ・・・。伝言ゲームみたいになっていたらゴメンなさい。それにしても、「後悔しない女」ってどんな人なんでしょうね。

【 La belle dame sans regre/The Beautiful Woman Without Regrets/後悔しない美女 】    by Sting / Dominic Miller (English Translation by Habib Khoury)

「♪ Dansons tu dis     “Let’s dance”, you say  踊りましょうと君は僕を誘う
  Et moi je suis      And me, I follow     僕はついてゆく
  Mes pas sont gauches  My steps are clumsy   僕のステップはぎこちないし
  Mes pieds tu fauches   You trip my feet     君は僕の足を蹴飛ばす
  Je crains les sots     I fear the fools   僕たちが馬鹿に見えるんじゃないかと心配
  Je cherche en vain les mots I search for the words in vain 僕は君の人生について何か
  Pour m'expliquer ta vie alors To explain to me your life, so… いい言葉を探すが無駄
  Tu ments ma sœur     You lie, my sister     恋人よ、君は嘘をつく
  Tu brises mon cœur     You break my heart   僕の心を傷つける
  Je pense tu sais       I think, you know    僕は思うんだ
  Erreurs jamais        Errors, never     君は間違いをしたことがないんだと
  J'écoute tu parles      I listen, you speak   僕が聞き、君が話す
  Je ne comprends pas bien  I don’t understand too well よく分からないがね
  La belle dame sans regrets  The Beautiful Lady without Regrets 後悔しない女なんて
  La belle dame sans regrets  The Beautiful Lady without Regrets 後悔しない女なんて

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     ・・・・・・・・・・・・・・・・   ♪」

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Mercury Falling
スティング/Sting
A&M



「Sting - La belle dame sans regrets」

          
    
 今年は、高校卒業55周年。記念パーティの案内状が届いた。

    
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by knakano0311 | 2018-07-18 10:12 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(0)

あの日、あの時 ・・・

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                        (写真 上は開港時、下は現在 NETより無断拝借)

 40年前のある日、私はドイツの古都、ハイデルベルグで、NATO軍に駐留するアメリカ軍のラジオ放送、「AFN(American Forces Network、米軍放送網;世界各地の米軍が駐留する地に設けられた基地関係者とその家族向けの放送局で、日本でのサービスは、「FEN(Far East Network、極東放送網)と呼ばれていた」に聞き漏らすまいとかじりついていた。

 ある日とは、1978年(昭和53年)5月20日、「新東京国際空港(成田空港)」が40年前に開港した日である。その年の3月には、管制塔の機器等が破壊されるという「成田空港管制塔占拠事件」が起こり、約2か月遅れての開港であった。

 勤務していた会社が、当時の西ドイツから技術導入を図ったが、技術ノウハウの移転が暗礁に乗り上げており、「解決するまで帰ってくるな」と言われての約1ヶ月ほどの出張であった。もちろん初めての海外出張であり、5月連休のあと、羽田を立ち、開港するはずの成田へ帰ってくるというスケジュールであった。成田反対闘争はますます激化しており、再度のテロや占拠も懸念され、「万が一、開港されない場合は、エジプト~インド~香港経由の南回りで帰ってこい」と指示を受けていたのである。

 当時はまだ「ベルリンの壁」が存在する冷戦時代、日本赤軍なども世界各地でテロを起こすなど、騒然としていた時代で、アンカレッジ経由でヨーロッパへ飛んだ。パソコンやインターネット、CADはもちろん、ゼロックスすらなく資料コピーはすべて青焼きという時代。通信手段は、交換台を通じた国際電話、カタカナ、英数字だけのテレックスという時代であった。今振り返ってみても、あんな貧弱なコミニュケーション・ツールでよく仕事ができていたものだと思う。

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 なんとか一番機が成田を飛び立ったというニュースを聞き、ほっとした事をおぼえている。しかし、開港直後の成田へ帰ってきたはいいが、そこから大阪まで帰るのがまた一苦労。当時は、伊丹~成田の直通国内便も、「成田エクスプレス」などの交通アクセスがなく、東京に行くのには、バスで成田へ行き、鉄道で東京へ向かうしかなく、数時間は優にかかるという話なので、ホノルルから成田経由で伊丹に向かう国際便にトランジットすることになっていた。たしか朝10時ころ、成田に着いたのだが、ホノルルからの便は午後4時発。一旦、日本に入国してしまうと、再出国しなければならないので、ロビーを出るに出られず、コーヒー・ショップしかない待合ロビーで、6時間を過ごし、やっと伊丹空港で帰国を果たした。

