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大屋地爵士のJAZZYな生活

<   2010年 08月 ( 19 )   > この月の画像一覧

「涼」のとれるレシピ教えます

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台風通過で一時的にやや凌ぎやすくはなったものの、また暑さも蝉の鳴き声も戻ってきたようです。クーラーばかりに頼らず、心理的にも「涼」を取る必要がありそうですね。とすれば、私の対策、これはもう、一に「読書」、二に「音楽」、三、四がなくて五に「怪談(ホラー)」ですかね。そんな私の最近の「心の涼」レシピです。

まずは、これが結構効くんですが、就寝前の読書。何を読むのかって? 奇妙な味わいをもつホラーあるいはブラック・ユーモアあたりがいいでしょう。きつすぎず、さりとて緩すぎず、そのあたりのちょうどいいころあいをもつ本を選ぶのがポイントです。おすすめは「ハリー・クレッシング/料理人」などどうでしょうか。ダール、ブラッドベリー、ブロックなどの短編もいいかもしれません。

ある平和な田舎町「コブ」が舞台。コンラッドという謎めいた料理人がふらりとやって来て、町の半分を所有する名家、ヒル家にコックとして雇われる。コンラッドは、舌もとろけるような料理をつぎつぎと創りだし、その不思議な個性と魅力で、周りの人々を虜にしていく。がしかし、やがて奇妙なことが起きはじめた ・・・ 。

料理人 (ハヤカワ文庫 NV 11)

ハリー・クレッシング / 早川書房



音楽ならば、ボサノバ、フージョンあたりが定番でしょうか。「いやハワイアンだ」という人もいるかもしれません。最近、私は「アグスティン・ペレイラ・ルセーナ/Agustin Pereyra Lucena」に「涼」を求めてみました。いまから40年前、1970年録音のアルバムであるが、今聴いても新鮮で飽きない。「セバスチャン・タパジョス」、「バーデン・パウエル」と同じ系譜でしょう、そんな雰囲気を感じるアルゼンチンの孤高のギタリスト。かのボサノバの詩人「ヴィニシウス・デ・モライス」が絶賛したという、そのただならぬ才能は単に「涼」を感じるだけでは済まされないかも ・・・ 。

Agustin Pereyra Lucena

アグスティン・ペレイラ・ルセーナ / インディペンデントレーベル



聴いてみます? アグスティンのギターと「エレーナ・ウリブル/Helena Uriburu」のスキャットで、「Tema Para Martin」。

          

ヴィジュアル的に「涼」を得ようとしたら、それはもうホラー映画でしょう。しかし、私は数多く観て、免疫ができてしまったのか、そんじょそこらのゾンビ、悪魔、超常現象、オカルト映画では、涼しさも怖さを感じない体質となってしまっているのです。別の意味で「寒さ」を感じる場合はありますが ・・・。 最近の映画、DVDで「パラノーマル・アクティビティ」、「ドランのキャデラック」、「ザ・フォース・カインド」など観ましたが、いずれもイマイチ。やはり古典的ともいえる名作「シャイニング」を超えるものは出てこないのでしょうか?

「ジャック・ニコルソン/Jack Nicholson」が本当に怖い「スタンリー・キューブリック/Stanley Kubrick」監督の傑作。  

シャイニング 特別版 コンチネンタル・バージョン [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ



そして、冒頭の写真は、ご近所で有名な心霊スポット?。どうです、少しは涼しくなりましたか?

 
by knakano0311 | 2010-08-13 09:57 | 音楽的生活 | Trackback | Comments(0)

小さな夢は ・・・  ~姪の結婚に想う~

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結婚するんだってね。おめでとう。いつも松本に帰省するたびに、うちの子供達と「キャッキャ」といって遊んでいたあの君がね。月日の経つのは早いもんだね。NYに出張したとき、一緒にすしを食べたのはいつだったっけ ・・・ 。また新しい夢がうまれるのかな。結婚式には出席できないけれど、心からおめでとう ・・・ 。

ニューヨークに住んでいる姪(めい)のKAORIが、この月末に結婚する。私の妹の娘である。2001年、大学を日本で卒業した後、しばらく自分の将来を決めかねていたが、ニューヨークの学校(Fashion Institute of Technology, New York)でテキスタイルやアートの勉強をするために9.11の翌年NYに渡米した。卒業後は、ニューヨークに住んで、ファッション・デザイナーとして働いている。現在は、オーガニックの素材を使った小さなブランド「KAORI YAMAZAKI」をニューヨークで立ち上げて頑張っている。子供の頃から、意志の強い、集中力のある子であったが、子供の頃からの夢だった「手仕事で身を立てたい」という夢を実現させた。

