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大屋地爵士のJAZZYな生活

カテゴリ:想うことなど・・・( 91 )

2005年4月25日の奇跡

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「もう4年経ってしまったのか」というのが素直な感想である。2005年4月25日午前9時18分、死者107人、負傷者562人という未曾有の犠牲者、被害者を出したJR宝塚線(福知山線)の脱線事故は起こった。会社で事故発生の報を知った私は胸騒ぎがして、すぐ家に電話をした。私の三男が通学のため、その線を利用していたからである。電話に出た妻は、息子から電話があり、「事故にあったが殆どかすり傷。念のため救急車で検査のため病院に運ばれている。心配ない。現場はまるで爆撃を受けた戦場のようだった。」という報告があったと告げた。たまたま彼はその日、最後尾の7両目に乗っていたため、膝をすりむく程度の軽傷ですんだのである。帰宅して息子から事故現場の話を聴くにつれ、「偶然」、「運命」、「奇跡」・・・といった言葉が頭の中を駆け巡った。

この沿線には大学が多いため、犠牲者に学生が多くいたのも悲しい特徴であった。我が子を突然事故で奪われた親の哀しみや怒り、体の傷は癒えてもその後のPTSDなどの被害者の苦しみ。私や息子がその情況におかれていたとしても何の不思議もなかったのだ。

国交省の事故調査委員会は3年かけて一応の結論は出したものの、真の原因が特定できたかどうか疑問を抱く遺族や被害者も多いと聴く。これからまだ長い裁判が待っているのだ。
遺族とJR西日本との和解も進展していないようであるが、当時、我が家に訪れたJR西日本本社の部長の横柄ともいえる態度をみると、民営化後、この会社が、何を最も優先させてきたかが透けてみえてくる。

事故後4年経っても現場脇におかれた献花台には、いまも花が絶える事はない。電車が突っ込んだあのマンションは住む人もなく放棄されたまま、まるで墓標のように聳え立っている。事故当時、大学3年生であった息子は、無事卒業し、首都圏の企業へ就職した。

そして、大型連休の始まったちょうど4年後のその日の25日、息子は事故にあったあのJR宝塚線に乗って帰省してきた・・。

黙祷・・・・。
by knakano0311 | 2009-04-28 10:03 | 想うことなど・・・ | Trackback | Comments(0)