 初の海外出張。それが初の飛行機体験。ハンブルグ空港に向けて機が降下を始め、それまで厚い雲に覆われ、全く見えなかった地上が見えた時の感激はいまでも忘れられず、はっきりと覚えている。思えばあの時から、「飛行機大好き、フライト大好き人間」となったのだ。ニュースを見ながら、読みながら、熱く仕事に取り組んでいたあの日のことを懐かしく思い出した。

 さて、今宵の曲、昔を振り返ってみます。「Once upon a Time」。旧共産圏ブルガリア生まれ、「ブルガリア国立音楽院」卒業という、クラシックにベースを持つJAZZピアニストでありながら、東西冷戦のまっただ中、JAZZのため、音楽のため、家族も祖国も捨てて、アメリカに渡った「ミルチョ・レヴィエフ/Milcho Leviev」と、英国出身のジャズ・ベーシスト、「デイヴ・ホランド/Dave Holland 」というヨーロッパとクラシックに出自を持つふたりのデュオで、アルバム「Up and Down」(1993)に収録されている「Once upon a Time」。私のお気に入りでもあるこのアルバム、録音は1987年9月、東京サントリー・ホールでのライブ。

Up and Down

Milcho LevievM.a. Recordings



「Milcho Leviev & Dave Holland - Once upon a Time」

          

 こんな歌もありました。「Once Upon A Summertime」。 原曲は1954年のシャンソン「リラの花/La Valse des Lilas」で、仏歌詞 は「エディ・マーネイ/Eddy Marnay」、作曲は「ミシェル・ルグラン/Michel Legrand」と「エディ・バークレイ/Eddie Barclay」。その曲に、「ジョニー・マーサー/Johnny Mercer」が、友人の「ブロッサム・ディアリー/Blossom Dearie」のために英歌詞を書き、この曲が一躍有名になったという。

【 Once Upon A Summertime 】 by Eddy Marnay / J. Mercer / Michel Legrand

「♪ Once upon a summertime, if you recall  あなた思い出せるかしら、昔々の夏の日に
  We stopped beside a little flower stall  私たちは小さな花屋の前で立ち止まったことを
  A bunch of bright forget-me-nots  その時忘れな草の花束を買ってとお願いしたことも
  Was all I'd ever let you buy me    それがたった一度だけの私のお願いだったわ

  Once upon a summertime just like today  今日のような昔の夏の日に
  We laughed the happy afternoon away    午後を楽しく笑って過ごし
  And stole a kiss at every street cafe     通りのカフェでキスをしたわね

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・   ♪」

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 さて、最初の歌姫は、「カトリーヌ・レガー/Cathrine Legardh」。デンマークの女性歌手である。とりたたてて美人というわけではないし、特筆するような歌唱テクニックがあるわけではないが、安定感のある実力派。聴いていると、自然に心が和んでくるジャズ向きの渋めの落ち着いた声。時折、アコーディオンも混じり、穏やかで、レトロで、スローで、ロマンチックな古き良き時代を感じさせるアルバム、「Gorgeous Creature」(2008)から。

Gorgeous Creature

Cathrine Legardh / Storyville



「Cathrine Legardh - Once upon a summertime」

          

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 二人目の歌姫は、「イーデン・アトウッド/Eden Atwood」。歌手にとっては致命的ともいえる声帯の手術をし、再生復活した女性ボーカルで、ご贔屓のひとり。幼少の頃からクラシック・ピアノ、高校時代にはクラシック、ジャズ両分野のヴォーカル・トレーニングを積み、アメリカ音楽院在学中からシカゴでジャズを歌っていたが、卒業後は女優、モデルとして全米、ヨーロッパで活躍。自主制作したアルバムが認められプロ歌手デビューしたという。「Waves: Bossa Nova Session」(2002)から。