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彼女は、ファッション・デザイナーになろうって明確に思ったことは1度もないらしく、「3、4年ぐらい前から自分の着る服を作ったりとか、友達に手袋を編んだりとか、そういう小さいことから始めていって、それが段々と人の目に止まったりとか、作品に興味を持ってくれる人が増えていったりして、それで何となくこう洋服を作ったりとかデザインを始めたっていう感じ」と、81.3FM J-WAVE:TEPCO EARTH HUMMING という日本のラジオ番組のインタビューに答えている。

そんな彼女がインテリア・デザイナーの米国人と結婚するという知らせ。ニューヨーク近郊の林の中のコテッジを借り切って結婚式を挙げるそうである。

人種のるつぼであるNY。でも、みんなが自由に生きている街NY。自分を飾らずにオープンに、自由に生きてる。競争は過酷で厳しいが、才能ある人は認めてもらえる夢が実現できる街。まだまだこれからであるが、KAORIの才能に道を開いてくれたアメリカ、NYの街にもありがとう。

子供の頃から手仕事が好きで、テキスタイル・デザイナーになることを夢見ていた女の子の小さな夢の物語が、ひとまずハッピーエンドを迎えた。

彼女のブランド「KAORI YAMAZAKI」のHPはコチラ。興味のある方はどうぞ。

残念ながら、私は結婚式には出席できないので、曲を贈りましょう。

月並みではあるが、「エルヴィス・プレスリー/Elvis Presley」の映画「ブルーハワイ」の挿入歌「Hawaiian Wedding Song」。 
末永くお幸せに ・・・ 。


          
 
 
by knakano0311 | 2010-08-12 00:05 | 想うことなど・・・ | Trackback | Comments(0)

夏だ!JAZZだ!ライブだ!

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野外JAZZライブに行ってきました。「2010 Jazz Picnic in Inagawa」。隣町の池田市の猪名川の河川敷で行われたジャズ・ライブである。おやじがJAZZ好きなのを知ってる息子夫婦からのチケットのプレゼント。開演は17時であるが、熱い日ざしを避けて18時過ぎ、ゆっくりと陽が落ちかけるころに会場に入った。前座のアマチュア・バンドが終わった頃でちょうどいいタイミング。まず気がついたのは、ホールのジャズ・コンサートと違って、観客が若い。こんな若い観客層のJAZZコンサートはいつだったか記憶にないほど久し振りである。中には子供づれの夫婦もいたりして、芝生に寝転がったり、弁当を食べたり、ビールを飲んだり(残念!私は車)、思い思いのスタイルでジャズを楽しんでいる。となりの話し声もこんな場所では気にならないから不思議だ。陽が落ちると、川から吹いてくる風が心地よい。この昼と夜との境目の雰囲気や気配がなんとも魅力的。「逢魔が刻」とはよく言ったものである。

たしかこの野外コンサートは10年ほど前から行われ、この時期の猪名川の夏の風物詩となっている。全国的に知名度の高い大物JAZZミュージシャンは出演しないものの、NPO関西ジャズ協会と共催しているため、関西を拠点に活動し、関西では知られている実力派ミュージシャンが出演することで知られているのだ。

アマチュアバンド、関西JAZZスクールの講師&生徒ユニットのあとは、今日私が一番期待していたバンド、20代の関西の若手によって1年ほど前に結成された「ジンジャーブレッドボーイズ/Ginger Bread Boys」。MJQ(マンハッタン・・)と同じ2管のクインテット仕立て。そのハードバップを基調にした、若いエネルギーとドライブ感溢れる演奏は、期待を裏切らないものであった。そして関西ではなじみの歌姫5人による「アカデミー賞受賞曲メドレー」。おなじみの「Over The Rainbow」、「Days Of Wine And Roses」、「When You Wish Upon A Star」など16、7曲を次から次へと聞かせてくれた。バックは人気のテナーサックス「高橋知道」を加えた、手だれ「大塚善章カルテット」。5人の歌姫の中に、かってよく行っていた北新地のジャズバーの専属ボーカル「ヒロミ」さんの姿があったのが懐かしいし、うれしい。

そして、9時頃になると芝生の上に座っていたため、腰が悲鳴を上げ始め、喉はビールを求めて喘ぎだす。ブログのタイトルは勇ましいが、もう私は爺さん、年なのである。残念ながら、ラストのメイン・バンド、「足立衛&アゼリア・ジャズ・オーケストラ」の演奏半ばにして、腰を上げ、家路についた。そういえば、この日は、朝から里山クラブの定例会で、玉木おろしに、ピザ窯修理、子供達とのピザ焼きなど、終日アウトドアで十分な汗をかいた一日でもあったのだ。


ライブDVDのなかで何が私の一番のお気に入りかといえば、我が歌姫「ダイアナ・クラール」のパリでのコンサートライブDVDでしょう。彼女の声を「オッサン声」などと評すとんでもない輩もいるが(まあ、顔と声の落差は認めますが・・)、ハスキーで、めりはりがきき、力強いが繊細なヴォーカルとピアノで世界中のファンを魅了し、ジャズ界のトップ女性ボーカルの座に着いた「ダイアナ・クラール/Diana Krall」。憎っくき「エルビス・コステロ」が掻っ攫っていったダイアナ。彼女が2001年に行ったパリでのライブのDVDである。「ザ・ルック・オブ・ラブ」「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」など、すべてが最高の全17曲。このDVD、私は北京で格安で手に入れましたが、しかしいつ見ても惚れ惚れする美人ですねえ ・・・。

ライヴ・イン・パリ [DVD]

ダイアナ・クラール / ヤマハ・ミュージック・アンド・ビジュアルズ



とにかく高音質のDVD。ポータブルDVDデッキをコンポにつないで、音楽を聴くのも私の楽しみ方の一つである。

聴いてみます? 「The Look Of Love」、「ライヴ・イン・パリ」から。 ストリングスは、パリ交響楽団、客演指揮者/アレンジャーはご存知「クラウス・オガーマン」。

          
 
 

 
by knakano0311 | 2010-08-10 09:16 | 音楽的生活 | Trackback | Comments(0)

ふるさとエレジー(5) ~ 家あれども帰り得ず/川島芳子 ~

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「川島芳子(かわしま よしこ)」という名前をご存知だろうか?1907年5月24日北京生まれ、本名は「愛新覺羅 顯シ(あいしんかくら けんし)」、清朝の最後の皇族「粛(しゅく)親王」の第十四王女である。清朝復興を夢見て、日本軍の特務機関員らと、上海事変や満州国建国に関与した日本軍スパイとされ、その数奇な運命から、「男装の麗人」、「東洋のマタハリ」などと呼ばれた。戦後、中国の国民党政府軍に逮捕され、1948年3月25日、北京で銃殺刑が執行された。享年41歳であった。処刑直後からも、替え玉説、生存説が絶えることなく今も存在している。今年、台湾で処刑後の死亡を確認する公文書が見つかったことが発表され、死亡の裏づけがなされたが、戦後65年経た今なお彼女が話題になっていることが興味深い。

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実は「川島芳子」は青春の一時期を松本で過し、教育を受けていたのである。そして中国での銃殺後、その遺骨は松本市街を見下ろす城山の中腹、「正鱗寺(しょうりんじ)」にある義父「川島浪速」の墓に一緒に葬られている。この話は、私たち世代の松本出身者の多くが、多分知っている話であり、私も高校生の頃、この話をよく先輩から聞くとともに、夜、正鱗寺の墓地への「肝試し」をさせられたものである。久し振りの城山へのドライブの途中、寄ってみたその墓は、「国士」と刻まれて、炎天下の木立の中にひっそりと建っていた。


「川島芳子」は、辛亥革命後の5歳の時に、父「粛親王」と交わりがあり、中国語の堪能な満州浪人「川島浪速」の養女となり、芳子という日本名が付けられた。東京の豊島師範付属小学校を卒業後、川島の東京から松本への転居にともない、長野県松本高等女学校(現在の長野県松本蟻ヶ崎高等学校)に転校した。松本高等女学校へは、毎日浅間温泉にあった自宅から馬に乗って通学したという。1922年(大正11)に実父「粛親王」が死去し、葬儀のために長期休学したが、日ごろの奇矯な行動の故か、復学が認められず、松本高女を中退している。そして、17歳で自殺未遂事件を起こし、断髪、男装となる。ただ、自殺や男装の動機については諸説あって真相は分からないらしい。

その後、日本軍と深く関わり、1931年(昭和6)9月18日の満州事変勃発から2ヵ月後に、日本軍は後の満州国皇帝にまつりあげた「宣統帝(せんとうてい)・溥儀(ふぎ)」を天津から旅順に脱出させたが、芳子は関東軍の依頼を受け、残された溥儀の皇后婉容を天津から満州に連れ帰るなどをした。