Waves: Bossa Nova Session

Eden Atwood Groove Note Records



「Eden Atwood ー Once Upon A Summertime」

          
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by knakano0311 | 2018-05-25 14:01 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(0)

古い革ジャンパーを着て

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 寒波襲来。冬物を出していたら、40年ほど前の出張時、NYで買った仔牛の革ジャンパーに目がいった。あまり着る機会がなかったが、気に入っていたので、ずっと捨てきれないでいたものである。革ジャンパー。今は、フリースやダウンにとって替わられ、あまり、いやほとんど見かけなくなった。革ジャンが定番ファッションといえば、「藤岡弘、」くらいであろうか。しかし、私たちシニア男性にとっては、アウトローの象徴のような憧れのファッションで、日活、東映などのアウトロー・ヒーローたちは、皆革ジャンだった印象がある。

 しかし、革ジャン&ブルージーンが、ファッションとして一世を風靡したルーツは、「ジェームズ・ディーン/James Dean」ではないだろうか。和製「ジェームズ・ディーン」と呼ばれた「赤木圭一郎」もそのファッションをことさらに踏襲していた印象がある。それと、大ヒットした「アダモ(サルヴァトール・アダモ)/Salvatore Adamo」のシャンソン、「ブルージーンと革ジャンパー/En Blue-Jeans Et Blouson DCuir」(1963)の影響も大きかったように思える。

 とにかくダウンに比べ、重いし、伸縮性も悪く、防寒効果もイマイチ。妻はいい歳をしてというが、着ずに置いとくのももったいない。すこしブカブカになってしまい、「Old Fashion」と言われるかもしれないが、とにかく着て、外に出てみよう。でも、ジーンズは流行りの「あったかジーンズ」で ・・・。

 「ちょいワルオヤジ」風??? この言葉ももう死語でしょうね。

 懐かしの「アダモ」の歌、「ブルージーンと革ジャンパー」を。

「アダモ ー ブルージーンと革ジャンパー / En Blue-Jeans Et Blouson DCuir」

          

 「ジェームズ・ディーン/James Dean」似で売り出したジャズメンは、「チェット・ベイカー/Chet Baker」。人気絶頂だった1955年に24歳という若さで不慮の死を遂げた永遠のスター、「ジェームス・ディーン」の伝記映画、「ジェームス・ディーン物語/The James Dean Story」(1957)のサウンド・トラックを、ジャズ界の「ジェームス・ディーン」と呼ばれたチェットがジャズにアレンジしたアルバムがある。「バド・シャンク/Bud Shank」、「ジョニー・マンデル楽団/Johnny Mandel Orchestra」とコラボした「The James Dean Story」(1958)。ディーン、1931年生まれ、そしてチェットは、1929年生まれ。ほとんど観ましたかねえ、「ジェームズ・ディーン」の映画は ・・・。

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ジェームス・ディーン・ストーリー
チェット・ベイカー、バド・シャンク
ユニバーサル ミュージック




「Chet Baker & Bud Shank with Johnny Mandel Orchestra - Jimmy's Theme」

          

「Chet Baker & Bud Shank ー Lost Love」

          

  

  
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by knakano0311 | 2017-11-22 10:14 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(2)

我が青春のフュージョン

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 一週間ぶりの山仕事。この一週間はずっと雨模様。そのせいでしょう、山のあちこちに「キノコ(茸)」が顔を出している。先達が声をあげたのが、このキノコ、「アカヤマドリタケ」。直径30cm程もある大型のキノコ。食用キノコで、味と香りが良く、ヨーロッパ料理でよく使われるという。しかし、キノコはド素人。触らぬ神になんとやら。そのままにして通り過ぎる。

 さて、「今田勝」やら「松岡直也」を持ち出してくると、懐かしくなってくるのが、我が青春のフュージョン(fusion)。このフュージョン、我々の時代は、「ジャズ・ロック(Jazz Rock)」とか「ラテン・ジャズ(Latin Jazz)」なんて呼ばれ方をされていたように思うのだが、やがて「クロスオーバー(Crossover)」、そして「フュージョン(fusion)」というカテゴリーに定着していき、1970年から1980年代後半にかけて、日本ではフュージョン・ブームが全盛期を迎えた。