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1933年(昭和8)、「松村梢風」が芳子をモデルにした小説「男装の麗人」を発表すると、一躍時代の寵児となった。芳子の端正な顔立ちや、清朝皇室出身という血筋といった属性は高い関心を呼び、芳子の真似をして断髪する女性が現れたり、ファンになった女子が押しかけてくるなど、マスコミが産んだ新しいタイプのアイドルとして、ちょっとした社会現象を巻き起こしたという。ある時は背広姿、時には羽織袴、戦時下には特注の軍服を着て、大陸と日本を往復する勇姿が「東洋のジャンヌ・ダルク」ともてはやされ、舞台や映画にもなった。また、芳子が歌う「十五夜の娘」、「蒙古の唄」などのレコードも発売されている。(参照 「十五夜の娘」(1933)/川島芳子が蒙古語と日本語で歌った珍しいレコード

ところが、戦後、日本の軍服を着て司令の肩書きをっもっていた彼女は、一転「漢奸(かんかん=売国奴)」として国民政府に逮捕され、1947年(昭和22)、中国高等法院でスパイ活動をしたとして、戦犯公判がスピード結審、死刑判決を受けた。その後2度の再審請求は却下され、1948年(昭和23)3月25日早朝、監獄の片隅で死刑は執行された。

「 家あれども帰り得ず
  涙あれども語り得ず

  法あれども正しきを得ず
  冤あれども誰にか訴えん」

なんと孤独で哀しい詩だろうか・・・。この句は銃殺執行後の獄衣のポケットに残されていた彼女の辞世の句だという。「家あれども帰り得ず 涙あれども語り得ず」という上の二句は、芳子が生前好んで揮毫していた句であり、彼女の数奇な運命に翻弄された孤独な心情を表している。日中双方での根強い人気を反映してか、銃殺刑執行直後から替え玉説が報じられ、現在でも生存説が流布されている。(参照 Wikipediaなど)

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1998年、「川島芳子」の没後50周年に、「川島芳子」の書や遺品などを展示した資料室「川島芳子記念室」が、芳子が少女時代を過ごした松本市の「日本司法博物館」内に開設され、芳子の女学生時代の友人や関係者が芳子のゆかりの品などを寄贈した。その後、資料は松本市が引き継ぎ、「たてもの野外博物館 松本市歴史の里」へとリニューアルされた博物館に収蔵・展示されている。

高校時代に聞いた話に触発され、私が読んだ「川島芳子」の伝記は2冊。「上坂冬子」渾身の著作「男装の麗人・川島芳子伝」、最初に芳子を取り上げた「村松梢風」の孫、「村松友視」が奇しくも同名のタイトルで発刊した「男装の麗人」。

男装の麗人・川島芳子伝 (文春文庫)

上坂 冬子 / 文藝春秋



男装の麗人

村松 友視 / 恒文社21




あの墓に眠っていることを、彼女は本当は喜んでいるのだろうか? もうすぐお盆が来る。「家あれども帰り得ず ・・・ 」と詠んだ彼女の悲痛なる魂を小舟に乗せて、故郷中国へ送ってあげようではないか。魂の小舟を送るエレジーは、「On A Slow Boat to China/中国へ向かう遅い船の上で」 ・・・ 。

聴いてみますか? 「On A Slow Boat To China」。 有名なスタンダードですが、すこしレトロなアレンジで「真梨邑(まりむら)ケイ」が歌う。
「 ♪  中国へ向かう遅い船の上で/あなたを独り占めしたい/私の腕の中にずっと抱え込んで/あなたの恋人は海の彼方で泣かせておくのさ ・・・・ ♪ 」

          
by knakano0311 | 2010-08-09 09:47 | ふるさとは遠くにありて・・・ | Trackback(2) | Comments(0)

ふるさとエレジー(4) ~ 民芸館に憩う ~

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私の実家のすぐ近くに「松本民芸館」がある。近いので帰省したとき時々寄ることにしているが、今回は、「山里の民芸 ざる・かご展」が展示されていたので、訪れてみた。

この「松本民芸館」は、現在は松本博物館の付属施設となっているが、松本市内の中町で「ちきりや」という工芸品店を営んでいた「丸山太郎」氏が、柳宗悦の民芸運動に共鳴し、「無名の職人たちの手仕事で日常品」であるものに美を感じ、蒐集した数々のいわゆる民芸品を展示した、いわば個人の情熱によって建てられた民芸館です。現在は周りに住宅が建て混んできたが、昭和37年(1962年)の創館当初は、回りになにもなく田んぼの中に雑木林に囲まれて、ぽつんと立つ、なまこ壁の美しい蔵作りの建物であった。高校生であったこのころ最初に行ったように記憶している。