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 私が最初にフュージョン触れたのは 「デオダート/Eumir Deodato」の「ツァラトゥストラはかく語りき(原題;Prelude」(1973) あたりだったでしょうか。その後、日本でも、「カシオペア /Casiopea)」が、1977年に結成、1979年にデビュー。「T-SQUARE」が、1976年に結成され、1978年にデビューなど現在も活動しているフュージョン・バンドが続々現れた。そんな中で、心を揺すぶったのが、キーボード奏者、「本田竹広」と, サックス奏者、「峰厚介」を中心に、1978年結成された、「ネイティブ・サン/Native Son」。当時、日本を代表するフュージョン・バンドであった。1STアルバム、「ネイティブ・サン」(1979)は、30万枚を越えるヒットとなったという。もちろん、なけなしの小遣いでLPを買いましたとも。

 メンバーは、「本田竹曠(Keyboards)」、「峰厚介 (Tenor & Soprano Saxophone)」、「大出元信 (Guitar)」、「村上寛 (Drums)」、「 川端民生 (Bass)」。結成当時5人のメンバー中、本田、大出、川端の3人が鬼籍に入り、バンドそのものも永遠に幕を閉じてしまった。我々世代にとっては、まさに「青春のフュージョン」といっていいが、若い世代にとっては、「バブル時代のフュージョン」かも知れない。「ご陽気」、「ノリ」、「ダンサブル」、「ファッショナブル」「車」、「西海岸」といったキーワードが似合う曲が多かったから。

ネイティブ・サン

ネイティブ・サン / ビクターエンタテインメント



「SUPER SAFARI - NATIVE SON」

          

 ほぼ同じ時代に結成されたが、今も衰えずに大活躍しているご贔屓のフュージョン・バンド(?)が、1985年に結成された「東京スカパラダイスオーケストラ/TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA」。「スカ (Ska) 」とは、50年代中頃にアメリカのR&Bやジャズの影響を受けて成立したジャマイカの音楽ということらしいから、「ラテン・ジャズ」、「フュージョン」といってもいいでしょう。「スカパラ」のその迫力、ノリは今でも色褪せることなく健在。

Gunslingers~LIVE BEST~

東京スカパラダイスオーケストラエイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ



「東京スカパラダイスオーケストラ - STROKE OF FATE」
  
          

「東京スカパラ - ルパン三世」

          
  
 結成後、30年以上も第一線で活躍し続けてきたのは、フュージョン・バンドだけに、自分たちのスタイルやカラーを守りつつも、「さかなクン」、「高橋一生」、「志村けん」、「タモリ」、「横山健」、「上原ひろみ」などといったあたらしい才能や異分野のタレントたちとのコラボを繰り返してきたことも、その要因だと私は見てますが ・・・。「上原ひろみ」とのコラボを、アルバム「Goldfingers」(2010)から。

Goldfingers

東京スカパラダイスオーケストラ / カッティング・エッジ



「水琴窟 -SUIKINKUTSU- feat.上原ひろみ/TOKYO SKA PARADISE ORCHESTRA」

          
  
  
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by knakano0311 | 2017-07-14 09:39 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(0)

音楽的同志「A」君へ

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 一枚のハガキが届いた。学生時代のバンド仲間のA君から。そこには、「・・・進行性の難病を発症し、2年経過した今、日常生活でも息切れすることが多くなり、リタイア後、アルトサックスで6回、ギターで1回7年間続けたJAZZ LIVEを断念することにした ・・・」とあった。

 彼は、私の学生時代のバンド仲間でアルト・サックスを吹いていた。そのテクニックはかなりのもので、我がバンドの音楽の方向性やキャラに不可欠だったと言っても過言ではなかった。就職後、音楽活動からは遠ざかっていたが、定年を機に、ふたたびサキソフォンを手に取り、プロの指導を受け、ジャズクラブでライブを開くまでに腕を上げていった。病を発症してからは、サキソフォンに変えてギターをはじめ、これまたライブを開くレベルまで瞬く間に上達していった。そして7年間、年1回のライブを続けていたのである。そんな彼がライブを断念したというのである。

b0102572_23002192.jpg 毎年、ライブの案内をもらいながら、行けなかったことが残念。ただ遠くから快復を願うばかり。彼のハガキは、「これからは、音楽、読書、映画鑑賞などまだまだ人生を楽しみたいと思います」と結ばれていた。察するに余り有るが、「人生楽しみ方はいくつもある」と元気づけたい。

 そんな彼に贈る曲は、「The Good Life」。この曲は元々、フランスのシンガー・ソングライター、音楽家、俳優の「サッシャ・ディステル /Sacha Distel」によって、1962年にメロディがつくられたという。ジャズのスタンダードとなったのは、1963年、「トニー・ベネット/Tony Bennett」が最初に英語詩でレコーディングし、ヒットしたからである。そして、1973年にはディステル自身によってフランス語の歌詞がつけられたという。「トニー・ベネット」のほか、多くのアーティストたちによってカバーされている。

【 The Good Life 】   
    作詩;ジャック・リアドン/Jack Reardon 作曲;サッシャ・ディステル/Sacha Distel

「♪ Oh, the good life,         そうね、グッドライフ
  full of fun seems to be the ideal  楽しさ一杯で理想的な生活におもえるわね
  Mm, the good life,         ふ~ん、グッドライフ
  let's you hide all the sadness you feel 悲しみを感じてもみんな覆い隠してくれるも・・・
  You won't really fall in love      でもあなたが本当の恋に落ちることはないでしょうね
  for you can't take the chance     あなたにそんなチャンスは訪れないだろうから
  So please be honest with yourself,   だから自分自身に正直になりなさいよ
  Don't try to fake romance       偽りのロマンスを作り上げてはいけないわ

  It's the good life           グッドライフ、私が思うには
  to be free and explore the unknown まだ経験してないことを恐れずに求めていくこと
  Like the heartaches          それがたったひとりで向き合わなければならない
  when you learn you must face them alone    「心の痛み」だとしても
  Please remember I still want you, どうぞ忘れないで 私がまだあなたを想っていることを
  and in case you wonder why      そして人生に疑問を感じたり、道に迷ったら
  Well, just wake up,           目を覚まして、
  kiss the good life goodbye    あなたの思うグッドライフにさよならをしてほしい ♪」

I Wanna Be Around

Tony Bennett / Sbme Special Mkts.


 
「Tony Bennett - The Good Life」

          
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by knakano0311 | 2017-03-19 15:05 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(0)

潮風に身を任せたあの夏

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『「海の日」に思い出すのは ・・・』を書きながら、写真を見ていたら、何かあの頃が急に懐かしくなって ・・・。そんな爺さんのセンチな思い出話の続き。

厳しい練習の合間、連休や夏期休暇の楽しみはなんといってもクルージング。救助艇を兼ねて会社に買ってもらった24フィートの木造クルーザーを駆って、淡路島、沼島、友ヶ島、小豆島、徳島 ・・・など夏休み、冬の連休の大抵は瀬戸内海のクルージングに明け暮れた。いや、みんな若かった。

瀬戸内に沈む夕陽、一面の夜光虫にきらめく海面、獅子座の流星群、台風が近づく中の帰帆、ガス欠による漂流 ・・・。思い出しても美しいだけでなく、スリリングな体験も懐かしい。

嵐の中を帰帆し、灯台をかわし、港にたどり着いた時のあの安堵感。飲んだ一杯のコーヒーの美味しさ。そんなことを思い出しながら、今宵の曲は、「ハーバーライト/Harbor Lights(港の灯り)」。この曲を聴いたのは洋楽に目覚めた中学生の頃、「プラターズ/The Platters」の歌唱であった。元々はどうもポーランド語の歌だったらしく、それを英語に翻訳して、1950年に発表されたらしい。この曲を聴くとヨットに明け暮れた日々を思い出す。我が青春のポップス・グラフィティの一曲。

【 Harbor Lights 】  English lyrics by Jimmy Kennedy

「♪ I saw the harbor lights       港の灯りをみていると
  They only told me we were parting 君は遠くにいってしまったんだと感じる
  The same old harbor lights      かっては君を僕のもとへと運んできた
     that once broughts you to me  同じ港の灯りなのに  