「美しいものが美しい
 では何が美しいかと申しますと 
 色とか模様とか型とか材料とか色々あります
 その説明があって物を見るより無言で語りかけてくる物の美を
 感じることの方が大切です
 何時何処で何んに使ったかと云うことでなく
 その物の持つ美を直感で見て下さい
 これはほとんど無名の職人達の手仕事で日常品です
 美には国境はありません 」   丸山 太郎


日本各地に残る美しい手仕事を紹介しながら、日本がすばらしい手仕事の国であることへの認識を呼びかけた「柳 宗悦」のユニークな民芸案内書。

手仕事の日本 (岩波文庫)

柳 宗悦 / 岩波書店



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「丸山太郎」氏が蒐集した多岐にわたる編組品を展示した企画展。運搬や収納、食器など生活の必需品であるざるやかごなどの製作は、主に農家などの副業として行われることが多かったようである。作り手は、自然からの材料である竹、蔓などを自分で手に入れ、つくり、売って歩いていたものが、専門化し、職人として独立し、特産地も形成されていったようである。ともあれ、その織りなす編み目や造形の素朴な美しさ、実用としての用途の多様さ、力強さにはおどろき、職人の技の見事さにいつも感心してしまう。

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そういえば、子供の頃の川で魚を取る仕掛け(関西でいう「もんどり」)や、つりの「魚籠(びく)」、蕎麦を盛ったり、野菜や果物を冷やしておく「ざる」、物を収納する「行李(こうり)」、「簾(すだれ)」など生活の身近なところに職人の作った「ざる・かご」など、編組品の類が沢山あった。この展示を見ると、日常生活や日用品と自然とのかかわり、もともと「ものづくり」とは何のためだったのかという職業観、やがて消えていってしまうかもしれない職人の技や、手仕事の伝承などについて考えさせられる。

100年以上は経っただろうかと思われる椅子に腰掛けてみる。すとんと腰が落ち着く。蔵造りの民芸館の中を吹き抜ける風に暑さを忘れてしばし憩う。故郷へ帰ると、困ったことに、なぜかJAZZはあまり浮かんでこない。レトロな日本の歌ばかりが浮かんでくるのだ。この日、民芸館の素晴らしい手仕事に囲まれていると、こんな歌が浮かんできた ・・・。

「天然の美」。「田中穂積」作曲、「武島羽衣」作詞の唱歌。1902年(明治35年)、私立佐世保女学校の音楽教師だった田中は、九十九島の美しい風景を教材にしたいと考えていた。そこで、折りよく入手した「武島羽衣」の詩に作曲し、本曲は誕生したという。「美(うるわ)しき天然」とも呼ばれる。その物哀しいメロディが好まれたのか、のちに理由は分からないが、ジンタとして、サーカスやチンドン屋さんの曲になってひろまったという。

この詩で讃えられているのは、その歌詞からキリスト教的な神と想像できるが、何故か民芸館の自由で創造的空間に似合い、ここにも宿っているような気がした。

「天然の美」(美しき天然)  作曲・田中穂積 作詞・武島羽衣

「♪ 空にさえずる 鳥の声 峯(みね)より落つる 滝の音
   大波小波 とうとうと 響き絶やせぬ 海の音
   聞けや人々 面白き この天然の 音楽を
   調べ自在に 弾きたもう 神の御手(おんて)の 尊しや

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   朝(あした)に起こる 雲の殿(との) 夕べにかかる 虹の橋
   晴れたる空を 見渡せば 青天井に 似たるかな
   仰げ人々 珍らしき この天然の 建築を
   かく広大に 建てたもう 神のみ業(わざ)の 尊しや   ♪」


聴いてみます、ジンタ? 「天然の美 (美しき天然)」。

          

民芸館をでて、松本市内に向かうと、8月から9月にかけて行われる松本の新しい風物詩、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」の開幕を告げるポスターがいたるところに貼られていた。これから松本は、山や避暑の観光客、盆の帰省客、「松本ぼんぼん」の祭り客、そして「サイトウ・キネン・フェスティバル」の観客と、最も忙しい季節を迎える。

そして、このブログを書いている今日は、ヒロシマに原爆が落とされた日。平和を祈念する日 ・・・・ 。


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注) 「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(略称=SKF)」は、「小澤征爾」氏のプロデュースにより、1992年から毎年8月、9月に長野県松本市で行われるオペラ、オーケストラ公演などを中心とした音楽祭。名チェリストで桐朋学園創立者でもあった「斎藤秀雄」氏の没後10年の1984年に小澤征爾氏らの呼びかけで世界各地から弟子が集まりコンサートを行ったのがきっかけで、1992年に第1回のサイトウ・キネン・フェスティバルが開かれた。世界でソリストとして活躍しているような弟子の人々が、このときだけ集まってオーケストラを編成するので、演奏のレベルが非常に高く、「サイトウキネン」は、世界でもトップレベルの音楽祭として注目されている。
by knakano0311 | 2010-08-07 09:11 | ふるさとは遠くにありて・・・ | Trackback | Comments(0)

ふるさとエレジー(3) ~苦悩する地方出版社~

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実家でTVを見ていたら、長野県にある地方出版社が経営の危機に喘いでいるというニュースを特集で報じていた。信州を出て、他県に移り住んでみれば分かることなのだが、長野県には、地方出版社、いわゆる郷土の出版社が結構多いように思う。その出版されるカテゴリーも、街角の本屋さんをのぞいてみればすぐ分かるが、観光、山岳、自然、歴史、民俗学、考古学、民話 ・・・・ など多岐にわたっていて、実家にも相当数、我が家にも何冊かそんな郷土の出版社の本がある。「信州人は本好き」とよく言われるが、そんなことも関係しているのかもしれない。そして長野県は「岩波茂雄」(岩波書店創業者)、「古田晁」(筑摩書房創業者)、「大和岩雄」(大和書房・青春出版社創業者)などの有名出版社の創業者を輩出している事でも知られている。

2005年、長野県には、30社ほどの地方出版社があったが、2010年には25社に減ってしまったという。原因は「本離れ」による地方の書店、本屋さんの衰退、廃業が大きいという。確かに中央の出版社のように流通NETを持っていないので、本屋さんの廃業は経営を直撃するのであろう。残った出版社も深刻な経営危機に見舞われているという。しかし、番組ではそんな中で、新しい販路や、インターネットや情報NETによる流通sys、i-Padのような電子書籍を模索する出版社の試みを紹介し、希望をつなげていたのが印象的であった。
 
確かに大手出版社の殆どは東京に存在し、強力な流通NETを持っている。極端に言ってしまえば、すべての情報は東京に集中しているといってもいい。しかし逆に、衣・食・住など人の生活基盤を支えているリアリティは地方、田舎にあるのである。「おいしいリンゴは全国のどこにあるか」という情報は東京にあるが、「おいしいリンゴそのもの」や「そのリンゴはどうおいしいのか」、「どうつくられているのか」という情報は田舎にあるのである。インターネットや情報NETの進展によって、読者の興味、知的好奇心とそれを満たしてくれる地方発の現場やその情報がダイレクトにうまくマッチングすれば、まだまだ地方出版社にも生き残っていく術は十分ありそうにも思われる。

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情報技術の進歩が、ワープロ、編集、印刷など書き手や出版社側のあり様を変えてきたように、今後は情報検索、本の電子配信、NETショップ ・・・ などが、著者、出版社と読者とをダイレクトに結んで、革新的にその関係を変化させてしまうのではなかろうか。これは、通販やB to Cと同じように、地方の出版社や無名の著者達にもチャンスであるに違いないと思うのだが。


今年創業70年を迎えるという筑摩書房。その雑誌「展望」の編集長であった「臼井吉見」の著作に「安曇野」全五巻がある。「信州・安曇野に吹き起こる新風-”新しい女”相馬黒光とその夫愛蔵、先駆的思想家木下尚江、クリスチャン井口喜源治、天才彫刻家荻原守衛ら新文化創造の鋭気漲る明治30年代から昭和にいたるまでの人と社会を描く大河小説」。我が母校の先輩たちが実名で登場する大河小説であるが、その膨大な量に圧倒され、読むという気力が湧かなかったが、偉大なる先輩達に敬意を表し、意を決して読もうと思う。

安曇野 全5巻セット限定復刊

臼井 吉見 / 筑摩書房




ところで、「春は名のみの風の寒さや ・・・ 」という「吉丸一昌」作詞、「中田 章」作曲の「早春賦」という歌をご存知でしょう。この詩は、「安曇野」の早春の風景を詠んだものらしく、春の訪れを待ちわびる安曇野の人達の心が描かれている。長野県南安曇郡穂高町(現在、安曇野市)穂高川の右岸に、歌碑が建立され、毎年4月29日には「早春賦祭」が開催され、この歌が献歌されている。(参照拙ブログ「早春賦」

少し季節外れですが、観てみますか?春の季節の「早春賦」の歌碑を。かすかに聞こえるオルゴールが「早春賦」のメロディを奏でている。この暑さ、一服の涼にでもなれば ・・・ 。