   I watch'd the harbor lights     港の灯りをみつめていた
  How could I help if tears were starting? 涙が流れ出しても止められない
  Goodbye to tender nights      優しかった夜よさようなら
      beside the silvery sea     銀色に輝く海に寄り添う夜よ

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・      ・・・・・・・・・・・・・・・・・   ♪」

「プラターズ」のほか、「エルヴィス・プレスリー/Elvis Presley」まで、山とカバーがあります。今宵は、「ウィリー・ネルソン/Willie Nelson」で ・・・。

Without a Song

Willie Nelson / Sony Mod - Afw Line


  
「HARBOR LIGHTS - WILLIE NELSON」

          

   


   
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by knakano0311 | 2016-07-24 15:43 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(2)

「海の日」に思い出すのはあの頃

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7月18日は「海の日」。そんなことに気がついて、ヨットに明け暮れていた社会人なりたての頃、1970年代を思い出していた。ヨットを始めたのは会社に入ってから、最初の職場、研究所の同僚に誘われたからである。当時の会社は、時代に先駆けて週休2日制。関西は全く初めての地で、知り合いもなく、特にすることもなかったから、なんとなくはまっていった。当時、会社のヨット部は、全国大会にも何回も出場を果たした実業団の中では強豪チームであった。ちなみに艇庫に隣接する西宮ヨットハーバーは、「太平洋ひとりぼっち」の「堀江謙一」さんがアメリカ・サンフランシスコに向けて、「マーメイド号」で密かに出航したハーバーでもあった。

5月から10月は、仕事を終えた金曜日の夜に、西宮の浜の艇庫に集合。土、日と朝から練習をくり返した日々であった。朝から海に出ては練習、昼まで帰ってこない。その当時は、熱中症なんてこれっぽっちも考えたことがなかった。無謀といえば無謀な毎日ではあった。夜になると、練習で火照った体に、いわゆる浜風が心地よく、その感覚を今でも覚えている。もう、船に乗らなくなってから40年くらいか ・・・。ときどき、波しぶきをスプレーのようにたて、波に乗って滑るように走る爽快感を再び味わってみたいと思う事がある。

ヨットは、風を味方につけてのスポーツ競技である。今宵は「ジョージ・ベンソン/George Benson」によって、一世を風靡したフュージョンの名曲、「ブリージン/Breezin' 」(1976)を 。

ブリージン

ジョージ・ベンソン / Warner Music Japan =music=



「George Benson - Breezin'」

          

   
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by knakano0311 | 2016-07-21 15:24 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(2)

夏ジャケ・ギャラリー  ~ 懐かしきCTI3000シリーズから ~

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かって、CDではなくLPレコードと呼ばれた頃、ジャケットに一際アート性を持ち込んで、一世を風靡したレコードのレーベルがあった。プロデューサーの「クリード・テイラー/Creed Taylor」によって創設され、そのジャケットの画期的とも言える斬新さと音楽性の多様さ、時代感覚で、1970年代に起こったジャズの新潮流〈クロスオーヴァー/フュージョン〉を牽引したアメリカのジャズ・レーベル「CTI」シリーズ(Creed Taylor IncorporatedまたはCreed Taylor International)である。テイラーのジャズの大衆化を図るというこの狙いは見事にあたり、イージー・リスニング・ジャズ、あるいはクロス・オーバー、フュージョンのブームを作ったのである。私もそんなCTIシリーズに魅せられたひとりでもあり、CTIのいくつかは「我が青春のジャズ・グラフィティ」となっている。(参照拙ブログ「我が青春のジャズ・グラフィティ(6)~ 続・大人の眼差し ~」「我が青春のジャズ・グラフィティ(7)~ 青春の光と影 ~」など)

特に「3000番シリーズ」なかから、夏向きジャケット、トップ5をギャラリー・アップしてみました。残念なことに、これらを含めたLPは、ほとんど散逸してしまっている。もちろんCDでもジャケットは楽しめるし、ジャケ買いなどいまでも私もしているが、LPレコードに比べると、そのアート性、楽しさにおいては太刀打ちできない。