          

そして聴いてみますか? 「早春賦」。 もちろんエレジーではないが、多分日本人ならだれでも小学校で歌ったことがあり、誰の心にも感動を呼び起こす日本の故郷の歌、そしてわが故郷の歌。

          
 
 
by knakano0311 | 2010-08-05 11:24 | ふるさとは遠くにありて・・・ | Trackback | Comments(0)

路傍の花、樹々の鳥 (8) ~西行蝉~

炎天下のウォーキング、途中の林で山吹の枝をつかんだまま死んでいる蝉を見つけた。

せめて最後に「花の蜜を吸いたい」と思い、必死で近づいたのか。

まるでその思いと時間がナイフですぱっと切り取られたかのようだ。

「きさらぎの桜の下で死にたい」と詠んだ「西行」のことがふと頭に浮かんだ。


          「花抱きて 逝かむと思ふか 蝉とても
                      喧騒の 声静まれり 夏の森」  爵士


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by knakano0311 | 2010-08-03 17:16 | 地域の中で・・・ | Trackback | Comments(0)

ふるさとエレジー(2) ~七夕人形がつなぐ想い~

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ふるさと松本の七夕は、旧暦で行われる。仙台の七夕などと同じように八月六日から七日にかけて行われる。そして思い出す七夕の光景はといえば、「七夕人形」。全国でも松本地方だけの風習らしいが、この地方では七夕に「人形」を飾るのである。願い事や「天の川」、「彦星」、「おりひめ」などと書いた短冊を笹や竹につるして飾るという一般的な「七夕飾り」と共に、男女一対の木製や和紙製で作られた「七夕人形」を軒下につるしてお祝いをするのである。この「七夕人形」を飾る風習は、江戸時代から今に伝えられている風習で、お雛様や五月人形と同じように、赤ちゃんの誕生の初節句に、その健やかな成長を祈って贈られる人形である。松本は城下町。「松本てまり」、「姉様人形」とともに「押絵びな」が武家の子女により盛んに作られたという。その延長上にこの「七夕人形」もあるという。そして旧家の「七夕人形」のコレクションも市の重要有形民俗文化財になっている。

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「ぼんぼん」、「青山様」そして「七夕人形」といい、山国の信州松本の城下町に、このような江戸時代からの風習が残っているのは、松本の人たちが伝統を重んじ、親から子へ、さらに孫へと七夕には人形を飾って、その思いを伝えてきたからなのである。本当に素晴らしい行事だとおもう。

市内の人形店が軒を連ねる小路を訪ね、妻は一つは自分のために、そしてもう一つは、ちょっと気が早いが、11月に生まれる予定の初孫の健やかな成長を祈って贈るため、冒頭の写真のような「七夕人形」を買い求めたのである。

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実家に戻って、戸棚を整理していると、もう今はすっかり年老いたので、作ることもないが、「和紙人形」づくりを趣味としていた母親が、かって自分で作った可愛らしい小さな「七夕人形」を見つけた。きれいな和紙を使って丁寧に作ってある。こんな趣味を楽しんでいたころは母も活き活きとしていたのだが ・・・。早速、その人形をもらってきたが、妻も手芸を趣味としているので、いづれそれを手本として「七夕人形」を作ってみようと思っているらしい。私の母親から妻へ、妻から息子のお嫁さんへ、そして孫へと、「七夕人形」を通じて「想い」がつながっていけば本当に素晴らしいし、そこに伝統行事や風習というものの本質をうかがうことが出来る ・・・ 。



わたしは晩生(おくて)だったので、少年時代には、こっちが一方的に思いを寄せる「おりひめ」はいたが、私自身はついぞ「彦星」にはなりえなかった。そんなほろ苦さを感じさせるアルバムは、「村下孝蔵/初恋~浅き夢みし」か ・・・ 。1999年に46歳の若さで急逝した「村下孝蔵」が1983年に発表したアルバム。「初恋」、「踊り子」など、彼の代表作は私にとって、心の中にかろうじて残っている少年時代を思い起こさせるエレジー。

初恋~浅き夢みし

村下孝蔵 / ソニーレコード



聴いてみますか? 「初恋」。

          

 
by knakano0311 | 2010-08-03 09:24 | ふるさとは遠くにありて・・・ | Trackback(1) | Comments(0)

ふるさとエレジー(1) ~幼な心の胸騒ぎ~

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(写真; ぼんぼん 松本市教育委員会編 「松本のたから」より)

盆休みの混雑・渋滞を避けて、帰省。久し振りに、八月上旬、七夕(旧)近くの季節を松本で迎えたので、子供の頃の行事を思い出した。それは、子供の伝統行事の「ぼんぼん」と「青山様」で、江戸時代末期頃に始まったといわれ、私が子供の頃は、松本市内の各地で町内会ごとに行われていたのである。「ぼんぼん」は女の子の行事、「青山様」は男の子の行事、両方とも今は市の重要無形文化財に指定されている。「ぼんぼん」は、女の子が紙で作った花を髪に挿し、ぽっくり下駄を履き、浴衣を着て、手にほおずき提灯を提げ、「ぼんぼん」の歌を歌いながら町内を練り歩くのである。浴衣を着た同級生が大人っぽく、妙に艶めいて見え、またその歌が、えもいわれぬ哀調をおびて、物悲しく響くので、子供心にも妖しく胸騒ぎを覚えたような気がします。その歌は、7番ぐらいまで歌詞があった長い歌のように記憶している。よく意味は分からないが、それは、たしかこんな歌詞でした。

「♪ ぼんぼんとても 今日明日ばかり あさってはお嫁(お山?)のしおれ草
     しおれた草をやぐらにのせて 下からお見れば ぼたんの花
       ぼたんの花は咲いても散るが  なさけのお花は 今ばかり 
          なさけのお花 ホイホイ
              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・          ♪」

夕暮れて宵闇が迫るころ、遠くから提灯のほのかな明かりが見え、この歌がきこえて、だんだん近づいてくる。子供ではあったが、胸が「きゅん」としたものである。後年、「ガロ」で「林静一」描く少女のイラストを見たとき、ぱっと頭に浮かんだのは、この子供のときの「ぼんぼん」の光景であった。

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そこへいくと、「青山さま」は、男の子の行事で味気なかった。法被(はっぴ)を来た小学生の男の子たちが、「青山神社」ののぼりを立て、杉の葉を盛った小さな御輿(みこし)を担ぎ、「青山さまだい、わっしょい、こらしょい」と掛け声をかけながら町内を練り歩くだけ。もちろん私はこちらのほうに参加したものです。町内によっては、各家からお賽銭を集めるところもあり、また他の町内の神輿とぶつけ合って喧嘩をするところも多く、男の子にとって夜遅くまで遊ぶことが許された数少ない行事であり、夏休みの楽しい思い出として記憶の片隅に残っている。たしか、「ぼんぼん」と「青山様」を一日交代で交互にやったような記憶があります。

夕暮れになったが、その気配がないので、「ぼんぼんの歌や青山様の掛け声がさっぱり聞こえないね」と聞いてみたところ、最近はやはり「少子化」の影響で、町内ごとでは子供が集まらないので開催できず、この伝統行事が絶えないようにと、市がまとめて一部の地域で続けているようである。近年は、「松本市民の夏祭り」といえば、「松本ぼんぼん」のほうがすっかり有名らしいが、「ぼんぼん」から名がとられただけで、伝統行事の「ぼんぼん」とは全く関係がないし、私が故郷を離れてから始まった祭りで、まだ40年足らずの歴史しかないため、私の記憶や子供時代の思い出にはなりえていないのである。

「ガロ」に連載されていた林静一の漫画「赤色エレジー」を歌にして、ヒットさせたのが「あがた森魚(もりお)」。「林静一」画く美しいジャケットのLPアルバムがデビューアルバムだった「乙女の儚夢(ロマン)」は1972年リリース。大正ロマンといった感じの日本の情緒や懐古的な風情を感じさせるアルバム。もちろん、あの懐かしいジンタの調べの「赤色エレジー」も収録されている。

「♪・・・・ 裸電灯 舞踏会 踊りし日々は 走馬灯 ・・・・ ♪」 
          (赤色エレジー/作詞;あがた森魚/作曲;八洲秀章)

乙女の儚夢

あがた森魚 / キングレコード



聴いてみます? 「赤色エレジー」。

          


「週刊新潮」の表紙絵で知られた故・「谷内六郎」氏の絵をモチーフに「あがた森魚」の歌で綴ったのはアルバム「少年歳時記」。「お目出當う」、「伯父さんは魚屋さん」、「夏の翼」、「マッチ工場とあじさい」、「石炭焚いて走ります」 ・・・・。あの頃の少年の夢や憧れが一杯詰まっている。


少年歳時記

あがた森魚 / マスクラット・レコード


by knakano0311 | 2010-08-02 09:40 | ふるさとは遠くにありて・・・ | Trackback | Comments(2)