まるで「コルコヴァードの丘 /Corcovado」の丘に聳え立つキリスト像のように、波飛沫にの中に浮かび上がるシルエットは、「Tide」。

「Antonio Carlos Jobim - Tide (1970) - Full album」

          

サバンナを駆ける一頭のキリン。「アントニオ・カルロス・ジョビン/Antonio Carlos Jobim」の「WAVE」のジャケット。

「Antonio Carlos Jobim - Wave (1967) Full Album」

          
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by knakano0311 | 2015-08-11 09:44 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(0)

Comin' Home Baby

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玄関先のプランターに水を撒いていて気がついた。脱皮したばかりの「カマドコウロギ(竈蟋蟀)」?(難しい字ですね・・)、あるいは「カマドウマ(竈馬)」でしょうか、じっと葉に掴まっている。健気 ・・・。この時期、次から次へと、我が家を訪れるいろいろな虫が繰り広げる自然の営み。いや、見ていて飽きないもんですね。

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ふいに浮かんできた曲は、「カミン・ホーム・ベイビー/Com'in Home Baby」。60年代、ボサノバの流行とともに、大ヒットしたジャズ・フルート奏者、「ハービー・マン/Herbie Mann (1930 – 2003)」の出世曲。まあ、当時のJAZZ喫茶では、しょっちゅう流れていたように記憶しています。アルバムは、「ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン/Herbie Mann At The Village Gate」。祭囃子を思わすような、ベースの長いイントロに続いて、グルーヴ感いっぱいのフルートが印象的な曲。そのベースを弾いていた「ベン・タッカー/Ben Tucker」の作曲。これも「我が青春のジャズ・グラフィティ」の1曲。1961年11月17日ニューヨーク、「ヴィレッジ・ゲイト」でのライヴ。

ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン

ハービー・マン(fl) / ワーナーミュージック・ジャパン



「Comin' Home Baby - Herbie Mann」
 
          

「ハービー・マン」は、1930年、ニューヨーク・ブルックリンでルーマニアとロシアの家系をもつユダヤ人の両親の間に生まれた。プロとして初めて舞台に立ったのは15歳のときであるという。最初は、バス・クラリネット、テナー・サックスおよびソロ・フルートを担当したが、20歳を過ぎる頃からはバップ・フルートの第一人者たるべく、フルート一本に絞ったという。

多くの人が、彼を評価する所以は、彼はフュージョンあるいはワールドミュージックの開拓者であったことであろうか。1959年には政府支援のアフリカ旅行に同行してアフロ・キューバン・ジャズのアルバム、「フルーティスタ/Flutista」を録音、1961年には、ブラジルに旅し、「アントニオ・カルロス・ジョビン/Antônio Carlos Jobim」や、「バーデン・パウエル/Baden Powell」ら現地ミュージシャンを引き連れてレコーディングをするため帰国し、その後米国において「Comin’ Home Baby」の大ヒットを皮切りに、「ボサ・ノヴァ」の一大ブームを起こしたことは有名な話である。

また、1960年代半ばには、まだ無名の「チック・コリア/Chick Corea」をバンドに加え、売り出したり、1969年のヒット・アルバム、「メンフィス・アンダーグラウンド/Memphis Underground」では、当時「フュージョン」という言葉すらなかった時代に、ロックあるいはソウル・ミュージックとジャズとをクロス・オーバーするという手腕を発揮してみせた。これも「我が青春のジャズ・グラフィティ」の1枚。

メンフィス・アンダーグラウンド

ハービー・マン(fl、arr) / ワーナーミュージック・ジャパン



「HERBIE MANN - Memphis Underground (Full Album)」

          
 


 
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by knakano0311 | 2014-08-03 10:03 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(2)

小雨のヨットハーバーで盛り上がる

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朝からどんよりと暗い空、そして小雨が振り出したが、いそいそと出かける。前の会社では、と言っても相当昔、若いころの話であるが、ヨット部に所属し、毎年初夏から秋にかけては、休みはいつもヨットの練習に明け暮れていた。そんなことを、何回かこのブログでも書いたことがある。(参照拙ブログ「仲間、再会、別れ ・・・」「風良し、波良し、天気良し」「夏の気配  ~潮風の記憶~」など) そんなヨット部が今年で創部50周年を迎え、それを記念して現役ヨットマン、OBヨットマン/現役社員、OBヨットマン/OB社員で交流会をしようということで、現在の艇庫がある「新西宮ヨットハーバー」に集合した。創部は昭和38年(1963年)、何人かのヨット経験者によって創部された。もちろんその先輩たちはまだお元気である。私が当時の同僚に誘われて入部したのが、1970年か71年であったと思う。ほかに楽しみもなく、近くではあるが、今とは違った場所にあった西宮浜に毎週通ったものである。その時の仲間たちとの交流が今でも続いているのである。

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天気が良ければ、クルーザーで海に出るはずであったが、あいにくの雨に加えて、寒冷前線の通過に伴う相当の風。陸に上がってもうすっかり足元もおぼつかなくなっている爺さん達を乗せては危険という当然の判断で、停泊中の見学と記念写真のみとなり、早々のBBQパーティとなった。時間を忘れるほどの大盛り上がり、初めて会った後輩もヨット仲間なら百年の知己のように話も弾む。そして聞けば、やはりこのご時世、ご多分に漏れず、クルーザーの繋留料、艇庫の賃料など経費の負担が企業内スポーツの継続には重くのしかかってきているが、どうにか会社の理解もあって、かろうじて継続できているという。ここまで50年続けてきたのだ。何とか継続をとエールを送りつつ、夕暮れ近づくハーバーを後にした。

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さあ、古き良き仲間たちに会えたので、今宵はあの若かりし頃を思い出しながら、ブルーノートの復刻盤から聴いてみましょうか。「グラント・グリーン/Grant Green」。1960年代を代表するギタリストといえば、一人は言わずと知れた「ウェス・モンゴメリー/Wes Montgomery」、そしてもう一歩の旗頭が、「グラント・グリーン」であった。当時のジャズ喫茶でも、ウェス派とグラント派がはっきり分かれ人気を二分していたように思う。奏法でも「ウェス・モンゴメリー」が、コード・ソロ、オクターヴ奏法を多用したのと対照的に、シングル・ノート(単音)のメロディを主体にプレイした。

「グラント・グリーン」。1935年、ミズーリ州セントルイス生まれ。デビューのきっかけは、「ジミー・スミス/Jimmy Smith」とのセッションだったという。オーソドックスなビ・バップから、モード・ジャズ、そしてジャズ・ファンクに至るまで、さまざまなジャンルで活躍したため、グリーンはモダン・ジャズ・ファンだけにとどまらず幅広い支持を獲得した。しかし、残念ながら1979年に47才という若さで亡くなっている。

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私が学生時代はモダン・ジャズの全盛期、よくジャズ喫茶に通っていた。そこでよく流れていたグリーンのアルバムが、「アイドル・モーメンツ/Idle Moments」(Blue Note, 1963)。なんといっても、このタイトル曲に、皆痺れていたものである。「デューク・ピアソン/Duke Pearson」のピアノに始まり、「グラント・グリーン」のギターと「Bobby Hutcherson/ボビー・ハッチャーソン」のヴィブラフォンがテーマを奏でる。このメロディラインが実にうっとりするほど魅惑的なのだ。そしてアドリブが、ギター、ピアノに続いて、柔らかく優しい「ジョー・ヘンダーソン/Joe Henderson」のテナー。さらにクールで緊張感を高める「ボビー・ハッチャーソン」のヴァイヴへと続く。この1曲だけで十分堪能といえるアルバムである。

Idle Moments

Grant Green / Blue Note Records



パーソネルは、「グラント・グリーン/Grant Green (g)」、「ジョー・ヘンダーソン/Joe Henderson (ts)」、「ボビー・ハッチャーソン/Bobby Hutcherson (vib)」、「デューク・ピアソン/Duke Pearson (p)」、「ボブ・クランショウ/Bob Cranshaw (b)」、「アル・ヘアウッド/Al Harewood (ds)」。

フル・アルバムがYOUTUBEにアップされているが、「Idle Moments」1曲で十分堪能 ・・・。

「Idle Moments - Grant Green」
 
          
 



 
 
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by knakano0311 | 2013-11-12 23:15 | 我が青春のジャズ・グラフィティ | Trackback | Comments(0)